小説『Forbidden fruits ―禁断の果実―』
作者:ゴニョゴニョ()

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「お嬢様。支度が済みましたよ――。……お嬢様……?」

 五月一日。

 松濤の篠宮邸は薔薇に埋め尽くされていた。La Reine Victoria(ラ・レーヌ・ヴィクトリア)と呼ばれるヴィクトリア英国女王からその名を賜った美しいライラックピンク色のそれは、可憐なその姿からは想像できないほどの強い芳香を放ち来訪者を迎えていた。

 けれどむせ返るような華の中にいても、ヴィヴィの思考は別のところにあった。

(あぁ〜……どうしよう……)

 小さな金色の頭の中ではああでもないこうでもないと案が浮かんでは打ち消されていくが、その葛藤が終結を迎えることはない。

「……ヴィ……、ヴィヴィ……?」

 馬耳東風状態で周りの声が全く入ってこないヴィヴィだったが、とうとう周りの者は痺れを切らしたらしい。薄く化粧が施された両頬に手を添えられると、ぐきっという音がしそうなほど強引に左へと向けさせられた。

「痛……。何するのよ、クリス……」

 グロスを塗られて艶々の唇をつんと尖らせたヴィヴィは、目の前5センチ先にある自分そっくりのクリスの顔を睨む。

「うん……怒った顔も可愛い……」

 真顔でそう返され、ヴィヴィは毒気を抜かれて一息置いて苦笑した。

「なにそれ」

 ヴィヴィの顔から手を放したクリスは手を差し伸べ、ヴィヴィを鏡台前のスツールから立たせる。そこで初めてクリスの全身を見たヴィヴィは、こてと首を傾げた。

「あれ……クリス。なんでそんなにおめかししているの?」

 目の前のクリスは千鳥格子柄のベストを合わせた黒の三つ揃えスーツを纏っていた。首元には同じく千鳥格子柄の蝶ネクタイが飾られ、いつもストレートの金色の髪も少しだけ毛先を遊ばせている。

(ディナーに行く予定なんて、あったかな……?)

 心底不思議そうに見上げてくるヴィヴィに、クリスは小さく嘆息する。

「いや……今日は――」

「自分の誕生日も忘れちゃったの? ヴィヴィってば……」

 クリスの言葉に被せて聞こえてきた匠海の声に、ヴィヴィは部屋の入り口を振り返る。匠海も紺色のスーツに薄いピンクのスカーフとチーフで同じくドレスアップしている。

(誕生日……?)

「え……あ……っ! 誕生日――っ!?」

 素っ頓狂な声を出して、ヴィヴィが二人を指さす。

 五月一日はクリスの誕生日だった。そして一日遅れて二日がヴィヴィの誕生日。そして偶然にも五月五日は匠海の誕生日でもあった。なので篠宮家ではいつも五月の一日から五日の間の都合の良い日に合わせてバースデーパーティーを開いていた。

 今年はゴールデンウィークに双子がロシアへ振付に旅立ってしまうので、一日にパーティーをすることになっていたのだ。そんなことなどすっかり記憶の彼方に追いやってしまっていたヴィヴィだったが、急に顔を青ざめて口元を両手で覆った。

「ど……どうしよう……」

 ヴィヴィの突然の動揺に、兄二人が何事かとヴィヴィを見下ろしてくる。

「私……お友達にパーティーの招待状、出してない……」

 この世の終わりのような悲痛な声でそう漏らしたヴィヴィに、クリスと匠海は顔を見合わせて肩を竦める。

「なんだ、そんなこと……」

「何をいまさら――」

 呆れた様子でそう口々に返してきた兄達を、ヴィヴィは涙目で見上げる。十五歳の誕生日はこの世で一回しかないのだ。特に今年は高等部に上がって、ヴィヴィはそのことも皆で祝いたかった。

