小説『Forbidden fruits ―禁断の果実―』
作者:ゴニョゴニョ()

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 篠宮(しのみや) 匠海(たくみ)という人――。




 その男の事を知る者たちは口を揃え、その人物の人となりを語る。

 品行方正で温厚。

 成績優秀。なおかつ馬術インターハイで優勝を飾る腕前を持ちながらも高校卒業で完全にその世界から退き、日本屈指の大学に通いながら世界でも指折りの大企業の主である父の会社を継ぐべく、後継者教育を受けている親孝行者。

 その容貌は日本人離れした九頭身の肢体と、父から授かった英国の血を1/4引き継ぎはっきりとした目鼻立ちの中に、東洋の美しさを兼ね備えた品のある顔立。その髪は鴉(からす)の濡れ羽の様にしっとりと輝き、灰色の瞳は吸い込まれそうな程人を惹きつけてやまない。

 六歳下にフィギュアスケーターの双子の弟妹を持ち、忙しい身ながらもその試合には国内外問わず必ず駆けつける献身的な兄でもある。

 ただしその弟妹とは母を同じくしない――彼の母親は日本人で彼が三歳の時に死別しており、現在の英国人の母ジュリア・篠宮とは義理の関係にあたる。その付き合いは長く彼が小学校に上がる頃からだから、もう本当の家族以外の何物でもない強い結びつきで彼の中に存在している。

「匠海、It's so cool !!」

 ジュリアがドラムを叩いていたスティックをくるりとまわしながら、バチンと音がしそうなほど大きなウィンクを匠海に投げてよこす。彼女を見ていると皆が自然に笑顔になってしまう程、そのバイタリティーは凄い。ドラムは初心者のジュリアだが、持ち前のリズム感の良さでみるみる独学で上達し、篠宮バンドを縁の下から支えるリズム担当となっている。

 篠宮バンドとは仮称だ。両親は匠海たちが幼少のころから音楽に触れさせ、それぞれ何らかの楽器をするように躾けられていた。勉強については平均をとっていれば何も言わない両親だが、音楽に関してはあまりにも積極的だった。

 その結果、匠海はピアノとチェロを。

 弟のクリスはチェロとトランペットを。

 妹のヴィヴィはヴァイオリンとピアノを。

 そして父はコントラバスとベースを、それぞれ担当している。

 日曜の夕方、篠宮邸の十分な広さを持つ防音室に響くのは、ジャズのスタンダードナンバー――Take the “A” train。

 本来ならばサックスがいる筈だがそこはヴィヴィがヴァイオリンでカバーするという、篠宮オリジナルのバンド構成だ。

 クリスがハイノートで主旋律を謳い上げると、ヴィヴィが負けじと食らいついて旋律を乗っ取る。そして匠海のピアノという抜群の刺色。そこへ今まで渋く低音で支えていた父のグレゴリーが「It's my turn ――そろそろ俺の番だぜ」とでも言わんばかりにアドリブを利かせ、痺れそうなソロを聞かせる。そのチョイ悪オヤジぶりに、双子はそっくりな顔を見合わせてオーバーに両肩を上げてみせる。

