小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第14話 仮初の夢 



「気付いたこと・・・?」
 アシェルに問われて、カリムは少し眉根を寄せて思案顔をする。
「そうだな。美味くもないモンに酒って名を付けてはいけない」
「マジメなカオして、いの一番に言うコトがソレ!?」
 呆れたように腰に手を当てて、アシェルはカリムの周りを一周してみせる。
 遺跡の回廊部分の屋根の上。壁が接近している分いくらか頑丈だと思われるが、それでも所々屋根が抜け落ちたりガタガタになっていたりする。
 もっとも、飛べるアシェルに足場の心配は必要ない。
「真理だと思うがなぁ」
 のんびりとくつろいだ様子のカリムの手の中で、杯の赤い酒が揺れている。
「はいはい、キミの薬酒嫌いはよーくわかりました!」
 やれやれと、芝居がかった仕草で、アシェルは緩く首を振る。
「まったく、そんな調子だから、イリィの羽根に気が付かなかったりするんだよ」
「・・・・・・それって、俺だけのせいなのか?」
「ふふん! 言った者勝ちだよ。ま、確かにボクもアレにはビックリだったけどねっ」
「そもそも本人が自覚してなかったくらいだしな」
 先刻のイリィとのやりとりを思い出しつつ、カリムは応じる。
「それはそうと、お前、今、あの娘の羽根の気配を感じるか?」
「ううん、全然!」
 あっけらかんと即答するアシェルに、「だよな」とカリムは頷いた。
 イリィが子守唄を歌い始めた瞬間、羽根の気配は爆発的に出現し、旋律が止むと同時に、気配は再び綺麗さっぱはり掻き消えた。
 それを目撃した今でさえ、どんなに眼を凝らして視ても、イリィの内には羽根の気配の片鱗さえ感じられない。
 それは、羽根使いが自分の羽根を秘匿するというレベルを軽く超えている。
「思えば、最初にここに落っこちた時に感じた気配、アレは気のせいじゃなかったんだな」
「天使かって開口一番に聞いてたっけね。でもさ、イリィが羽根を持ってるワケじゃなくって、どっか他にあるのと偶然共鳴してるだけだったら、わからなくはない、カモ?」
「新人指導ならまだしも、俺は新人発掘の方は全く専門外なんだが・・・・・・そういう事ってあるものなのか?」
「それは、ボクにも何とも・・・・・・てか、新人指導? キミが?」
 ツッコミを受けたカリムが、しまったという顔でそっぽを向く。
「なんてお気の毒な・・・・・・」
 スパルタ指導される新人の様子を想像してだろう、伏目になったアシェルは、口の中で何やらゴニョゴニョ唱えながら胸の前で両手を組む。
「それとも意外に向いてたりして?」
「あーそれはさて置きだな、」
 こほん、と一つ咳払いして、カリムは話を本筋に戻す。
「羽根がどこにあろうと、あの娘の生命の力を吸い上げて発現していることに変わりないんだよな」
「やっぱ本人に自覚ナシってのが一番の問題だよね。てか、イリィにはそのこと、ちゃんと言った?」
「一応、歌に注意するようには。羽根の話はまだ全然」
「ええ? 何で?」
「そりゃあ、天使云々の話を、天使を放棄した者の口から聞けば、どうしたってマイナスイメージにしかならないだろ」
 それを聞いた途端、アシェルの顔に陰が差す。
「それはそーかも知れないケドさ。塔出てせいせいしたって言うヒトが、そんなコト言っちゃうんだ・・・・・・」
 アシェルにしてみれば、塔の連中をどれほどボロクソに非難したところで、非難し足りるなどという事はない。
 それだけの仕打ちを、彼らはしたのだから。
「確かに俺達にはいい所じゃなかったがな。それでも羽根使いにとって、塔に全く価値が無いとは限らない」
 不完全な羽根使いほど危なっかしいものはない。本人にとっても、周りにとっても。
 羽根が羽根使いの生命力を必要とする以上、そして暴走の危険が常に付きまとう以上、羽根使い同士が集い助け合える場所は、どうしたって必要だ。
 それに、魔物は天敵である羽根使いに容赦しない。イリィのように無自覚な者が襲われでもしたら、ひとたまりもないだろうし、その災禍はイリィの大切なもの全てに及ぶ。
 イリィが羽根使いである限り、このまま村で平和に暮らすという選択肢は有り得ない。
 何よりも、いくらカリムやアシェルが望んだところで、ずっとイリィの傍に居て見守り続けるなど不可能なのだから。
「・・・・・・」
「同意しろとは言わない。俺みたいに割り切れる方がおかしいんだ」
「・・・・・・あーあ、このまま羽根の発現を阻止するとか封じるとか、出来ないかなぁ」
「それが出来れば苦労しないよな」
 カリムが羽根を捨てることが出来たのは、特殊事情による例外中の例外だ。
「そーだよねえ。村にいたいなら歌っちゃいけないって、クギ刺すのがせいぜいかぁ」
「心から望むことを抑えられるものならな」
「歌うことが? みんなと仲良く暮らすよりも?」
「本人は違うと言うかも知れんが、俺にはそう見える。たとえあの娘がこの先村人らと幸せに暮らせるようになったとしても・・・・・・やりたいと望むことを我慢して圧し込め続けていれば、いずれ、何かが壊れる。今度こそ、最も不幸な形で」
「・・・・・・」
「いっそのこと、無理してトラブルを解決するよりも、とっととここから連れ出してやる方が、よほどあの娘の為なのかも知れない」
 アシェルの反発覚悟で、カリムはその台詞を口にする。
「それはダメ」
 だが意外にもアシェルは笑顔で、キッパリと断言した。
「今のままじゃあ、イリィは永遠に故郷を失ってしまうでしょ。だから、それはダメ」
「だが・・・・・・」
(あの娘にとっては、どちらが幸せだろうか。帰りたい故郷があるのと、無いのとでは)
「何?」
「いや・・・・・・」
(それを決めるのは俺じゃない)
 結局カリムは、酒と一緒に、続く言葉を飲み込んだ。



