小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第15話 交差 



「そりゃまあ確かに”風光明媚な海沿いの一本道”には違いないけどな・・・・・・」
 呟いてフェグダは、もう何度目かになるため息をついた。
 街から街への街道を逸れ、海沿いの村に向かう小道に入ったまでは良かったが、その小道はだんだん崖沿いへと追いやられ、ついには断崖絶壁を掘り広げたような代物へと変わっていった。
 それでも一応、小さな荷馬車が通れる程度の横幅はあり、時々待避所のような踊り場が設けられるなどの整備はされている。が、少しでも天気が荒れれば簡単に通行困難になりそうだ。
 もしかしたら道が出来た当初は、人一人通るのがやっとの自然道だったのかも知れないと考えたところで、フェグダは荷馬車を必要とする今という時代に感謝した。
 だがフェグダがこうして歩いていても、荷馬車どころか道行く人影すら全くお目にかかることがないのだから、余程の用事でもない限りは街道を外れた村を訪れる者など滅多にいないということだろう。
「ところで、もうそろそろ着いても良さそうなものなんだがなぁ」
 街で聞いた事前情報では、歩きでも昼頃までには十分着けるだろうという話だったのだが、先の”風光明媚”情報の発信元でもあるだけに、どこまであてにしていいものか判断に迷うところである。
 が、さほど心配する間もなく、不意に断崖絶壁は途切れ、ゆるやかな起伏の草地が目前に広がった。
 草地の先は、畑地。そこから丘に向かって牧草地。
 そしてなだらかに起伏を道なりに上って行ったフェグダの目に、村の屋根の連なりが飛び込んできた。
「おお! やったぜ!」
 思わず握り拳を固めつつ、フェグダは大きく深呼吸する。
 同じ海風の香りでも、断崖絶壁を横目にしながら嗅ぐのと、開けた草地にいるのとでは大違いだ。
 そうやって一息ついたところで。
「さーて、例の遺跡とやらはいずこ?」
 村を見下ろす丘に建っているという情報を頼りに、額に手をかざしつつ目を凝らしてみると、なるほど、それらしい辺りにそれらしい白っぽい石造りが見つかった。
「・・・・・・アレ、だよな?」
 歩を進めるにつれて、徐々にはっきりした形を現し始めたその建造物は、遺跡という名に恥じないくらいに十分風雨に晒された佇まいだ。
 しかも平和な風景に馴染みまくっている辺り、塔の転移門に影響を及ぼせるような雰囲気はおろか、秘法や秘術が隠されているのではないか的な独特の迫力とは全く無縁な、至極あっけらかんとした印象だ。
 いや、ぱっと見だけで判断するのは早計だと判ってはいるが、それにしても、各地の遺跡巡りをしてきた経験から言わせて貰えば、今目にしているあれは、天気のいい日に彼女を誘ってピクニックデートとか、子供同士で秘密基地ごっことかそんな用途にこそピッタリしっくり来るような気がする。
「・・・・・・そりゃ、そーだよなー。世の中そんなもんだよなー。一発目でビンゴなんて偶然、そーそーあるわけねーもんなー」
 拍子抜けしたような、どこかホッとしたような・・・・・・。
 自分でよく判らない感情を打ち消すように、フェグダはもう一度大きく伸びをする。
「まあ、せっかくここまで来たんだから、後で見に行くくらいはするとして、」
 太陽はまだ中天高い。
 来た道を戻るにしろ、村を抜けて次の街に向かうにしろ、遺跡見物に少々時間を取ったところで十分今日中に辿り着けるだろうが。
「それだと単なる無駄足でしかないんだよなー」
 目の前の村からは、祭り前の浮かれた雰囲気と、それより何より窯でパンやパイを焼くような香ばしい匂いが漂って来る。
 折しも丁度お昼時。
「旅の醍醐味は美味いメシと甘ーい出会い! 回り道して苦労して、このまま素通りはないよなー」
 滅多に訪れることがないだろう旅人が歓迎されることを期待しても、悪くないのではないだろうか。それとも。
「まさか、目が合った途端、村人総出で追っ払われる、なんてこた、ねーだろーな?」
 街ではそんな物騒な噂は聞かなかったし、雰囲気的にも悪くないとは思うのだが、村には村独特の共同体ルールが存在するもので、こればかりはいつも出たトコ勝負である。
「そーだなー。歓迎されるなら、明日の祭りは村にお世話になるのがお得、歓迎が期待出来ないならとっとと街に行って楽しむのがお得。この見極めが肝心だ」
 フェグダは今までの経験則総動員で、真剣に思案を始める。
「そうだなー。村に入る前に誰かに会えれば、事情が判っていいんだがなー。出来ればカワイイお嬢さんとか、ナイスバディなお姉さんとか、清純可憐な美少女とか・・・・・・ん?」
 そんな呆れた妄想を神様が聞き届けて下さったわけではないだろうが、フェグダが歩を進めるその先で、ほっそりとした人影がすっくと立ち上がった。
「おおお!?」
 それは、遠目でも見間違えのないような、とびきりの美少女だった。
 結い上げられた髪は、この地方では珍しいくらい綺麗なプラチナブロンド。ドレープの効いたスカートをパタパタはたく仕草も愛らしい。
「やった、ラッキ!」
 とは、フェグダでなくとも思うはずである。多分。
 足早に歩み寄ってから、出来るだけ脅かさないよう、なおかつ馴れ馴れしくない程度に愛想良く、最上級の紳士笑顔でもって、フェグダは少女に呼びかけた。
「やあ、こんにちは。可愛いお嬢さん!」