「そんなことって……! いまさらって……っ!」 

 両手をぎゅっと握りしめて泣きそうな声を出したヴィヴィに、二人は苦笑した。

「ヴィヴィ、落ち着いて。誰をバースデーパーティーに呼びたかったの?」

 匠海がヴィヴィの右手を取り上げ、軽く握りしめる。

「え……そりゃあ、クラスのみんなとか……同じリンクの子達とか……」

「それなら、クリスがちゃんと連名で招待状を送っているよ」

 匠海のその言葉にクリスを見ると、クリスは頷いて同意する。

「あ……あと、宮田先生とか……あっ! 三田さんも呼びたかったのに」

 いつも世話になっている振付師の宮田や、NHKの三田ディレクターも呼びたかったとヴィヴィは顔を曇らせる。

「大丈夫。僕が招待したから」

 クリスはヴィヴィの空いた左手を握ると、顔を覗き込んでヴィヴィを落ち着かせようとする。

「お兄ちゃん……クリス……」

 ヴィヴィはこのところFPのサロメのことばかりに気を取られ、学業や付き合いを疎かにしていた自分の行動を振り返った。思い返せばいつも眠そうにしていたヴィヴィに、カレンをはじめ周りのクラスメートやスケート仲間は心配してくれていた。なのにヴィヴィは自分のことに手がいっぱいで、そんな周りのフォローにも気づいていなかった。

(もう……私ってほんと周りが見えてない子供……)

「ごめんなさい……。私……自分のことばかりで……」

 自分の不甲斐なさに頭を垂れたヴィヴィだったが、その視界に繊細なレースの裾が入り、不思議に思ったヴィヴィはゆるゆると視線を上げる。

「あれ……私、いつの間にドレスに着替えたっけ……?」

 目の前にある姿見に映っているヴィヴィは、オフホワイトの総レースのドレスを着ていた。半袖で胸の下から三段テイアードの可憐なそれは初めて目にするものだった。

「え? 自分で着替えたんじゃないのか?」

「ううん。記憶にない」

 匠海の問いかけに、ヴィヴィは小さく頭を振る。金色の髪がさらさらと揺れる。

「まさか……朝比奈が、ぼうっとしているヴィヴィを、無理やり着替えさせた――?」

 いつもは落ち着いたクリスの声音が徐々に棘を含んだものに変わって、傍に控えていた朝比奈に剣呑な視線をやる。

「い、いえ。滅相もありません――。お嬢様がご自分で着替えてくださらないので、メイド達に着付けさせました」

 銀縁眼鏡のブリッジを指でずり上げながら、朝比奈がそう弁解すると兄達はほっと息を吐いた。朝比奈に疑いの目を向けさせる原因を作ったヴィヴィが「ごめんね?」と申し訳なさそうに眉をハの字にして朝比奈に謝る。

「それにしても、可愛いね――。それにシルエットがすっきりしているから、いつものドレスより洗練されていていいね」

 と匠海がヴィヴィの全身をしげしげと見つめながら、右側から賞賛してくれる。

「花冠も、天使みたいで、可愛い……」

 と今度はクリスが左側から褒めてくれる。背中の中ほどまである長い金髪はゆったりと巻かれ、小さな頭にはオフホワイトの薔薇で作られた清楚な花冠が乗せられていた。

「ほんと……? 子供っぽくない?」

 兄二人に褒められて先程までの自己嫌悪など頭の片隅に消えてしまったヴィヴィは、二人に聞き直す。

「可愛いよ」

「綺麗だよ」

 両方からサラウンドでそう褒めてもらい、ヴィヴィは薔薇が綻ぶようににっこりと微笑んだ。

「お兄ちゃんも大人っぽくてカッコいいよ。クリスは蝶ネクタイ似合ってて可愛い」

 両方を見てそう兄達を褒めたヴィヴィに、朝比奈がヴィヴィの靴を持って来た。

 オープントウで華奢なヒールのそれはドレスと合ってとても素敵だったが、ヴィヴィはそんなヒールの靴を今まで履いたことがなかった。兄二人に支えてもらいながらスリッパからパンプスに履き替えたヴィヴィは、やはりぐらぐらと足元がおぼつかない。

「こんなヒール履いて、歩き回れるかな……?」

 不安そうにそう呟いたヴィヴィにクリスがフォローする。

「大丈夫だよ。僕がずっと傍にいるし……」

「そうだな。それに庭に出たら椅子は沢山あるからな。足が痛くなりそうだったら座っていたら?」

 匠海のその助言に、ヴィヴィは「そうする」と頷く。

「ではそろそろ参りましょう。お坊ちゃま、お嬢様――。皆様が首を長くしてお待ちですよ」

 微笑んだ朝比奈ともう一人の使用人が両開きの重厚な扉を廊下側へと開くと、庭へと通じた階下からは美しい管弦楽の調べに乗って楽しげな声が聞こえてきた。

「参りましょう――我が家のお姫様――?」

 右からそう言ってからかい、腕を差し出す匠海と、

「転ばないように、僕の腕しっかり握っていてね?」

 と心配そうに左から覗き込んでくるクリス。

 二人に支えられながら、ヴィヴィは石造りの階段を一歩ずつ降りて行った。





「いいなぁ、ヴィヴィは〜」

 パーティーも中盤に差し掛かった頃、隣に座っていたカレンがじと目でヴィヴィを見つめてそう口を開いた。

 東京都内とは思えないほどの広大な篠宮邸の庭に配されたソファーやウッドチェアに、ヴィヴィ達女子は各々着飾り輪になって座っていた。少し離れたところにはクリス達同級生&スケート男子メンバー、その隣には匠海の友人や仕事関係の人が集っていた。