 カリムの記憶は、”白亜の塔”の中、白くがらんとした部屋で目覚めたところから始まる。
 だからカリムには、塔が故郷なのだと言えなくもない。
 だが。
 白い光の中に消える無数の影と、それに向けて伸ばした、大きな古傷を刻む腕。そして、夕日のように暖かい光を背にして微笑む人・・・・・・。
 時折浮かぶ僅かな夢の断片が、ただの幻でないのだとすれば、それはきっと、自分が永遠に失くしたもの。帰ることの叶わなかったところ。
 それだけが、自分であったものの全て。

”炎の結晶”と同化した命を持つことが上級天使の第一条件であり、その候補者は塔に入る時点の審査で選別され、教育を施された後”炎の洗礼”に臨む。そんな彼らが一般天使となることはない。
 だがその常識は、あの幻とは矛盾する。
 幻の記憶を信じるならば、自分はおそらく、結晶を得る前にも天使をしていた。そしてきっと、大切な人がいた。その頃の自分は、今とは全く違った外見をしていた。

 つまり、自分は本来、結晶を与えられるはずのない者だったのだろう。
 羽根使いの数が減少し、必然的に結晶と同化出来る条件を満たす者が数年に一人現れるかどうかという現状を考慮すれば、ほんの少しでも可能性のある者に望みを繋ごうとするのは、必然の流れであっただろう。
 だが、それは同時に、羽根使いをただの道具としてしか見ないものの発想に他ならない。

 過去にどんな紆余曲折があったにせよ、カリムは結晶を得て、塔の深奥で目を覚ました。
 だが、結晶と同化こそしたものの、無理を重ねて生まれただろうカリムは、様々な面で常に不安定だった。
番人どもは結晶の万能性を説くが、カリムの実感としては、結晶の本質は調和の力だ。
 強大な力の源である羽根と、莫大なるエネルギーの源である”炎の雫”、それを扱う人間の意志。時に増幅し、時に相反するそれぞれの力を調和させる力こそが、”炎の結晶”の本質であり、表面に現れる様々な”恩恵”とやらは副次的なものにすぎない。
 根幹を成す結晶の力が不安定であれば、その影響は随所に及ぶ。
 必要以上に高い感応能力も、魔道の術から受ける干渉を上手くやり過ごせていないからだし、薬酒の影響にしても、不安や恐怖といったマイナスの感情を取り除いて精神を安定させるはずの作用は、逆に混乱を引き起こすものとなった。