 歩いて四、五歩という至近距離から不意に聞こえたその声に、イリィの心臓は身体から飛び出しそうなほど大きく跳ね上がった。
 なにしろそれは、全く聞き覚えのない男性のものだったのだから。
(だ、誰!?)
 振り向こうにも硬直してしまって動作のままならないイリィは、頭の中でその声を繰り返す。
 とりあえず、無邪気で、ノンキで、楽しいことばかりを考えているような、悪意のカケラも混じらない声だ。
 感じからして、年齢は二十歳前後くらいだろうか。
 そして、かなり注意しなければ判らない程度ではあるが、少し変わったイントネーションだ。
 街まで行けば、地方なまりや外国なまりで喋る声を耳にすることもあるのだが、そういうのとも少し違う。
イリィの想像もつかないような遠いところから来た人、ということだろうか?
 好奇心を覚えたことで硬直から立ち直ったイリィは、恐る恐る振り返る。
 そうして目に入った人物は、思った通り、いかにも異国の旅人然とした格好の青年だった。
 日焼けした肌に、明るいはしばみ色の髪。前髪に隠れ気味の大きな瞳は、若い木の実のような茶緑色。
 髪の間に見え隠れする三角形の耳飾りが、何かの護符のようで印象的だ。
 カリムやコリオと同年代くらいに見えないこともないが、声の印象が間違っていなければ、単に童顔なだけかも知れない。
 動きやすそうな服装や、いかにも歩き良さそうなブーツは、旅人なら当然の出で立ちだが、それよりも目を引くのは綺麗な幾何学模様が刺繍された膝丈のマントだ。
 彼の印象を一言で表すなら、見渡す限りの広い草原、ではないだろうか。

