小説『Forbidden fruits ―禁断の果実―』
作者:ゴニョゴニョ()

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 翌日の朝。

「がぜびぎばぢだ……」

 いつもの様に朝練を終えてBSTに登校したヴィヴィはクラスルームでカレンに会った途端、虚ろな瞳で呪文を唱えた。

「What……?」

 日本語があまり得意でないカレンが、ヴィヴィの呪文――もとい濁点だらけの日本語が聞き取れず聞き返す。

「……I have a cold. ……風邪、ひきましたって……」

 クリスが通訳をかって出る。

「OMG……だからマスクしてるのね。日本人はマスク好きよね」

 カレンは小さなヴィヴィの顔が大きなマスクで殆ど覆われているのを見て少し笑ったが、直ぐに心配そうな顔になった。

「けど、なんで七月に風邪なんかひいちゃったの?」

「……え゛っど……」

 喉が痛いのか話しづらそうなヴィヴィに変わり、クリスが説明する。

 昨夜(クリスは知らないが、匠海にキスして有頂天になっていた)ヴィヴィは長湯をし、そしてハードな練習の為に浴槽で睡魔に襲われてそのまま眠ってしまったのだ。運悪く保温設定にしてなかった為に湯はどんどん冷めていき、二時間ほど爆睡していたヴィヴィはひくべくして風邪をひいてしまった。

「風邪引いたのがオフシーズンで良かったわね」

「ヴン……ぶしゅっ」

 あまり乙女らしくないくしゃみをしたヴィヴィは、クリスからボックスティシュを受け取るとマスクを外し、チーンという音を立てて鼻をかむ。いつもは白い鼻の頭は今や鼻をかみすぎて赤くなっている。それを見ていたクラスメートの何人かが「可愛い、鼻真っ赤!」とからかった。

 人の不幸を笑う友人達をヴィヴィは小脇にボックスティシュを挟みながらじと目で見つめたが、直ぐにマス
クを装着した。そんなヴィヴィの頭をクリスがよしよしと撫でる。

「クリス、風邪うつるから触っちゃダメ」

 クリスに感染したら大変だとヴィヴィは注意を促したが、クリスはヴィヴィの背中を自分の胸に抱きこみ、余計にくっつく。

「僕にうつしたら、早く治るかも……」

「いや、それ迷信だから」

 あり得ないほど美しい兄妹愛にみえる発言をしたクリスに、カレンはすかさず突っ込んだ。チャイムが鳴り担任がクラスルームに入ってきたので、皆自分の席へと戻った。





(ま……まずい……しんどいぞ……)

 一時限目の歴史(英国の)は睡魔に襲われながらも何とか受けていたヴィヴィだったが、二時限目の数学になると頭がくらくらしてきた。視点も定まらなくなってテキストの数字が二重に見えるが、手の甲で目を擦って公式を睨み付ける。

(ええと……座標平面上の点(x,y)が次の方程式を満たす。このとき、xのとりうる最大の値を求めよ――か。2x(2)+4xy+3y(2)+4x+5y-4……あれ、+2x(2)+4xy+3y(2)+4x+5y+2x(2)+4xy+3y(2)+4x+5y……ていうか、なんでこんなに公式、長いのさ――)

 →(2)は2乗のことです……(by作者)

 と突っ込んだ瞬間、ゴツンと大きな音がして頭に激痛が走った。

「い゛だい゛……」

 両手でテキストを開いたまま机におでこをしたたかぶつけたヴィヴィは、突っ伏したまま情けない声を上げる。身体を起こしたいのに力が入らない。隣でガタガタと椅子を引く音がしたと思うと、ヴィヴィは肩を抱き上げられた。誰だろうと重い瞼を開くと、クリスが心配そうな顔でヴィヴィのおでこに大きな掌を当てていた。

「先生、ヴィヴィ熱があるので保健室連れて行ってきます」

 いつも言葉少ないクリスがしっかりとした声で教師にそう言うと、カレンの「私も! 付いて行きます」と焦った言葉が聞こえた。

「ああ。頼む、気を付けてな」

 教師のその返事に、クラスメートが一斉に喋りだし騒がしくなった。そんな中クリスはひょいとヴィヴィを抱き上げるとカレンが開けたドアを通って廊下へ出た。発言通り保健室へと向かうのだろう。