「何が〜?」

 周りにいる女子達がカレンに尋ねると、カレンはちらりと視線だけで本日の主役である匠海とクリスを見やる。

「何って、決まってるでしょ〜? あんなにカッコいいお兄さん二人にチヤホヤされて、羨ましいったらないよっ!」

 カレンのその意見に、女子達が身を乗り出して食い付く。

「だよねっ! 一番上のお兄さんは久しぶりにお会いしたけれど、めっちゃくちゃ美形だよね!」

「さっきなんてさ、お兄様二人に両側からエスコートされて……どこのお姫様かと思っちゃったよ!」

 興奮気味にキャアキャア捲くし立てる友人達に、ヴィヴィは乾いた笑いを返す。

「ヒールが細くて、こけないように支えてもらってただけなんだけど……」

 そんな乙女の夢をぶち壊すようなことを暴露しながらも、ヴィヴィは心の中で先ほどのことを思い出し鼓動が跳ねた。

(「可愛いよ」って言ってくれたし、階段を下りる時もとっても優しい瞳で見つめられて、ドキドキした……)

 微かに色付いた頬をヴィヴィが両手で押さえていると、また女子達が騒ぎ出す。

「クリスはさ〜、ヴィヴィのことしか目に入ってないから駄目だろうけど、お兄さんのほうはチャンスあるかな? 六歳上だっけ? 大学四回生か……高校一年生は恋愛対象には入らないかしら?」