 忘れるこいうことは、それは無かったことと同じ。ならば普通は、”忘れた”ことを”忘れた”と認識することは難しい。
 だが、何かがおかしいと認識出来る程の不自然な記憶の歪みが、逆にカリムに疑問を抱かせ、ついには辿り着いてしまうことになる。
 塔の連中がこれまで積み重ねてきた所業や、塔の本質がどんなものであるかという事実に。

 それでも。
 遠いあの日、アシェルを手にかける判断を下したのは、誰でもない、自分自身。
 時を同じくして、別の手段で”真実”に辿り着き、それ故に全てを憎み、破壊し、そして”カリム”から解放してくれようとした、たった一人の友達を。
 最後の最後で、自分は捨てることが出来なかったから。
 幻の中の彼女がどこかに存在するかもしれないという、万に一つも無い可能性に縋りついてしまったから。
 アシェルと共に死の世界に行くことを選べないのなら、自分がしてあげられることはたった一つ。この手で楽にしてあげること、それだけがアシェルの心を救う唯一の方法なのだと・・・・・・。

 だが、いくら自分に言い訳してみたところで、本音のところはどうだったのか?
 その後カリムはどうしたか?
 彼女を探すために塔を飛び出すことはなかったし、黒い炎を受け入れて記憶を取り戻す可能性に賭けてもいない。
 そう、もしも黒い炎を受け入れるとしたら、まさにあの時だけが、自分にとって唯一の機会だったはずだ。
 一番大切であるはずのものさえ否定した自分に、それ以上に守りたいものなど、ありはしなかったのだから。

 結局、カリムが契約を交わしたのは塔の側だった。
 自分が天使であったのなら、天使であり続けることが、彼女を探す手がかりとなるかも知れない。おそらくは、そのようなことを考えたのではなかったか。
 与えられた力も、容姿も、上級天使という地位も、望んだはずのないものだったけれど。
 自分の望みの為に、俺は”カリム”の力を利用した。
 自分の望み以外はどうでもよかったから、塔も薬酒も羽根も、課された全てを受け入れた。
 そうやって、命じられるまま、何も考えることなく。

 カリムが上級天使となったことに、大儀などありはしない。
 魔物を憎んだことすら、あったのかどうか。
 魔物は天使の敵であり、天使とは魔物を討滅するものである。ただそれだけのこと。

(全く、番人どもも、大したことない。あんなに偉そうに威張っていながら、やることが中途半端すぎるんだよ)
 どうせなら最初から、何も思わず考えない土人形のように、彼らにとって必要な能力以外のもの全て、取り上げておけば良かったのだ。
 そうすれば、余計なことを思い出す事もなかった。不完全な想いに囚われてアシェルを、そして周りの全てを傷つけることもなかった。
 だが、そう考えるのは単なる八つ当たりだとも解っている。
 どんな理由があろうとも、間違えてはいけないことはあるのだから。

 何故、判らなかったのだろう。
 アシェルは、俺に一番近い存在だったはずなのに。
 俺のことを命がけで気にかけてくれるような者など、他に居るはずがなかったのに。
 何を奪われ損ねられたとしても、それだけは間違えてはいけなかったのに。

 一つだけ、確かに言えること。それは自分という奴が、黒い炎を受け入れるまでもなく、大切な者より自分の望みを優先させる判決断を下し、実行出来る者だということだ。
 だからこそ。
 薬酒を飲めば、僅かなりとも時間稼ぎは出来るだろう。
 黒い炎を受け入れるなら、それこそ塔に戦いを挑むことすら出来るだろう。
 ただし、それを自分の為に行うことは断じて出来ないし、やってはいけないのだと思う。
 それは、大切な人への、カリムが天使として手を下してきた者たちへの、それでいながら記憶にも留めておけなかった者たちへの、この上ない裏切りだから。



『やはり君だったな・・・・・・』
 全てを悟った瞳で、そいつは静かにカリムを見た。
『命じられて来たんだろう? 何を置いても、結晶だけは持ち帰れと』
 胸に当てた指の間。心臓と同化して揺らめく、炎の結晶の静かな光。
 だが、その輝きの中に、ほんの僅かに陰りが視えた。
 たった一筋であっても、決して元に戻す事の出来ない、黒い炎の片鱗が。
『壊してほしい・・・・・・』
 いつもの穏やかな顔の中に、揺るぎない決意を秘めて。
 与えられた穏やかさではなく、自身を見据えたが故の、本物の穏やかさを瞳に宿して。
 そいつのことは、よく知らなかった。
 他人に興味など無かったから。
 だからその時、そいつが何を想ってそのように行動したのかなど皆目解らなかったし、解る必要など無かった。
 命令に逆らってまで、願いを聞いてやる義理などなかった。
『いつか、君にも解る時が来るかもしれないな・・・・・・。だが、願っているよ。そんな日が永劫に来なければ良いとね・・・・・・』

