小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第13話 告白 



 自分でもよくわからない、切羽詰った感情に突き動かされて遺跡を飛び出したイリィは、わき目もふらずに飛ぶような早さで、村への道を下っていた。
 ひどく嫌な気分だ。
 心が黒い靄で覆われたような、自分がひどく惨めであるような。

 あの遺跡はイリィの大好きな、とっておきの場所だった。
 ここは何度も、数え切れないくらい何度も往復した、窪みや石の一つ一つさえ熟知しているほどの、通い慣れた道だ。
 いつもなら、どんな嫌な事があっても、遺跡で歌いさえすれば、少し気分が軽くなる。
 けれど遺跡を後にする時は、後ろ髪を引かれる気持ちを断ち切るのに、かなりの思い切りが必要で。だから、こんなに急いで駆け下るなんてことはしない。
 なのに今は、一刻も早く、遺跡を離れてしまいたい。
 何も無かったんだと、忘れてしまいたい。

 だって、そんなことは有り得ない。
 あってはならない。
 自分が神様や天使様や妖精さんのように、”ただの人間”とは違う者だ、などということは。

 夢だったのだ。
 あれはきっと、この村を逃げ出したいと思う自分の弱さが見せた、一時の夢。
 自分は価値のある者だと、村人に受け入れられてもいい存在なのだと、思い込みたかった自分自身の愚かさが見せた、儚い夢。

 もしも、あの時。
 カリムに面と向かって問いかけられていたら。
 あの蒼い瞳に見据えられ、手を差し伸べられてもしていたら。
 果たして、抗うことが出来ただろうか。
 声を上げることが出来ただろうか。
 それほどの誘惑。
 だとしたらそれは、心のどこかで、自分が思い描き続けてきた願望そのものの誘いなのだろうか。

 それでも、自分にとっての現実は、この村での生活にある。
 現実を見失なわないうちに、早く、誰かに会いたい。
 だけど、今、村の誰かに会ってしまったら・・・・・・。

 いつ転んでもおかしくないほど機械的に回転していたイリィの両足が、途端にひどく重いものに変わる。
 今、村の誰かに会ってしまったら、もう、ダメかも知れない。
 心にぽっかりと空いた、大きな穴。
 気が付かないフリをして、目を逸らし続けてきた暗い穴の中に、今度こそ落ち込んで、出て来られなくなってしまうかも知れない。
(お母さん!)
 それがイリィの、助けを求めるべき、たった一人の大切な人。
 顔を見たい。
 その腕の中に飛び込みたい。
 今、すぐに。
 だって、そうでないと・・・・・・。

 イリィは一度足を止めてから、再び大きく一歩を踏み出した。
 村の外周へ続く道を外れ、お母さんの待つ家へ真っ直ぐ向かう方向へと。
 その時だ。
「待って! イリィ!」
 不意にそんな声が聞こえて。
 意表をつかれて凍りつきかけたイリィは、慌てて両足を動かすことに集中する。
 今はダメだ。
 心が一杯いっぱいで、これ以上何か言われることに耐えられそうにない。
「待って! お願いだから、イリィ!」
 けれど。懇願する声に、ひどく真剣な気配を感じて。
 イリィは今度こそ足を止めると、恐る恐る、声の方を振り返る。
「・・・・・・コリオ?」
 イリィが道を外れようとしなければ向かうはずだった村の方向から、息せき切って駆け上って来た声の主は。
 そして、そのままずかずかとすぐ近くまで来て立ち止まると、コリオは思いつめたような顔で、両手に握りこぶしを作って、両足を踏ん張って。そして、イリィのことを真っ直ぐ見据えて。
「その、あー、えっとだな・・・・・・」
 勢いに任せてやって来たまでは良かったのだが、いざ会ってどうするかまでは、あまり考えていなかったらしい。
 何を言いたいのか、言いたくないのか。妙にもじもじと歯切れ悪いコリオである。
「・・・・・・あの、コリオ。今日はありがとう。お話できて嬉しかったよ。じゃあね」
 イリィは精一杯笑顔を作ってそれだけ言うと、さっさと踵を返そうとした。
(お前の能力なら、人を従わせることも簡単・・・・・・)
 先刻のカリムの声が、脳裏に蘇る。
 コリオが何を言いたいかはともかく、無理して何かを言ってほしいわけではないのだ。
 特に、今は。
「ええっと、じゃ、なくてだな、聞いてくれイリィ!」
 ぎゅっと目を閉じ思いっきり顔を上気させて、コリオはありったけの声で叫んでいた。