「ゴメンゴメン。脅かすつもりはなかったんだけどね」
 振り返ったまま黙っているイリィに申し訳なさそうな目を向けて、青年はそう口にする。
「い、いえ、私こそ、ごめんなさい」
 ジロジロと無遠慮に観察してしまったことに頭を下げてから、イリィはそうっと顔を上げた。
「あの、旅人さんですよね。この村に御用がおありなんですか?」
「あ、そんなかしこまらなくていいからさ。俺、フェグダっての。キミは?」
 やはり変わった響きの名前だなと、イリィは思う。
「あ、あの、イリィです、けど・・・・・・」
「イリィちゃんかー。いい名前だねー。それにとっても美人だしー」
「え、あ、え・・・?」
 面と向かって美人だとか言われてしまったイリィは、何と応じていいのかわからずに上ずった声を上げる。
「ねえ、俺さー、見ての通りの旅人なんだけど。良かったら村を案内してくれないかなー?」
 彼は気軽に言ったのだろうが、その一言はイリィの高揚しはじめた気分を冷ますのに十分だった。
「・・・・・・それは、やめた方がいいと思います」
「え、俺そんなにアヤシイ? こー見えても俺、結構イイ奴だし、色々役に立つ特技とかもあるんだけど」
 表情こそ笑顔のままだが、思いっきりがっかりした様子が声にありありと滲み出ている。
「いえ、そうじゃなくて。気を悪くされたなら謝ります。ただ、私が案内しない方が・・・・・・あなたのためなんです」
「ええと? どういうことかな?」
 それは聞かれて当然だろう。が、いくら悪い人ではなさそうでも、初対面でほいほい話せることでもない。
「・・・・・・村に入って真っ直ぐ行けば広場に出ます。そこに村長か誰かがいるはずですから、そちらで聞いていただいた方がいいと思います。では、私は用事がありますので、これで」
 早口で説明してから出来るだけ丁寧に一礼して、イリィは素早く身を翻した。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ねえ?」
 カワイイ女の子と仲良くなろう計画が初っ端から挫折しかけて慌てたフェグダは、歩き出そうとするイリィに向かって、とっさに大きく腕を伸ばす。
「ねえ、待ってよ、イリィちゃん!」
 その時、フェグダのマントの間から何かが滑り落ちた。

 チャリーン!
 不意に上がったカン高い音に、イリィとフェグダの目が集中する。
 岩に当たって大きく跳ね上がった銀色の丸い物は、そのままイリィの足元まで転がって来て、クルクル回ってから草の中で止まった。
 フェグダが急いで手を伸ばすよりも、自分の足元だった分、イリィが拾い上げる方が早かった。
 それは親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさの、銀色のメダルだ。
 飾り文字が刻まれている面を裏返すように手の平に載せると、そこに現れたのは三叉の矛に二対の翼の紋章だった。
 これに良く似たものを、どこかで目にした気がする。それもつい最近に。
「あの、これ・・・・・・?」
「拾ってくれてありがとう! 大事な物なんだよコレ。ったくこんなとこで鎖が切れるなんて、どーしたんだろーなホント」
 フェグダはイリィの手の平に載ったメダルを掴み上げると素早く服の隠しにしまい込み、あははと笑いながら頭を掻く。
「・・・・・・?」
 なおも不思議そうに見ているイリィに、フェグダの笑顔が少し引きつる。
「や、全然大したもんじゃないんだって。ええと、ちょっと待ってね!」
 気まずい雰囲気を払拭すべく、フェグダは素早く荷物を下ろすと、中からじゃらじゃら音の鳴る皮袋を取り出した。
 貨幣が入った財布にしては、少し大きい。
 と、フェグダがその中から取り出したのは、ピカピカ光るコイン大のペンダントだった。
 シンプルなデザインの矛に翼。中央に、世界の守護者たる天使様を象徴する印。
「あ! 天使様のお守り!」
 それならイリィも、街の露店などで売っているのを見たことがある。
 誰でも気軽に買える天使の守護印入りのアクセサリーは、家族や友達や恋人へのプレゼントとしてはポピュラーな物だ。
「でも、こんなに?」
「実は、まあ、路銀稼ぎ用なんだけどね」
 護符売りはフェグダの数ある副業の内の一つだ。

