小説『Forbidden fruits ―禁断の果実―』
作者:ゴニョゴニョ()

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 まだ寒い三月初旬、BSTでは中等部の卒業式がとり行われていた。

 檀上では見事主席をとったクリスが、よく通る声でスピーチを行っていた。暗めの金髪には金色の房が付いた紺色の角帽が乗っており、式典用にジャケットを着用した制服の上からは紺色のローブを羽織っている。

「私事ですが中等部に在籍していた三年間、とても密度の濃い体験をしました。スケートでノービスからジュニアへ上がり、そして去年はシニアへの参戦も経験しました。それはひとえに多くの友人や教諭達に支えて頂いたおかげです。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

『たまらなく好きなものを見つけなければならない』――この言葉はとても有名ですね。二〇〇五年に行われた米国スタンフォード大学の卒業式にて、故スティーブ・ジョブズ氏が卒業生に送った言葉です。

僕はこの言葉は簡単に聞こえてとても難しいことだと思います。僕は幸運なことに生まれた時から『たまらなく好きなもの』に触れ合って来れましたが、卒業生の中には、もしかしたら教諭陣の中にもまだ『たまらなく好きなもの』に巡り合えていない人は多くいるのではないでしょうか。

今好きなことが将来『たまらなく好き』になるかもしれないし、今大嫌いなことが将来そうなるかもしれません。だから見つからないと不貞腐れるのではなく、見つけられるよう努力をしましょう。一日、ひと月、一年を大事に過ごしましょう。そうすればいつか、僕達は『たまらなく好きなもの』に巡り合ったとき、すぐにそれに熱中出来るでしょう。僕のスピーチは以上です。ご清聴ありがとうございました」

 クリスのスピーチが終り、講堂は大きな拍手で埋め尽くされた。その拍手が小さくなり始めた頃、ピアノの伴奏が始まり、ヴィヴィ達卒業生が壇上へと駆け上がる。卒業生総勢二十人は二列になると、卒業式の三ヶ月前から練習してきたSeason of love を合唱する。

 皆笑顔で大声で歌う。正直卒業式といっても、全員エスカレーター式に高等部へと進むのだ。だから悲しみよりも高等部での生活への楽しみのほうが大きかった。最後はお決まりの角帽を空へと放り投げるセレモニーを行い、卒業式は終了した。






 二月頭に行われた世界ジュニアも見事優勝を果たした双子は、三月に中等部を卒業し、春休みを挟んで四月頭に高等部への入学と国別対抗戦への出場が予定されていた。

 春休みの時間を使って、双子は篠宮邸のライブラリーにある歌劇やバレエ、演劇のDVDを見たり、実際に舞台や映画を見に行ったりしてオリンピックシーズンに使いたい曲を探していた。

 クリスが映画のサントラを聞いている横で、ヴィヴィはネットの動画サイトでいい曲がないか調べていた。

「どう、クリス……いいのあった?」

「うん……SPの候補はいくつかある……でもFPは全然……」

 肩を竦めてCDの説明書を読み始めたクリスに、ヴィヴィは

「私なんか、一曲も候補ないよ〜」

と、ソファーの背もたれにボスと凭れ掛かる。

「いつも自分達で曲を選ぶの?」

 ふいに二人に女性の声が掛けられる。双子は女性に振り返り首を振って見せる。

「今シーズン初めて自分達の滑ってみたい曲をマム――コーチに言ったら滑らせてくれたんです。だから来シーズンも自分達でやりたいものを、言ってみようかなって」

「滑らせてもらえる保証は、どこにもないけど……」

 ヴィヴィの希望的観測な返事に、クリスが現実をぼそりと呟く。

「やっぱり自分のやりたい曲のほうがテンション上がる?」

 女性――三田ディレクターの言葉に、双子はそろって大きく頷いた。

 何故、篠宮邸に三田ディレクターがいるのか――話は一週間前に遡る。






「明後日からNHKの『アスリートの魂』の密着取材が入るから」

 練習後、フィットネスルームで念入りにストレッチをしていた双子に、大きなバランスボールに腰を下ろした牧野マネージャーがそう告げた。

「…………は?」

 開脚をしてマットに突っ伏していたヴィヴィからくぐもったつぶやきが漏れる。

「だから……NHKの密着取材が入るよって」

「密着って、どれくらい……?」

 スラックライン(ベルト状の綱渡り器具)でバランスを取っていたクリスが質問する。

「ええと、二回に分かれていて……一回目が明後日から大体夏まで密着して、秋に放送するって。で、二回目は――」

「え、待って……」

 バランスを失ってベルトから落ちたクリスは、牧野の言葉を遮る。

「な、なんでまだ無名の僕らに……?」

「何言ってんの? 今や篠宮兄妹といえば、フィギュアファンならずとも国民のほとんどが知ってるんだよ。なんたって、全日本フィギュアに十四歳でしかも双子で優勝しちゃったんだから。テレビにもいっぱい出てたでしょう?」