『お、お前、何やってんだよっ!』
 それはついさっきのこと。
 遺跡のホールでイリィの歌を聞いている内、何故か急にクラクラして眠ってしまったコリオらが、むにゃむにゃ言いながら目覚めた時。
 舞台の上ではあろうことか、他所者の少年が、ぐったりと眠っているイリィのことを、優しく抱きしめていたのだった。
 あまりのことに跳ね起きたコリオは、矢も盾もたまらず、舞台に駆け寄ろうとする。

 ちなみにそれは、コリオらよりも一足先に起きたジーロが「砂地に寝かせたままでは可愛そうだ」と主張したことで、それならとカリムが、アシェルの隣に寝かせてやろうとイリィを抱えて運び上げた、ちょうどその瞬間だったのだが。
 ついでに言い出しっぺのジーロも、しっかりカリムの横にいたのだが。
 残念ながら、頭に血が上ったコリオの目には、そんな外野は一切入っていなかった。

 だが、舞台まであと数歩というところで、コリオの足は急停止した。
 イリィの身体をそっと横たえ、コリオに向き直った少年の服が、赤い色に染まっている。
『何だよ?』
 凍りつくように立ち止まったコリオの視線を辿った少年は、さも面倒臭そうな顔で、ああ、と一つ頷いた。
『・・・・・・そこの石で切っただけだ。騒ぐほどのものじゃない』
 全く平気そうな様子といい、見かけは派手だが、ちょっとした不注意で切っただけなのだろう。
 が、問題はそういうことではなく。
『・・・・・・やっぱり、それもアレのせい、なのか!?』
 イリィに関わった者が被る災難。
 しかも、認めるのは悔しいが、コリオらよりもよほど強くて、村で神様扱いと決まったようなこの少年までもが、災難には勝てないのだとしたら・・・・・・。
『それは、やっぱり、妖精か魔物みたいなのが、イリィに目を付けてるってことなのか・・・・・・?』

 やはりイリィは、人間ならぬ存在が、所有の証を記した者で。それを無視して手を出せば、災難という制裁が降される。
 目を付けられてしまった者に、手を触れてはならない。迫害してはならない。
 そうして大事に扱う限り、人間ならぬ存在の手によって、村は災難から逃れられる。

 最近のジーロを見ていれば、それは年寄りの語る単なる伝説でしかなくて、振り回されるのはナンセンスだと思い始めていた所だったのだが。
 やはり、そんな単純なものではなかったのかも知れない。
『だったら、どうだと言うんだ?』
『・・・・・・なん、だって?』
『そんなもの。ちょっと力のあるガキ大将が、相手の気持ち無視して好き勝手に主張してるようなもんだろ。その程度でビビって、女と話も出来ないとはな』
『そんなものって、相手は人外なんだぞ!? 人外相手に、俺なんかがどうやったら敵うってんだよ!』
『自分で考えろ。だが、姿も見せられない、ちょっと怪我させるくらいしか出来ないような小物相手にそのザマじゃ、とっとと尻尾巻いて逃げ出すのが正解だな』
『なっ!? お前は余所者だから! そんな簡単に言えるんだ!』
『それなら、いくら生傷作ってもメゲないお前の弟には、永久に敵わないだろうな』
『・・・・・・!』
 言葉を失くして黙り込むコリオから、少年はふいと、いかにもどうでも良さそうに目を離した。
『この娘は、気が付くまで見ててやる。悔しかったら、自分がどうしたいか、よーく考えてみるんだな。もっとも、その調子で怖気てうかうかしているのなら、この娘はあっと言う間に手の届かない所に行ってしまうかも知れないが・・・』
 イリィに向けられる少年の目が、意味ありげに細められたのを、コリオは見逃していなかった。