「そうだよね〜。なんたって東大生だもんね、頭も良くて御曹司で美形なんて、周りがほっとかないよね」

 皆が恋する乙女のように胸の前で手を組んで匠海のほうへと熱い視線を向ける。そんな様子にヴィヴィは焦って口を開いた。

「お、お兄ちゃんは『年上好み』だから、だ、駄目だと思う――っ!」

 どもった上に声が裏返ってしまって明らかに挙動不審なヴィヴィに、友人達は不服そうにする。

「え〜……そうなの?」

「長男だから年下の女子とのほうが上手くいきそうなのにね〜」

 口々に残念そうにそう言う友人達とは別に、カレンがヴィヴィを肘で小突いた。

「ヴィヴィ、お兄ちゃん取られそうで嫌だから、そんなに焦ってるんじゃない?」

「え……?」

 意地悪そうにニヤッと笑ったカレンを振り返ったヴィヴィは、一瞬自分の心を見透かされたのかとドキッとしたがカレンの面白がっている表情からそうではないと悟る。

「そ、そうだよっ! お兄ちゃんはヴィヴィのお兄ちゃんなんだから、他の女の人には渡さないの――!!」

 開き直ってオフホワイトのドレスの胸をそらし、腰に両手を添えて「えっへん」と言い切ったヴィヴィに、一瞬周りはしんと静まり返った。しかし直ぐに爆笑に包まれる。

「あはは。ここにもいたよ〜、ブラコンがっ!」

「クリスだけがシスコンなんだと思ってたら、ヴィヴィもブラコンだったとは!」

「っていうか、お兄さんがクリスLOVEだったら綺麗な三角関係になるね」

 お腹を押さえてひーひーと笑い転げる女子達に、近くにいたクリス達男子が近づいてくる。

「何笑ってんのさ?」

「どうせ俺らの悪口でも言って盛り上がってんだろう?」

 皆思い思いにお洒落をした男子達が、女子が座ったソファーの背凭れや肘置きに腰を下ろし輪に加わる。

「違うよ〜、ヴィヴィがね〜」

 笑いながら口を開こうとしたカレンの口を、ヴィヴィは両手で押さえて阻止する。

「わ〜っ!? 言っちゃダメ――っ!!」

 焦ったヴィヴィがカレンを止めたが、周りの女子達が「ヴィヴィは上のお兄ちゃんのブラコンなんだって!」とすかさずばらしてしまった。

「え〜、ヴィヴィもかよっ!?」

「お前ら……世の中には兄弟姉妹以外にも男と女はいるんだぞ?」

「そうだよ。兄弟なんかに構ってる時間があるなら、恋をしろ、恋を――!」

 男子達が口々にそうヴィヴィとクリスを説得しようとするが、双子は声をそろえて反論した。

「「だって、お兄ちゃんが(ヴィヴィが)誰よりも一番カッコいい(可愛い)んだもん」」

 あまりにも綺麗にシンクロした答えに、皆は一瞬目をぱちくりとさせたが、また大爆笑に包まれた。

「じゅ、重症だっ、この双子は――っ!」

「お、面白すぎる……」

「お互い気持ちが一方通行なのが、笑いを誘うよねっ!」

 散々ネタにされてむくれる双子をよそに、面白がる友人達に二人は口を尖らせた。

「皆様、デザートをご用意いたしました。お好きなものをどうぞお召し上がりください」

 家令の言葉を聞き、双子をからかっていた友人達は各々デザートを取りにソファーを離れていった。

「「…………」」

 ぽつんと残された二人は、顔を見合わせて無言で黙り込んだ。管弦楽の麗しい音色が辺りに響き、楽しいデザートタイムが目の前で繰り広げられている。

「お前たちはケーキ食べないのか?」

 いつの間にか傍に来ていた匠海にそう声を掛けられ、双子は同時に振り向いた。

「食べるけれど……」

「……今、むくれております」

 二人で一つの文を作って答えた双子に、匠海が破顔する。

「あはは、何言ってんだか」

「っていうのは冗談で。明後日からロシアへ行くから、太らないようにしないと……」

 とヴィヴィが肩を竦める。

 2日前――ヴィヴィは匠海の前で自作のFP『サロメ』を披露した。

 そして昨日、ジュリアンはじめコーチ陣の前で決死のFPを滑って見せた。






「どうしてもやりたいプログラムがあるから、見てください」

 そう言って心を籠めて滑って見せたヴィヴィが演技を終え、コーチ陣のいるフェンス傍へと戻る。

「まったく……いつの間にこんなものを用意していたのよ――?」

 と心底呆れた顔のジュリアン。

「曲の編集や振付まで……かなり前から準備していたんじゃないのか?」

 サブコーチのその言葉に、ヴィヴィは頷く。

「三月半ば位から……。どうしてもサロメをやりたかったんです」

 体の脇でギュッと両手を握りしめたヴィヴィを、三田ディレクターがカメラ越しに見つめていた。ヴィヴィがプログラムを作る過程を見守ってくれた彼女の視線に勇気づけられるように、ヴィヴィは口を開く。

「今までの自分だったらサロメを演じきれないと思ったから、大人っぽく演じられるようにベリーダンスも習いました」

「でしょうね……見るからにベリーダンスの動きが多用されているのがよく分かったわ……」

 ジュリアンの返事に、サブコーチも頷く。

「関節の可動域が広がったような気がするが、それもベリーダンスのおかげなんだな?」

「だと思います」

 サブコーチの指摘に、ヴィヴィはそう肯定した。

「………………」

 ジュリアンはそれ以降、黙りこんでしまった。確かに彼女はヴィヴィやクリスに「自分のやりたい曲があるなら言いなさい」と言いはしたが、まさかこんな変化球で来るとは思いもしなかったのであろう。

「僕はいいと思いますよ……確かにまだまだ改良の余地はあるけれど、何よりもこのFPは凄くヴィヴィの攻める気持ちが伝わってきます。ひょっとすると、このプログラムはヴィヴィの代名詞となるプログラムへと成長するかもしれない――」

 サブコーチのその発言に、ヴィヴィは心の中でぐっとガッツポーズをした。周りにいたトレーナーや他のコーチ達もそれぞれ「凄くいいプログラムだ」、「少女と大人の境目の危ういヴィヴィが、いい具合に表現されている」と称賛してくれた。

(マムは――?)