 何故、今になって、そんなことを思い出す?
 共有した時間はほんの僅か。
 その一瞬にして、傍らを通り過ぎて行った者のことなどを。

 上級天使が塔を離れ、薬酒を断たれれば、いずれ肉体は限界を迎え、朽ちてゆく。
 だが、”炎の結晶”は。
 魂を封じ込めた、”力の源”は・・・・・・。



「どうしたのさ? ボーッとしちゃって?」
 不意に後ろから首筋に手を回され、とっさに持ち直した杯の中、半分ほど残った酒が大きく波打つ。
「アシェル・・・・・・」
 背中に感じる、小さな温もり。
 俺は今、幸せだ。
 とうに失ったはずの者が、こうして傍に居てくれる。
 それ以上の幸せが、この世界にあるはずがない。
 だから、忘れてしまうのは怖い。
 俺が、幸せに値しない存在であることを。

「悪い。どこまで話したっけか?」
「どうやってイリィのトラブルを解決するかってトコだよ!」
 カリムの背中に張り付いたまま、アシェルはぴょこんと肩口から顔を覗かせる。
「やっぱそれって魔物絡み、だったりするのかな?」
「天使と来れば、魔物ってか?」
「そう考えるのがセオリーってもんじゃない?」
「だが、いくら魔物でも、あんなに気配が無い羽根使いを発見出来るものなのか?」
「まーたソコが問題になるのか。・・・・・・けど、魔物には眷属が多いからね。少しでも気配を発したことがあるんなら、無い、とは言い切れないよ?」
「それなら、さっさと襲撃した方が、よほど手っ取り早いだろ。間違いで村の一つ潰したところで、魔物には痛くも痒くもないだろうに」
 魔物にとって、羽根使いは憎悪の対象であり、見つけ次第抹殺すべき相手だ。半人前の羽根使いだからと容赦されるなど有り得ないどころか、チャンスとばかり嬉々として襲いかかるに決まっている。
「それは同感」
 なるほど、とアシェルは難しい顔で深く頷く。
「だとしたら何だろう? ホントにただの誤解なだけ? それとも、純粋に人間の悪意のせい?」
 人間の悪意が侮れないことも確かだが。
「それだけだと、チビの守護印の説明がつかないしな」
「・・・・・・え? ジーロに?」
 アシェルは緑色の瞳をキョトンと見開いて、カリムを見返す。
「だから、額のあたりにチカチカしたのが。それに、羽根騒ぎの後は、あの三人組にも・・・・・・」
「そんなのあったの!?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 しばしの沈黙の後、カリムはがっくりとうなだれる。
「フンだ! どーせボクには判りませんでしたよ!」
 拗ねた声で、アシェルはすとんと、カリムの背中から滑り降りる。
「いや、そういう意味でなく・・・」
 当然のことだが、護符のような単純な術の場合、術の存在に気付き易いのは、より強く影響を受ける者の方である。
 集中しなければ判らない程度のそれを、カリムは自分には影響が無い故に、魔物に対する護符の類と推測したのだが。それにアシェルが全く気が付かなかったということは、それはアシェルにとって何ら脅威ではないことを意味する。ならば、魔物にとっても脅威ではない。
 つまりそれは護符とは逆に、術を仕掛けた者以外には見えない類のものだということになる。
「目印なのか・・・・・・」
 小さく、カリムはつぶやいた。
 一口に目印と言っても、相手に存在や所有権を誇示するような目立つものもあれば、特定の者に対してのみ意味を持つものも、印を付けた者にのみ必要なものもある。
 少年らに付けられた印は、おそらくは後者だ。
「それ、イリィの羽根で付いたのかな?」
 カリムの背中にもたれたまま、アシェルは腕組して首を傾げる。
「いや。先刻の発現の仕方では、それは無理だ」
「断言するね」
「いくら何でも、そこまで間違えやしないさ」
 至近距離であれだけ無遠慮に力を見せ付けられれば嫌でも解る。
 あれは単なる暴走、でなければ羽根の自己主張だ。
 たとえ羽根に術を成す能力があったとしても、相応の動機が無ければ術は形にならないものだ。
 だがそうすると・・・・・・。