「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんっ!」
 大声でごめんを連呼し続けるコリオに、イリィは驚いて、踏み出しかけていた足を止めた。
「ど、どうしちゃったの、コリオ?」
「今までごめん! ホントごめん! 俺、イリィの事、誰かに相談しようと街に行こうとして、そんで崖から 足滑らしてもう少しで落ちかけてさ、それ以来、怖くなって・・・・・・。イリィのこと、避けてた。遠くから見守るって言い訳しながら、肝心のこと、見て見ぬフリしてたんだ! ホントにごめん!」
「・・・・・・」
「だけど俺は、落っこちそうになったってだけで死んだわけじゃないし。村の奴らだって、何だかんだで大したことなかったんだし。もっともっと、根性入れてがんばれば良かったんだよな! だから、その、俺達の事、許せないのは仕方ないけどさ、俺、もっとがんばるから! 相手が妖精だろーが魔物だろーが、ちゃんとイリィのこと守るから、だから、俺と! つきあってくれませんかっ!」
「・・・・・・・・・・・・え?」
 そこでカーッと真っ赤になったコリオは、極度の緊張に耐え切れず、今度は自分が背中を向ける。
「あ、その! 返事は今度聞くからっ! だからそのっ、あんな余所者ヤローになんか、ついてくんじゃねーぞ! 絶対!」
 言うが早いか脱兎の如く、コリオはあさっての方向へ駆け去って行った。
 そしてすぐにどどおっと派手に転ぶ音が聞こえたが。
「・・・・・・今のは違うからっ! 何でもないからっ!」
 恐らくは、怪我などしてないと言いたいのだろう。
 直後にどどどっと地響きを立てんばかりに駆け出す音が響いたから、実際無事なのには違いないだろう。
「・・・・・・・・・・・・はい?」
 コリオが駆け去って行った、村とは反対の放牧地の方向を眺めながら、イリィはしばし、ポカンと立ち尽くした。



「・・・・・・そーやってあのコ達けしかけたワケ?」
 自分が気を失っていた間の事を一通り聞き終えたアシェルは、その様子を想像して目を丸くする。
「大体、キミの怪我はイリィのせいってワケじゃないのにさ」
 まあ、遠因になったと言えなくはないが、少なくとも例の災難とは関係ない。
「まあ、恋する男にゃそのくらいで丁度いいかと」
 もちろん、誤解していると知っていてわざと否定しなかったカリムは、しれっとしてそう応える。
「だけどジーロには面白くなかったんじゃないの? お兄ちゃんは恋敵なワケでしょ?」
「そこはそれ、同じリングで戦ってこそ男だって言ったら、負けるはずないって息巻いてたぞ」
「うっわ策士だなーっ! てか、よくそんな事ヌケヌケと言えるよねー。人事だと思ってさー」
 面白半分、呆れた半分で見上げるアシェルに。
「人事だからに決まってるだろ」
 杯をゆっくりと傾けながら、至って素っ気なく、カリムは応じる。
「まあ、それはそーだろーけど・・・・・・その洞察力の何十分の一かでも、どうして自分の方に向けられないかなー」
 後半は完全に口の中で。
 なみなみとぶどう酒が満たされた杯を両手で抱え込みながら、アシェルはやれやれとひとりごちる。
「それで、イリィは今どうしてるワケ?」
「ちょっと前に、三人組の一人から何か言われて、まだそこでヘタり込んでる」
「えー? 何言われたんだろ。ねーねー、ひょっとして、コクハクとか?」
「そこまで判るか。ストーカーじゃねーんだから」
 アシェルがイリィに付けた髪留めが目印になって、カリムにはイリィの状態がおおよそ把握出来る。
 と言ってもせいぜい、イリィがどこにいるかとか、羽根や魔的な力に晒されたり、周りにおかしな力が働いていれば判る程度だが、所在を探すところから始めなくても良い分には楽だ。
「こーゆー時には便利だよねー。でも、何でそんなアイテム、持ち歩いてたのさ?」
「そこはそれ、色々使い道があるもんで」
「ふーん? 是非聞いてみたいもんだねー」
「ま、追々な」
 などと、並んでノンキに杯を交わす二人である。
(不思議だな)
 つい先刻までの重苦しさが嘘のようだ。
(これもイリィのおかげ、なのかな)
 アシェルは傍らに置かれたバスケットに目を向ける。



 先刻の、薬酒をめぐるやりとりの直後。
(どうして、あんなこと言っちゃったんだろ・・・・・・)
 酒器を取りに立ったカリムの方を見ないように、反対方向を睨みつけながら。舞台の上に戻ったアシェルは、膝を抱えて座り込んだ。
(あんなこと、カリムが受け入れるはずないのに・・・・・・)
 実のところ、エネルギー切れを心配しなければならないのは、カリムに限ったことではない。
 結晶の欠片に残った僅かな力を、小さな身体になることで辛うじて維持しているアシェルもまた、今のままではそう長く動いてはいられない。
”カリムを殺すこと”を条件に契約を交わしたアシェルは、それが成就されない限り、魔物としても中途半端だ。
 カリムは躊躇いもせず、自分の命を使えと言う。それが自分の望みだから、と。
 だけど。
 どんな手段を取っても良いのなら、一緒に生きられる方法がある。
”炎の結晶”を黒い炎で満たし、名実ともに黒翼の天使となること。
 そうしてしまえば、薬酒など必要ないし、”想い”を食われることもない。
 もしかしたら、”カリム”になる以前の記憶を取り戻すことだって出来るかも知れない。ボクがかつて、そうしたように。
 だけど、解っている。キミは絶対に、それを選ばない。
 あの時ですら、選ばなかった。



