小説『とくべつの夏 〈改稿版〉』
作者:sanpo()

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 それはその〈場所〉と置かれている〈もの〉。
 洞窟と言う自然が永い時を費やして育んだ空間に、明らかに人の手によって造られた、美しい芸術品が並んでいた。
 一瞬クレイもサミュエルも美術館に迷い込んだのかと錯覚した。
 クレイの手の中の、細いライターの炎に次々に浮かび上げる端整な若者達の像──
 「な、何なんだ?……こんな処に……これ……?」
 「一体、誰がこんなもの造ったんだ……?」
 「クレタ人よ」
 二人は飛び上がった。またしても、心臓が止まるかと思った。
 「〈クーロス〉って言うのよ。知らない?」
 振り返ると、すぐ後の暗闇──今しがた自分達が通って来た狭い岩の回廊に衣通葵里子が立っていた。
 (ああ、やめてくれよ、本当に……!)
 クレイはつくづくと思った。どうしてこの女はいつもこうやって突然に俺達の前、いや、背後か、に現れるんだ?
 「一般的には紀元前600年頃のギリシャ・アルカイック期の大理石の青年像を指すの。この後の青銅像が瞬間的な躍動美を表現するのとは対照的に、〈静止した若者達〉と呼ばれてるのよ」
 葵里子は、驚愕の余り固まっているクレイとサミュエルをさっさと追い越して彫像群へ近づいて行った。
 ここで初めて自分の懐中電灯を点ける。
 「ほんとだ!シンプルで寡黙な像達ねぇ?ほら、この口元を見て!これが、かの有名な?アルカイックスマイル?よ。唇の端をちょっと上げる、ぎこちなくて不可思議な微笑……」
 20世紀の灯りに照らされて、彼ら古代の美青年達が突然の来訪者を冷笑しているのか、含羞かんでいるのか、益々わからなくなった。
 「葵里子……この野郎っ……!」
 突然サミュエルが叫んでつかみかかった。
 が、今回ばかりはクレイも止めなかった。少年の気持ちがよくわかったから。
 事件後、あろう事かあるまい事か、この自称写真家はどさくさに紛れてさっさと姿を眩ましてしまったのだ。
 この女にせっつかれながら、悪戦苦闘して漁船の無線で沿岸警備隊に救助を求めたところまではサミュエルもちゃんと憶えている。その時はまだ彼女は傍にいた。だが、その後、クレイがヘリで搬送される段には……どうだったかな?

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