 ずっと無言で両腕を組んで考え込んでいるジュリアンに視線を移すと、彼女はまだ硬い表情をしていた。

 一分程皆の視線を集めながら熟考していたジュリアンだったが、おもむろに口を開いた。

「私はヴィヴィにはクラッシックバレエを演じてほしいわ……」

「………………っ」

 ジュリアンの言葉に、ヴィヴィは息をのんで見つめ返す。

「来シーズンだったらこのプログラムでもいいわ……でも今シーズンは『オリンピックシーズン』よ。皆が自分の得意なプログラムを引っ提げて参戦してくるの。その中で今のヴィヴィがサロメという難解な題材を取り上げるのは、賭けに近い――」

 ジュリアンはそこで言葉を区切ると、ヴィヴィを見据える。

「ここまで頑張って真剣にスケートと向き合ったのは認めるわ――けれどオリンピックでメダルを取りに行くためには『戦略』が必要なの……要するに『観客受け、ジャッジ受け』の良いものをしたほうが当然有利なのよ」

「…………で、でも――サロメは有名な悲劇です! 『受け』だってある程度は見込めると――」

 食い下がったヴィヴィに被せるように、ジュリアンがたたみかける。

「観客は『笑顔で優雅なヴィヴィ』を見たいと思っているの――これは寄せて頂いたファンレターから集計したデータなのだけれど……」

 ジュリアンがサブコーチから一枚の書類を受け取り、ヴィヴィへと手渡す。

 それにざっと目を通したヴィヴィの顔が徐々に険しくなる。

『剣の舞もシャコンヌも、迫真の演技でとっても素敵でした。今度は華やかで明るいプログラムも見てみたいな!』

『ヴィクトリアちゃんのクラシックバレエの演目も見てみたいです。眠れる森の美女やコッペリア、くるみ割り人形なんかをリクエストします』

「………………」

 ヴィヴィの視線が徐々に下へと落ちていく。

(確かに……それはファンレターを読んでいて、私も気になってはいた……一部の人の意見だけれど、そう思われていることは事実だし……けれど――)

「ヴィヴィ……サロメは来シーズンに回しなさい。今年はクラッシックバレエの中からジャンナに曲を選んでもらうわ――」

 ジュリアンはそう言い切って結論付けると、踵を返してリンクサイドから去って行った。

「ヴィヴィ……残念だけれど、ヘッドコーチの言うとおりにしよう……な……?」

 サブコーチはそう言ってヴィヴィの肩をポンと叩くと、次にリンクを使う予定だった成田・下城ペアに「アップして」と促す。

 リンクサイドに一人取り残されたヴィヴィはその場を暫く動けず、俯いて他の生徒達が氷を削る音をただ聞いていることしか出来なかった。




 
 昨日のことを思い出したヴィヴィの顔が曇る。自分達のバースデーパーティーのことさえも記憶の彼方へと追いやってしまった昨日の事柄で、ヴィヴィは数時間前までうんうんと唸りながら頭を痛めていたのだ。

「僕はヴィヴィのサロメ……好きだよ……?」

 クリスがそう言って花冠の乗ったヴィヴィの頭をポンポンと撫でる。

「クリス……」

 涙目で20センチ以上自分より高いクリスを見上げると、隣の匠海も頷いた。

「俺も。今のヴィヴィにはあのサロメがぴったりはまっていると思った……『ヴィヴィがそこまでして欲しているものは何だろう?』とまで考えてしまったよ。ただのプログラムの演目とは分かっているのに――。それだけ『ヴィヴィのサロメ』に引き込まれた」

(お兄ちゃん……)

「………………」

 匠海のその言葉に、ヴィヴィは『やはりサロメは受ける』と確信し、腹を決めた。

「ヴィヴィ、諦めない……。ロシアで絶対ジャンナを説得してみせる――!」

 そう宣言した途端、ドレスの中の薄い胸の奥で何かがふつふつと湧き上がってくる。それを胸に当てた掌でギュッと感じ取ると、ヴィヴィはきりっと表情を引き締めた。

「絶対に――! ……って事で、英気を養うために、ケーキを食べよう!!」

 ヴィヴィはそう言い切ると兄二人ににっこりと笑いかけ、二人の腕に自分の両腕を絡ませるとずんずんとデザートの饗されているテーブルへと向かう。

「あ〜あ、食い気に走っちゃった」

「ヴィヴィ……まあ、元気になったならいいや……」

 匠海とクリスは口々にそう言いながらも、ヴィヴィに引っぱられながら苦笑する。そんなヴィヴィ達に気付いた女子達がまた不服そうな声を上げる。

「あ〜、またヴィヴィが両手に花してる――!」

「羨ましいぞ〜っ! 一人分けなさい!!」

 口々にそう言いながらもヴィヴィを輪に招き入れてくれた友人達にヴィヴィは心の中で感謝しつつ、明後日のロシアへの旅立ちに思いを馳せたのだった。





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