 あの白い部屋が世界の全てだった頃・・・・・・。
 大勢の番人たちに囲まれて、どんなに大切に扱われても、それでも心はたった一人だった。
 そんなボクの前に、ある日突然現れた、ボクと同じ存在。それがカリム。
 だけど、ボクは気付いてた。
 いつも決して弱音を吐こうとはせず、どんな時でも強気の笑顔を見せながら、キミは心の中で、全てから開放されることを切望してた。
 気付いてしまったからこそ、それでもずっと一緒にいてほしくて。ボクはキミに会いに行っては、取り留めのない夢の話をし続けた。
 気付いていたからこそ、番人どもがボク達に対して行った手酷い裏切りを知った時、一緒に死の世界に眠ることが幸せなのだと考えた。

 でも、それは間違いだった。
 ボクと同じ存在でありながら、同じ事実を知りながら、そしてあれほど開放を望んでいながら、キミが選んだのは生き続けることだった。
 アシェルを否定してでも、生き続けることだった。

 もしもカリムが塔から解放されて生きることを望むなら、あの時こそ”黒い炎”を受け入れているべきだったんだ。
 その後だって、きっと、機会は何度もあったはず。
 それでもキミは、”黒い炎”を拒絶し続けた。
 だから再会した時、キミは天使のままだった。



 今ならボクにも、キミの理由が解る。

”アシェル”になる前の事を思い出したボクは、いつの間にか、キミと”彼”とを混同してた。
 ボクを否定したキミと、ボクを置き去りにして戻って来なかった”彼”を。

 だけどキミは本当に、アシェルにとっても、アシェルになる前のボクにとっても、大切な人だったんだ。
 そしてカリムは、ずっと探し続けてくれたんだ。アシェルになる前の、ボクのことを。

 それを知った時、どんなに嬉しかったことか。
 そして、同時に、どんなに悲しかったことか。

 キミは今、ボクのために出来ることは何でもやろうと考えているね。
 キミが探し続けた”彼女”が、もうとっくに存在しないと知ったから。
 ボクに”彼女”の記憶が存在すると知ってしまったキミは、ボクの中に”彼女”の姿を見ているから。
 キミの一番は、アシェルではなくて、アシェルになる前の”彼女”だから。

 キミが想い描く”彼女”は、”黒い炎”を望む存在ではないのだものね。
 美しい世界の中で、何があっても気丈に笑う。きっとそれが、キミの大好きな”彼女”なんだ。

 だけどアシェルは、”彼女”とは違う。
 いくらアシェルに彼女の記憶があったとしても。
 かつて彼女として生きていたのだとしても。

 アシェルは、カリムのためなら何だって出来る。世界を破滅させることさえ厭わない。
”黒い炎”を受け入れるとは、つまり、そういうことだから。

 キミには出来ないよね。ボクのために、世界を滅ぼすなんてことは、絶対に。




『おや、気に入りませんか? だったら、いいことを教えてあげましょう。”炎の結晶”は薬酒を求め、薬酒は代償として”想い”を必要とする。でも本当はね、自分で代償を払う必要なんて、これっぽっちもないんですよ。ただ、そういうことにしておく方が、連中には都合が良いというだけのこと。・・・・・・ほら、これが見えますか? 綺麗な黒い色をしているでしょう?』
 目深に被ったフードの奥で。血のように赤い唇の端を引き上げて、そいつはニイーッと笑みを浮かべた。
 あれは番人の中の、誰か、だったはず。
 怒りに身を委ねたアシェルの放った炎に、飲み込まれ、消えて行った、あの場に居た大勢の中の、誰か・・・・・・。



 不意にぞくりと背筋を震わせたアシェルは、知らずカリムの背中を追うように視線を巡らせ・・・・・・砂の上に落ちているそれに気が付いて。
「あーっっっ!!!」
 大声を上げるや、弾かれたように砂地へピョンと降り立った。

