「何がしてほしい、サミー?今、俺にできることなら何だって力になる。警察に電話するかい?」
クレイが改めて真剣に訊いてきた時には、サミュエルはかなり落ち着きを取り戻していた。
何処からか見つけてクレイが持って来た父のバスローブを羽織って、バスタブの縁に浅く腰掛ける。
スパーキィは相変わらずドアの外側にいて、濡れた床の上に立つ御主人とその友人の様子を神妙な面持ちで見守っていた。
(フフ、どうやら、あいつはあんまし水が好きではなさそうだな?)
サミュエルは視線を犬からクレイに戻すと笑って首を振った。
「警察?連中が何をしてくれるって言うんだ。だいたい奴等、今それどころじゃないだろ?例の連続片足切断魔で忙しいって時に、ありふれたレイプの一つや二つ……」
サミュエルは目を瞬いた。「それ身今回の件は俺にも責任があるんだ」
自分が暢気にもあんな連中、邸に入れなきゃこんなことにはならなかった。そしてそれ以上に──あいつ、エルンストを邸に泊まらせなければ……
「あのクソッたれ!ぶっ殺してやりたい!」
「サミー……」
クレイの眼差しに我に返った。急いで、クレイが何か言う前に言ってしまおう。
「警察より、クレイ、俺、一つだけ頼みがあるんだ。聞いてくれる?」
「勿論さ!言ってみろよ」
「おまえの家に行きたい」
クレイはたまらなかった。見開かれた少年の瞳はガラスのようで次の瞬間にも砕け散ってしまいそうだ。今すぐ飛んで行って抱きしめてやりたくなる。実際、クレイはそうしたが。
「俺、今、ここにいたくないよ」
クレイの腕の中でサミュエルは囁いた。「おまえの家の、おまえのベッドで眠りたい。昨夜は一晩中寝てないんだ。あっ、当然か。レイプされてて眠れるバカいやしないか?」
「やめろ、サミー」
クレイはサミュエルの両肩を揺すって優しく叱咤した。頬を寄せると少年の髪がまだ濡れているのがわかる。
「いいとも」
心からクレイは言った。
「お安い御用さ、俺んちへ来いよ!そして?100年でも眠ってていいぜ、俺のベッドで……!」
かく言うクレイ自身、昨夜は一睡もしていない。
ずっと、つれない誰かさんを恨んで…・・・待ちぼうけを食わされていたんだからな?
4
目が醒めた時、サミュエルは一瞬そこが何処かわからなかった。
梁が剥きだしの天井を見つめながら、セージと石鹸の匂いのする清潔なシーツの中でじっとしていた。
やがて、ゆっくりと思い当たった。
(そうか。ここはクレイのコテージの……クレイのベッドの中だ……!)
どのくらい眠っていたのだろう?チェストの上の時計に目をやると4時過ぎ──夕方だった。
とはいえ、紺と白のストライプのカーテン越しにまだ衰えていない夏の陽ざしがキラキラ零れ落ちている。
サミュエルが予想した通り、クレイの寝室はクレイ本人同様、ステキだった。
屋根裏部屋で、床も壁も真っ白いペンキで塗ってある。壁に寄せられたアンティークの丸テーブル。その上に置かれたランプは白磁に藍色。ベッドの足下には、これまたいい具合にペンキの剥げ落ちた年代物のリネンボックスがあって数本のジィーンズと書籍が無造作に積んであった。ベッド自体は簡素で頑丈なクェーカー教徒を思わせる木製のそれだ。
こんな素敵な部屋は思い出せるだけでもそう幾つもない、とサミュエルは思った。例えば〈トーチ・ソング・トリロジー〉のロフト。〈愛されちゃってマフィア〉の子持ちヒロインのアパート。〈ドクトル・ジバコ〉のラーラのアパートも良かったけど……
(フェアじゃないよな?)
次に思ったのはそのこと。なるべく考えまいとしていたが。
この心地好いベッドで眠る幸運に恵まれた人間は、俺が最初ってわけじゃない。クレイときたら二言目には?10番目??10番目?って俺をからかうのにさ。あいつにとって俺が何番目かは教えてくれてない。
『おまえはどうしてついて来たんだ?』
と、訊いたクレイの横顔をサミュエルは思い出した。初めて会って、この家にやって来た時、クレイは知りたがったっけ。もっと具体的に言ってやれば良かったかな?
あの時、もうどうなってもいいと思ったんだと。だから、ついて来た。たとえおまえが例の──右足好みの連続殺人鬼でもかまいはしなかった、って。
すると、サミュエルには鮮明に見える気がした。『ひどいぜ』とクレイが目を細めて笑う姿。髪を掻き上げてあいつは言うだろう。『俺のこと、そんな変態だと思ったのかよ?』
そしたら俺は答える。『だって、浜辺で声掛けてくる奴にマトモな人間がいるわけないもの!』……
ベッドの中でひとしきりクスクス笑ってからサミュエルはゆっくりと起き上がった。
「ところで、と。?本物?のクレイは、今、何処にいるんだ?」
カーテンがヨットのように風を孕んで揺れている。
まっさらな眠りに堕ちる前に、クレイがそれを閉めて出て行ったのをサミュエルは見たような気がした。
階下へ降りると、キッチンのストーブの上で鍋がコトコト湯気を上げていた。続くリビングルームのソファにサミュエルはクレイを見つけた。
クレイもまた、ぐっすりと眠り込んでいた。投げ出された長い足の下には例によってスパーキィ。この頼もしい金色の守護天使はすぐに鼻をヒクつかせてサミュエルを見上げた。
「シッ」
微笑んでサミュエルは唇に指を当てる。
「いいよ、スパーキィ。おまえの御主人を起こすんじゃない」
サミュエルは廊下を抜けてそっと玄関のドアを開けると外へ出た。
サミュエルはプレローズ屋敷に戻って来た。
鍵を開けて中に入る。
リビングルームは意識的に目を逸らせてやり過ごした。まだ昨夜のおぞましい悪夢に真正面から対峙する自信はなかった。クレイと一緒なら別だが。
自分の部屋に使っていた2階のメインゲストルームへ直行して、そこのチェストから最低限必要な衣類をバッグに詰め込む。当分ここへ戻るつもりはなかった。本気でクレイと同居しようと決めた。
再び階段を下りて玄関へ。
リビングルームの前を横切った際、両開きのドアの隙間からさっきは気づかなかった?何?か──影のような物──がチラッと視線を過ぎった。
「?」
妙な気がした。
それが何であるのか気になってしかたがない。それで、もう一度よく見てみようと手に持っていたバッグでドアを押し開けて中に入った。
リビングルームへ足を踏み入れて、サミュエルはハッキリとそれを見た。
そこのあったのはエルンスト・オレンジの死体だった。
首を絞められたらしい。不自然に折れ曲がった頭。咽喉に痣が残っている。昨日、自分が絞めた時とは比べ物にならない柘榴色。そして、何にも増して印象的だったのは、片足が──?右足?が切り取られている点だった。
右足は膝から下がなくて、その真下の美しい床に丸く広がっている血溜りがまるで穴みたいに見えた。宇宙の深淵……銀河の横に広がっている石炭袋の口……
だから?そのせいで?エルンストの右足はすっぽりと奈落の底に吸い込まれたように見える。
「────・・・」
どのくらいそこに棒立ちになって従兄弟の死体を見下ろしていたのだろう?突然身を翻すとサミュエルは一目散に邸を飛び出した。