「この太陽の印が”日輪の天使”で、武運長久無病息災にご利益があるんだ。虹のが幸運全般の”暁虹の天使”。そうだな、女の子には美人になれますようにっていう”雪華の天使”の印が人気だね」
 フェグダは手の上にペンダントを並べながら、抑揚をつけた節回しで印の意味を説明していく。
「どう? イリィちゃんも一つ?」
「いえ、私、お金は・・・・・・」
 そんなに商売モードになっていたかと、フェグダは内心苦笑する。
「もちろんプレゼントだって! お近づきの印ってことでさ!」
「いえ、それこそ悪いです!」
 だが、フェグダの提案は、ほとんど反射的に辞退されてしまう。
「遠慮しなくてもいいって! ・・・・・・あ、でも、そんな上等な髪飾りをプレゼントしてくれる彼氏がいるんじゃあ、俺なんてお呼びじゃないっか」
 自分で言ってから、フェグダは内心舌打ちして肩を落とす。気付くんじゃなかった。

「あ!」
 言われたイリィもまた、慌てて髪に手を伸ばす。
 髪を結ってもらって、そのまま借りっ放しだったことを、今の今まですっかり忘れ去っていた。
「これは、借り物だから、返さないといけないものだから・・・・・・」
「ああ、お祭り用ね」
 台詞の意味を勝手に解釈したフェグダは、うれしそうにニッコリ笑う。
「だったら、俺がプレゼントしても問題ないよね」
「え、だって、そんなわけには・・・・・・!」
 慌てて身を引こうとしたイリィだったが、その目が吸い寄せられるように、ペンダントの一つに釘付けになった。
 向かい合う三日月の印。
 不意に、イリィの胸がドキリとする。
 ペンダントのデフォルメされまくったデザインとはギャップがありすぎて、すぐには思い出せなかったのだが、そうだ、確かにこれと良く似た印をイリィは見ている。もっとずっと精緻で優美な紋章として。
「これは・・・・・・?」
「ああ、”災厄の天使”の印な」
 それは、イリィが初めて聞く称号だった。
「災厄? 天使様なのに?」
「あれ、知らないかな、”我、悪鬼魔物の災厄たらん”って歌劇の台詞。縁起悪そうな名前が逆にウケて、魔除けや悪縁避けなんかに人気があったりするんだけどな」
 不思議そうに首を傾げるイリィに、フェグダは棒読みなほどさらりと説明する。

 世間一般にとっては半ば伝説的な存在であっても、上級天使である彼らは確かに、この世界に実在する。そして、その知名度はその経歴に左右される。かというと、そうとばかりも限らない。
 護符売りなどをやっていれば、売れ行きという形で嫌でも解ってくる事だが、天使の知名度を左右する要素はズバリ、その地域でどんな演目が流行っているかだ。
”日輪”や”暁虹”などは在籍期間も長く、定番も含めて登場する歌劇作品の数が多い分、どこに行っても知名度は高い。
 だがそれ以外の中堅どころの内では、演目にどれだけ人気があるかが勝負であって、”災厄”や”雪華”などは、アクションシーンやロマンスシーンの効果もあって、この数年で人気上昇中だ。
 ただし、新し物好きの都市部と比べ、地方に行くに従って定番が好まれる傾向にはある。