 覚悟していたこととはいえ、ここに来てからの感応能力の低下は、どうにも手痛い。
 少し前までは苛立ちの対象でしかなかった能力なのだから、勝手な事この上ないが。
 能力に変調を来たした理由は、薬酒切れの影響も無いわけではないが、それよりもむしろ、結晶の損傷によるものだろう。
 塔でアシェルと戦った時、カリムは確かに、自分の結晶に亀裂が入る音を聞いた。
 それなのに今は、一体何の手品なのか。アシェルの結晶と同様、カリムの結晶もまた、損傷を受けたことが錯覚だったかのように綺麗に修復されている。
 そのための代償が髪色の変化だけで済むと思うのは、あまりにも目出度過ぎるというものだ。
 あえて言及するなら、羽根を捨てて来たたことも大きいが、それを後悔する気にはなれない。
 それに今頃はきっと、塔の中で厳重に封印されているだろうから、悔やんでみたところでどうなるものでもない。
「不完全な羽根に、何か悪い力に、何だかわかんない力かぁ。それってイリィが遺跡でしか歌えないって言ってたのと関係あるのかな?」
 アシェルはひょいと、バスケットの中の砂付き焼き菓子を覗き込む。
「ねえ、あの子達が倒れた拍子に、ウッカリ砂を食べちゃったとは考えられない? ここの砂って、ホントここにしか無いみたいだしさ」
 目の前に広がる緑や青の風景の中に、これほどさらさらした白い砂は存在しない。
 遺跡だけが、時間の流れから乖離しているかのように、白い砂の中に埋もれている。
「ものは試しって言うじゃない? 村の人達にコレ食べさせてみてさ、カリムにチカチカが見えれば予想は当たり、見えなければ外れとか・・・・・・」
 楽しそうに思いついた自説を話していたアシェルは、そこで急に視線を落とした。
「だからどうだって話だよね。キミにも視えるかどうかってくらいささやかな力、証明出来たところであんま意味無いかも・・・・・・」
「それ・・・・・・ホントに、お前には視えないんだよな?」
「キミに視えないんじゃ、ボクに視えなくて当然でしょ」
「いや、俺だって何でもかんでもわかるわけじゃ・・・・・・」
 言いかけて、カリムははっと瞠目する。
「当然のこと。視えて当然。視えなくて、当然・・・・・・視えなくて当然の力・・・・・・」
 そしてカリムは、一度瞳を閉じてから、アシェルの顔を見直した。
「もしかしたら、間違っていたのかも知れない。いや、正しかったと言うべきか・・・・・・?」
「はい?」
「なあ。俺に視えなくても不思議じゃない力があるとしたら、どんなだと思う? 俺に影響しない力は除外するとして」
「えっと?」
「たとえば、俺と同じ性質を持つ力があったとしたら?」
「じゃあ、何? わかんない力の正体は、カリムと同質の力だって言いたいワケ? でもそれってズバリ、炎の結晶の力ってことじゃないの?」
「そうなるか?」
「なるでしょ! てか、言ってるイミ解ってる? 結晶は塔の専売特許なんだよ! 結晶と同化出来るのは塔の上級天使だけのはずでしょ。だったらボクたちは、塔の手の内から一歩も出てないことになっちゃうじゃない・・・・・・」
「いっそその方が、話が簡単だったかもな」
「・・・・・・違うの?」
「結晶の力と言っても、誰かの命と同化した時点で、個性ってのが出てくるからな。完全に同質とは言い難い。だから、即、塔と関係あるとは思えない」
「でも、気のせいだとは思わないんだね?」
「ああ。それがずっと引っかかってた。俺の感覚が鈍っていると考える方が、可能性としちゃ高いわけだし」
「それでも?」
「結晶の力かどうかはともかくとして、あえてそう考えた場合、いいことが二つ、悪いことが一つある」
「じゃあ、いいことの一つ目は?」
「ぶっちゃけ、自分の感覚がおかしくなってるのを確認も修正も出来ないんじゃあ、考えたって無駄なんだよな。だったらいっそ、自分が正しい方に賭けるのが建設的だ」
「ええ、そーなのかな? ・・・・・・いーのかなそれで?」
 真顔で断言されればうっかり説得されてしまいそうだが、それはあまりにも強引な理論展開というものだ。
「まあ、そこは後で突っ込むとして、二つ目は?」
「その仮定で考えれば、疑問のいくつかには簡単に説明がつく」
「いくつか? えらく控えめだね」
「大半と言いたいとこだが、そこまで断言するのもな」
 村に下りて調査したわけではないし、イリィに付けた目印にしても、あれからまだ少年ら以外に会っていないらしく、大した反応は拾えていない。
 カリムはふと、先刻の泉の術を思い浮かべる。
 あれは、カリムの中に答えが無い限り、答える術を持っていなかった。
 今あの泉と邂逅したなら、もっと明確な何かを引き出せたかも知れないが、そうそう都合よく出てきてはくれなさそうだ。
「つまりだな、」
「ねえ、その前に。悪いことって何?」
「もしも俺の予想が正しかった場合、この平穏な状態は、今にも崩壊する寸前なのかも知れない」
「何それっ!」
 思わず立ち上がったアシェルが、カリムの瞳を正面から見据える。
「だから、そのままの意味だよ」
 あくまで落ち着いたまま、カリムはアシェルの視線を真っ向から受け止めた。
「だったらイリィはどうなるの!?」
「それは、あの娘次第だろう。言っただろ? 俺たちに出来ることなんて、大して無いって」
「・・・・・・」
「だが、まあ、意外と大丈夫なんじゃないか。ああ見えて、あの娘、か弱いだけじゃなさそうだ」
「ええ? それって根拠があって言ってる? 適当に誤魔化すのナシだからね!」
 カリムの瞳が、その瞬間、いつもの悪戯っぽい光を宿す。
「そうだな・・・・・・あの娘は、人の名を呼ぶことに全く躊躇いがないから。なんてのは理由ならないか?」