 発見した酒器と杯を手にしたカリムが、どうしたのかと問いたげな視線を向けているのが目の端に映ったが、それどころではない。
 アシェルが駆け寄った先には、イリィが持って来たあのバスケットが横倒しになって転がっていた。
 自分のベッドになりそうなほどの大きさのバスケットに両手をかけて引き起こしたアシェルは、砂上に点々と転がっている焼き菓子を見て、がっくりと肩を落とす。
「あーあ。せっかく・・・・・・」
 唇を噛みながらアシェルは、元々菓子を包んであったナフキンを広げ直すと、落ちている菓子を拾い集めて舞台に戻る。
「それ、どうしたんだ?」
「イリィが作って持ってきてくれたの。皆で一緒に食べようと思ってたのにな・・・・・・」
 沈んだ声のまま、アシェルは菓子を一つ取ると、手で払ったり息を吹きかけたりしながら砂を払ってみる。
 が、キメの細かい砂は、完全には取れてくれない。
「いいや!」
 思い切って、勢いよくパクッと一口かじってみると、香ばしさや微かな甘さと同時に、じゃりっと砂の歯ざわりがする。
「うん! おいしい!」
 構わず一つを食べ切ったアシェルは、次の菓子に手を伸ばすと同じように砂を払って、さあ食べてやるぞと決意も新たにじっと睨みつける。
「すごい気合だな」
 ノンキな声に見返すと、図らずも、覗き込んでいたカリムと目が合った。
「何だよ、バカにするんならすれば」
「してないしてない」
 なだめるようにやんわりとした仕草で、カリムは両手を上げて見せた。
 その様子に、嘘はなさそうだ。
「だって、折角イリィが焼いてくれたんだもん。ちゃんと美味しく食べなくちゃ」
「それで、美味いのか?」
「すっごく美味しいよ!」
 再び菓子に目を戻しすと、アシェルは力いっぱい断言する。
「ふうん?」
 と、横から手を伸ばしたカリムは、菓子を摘み上げておざなりに砂を払うや、ひょいと無造作に口の中に放り込んだ。
「・・・・・・どう?」
「・・・・・・美味い、と思う」
 眉根を寄せた神妙な顔で、そんな風に答えるのが、何だかおかしい。
「あははっ!」
 ひとしきり笑うと、アシェルは自分も、手にしていた菓子をほおばった。
 じゃりじゃりするのは同じなのに、さっきよりもずっと美味しく感じるのが、何だか不思議だ。
(そっか。カリムと一緒にお菓子食べるのって、初めてだったんだ)
 イリィやジーロと賑やかに食べられなかったのは残念だけど、これはこれで悪くない気がする。
 たったそれだけのことで、菓子職人の作った甘くて綺麗なお菓子を前にするより、ずっとふんわりした気分になる。
「砂、か・・・・・・」
「?」
 ふと何かがひっかかったような顔で視線をさ迷わせたカリムは、首を傾げているアシェルに気付いて、いつもの悪戯っぽい笑顔を向けた。
「・・・・・・なあ、外に行かないか?」
「え? 何、突然?」
「お前、ここに来てからまだ外行ってなかったろ? 景色が綺麗だし、海も見えるぞ」
「え、海!?」
「そう、海。イヤか?」
「・・・・・・イヤ、じゃないケド」
「決まりだ!」
 カリムは傍らに置いたままだった酒器と杯と焼き菓子の包みとをバスケットに放り込んで把手を掴むと、空いている方の腕でヒョイとアシェルを抱き上げた。
「ちょっと、カリムってば!」
「天気いいし、ピクニック日和ってヤツだ。実はさっき外行った時、いいとこ見つけといたんだ」

 そうしてアシェルは今、遺跡の屋根の上に、カリムと並んで座っている。
 ぶどう酒の杯を手に、焼き菓子を食べながら。

 目の前には、放牧に良さそうな新緑に萌える草原。眼下には赤茶の屋根が連なるのどかな村。
 そして、明るい青空を映したような、どこまでも続く蒼い海。
 白い部屋しか知らなかったアシェルが、初めて目にする現実の風景。
 そして、アシェルになるずっと以前に諦めた、自由な景色。
「すごくキレイ・・・・・・」
 アシェルが滅ぼしてもいいと思った、この世界は。

「ところでさ」
「ん?」
「先刻、何かに気付いてたよね? そろそろ教えてくれないかな?」
 カリムというヤツは、何の理由も無くロマンチックなシチュエーションを思いつくような器用な性格では、決してないのである。

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