 牧野マネージャーが言うように全日本フィギュア以降、双子はテレビにちょくちょく出ていた。二月の世界ジュニアでの優勝も、翌日のニュースで各局で大きく取り上げられたのだ。

「最近忙しくて、テレビ見てないもん。っていうか、三月から夏までってほぼオフシーズンでしょう? 何を撮りたいの?」

 四月に国別対抗戦を控えているとはいえ、それを最後に今シーズンは終了する。体を起こしたヴィヴィが困惑したように呟く。

「プログラムを作りあげていくところを撮りたいんだって」

「「プログラム?」」

 ハモった双子に、牧野マネージャーが頷く。

「昨シーズンに比べて今シーズン、二人ともプログラムの傾向がガラッと変わったでしょう。特にヴィヴィは『ジャンプの篠宮』って言われていたのが『演技力の篠宮』に変わったって言われている。エキシビジョンを自分で創ったというのも話題になったしね」

「へえ、知らなかった」

 他人事のようにそう言ったヴィヴィだったが、クリスが不満気に口をはさむ。

「じゃあ、ヴィヴィだけでいいじゃん……」

「分かってないな、クリス。そんなのは建前で、本当に撮りたいのは双子の素顔やスケートに臨む姿勢だよ。君達は人気あるし、オリンピックでのメダルも期待されてるしね」

 牧野のその説明にクリスの顔が曇る。

「ああ……『客寄せパンダ』……」

 そう呟いてクリスが近くの椅子にへたり込むように座った時、ジュリアンがフィットネスルームに顔を出した。

「牧野マネージャー、話しておいてくれた?」

「はい、まだ途中ですけれど」

 牧野は流暢な英語でそう返す。

「ま、そういうことよ。ところで貴方達――自分はどこの国の人だと思ってる?」

 生まれて初めて母からそんなことを聞かれ、双子は顔を見合わせた。

「……僕は、日本人かな……生まれてからずっと日本にいるし……」

 考え込んでいたクリスがそう口を開き、ヴィヴィに視線を移す。三人の視線を受けたヴィヴィは眉を寄せて困ったように首を傾けた。

「う〜ん……日本人半分、イギリス人半分かな……学校が英国式だし、フィギュアで知り合った子以外で日本人の友達は皆無だし……」

 正直に心の内を語った双子に、ジュリアンはうんうんと頷く。

「貴方達は英国の血が3/4も入っているから、見た目は日本人じゃないのよ。勿論恵まれた容姿と体格はスケートには持って来いなんだけれどね」

 ジュリアンの言わんとすることが何となく分かり、ヴィヴィはストレッチマットの上で居住まいを正す。

「金髪と白い肌、その眼の色はとても綺麗で魅力的だけれど、あなたたちの弱点でもあるの――。あなたたちは日本代表なのになぜ外人みたいなのかって、やっぱり年配の方とかは思うわけ」

「確かに……最初の頃はよく日本のメディアにも『どうして日本のスケート連盟に所属しているの』って聞かれた……」

 ヴィヴィの言葉に、クリスも頷く。

「最近は英国の記者に『英国代表でオリンピック出て欲しいって、英国国民は思ってる』って言われたし……」

 日本程ではないにしても、英国はフィギュアが人気だ。けれどここ何年も国際大会に目立った選手を輩出していない。

「日本代表でオリンピックに出るんだったら、少しでも日本国民に応援・支持されて出たいじゃない? だから日本のみんなに貴方達の人となりを知ってもらって気に入ってもらえるように、今年はメディアへ積極的に出るのよ」

 ジュリアンの説得力のある言葉に、双子は目から鱗が落ちたようだった。

「そっか、そうだね……」

「それに、スポンサーも見つかりやすくなるかも……」

 何とか納得したような双子に、今迄黙って事の行方を見守っていた牧野マネージャーが口を挟む。

「まあ密着って言っても、二十四時間べったりって訳でもないし、そんなに気負うことはないと思うよ。あと二回目の密着は十月からオリンピックまでで、世界選手権の前ぐらいに放送予定らしいよ」





