小説『とくべつの夏 〈改稿版〉』
作者:sanpo()

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 「俺の、右足の刺青が見たいのか?あんたも、この写真家同様、パパが〈財宝〉を隠しているとか思っているわけ?」
 お生憎様、と少年は笑った。ちょっとこの場面にはそぐわないくらいの爽やかな微笑。
 「あの船には宝なんか全然なかった。なあ、クレイ?たった今、二人して潜って確認して来たんだ」
 「らしいな」
 銃を持っていない方の手で教授は物憂げに項を掻いた。
 夕焼けは今、一番美しい瞬間を迎えつつあった。果実のごとき太陽が、代々受け継がれ徹底的に磨かれてきた銀の盆さながらの水平線に特別の供物のように乗っている。
 とはいえ船上の誰一人として周囲の風景を気に留める者はいなかった。
 「こんなことを言っては何だが。実は私も昨日の内に──君達が引き上げた後に潜って調べてみたよ」
 一瞬、葵里子の顔に浮かんだ表情がひどく教授を面白がらせたようだ。
 「おや?信じられないかね、お嬢さん?こう見えても私の潜水歴は君達の比ではない。キャリアが違う。その昔、あっちの島々で大いに鳴らしたものさ!」
 けれどこの場合、葵里子が打ちのめされたのは教授の潜水の腕ではなかった。葵里子は考えていた。
 (真犯人を張っているつもりで、見張られていたのは私達の方だったんだわ。連続殺人鬼アンブローズ・リンクィストは逐一私達の行動を監視していたんだ……!)
 「やれやれ」
 教授はため息をついた。
 「教師を長いことやっていると困った悪癖がつく。バカな生徒を放って置けないんだ。補習講義をしてでもノータリンどもを覚醒させたいと願うのさ。今回の、世間じゃ何と呼んでいたかな?そう、〈右足好み〉〈右足収集家)は完璧な演出だった。何処か──この米国中の至る処──に生息する変態の一人が己の憐れな欲望に引き摺られて、おぞましい連続殺人を繰り返す。ただそれだけの話だよ」
 教授はいったん口を閉ざすと、自分の言葉が教室内の生徒達に届いているかどうか確認するかのように周囲を見回した。甲板の3人とも行儀良く聞いているのを知って大いに満足した。
 「ところで、実際には?右足を切り取る行為?には3つの目的がある」
 威厳に満ちた仕草で左手の指を開いていく。
 「1、犯人のアブノーマルさを印象付ける為。2、この種の話題を好む大衆を惹きつけて真実を覆い隠す為。3、現実的な必要から」
 一度、沈んで行く太陽を見てから、視線を転じて教授はサミュエルを見た。死んで行く若者……
 「そう。私は君の右足が必要だった。刺青を見たかったんだ。ところが、目的を果たした後で君を死体として遺棄した場合、困ったことになる。今日日警察は遺留品は隅の隅まで徹底的に調べ尽くすそうだから連中に少しでも興味を持たれるものは残したくない。だが、君も〈右足収集家〉の犠牲者の一人だとすれば右足がなくっても、それはもうしかたのないことだ。それ以上詮索されずにすむだろう?なんたって、右足好みの変態の仕業なんだから」
 「待ってよ」
 葵里子の引き攣った声が教授を遮った。
 「順番がおかしいわ。それじゃあ……先に殺された人達は皆……皆……」
 「正解!先に殺された連中はここにいるサミュエル君の為の供物。皆、サミュエル・プレローズ君に至る前座殺人(プレマーダー)の被害者なんだよ……!」

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