(何だったんだろう、さっきの、コリオは・・・・・・)
 村に続く坂道にへたり込んだまま、イリィはぼうっと空を見上げていた。
 頭の中がぐるぐるして、のどかな青空など目に入ってはいなかったが。

 いつからか少しずつ、イリィを無視して遠ざけるようになった村人達。
 その中でもコリオは、大分後の方まで、一緒に居てくれた、ような気がする。
 だがある日足に大怪我をして・・・・・・見舞おうとしたけれど、締め出されてしまって。それ以来、コリオとは話をしなくなってしまった。
 ただ時折、コリオの視線を感じることはあった。偶然出くわした時などに、何か言いたそうな目でイリィを見ては、結局視線を落とすようなことが。
 でも、それだけ。
 それだけでは、何も変わらない。

 なのにどうして突然、遺跡にまで歌を聞きに来たり、あんな風に謝ったり、しかも、あろうことか、あろうことか・・・・・・。
(あれって、まさか、もしかして、ひょっとして、ええと、その・・・・・・コクハク?)
 思った途端、かああっと顔が熱く火照るのを感じて、イリィは両手で頬を押さえた。
 一体、何がどうして、そんなことになったのか。

『お前は全然悪くない・・・・・・』
 不意に、カリムの声が脳裏をよぎった。
 あの時カリムは、何を告げようとしていたのだろう。
 きついことを言われたとは思う。
 だがカリムは、イリィを心配し、コリオ達を連れてきて、そしてイリィの為に何かしようとしてくれたのではなかったか。
 コリオが話しかけてきたのは、きっと、カリムに何か言われたからに違いない。
 それなのにイリィは、言われたことになんだか無性に腹が立って、つい怒鳴って飛び出して来てしまった。
 自分に対して一生懸命になってくれた人に、酷いことを言った。
(戻らなくちゃ。戻って、謝らなくちゃ)
 カリムとアシェルは、いつまでここにいるか判らない。ぐずぐずしていたら、永久にその機会を失ってしまうかも知れない。
(戻らなくちゃ、今すぐ!)
 ギュっと拳を握って決意を固め、イリィはすっくと立ち上がる。
 そして来た道を再び上ろうとした、まさにその時。
「やあ、こんにちは。可愛いお嬢さん!」
 驚くほどすぐ近くで、全く聞き覚えの無い声がした。

-14-
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