 そういういきさつで、双子には三田ディレクターが密着している。ほとんど彼女一人でやって来てハンディーカメラで撮影して取材しているので、そんなに撮影されているという感じもしなかった。それに国営放送局だから変なことは放送しないだろうと、双子は徐々に三田ディレクターの前でも普段通りに過ごすようになってきた。

「あ、見てみてクリス。『オペラ三大悪女はこいつら!』だって」

 ヴィヴィがノートパソコンの画面をクリスに向ける。

「いちばん悪い女 → トゥーランドット。つぎに悪い女 → サロメ。三番目に悪い女 → カルメン かあ……」

 クリスが画面を覗き込んで読み上げる。

「トゥーランドットってトリノで荒河静香選手が滑ったよね。カルメンは『ハバネラ』とか『闘牛士の歌』がいろんなスケーターに滑られてるし」

「ヴィヴィちゃんはカルメン滑らないの?」

 三田ディレクターの言葉に、ヴィヴィはう〜んと唸る。

「曲は好きなんだけど、カルメンは『男を手玉に取る大人の女性』だから、まだ十五歳で演じる自信……ないなあ」

(もうちょっと出てるとこ出てないと……こんな子供っぽい体じゃ、男の人誘惑できないでしょ――)

 ヴィヴィは心の中でクスンと泣き真似をする。

「サロメは……?」

 クリスの疑問にヴィヴィは首を傾げる。

「確かサロメって、十五歳くらいの設定だったと思うけれど……」

「えっ! そうなの?」

 驚いた声を上げたヴィヴィに、三田が不思議そうにカメラを向ける。

「あ、サロメって知ってます?」

「残念ながら、知らない」と三田ディレクター。

「えっと簡単に説明すると、サロメというユダヤの王女が預言者に一目ぼれしたんだけど、預言者が相手にしてくれないから義理の父の前でダンスを踊って、その見返りとして預言者の首を要求するっていう、おどろおどろしい話です」

「それは血生臭い話だね」

 ヴィヴィの端的な説明に三田が苦笑する。

「そうなんです。だからサロメが十五歳って聞いて驚いちゃった……もっと大人の女性なんだと思ってた」

「フィギュアではよく使われる題材なの?」

 三田ディレクターはそれほどフィギュアに詳しくないらしい。スポーツ全般を扱っているそうなのでしょうがないのだろう。

「ミシェロ・クワンが世界選手権で滑ったのはとても有名ですね……それ以外はあまり聞かないかな?」

 ヴィヴィがそう言ってクリスを見ると、クリスは頷く。

「確か……その時のミシェロ・クワンも十五歳だったよ……」

「………………」

(へえ…………)

 ヴィヴィは急にソファーから席を立つと、ライブラリーの壁の棚へと歩いていく。オペラのDVDが置かれている中に、ヴィヴィの探していたサロメがあった。

「クリス、これ見ていい?」

 ヴィヴィがソファーに座るクリスを振り返ってDVDを掲げてみせると、クリスが近づいて来てヴィヴィの手の中からDVDを受け取ってプレイヤーにセットしてくれた。礼を言ってソファーに戻るとリモコンでスタートする。

 オスカー・ワイルドにより手がけられた戯曲をドイツ語に翻訳したものをリヒャルト・シュトラウスが用いているので、オペラはドイツ語だった。ヴィヴィは片言なら喋れるがさすがに全ては聞き取れず、英語の字幕を目で追う。




 時は西暦三十年頃、舞台はエルサレムのヘロデ王の宮殿。

 サロメは王妃ヘロディアスの娘で、ユダヤ王ヘロデは義父にあたる。このヘロデ王は、サロメの実の父でもある兄を殺し、ヘロディアスを自らの妻としていた。

 宴の席でヘロデ王に好色の目つきで見つめられていたサロメは、満月に照らされたテラスに逃れる。

『ああ、私はあんな席にいるのは厭だ。いるのは厭だ。

 何でお父様はあのぶるぶる震えている瞼の奥のもぐら鼠の目のような目で、いつもいつも私の顔ばかり見ておいでなさるのだろう。お母様の亭主の王様が私をあんな風に見てお出でなさるというのは変ではないか。