「お芝居でしたら、子どもの頃に何度か観たことはありますけど、最近は町に行くこともないし・・・・・・」
 その時のことを思い出してか、うっとりした表情を見せたイリィだったが、すぐに寂しそうな顔になる。
「ああ、そりゃあ、気軽にホイホイ観に行けるもんでもないっか」
 こういう村では、普通にそんなものだろう。またも勝手に納得して、フェグダはうんうんと頷いてみせる。
「それよかさ、」
「あの、フェグダさんは、災厄の天使様がどんなお方かご存知ですか?」
 違う話題を振ろうと口を開きかけたフェグダは、意を決するように問いかけてきたイリィに、おやと目を丸くする。
「あー、そうだなー。一言で言えば、黒髪の美形。ド派手な衣装で、得物は三日月みたいなデカい曲刀。天使にしちゃインパクトのある方だよな。でもって、人間なんか取るに足らないって見下してるタイプ」
 後半などは、結構私情が入っている。
 興味深そうに見つめられるのは満更ではないが、よりによって”災厄”の話題であるというところが、何ともフクザツな心境だ。
「もしかして、本物の天使様にお会いになったことがあるんですか!?」
 真剣そのものな表情で聞き返されて、フェグダは一瞬反応に詰まる。
「え、あ、う、そりゃモチロン役者の話な。本物は文字通り、雲の上のお方だろ?」
「旅人さんでも、ですか」
「そうそう。いくら旅人やってるったって、そんなおいそれとは、なあ」
「そうですか・・・・・・そうですよね・・・・・・」
「ま、まあ、世界は広いからねえ。俺みたいな駆け出しの旅人なんかじゃ、とてもとても・・・・・・」
 ついうっかり不用意な発言をしてしまったことを、フェグダは猛烈に後悔する。いくら面白い話題ではなかったとはいえ、あれではライバルに向ける嫉妬のようではないか。
 しかもこんなことで、女の子をがっかりさせてしまうとは・・・・・・。
 普段であれば、その程度の質問くらいどうにでも対応できるはずなのに、全くどうかしているとしか言いようがない。
「・・・・・フェグダさんのメダルは、翼が2枚づつでしたよね。それにも意味があるんですか?」
 反省中だったフェグダは、その台詞を聞いた瞬間、思わずはっとしてしまう。それから、
「無い無い無い! それきっと見間違い!」
 ぶんぶんぶんと、勢いよく首を振って否定する。
「え、でも・・・・・・?」
「まあ、俺のはちょっと高価いヤツだからさ、そう見えたんじゃないかなー?」
 あははと言い訳しながらも、もちろん証拠はお見せ出来ない。
「けど、ここだけの話」
 フェグダは誤魔化し笑いを引っ込めると、下心抜きで声を潜め、イリィにそっと耳打ちする。
「もし、もしだけどな。どっかでそんなの見ても、絶対手を出すんじゃないぞ。二対翼や三対翼の印を勝手に造ったり持ってたりしたら、不敬罪か偽称罪で捕まっても文句言えねーから。これホント!」
「!」
 一般に出回っているのはあくまで天軍の印を模した略章であり、当然のことながら正式紋章の使用は厳禁である。ことに二対翼は天軍の羽根使い、三対翼は上級天使にのみ許される印だ。
「だーかーらー、見間違いなんだって。な?」
 ここで筋が通っているのかいないのか、考える余裕を与えてはいけない。
「ま、まあ、そんなわけだからさ」
 そそくさとメダルの一つをイリィに握らせると、あとはとっとと袋にしまって、フェグダはこの話題を打ち切った。
「で、どう? それで案内役、頼めないかなあ?」
「あの、用事があるのは本当なんです。それに、私が行かない方が村で歓迎されるのも本当なんです」
「ふーん、何か事情がありそうだね。良かったら、力になろうか?」
「それは結構です」
 思いっきりキッパリと断られてしまった。
 これ以上困らせると、本気で嫌われるかも知れない。
「そっか。じゃあ、あと一個だけ。イリィちゃん、あの遺跡に詳しい人、誰か知らない?」
「遺跡、ですか?」
 その途端、イリィの顔にありありと驚きが広がった。