「Yes、Everybody come'n!!」

 父のお許しを得て兄弟達が主旋律を奪い返す。そのまま一気にラストまでなだれ込み、セッションは終了した。

「You're so crazy, you know !?」

白い歯を見せて爆笑する父に、皆もつられて吹き出す。

「だってクリスばっかり、いいとこ持っていこうとするんだもの!」

 子供っぽく弓を持った腕をぶんぶん振り回して抗議するヴィヴィと知らん顔してトランペットの手入れをするクリスに、傍に控えていた執事達が顔を見合わせて苦笑する。

「まあまあ。じゃあ、次はね――」

「奥様」

 譜面を捲って次の曲を決めようとした母を、家令(使用人の長)がすかさず止める。

「なあに?」

「夕食の時間でございます。もう十五分もスケジュールが押していますので、そろそろ」

 慇懃にそう言い渡した家令に皆は一瞬、楽しい玩具を取り上げられた子供のようにしゅんとした。その様子に匠海は心の中で「似た者家族」と突っ込み一人で苦笑する。

「あ〜あ、楽しい時間が過ぎるのは早いな。さあ、ディナー、ディナー」

 空気を変えるように父が声を上げると、それぞれ楽器をしまいダイニングルームへと向かう。

 皆が三メートルは超す長いダイニングテーブルについても、そこには一つ空席があった。母ジュリアンの席だ。

「おや、ジュリアンは?」

 疑問を口にした父に、クリスが答える。

「マム、今月からまた一人生徒が増えて、練習時間早まったんだ」

 そう言うクリスとヴィヴィもディナーが終わったらリンクに直行し、一般営業を終えたリンクで夜遅くまでレッスンをする。篠宮家は皆それぞれに忙しく、日曜の夕方は唯一顔を揃えることができる貴重な家族の時間だった。そんな時間も双子がシーズンインするとなくなるが――。

「あ、そうだったな……」

 実は母ジュリアンは元々フィギュアのオリンピック銀メダリストだった。

 現役で日本に遠征で来ている最中、その大会のスポンサーの一人であった父と会い、恋に落ちた。そして今、父の所有する日本のリンクでフィギュアのコーチをしている。もちろんその生徒達の中に、双子も含まれる。

 残念そうに母の席を見ていた父だったが、出されたスープを飲み干すと双子に話をふる。

「そういえばお前達、今シーズンの曲は決まったのかい?」

 ジュニアグランプリ ファイナルを金メダルで終えた双子は、その後三月の世界ジュニアでも見事アベック優勝を成し遂げた。今はオフシーズンなので色々準備をしている段階なのだ。

「私は大体決まってるわ、先シーズンにはやりたい曲見つかってたから」

「何?」

 ミネラルウォーターのグラスを持ち上げた匠海がヴィヴィのほうを見やる。

「えっと、SPが剣の舞でしょ。FPはシャコンヌ! ずっとやりたかったんだ、シャコンヌ!」

 興奮してナイフとフォークを持ち上げて握りしめたヴィヴィに、双子のお目付け役の朝比奈がごほんと咳をしてヴィヴィを諌める。

「Sorry……」

 素直に反省したヴィヴィに父は目を細めると、クリスのほうを見る。

「僕は……FPをピアノ協奏曲にするかどうかで迷ってるとこ」

「ショパン?」

 隣の席のクリスに首をかしげて尋ねたヴィヴィに、クリスは首を振る。

「ううん……ガーシュウインの第三楽章」

 その曲を滑りきる自信がないのか、クリスは少し自信がなさそうに答える。

「わあ、ジャズだ! 私、あれ好き!」

 ヴィヴィが満面の笑みでクリスを見つめる。

「へえ、クリスはクラッシックのイメージが強いから、良いかもね。クラッシックとジャズの良いとこ取りで」

 匠海もそう賛同すると、クリスは「そうかな?」とまだ自信なさそうだったが、満更でもなさそうな顔をした。ヴィヴィもクリスも今年の五月で十四歳。来年からシニアに出られる年齢になるため、少しでも今までの子供っぽいイメージを払拭したかった。

「ああ、クリスのイメージにぴったりだな。それに――」

 そこまで言った父はそこで言葉を区切ると、得意そうな顔をする。

「それに?」

 ヴィヴィが不思議そうに聞き返す。

「ジャズとなると我が家の長年の『英才教育』が役に立つ時がやっと来たな!!」

 自信満々にそう胸を反らす父に、兄弟たちは顔を見合わせて何とも言えない表情になる。

 父はジャズ好きが高じて匠海にも双子にも生まれる前からジャズを聞かせていたのだ。だから篠宮の子供は間違いなく子守唄も遊び時間のBGMもアート・ブレイキーやオスカー・ピーターソン、ジョン・コルトレーンだった。

 特にヴィヴィは物心ついたころから、普通の少女が興味を示すディズニーのおとぎ話の世界や可愛いアイドルに目を向ける前に、言わばオジサン(失礼――)達が奏でる音楽に耳を傾けていたことになる。

「お前達のSwingは完璧だ!」

 と父は親指を立ててウィンクして見せたが、兄弟達は「それは、どうも……」と困ったように笑って見せるしかなかった。  





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