 月を見ているのは好い心持だ。

 月は銀の花のようだ。冷たくて清い。

 そう、処女の美しさのようだ。いつまでも純潔でいた処女のようだわ』

 すると地下から不気味な声が聞こえてくる。ヘロデ王によって隠し井戸に幽閉されていた預言者ヨハナーンの声だった。

 この声に興味を持ったサロメは、若い衛兵隊長ナラボートに隠し井戸の蓋を開けるよう命じる。王から禁じられているにもかかわらず、ナラボートはサロメの妖艶な美しさに心を奪われ、ヨハナーンを外に出してしまう。

『その唇なのだよ、私が欲しくてたまらないのは、ヨハナーン。

 お前の唇は象牙の塔に施した緋色の縞。

 象牙の刃を入れた石榴の実。

 ツロの庭に咲く薔薇より赤い石榴の花もお前の唇ほど赤くはない。

 私はお前の唇に接吻せねばならぬ、ヨハナーン。

 私は接吻せずにはおけぬ』

 しかし井戸から出てきたヨハナーンはサロメの母ヘロディアスの近親婚の罪を咎めるだけで、サロメの誘いには目もくれない。サロメが口づけを求めると、ヨハナーンは呪われよと言い捨て井戸の底へと戻っていった。  

 義娘サロメのことを追ってヘロデ王がテラスに出て、その後を妻ヘロディアスが追ってくる。地下からはヨハナーンがヘロディアスを非難する声が聞こえてくるが、気にする妻を尻目にヘロデ王はその声に耳を傾けない。

 それどころかヘロデ王の目は常にサロメに注がれ、サロメに踊ってみせよと命じる。サロメは始めは断っていたが、ヘロデ王に踊りをみせれば望みのものをやろうと言われ、サロメは「七つのヴェールの踊り」を披露する。

 満足したヘロデ王が望みは何だと尋ねると、サロメは望みを告げる。



『銀の皿に――、

 銀の皿に、預言者ヨハナーンの首を――』



 その言葉に喜ぶ母ヘロディアス。それに対し聖者を殺すことを恐れたヘロデ王はやめさせようと説得するが、サロメは頑として譲らない。

 結局サロメの望みが叶う。

『ああ、ヨハナーンや。なぜお前は私の顔を見てくれなかったの。

 ようもお前は、自分の神を見ようと思っているものの目隠の巾でお前の目を隠したね。

 ヨハナーンや。成程お前は、神をば見ていただろう。

 そのくせ私を、私をちっとも見なかったのね。

 もし私を見たなら、きっと私を愛してくれたに違いない。

 お前の美しさが慕わしい。

 私はお前の体が欲しい。

 私の渇きは酒では止まらぬ。私の飢は林檎では直らぬ。

 ヨハナーンや。まあ、私はどうしたらよかろうね。  

 川の水でも海の水でも、

 私の胸の火は消えぬ。

 ああ、なぜお前は私の顔を見なかったのだ。

 少しでも見てさえくれたなら、私を愛してくれたろうに。

 きっと私を愛したに違いない。

 死の秘密より大きいのが、

 愛の秘密であるではないか』  

 銀の皿の上にのせられたヨハナーンの首を持ち上げ、口づけをするサロメ。

『ああ……とうとうお前の口に接吻したわ、ヨハナーンや。

 お前の口に接吻したわ。

 お前の唇は苦い味がするのね。

 あれは血の味なの。

 いや。ことによったら恋の味かも知れぬ。

 恋は苦いものというから。

 そんな事はどうでも好い。

 ヨハナーンや。私はお前の口に接吻したよ。

 お前の口に接吻しましたよ』

 その有様を見ていたヘロデ王は兵士達にサロメを殺すように命じ、そこで幕が下りる。





 気が付くと一時間半程のオペラは終わっていた。

「………………」

 ヴィヴィはサロメのストーリーは知っていたが、オペラを見るのは初めてだった。さらにその主人公であるサロメが十五歳の少女ということに衝撃を受ける。

 まるで玩具を欲するるように、無邪気に愛した男の首を強請る少女――。

 自分の欲しいものの為なら嫌いな義父の前で裸同然の格好で舞を舞う、そのひたむきさと狡猾さ。







『ああ、なぜお前は私の顔を見なかったのだ。

 少しでも見てさえくれたなら、私を愛してくれたろうに――』






 戯曲の一説が蘇る。

 その途端、何故かヴィヴィの背筋がぶるりと大きく震えた。

「やる……私、これ、絶対、やる――」

 そう思い詰めた様にぶつぶつと呟くヴィヴィを、クリスと三田は圧倒されたように黙って見守っていた。



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