「ええと、あそこに何かあるんですか? あんな所、崩れてるし、何も無いし、行っても面白くないですよ」
「え、でも、イリィちゃん、さっきそっちに行こうとしてなかったっけ?」
 フェグダに声をかけられる直前、イリィが歩き出そうとしていたのは、確かに遺跡に続く上り道の方だった。
「ええと、その、今は祭りの期間なので。でも、あそこは禁足地なので、他所の人を案内するわけにはいかないんです」
 イリィはしどろもどろになりながら、思いつく限りの理由を並べてみる。
「そこを何とか。外から見るだけでもいいからさ」
 対するフェグダは、これでもかの拝み倒しポーズだ。
「本当に、その、困るんです。ええと、村長に許可してもらってからなら、案内出来ますけど・・・・・・ダメですか?」
「うーん、そりゃあ、カワイイ女の子を困らせるのは不本意だけど、オレもあんまノンビリしてらんないからなー」
 カワイイ女の子!
 自分に向けられた台詞かと思うと、色んな意味でめまいを起こしそうになるが、イリィは辛うじて耐え抜いた。
 と同時に、一つの策が閃いた。深く考えている暇はない。こうなったら実行あるのみ。
「お願い・・・・・・」
 イリィは両手を胸元で組んで、潤んだ瞳で相手の顔をじっと見つめる。
 ひと呼んで、カワイコブリッコ大作戦!
 年頃のお姉さんが彼氏に対して演技して見せる、アレ。
 まさか自分がそのようなマネをする日が来ようとは思ってもみなかったが、ここは四の五の言っている場合ではない。
「困らせないで下さい、ね?」
 気分的には、まさに捨て身。ハズカシさのあまり真っ赤に上気している頬は、決して演技ではない。
 イリィが普段そういうことをするタイプのキャラでないことは、一目瞭然だ。
(うぐっ! このたどたどしさが、可愛すぎるっ!)
・・・・・・どうやら努力の甲斐はあったようである。



 名残惜しそうにイリィに向かって何度も何度も手を振りながら村に向かうフェグダを、美少女笑顔のまま見送って、イリィはようやく深い深いため息をついた。
 何だかこれで、一生分の勇気と根性と愛想を使い果たした気がする。
 が、いつまでも脱力してはいられない。
 念の為にと、イリィは村の外周に沿って走る家畜用の小道を少し進んでから、遺跡の方へ向きを変えて所々岩肌の覗く草地を登り始めた。
 あまり足場が良いとは言えないが、牧草地の中では地面が固くて上りやすいルートで、しかも村からは家や植え込みが邪魔をして目立たない。
 子供の頃にはみんなで競争しながら上ったものだが、まさかこの年齢になって再び使うとは思ってもみなかった。
 スカートの裾をからげつつ、イリィは一心不乱に登っていく。

 何故そうしようと思ったのか。実は、自分でもよくわからない。
 フェグダという名の旅人は、少なくとも悪い人ではないように思える。
 だが、どうしても、何かが気になる。
 たとえば、あの紋章のこと。
 フェグダのメダルには、確かに二対の翼が刻まれていた。
 そして、カリムの持ち物には三対の翼と向かい合う月。イリィがフェグダからもらったペンダントヘッドの図柄と似た、けれどずっと精緻なで綺麗な”災厄の天使”の紋章が。
 昨日、カリムはあの紋章入りの品々をどうしたか?
 無造作に、いや、むしろ不要な物であるかのように、砂中に投げ落とし、隠したのではなかったか?
 そして村長に対しては、逃避行の最中であること、誰にも喋らずにいてほしいことを告げたのではなかったか?
”災厄の天使”。それは、カリムのことなのだろうか?
 初めて会った時、彼に翼が無いことの方が不思議だと思った。
 でも、本当にそんなことがあるのだろうか?
「私、カリムのことも、アシェルのことも、何も知らない・・・・・・」
 けれど、二人が何者であっても、どんな事情を抱えていても、イリィにとってはもう、大事な存在だ。
 彼らのためにならないことは、したくない。

 確かにフェグダは、悪い人ではないと思う。
 けれど、誰に対してもそうなのかは、残念ながら判らない。
 イリィを遠巻きにする村人たちにしたって、決して悪い人たちではなのだから。