 頭がぼうとして思考がうまくまとまらない。けれど、自分と一緒で「背は高いけれどひょろひょろ」と思っていたクリスの腕の中は意外や意外、逞しいということだけは感じられた。やはり男と女では身体の作りが違うのだろう。そして発熱し始めたヴィヴィには何よりも触れているクリスの暖かさが染み入り、何故か安心する。

「ごめん……面どう……」

 面倒かけて。と続けようとしたヴィヴィだったが、ホッとしたのかそのまま眠るように意識を失った。





 ヴィヴィが次に意識を取り戻したのは車の中だった。後部座席に寝かされていたヴィヴィの体にはブランケットが掛けられているようで胸から下は暖かい。ヴィヴィは急に寒気を感じてぶるりと体を震わせると、ブランケットを鼻の下まで手繰り寄せた。

「気が付きましたか?」

 頭上から男の声が降ってくる。不思議に思い目をやると執事の朝比奈がヴィヴィを見下ろしていた。いつも優しく細められている銀縁眼鏡の奥の瞳が心配そうな色を湛えている。

(ん……?)

 なんで上から覗き込まれているのだろうと不思議に思ったヴィヴィだったが、自分が枕にしているものが暖かくてなおかつクッションなんかよりしっかりした人の足なのだとやっと気づいた。
 子供の頃は朝比奈を始め執事達にじゃれ付いて遊んでいたヴィヴィは何度か膝枕を強請ったことはあったが、さすがに初等部高学年頃からはそういう触れ合いもしなくなった。大人の男性に膝枕をしてもらうという状況にさすがに恥ずかしくなって体を起こそうとしたヴィヴィだったが、朝比奈にやんわりと肩を押さえられる。

「もう着きます、いい子だからじっとしててくださいね」

 その言い方はまるで幼児に言い聞かせる物言いだ。双子が小さいころから面倒をみてきた朝比奈はそのせいか、男なのにたまに母性を感じさせる時がある。見た目も子供好きしそうな柔らかな印象だから、いい保父さんになれそうだ。

(かたじけない……)

 武士のような返事を頭の中で返していると車が止まり、ヴィヴィは屋敷の中へと運び込まれた。私室のベッドに寝かせられるとあらかじめ呼ばれていたらしい主治医が現れた。制服の前を開き聴診器を当てたり、喉を診たりと一通り診察される。

「夏風邪ですな」

 子供の頃から診てもらっている主治医が髭を蓄えた口を開き発した病名に、ヴィヴィは冷静に突っ込む。

(知ってる……)

「抗生物質を出しておくから飲ませてくれ。今夜はきっと熱発するから解熱剤も置いていく。じゃあな、嬢ちゃん――ちゃんと寝ておくんだよ。また明日来るから」

 喉が痛くて一言も発したくないヴィヴィは、大人しく頷いてみせた。

 少し眠った後、昼食の粥をなんとか胃に流し込んで処方された薬を飲む。

「ではちゃんと寝ててくださいね」

 おでこに冷ピタを貼ってくれた朝比奈はヴィヴィにそう言い聞かすと、食器を乗せたトレイを持って退室する。部屋には沈黙が下り、加湿器のシュンシュンという音だけがしている。

(……トイレ、行きたい……)

 そう言えば朝比奈は抱きかかえてバスルームまで連れて行ってくれただろうが、さすがに中学三年生のヴィヴィには恥ずかしかった。

(しょうがない、行きますか……)

 だるそうに上掛けをまくると、寒さとしんどさを我慢して寝室を出た。

 なんとか寝室の隣のバスルームまで辿り着き当初の目的を果たすと、ヴィヴィは「後は眠るだけ」と自分を奮い起こして寝室へと向かおうとした。

 パタン。

 扉の開閉する音がどこからともなく聞こえた。ゆっくり首を巡らせて私室の扉を確認するが誰も入ってきていない。ヴィヴィは首を傾げて向き直ると、寝室へと重い足を踏み出した。

「へえ、ここが匠海の部屋?」

 またどこからともなく聞き慣れない女性の声が微かに聞こえる。

(……匠海……お兄ちゃんの、部屋……?)






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