 時を同じくして村を訪れた、よく似た印を持つ両者が、全くの無関係ということは在り得るのだろうか?
 これが取り越し苦労なら、それはそれで構わない。
 ただ、カリムやアシェルの了解なしに、正体の解らない者を案内するわけにはいかないと思う。
 フェグダの来訪を事前に告げることは、きっとカリムとアシェルのためになるはずだ。
 だから、一刻も早く!
 焦る心のままに、イリィは坂道を駆け上がった。



 息せき切って遺跡に辿り着いたイリィは、壁の前で一度、大きく息をつく。
 二人は中にいるだろうか?
 あんな態度を取ったイリィのことを、怒ってはいないだろうか?
 怖気そうになる自分を叱咤して、イリィは壁の破れ目に手をかけた。
「あの、ア・・・・・・」
 からり。
 イリィが呼びかけようとしたのと同時に、背後で小石が滑るような音が響いて。
「あ、マズ・・・・・・」
 次いで、慌てたような声が小さく聞こえた。
「・・・・・・!?」
 驚いて振り返ったイリィの前に、
「あ、ごめん。脅かすつもりじゃなかったんだけどね、ホントに」
 片手で頭をかきかき、照れ笑いで姿を現したのは、ついさっき別れて来たばかりの青年だった。
「フェグダさん、どうして・・・・・・!?」
「いやー、イリィちゃん、何か深刻なカオしてたからさー、やっぱちょっと気になって、つい」
「あ、あの! 酷いじゃないですか! 黙って後をつけるなんて!」
「そりゃあ、後をつける時に大騒ぎするヤツはいないって」
 もちろん、そういうことを問題にしているのではない。
 悪びれた様子もなく、はっはっはーと笑ってから、フェグダはふっと真顔になった。
「でもそっかー。何かあるんじゃなくて、誰かいるんだねー」
「フェグダさん!」
「てかさ、大きい声出せば、中のヤツが逃げられるって思ってる? それはちょーっと甘いんだなー」
 ここでフェグダはニヤリと笑う。
「まあ見てなよ」
「!」
 その瞬間、スウッと、空気の色が変わったような気がした。
 フェグダを中心にして、不可視の光が周囲に放たれ、何もかもを突き抜けて進んでいく、そんな幻覚にも似た不思議な感覚。
 その光はイリィの身体にもぶつかって、パチッと弾けて火花を散らす。
「なに、これ!?」
「あ!?」
 不可視のはずの羽根の光が見えているかのようなイリィの過剰反応に、一瞬フェグダは気を取られた。

 その刹那。
 フェグダの目の前で、鳥が大きく翼を広げた。
「!!?」
 それが幻覚などではなく、翻った長い髪なのだと気付いた時には、フェグダの身体は前のめりに傾いでいた。腹に重い衝撃。せりあがる苦い胃液。ぼやける視界。
 だが、気を失い倒れるより先に、今度は右腕をぐいと後ろにひねり上げられ、とどめに背中に一撃を食らったのと、地面に腹ばいに押し付けられたのが同時だった。
 飛びそうになった意識が、無理やり引っ張り戻される。
「他愛のない」
 ふ、ともらされた、少年の声。馬鹿にすらすることもなく、ただ単に感想を口にしただけのような、短い言葉。
「・・・・・・ぶざけろよ・・・・・・馬鹿にする価値もないってか!」
 ただ声を出すだけのことに、かなりの努力が必要だった。しかも自分のものとは思えないほど、ひどくざらざらした声が出た。
 激しい痛みと苦痛。
 だがそれよりも、侮られたという怒りが先に立った。
 ぎりりと歯を食いしばって頭を持ち上げると、フェグダは自分の背中を踏みつけにしながら腕をねじり上げている者の顔を何とか視界の端に捉えた。
「!?」
 端正な白い面に、冷たい氷そのもののような蒼い眼差し。
 五年前のあの日。遠目ではあったが、その一瞬に目に焼きついたものと、寸分違わぬ同じ顔。
「・・・・・・災厄・・・・・・双月の天使!?」
 フェグダを見下ろす少年の瞳が、剣呑な光を帯びた。

-15-
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