小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第17話 凝る瘴気 



「あの・・・・・・ごめんなさい!」
 村に続く坂道を半分ほど駆け下ったあたりで。
 ふと足を緩めたイリィは、先導するように先を飛ぶアシェルの背に向かって、思いつめたような一言を口にした。
「私、あんなことになるなんて、全然思わなくて・・・・・・」
 素性も知れない者を案内するつもりなどなかったし、人の良さそうに見えた旅人が、あんな訳の判らない力を持っていようとは思いもしなかった。
 アシェルとカリムに迷惑をかけるつもりなど、本当になかったのだ。
「・・・・・・本当に、ごめんなさい・・・・・・」
 行き過ぎてしまった分を戻ったアシェルは、うつむくイリィの顔を、覗き込むように見上げると。
「大丈夫、怒ってないよ。カリムもボクも」
「でも・・・」
「あれはイリィのせいじゃないし、ボクもカリムもちゃんと解ってるよ。イリィはボク達に、危険だよって報せに来てくれたんだってこと。でしょ?」
 言い含めるようにゆっくりと語りかけながら、アシェルは柔らかく笑ってみせる。
「それにカリムだったら大丈夫! さっきも言ったけど、カリムはああ見えて結構頼りになるんだから!」
 話がカリムのこととなった途端、アシェルは自慢げに胸を張る。
「だからもう気にしないの。ね?」
「うん・・・・・・本当に、ごめんなさい」
「はい。よしよし」
 アシェルはイリィの目線よりも少し高く浮かび上がると、お姉さんが小さい子にするように、そっと頭に手を乗せた。
 と、イリィの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「あ、これは、違・・・・・・」
 慌てて目を擦ろうとするイリィの手を、アシェルがそっと押しとどめる。
「すっごく怖かったよね。解るよ。それでもイリィはとってもとってもがんばったんだもんね。だから、いいんだよ。思いっ切り泣いちゃっても」
「うん・・・・・・」
 小さくうなづいたイリィは、素直に両手で顔を覆った。細い肩が、静かに震える。
 そんなイリィの頭を、アシェルは優しく撫で続けた。
(ボクの方こそ、ごめん・・・・・・)
 ややあって、顔を伏せたままのイリィの耳に届いた微かな声は、何故かそんな風に聞こえた気がした。



「おい、何だよこれは!?」
 あれほど快晴だった空どころか、すぐ近くにあるはずの潅木や岩すら見えなくなるほど濃く暗く立ち込めた霧に、フェグダは狼狽を隠さない。
「見て解らないか」
 対する少年の落ち着きようは、腹立たしくも憎たらしい。
「アレが大量の瘴気だってこた判る! 俺が言ってんのはそんなんじゃねー!」
 反射的に怒鳴り返してから、ハッと大きく目を見開く。ノンビリしている場合ではなかった。
 そろりと周囲を伺ったフェグダは、すぐ近くに放り出されたままになっていた自分の荷物を引っ掴むや、瘴気の薄そうな方へ向かって脱兎の如く駆け出した。
 そのまま逃走を決め込むつもりらしい。
 だが、さほど待つことなく。だだだーっと騒々しい足音が大きくなったと思いきや、羽虫の大群のような瘴気を引き連れたフェグダが、今度は右から左へと素晴らしい速さで駆け抜けて行った。
 そしてやはり、大して間を置かず。
「・・・・・・なんで、俺にばっか、ついて来んだ、よ・・・・・・!」
 ぜーぜーぜーと肩で大きく息をつきながら、駆け戻ってきたフェグダが、恨みがましく吐き捨てた。
「言ってもいいのか?」
「ンだと・・・・・・!?」
 意味ありげなニュアンスに、フェグダの眉がつり上がる。
 それは、意訳すると「俺に聞くってことは、解って当たり前のことが自分には解りませんでしたと宣言するようなものだぞ? そうと認めるなら、仕方がない、面倒だが説明してやってもいいぞ」ということだ。
 当然、素直に「お願いします」とは言えない。間違っても言いたくない。が・・・・・・意地を張っている場合ではないわけで・・・・・・。
 だが、葛藤するフェグダの返答を待たず、少年はゆっくりと口を開く。
「フェグダ・ノル。現地駐留部隊所属の二対翼」
「な!」
 二対翼とは、天軍の天使の中でも、正真正銘羽根使いだけに許される印だ。
 いきなり不意打ち的に、名乗ったはずもない本名と所属を言い当てられて、フェグダの顔には一瞬、ジェスチャーではない動揺が走った。
 と、そいつはコイントスよろしく、光るものを弾いて寄越す。
 綺麗な放物線を描いて落ちてきたそれは、天軍の証である紋章入りのメダルだった。裏には凝った飾り文字で、フェグダの名と所属と経歴が記載されている。
「い、いつの間に!」
 いや、それは聞くまでもない。
 出会い頭に一撃を食らった時の、ドサクサでに決まっている。
「お前、村の入り口で呪法結界に触っただろう」
「あ!?」
 そう言えば、村に入ろうとしたあの時、何の前触れもなく、メダルの鎖が切れたのだった。
「嘘だろ・・・あれがトラップだったってのかよ!」
 村や街の境界に、悪霊(魔物や泥棒、疫病に犯罪者など、災厄の一切合切を含む)避けの呪いを施してあることなど珍しくも何ともないが、羽根使いにも有効なほど強力な呪いがかけられているなど、一体誰が予測できるのか。
「て、ことはつまり・・・・・・」
「瘴気が狙うのは、トラップに掛かったマヌケだけだ」
「ンだとこの!」
 言い返したいところだが、この場面では何を言っても負け惜しみにしかならない。
「・・・・・・それで、どーすりゃコレを解除できる?」
 不本意ですという気持ちをこれでもかと込めて、フェグダはその質問を口にする。
「でなければ、呪を成就させてやるか」
「呪を成就だ・・・・・・?」
 普通は解除する方向で考えるものだが、何百何千通りもある術の本質を見極め正確に対処しなければならないので、多大な手間と労力が必要となる。
 だが、さらりとした口調とは裏腹に、そこには物騒な響きが感じ取れる。
「だから、”ケガをさせる”のが目的の呪なら、お前がちょっとケガしてみせれば、満足して消えるかもな」
「かも? てか、ちょっと待て! ケガどころじゃ済まなかったらどーすんだよ!」
 と言うか、済まない可能性の方が圧倒的に高い気がする。
「だったら、あれを全部消し飛ばすか、追って来なくなるまでどこまでも走って逃げるか、飽きて離れるまで防御に徹してとことん耐え忍ぶか。俺としては、走って逃げることを勧めるな」
「えらく行き当たりばったりな・・・・・・つまり、お前、具体的な対処方を知ってるワケじゃ・・・・・・?」
「さあ?」
 完全に他人事モードの少年の応えに、フェグダはげっそりとうなだれる。
 そうしている間にも、瘴気はどんどん濃度を増していき、フェグダの羽根の防壁に触れた部分が爆ぜて不可視の火花を散らす。
「・・・・・・ったく、とんだ災難だ。こんなの引き連れて村行った日にゃー、カワイイ子の出迎えどころか、ごちそうにだってありつけやしねー。仕方ねーから相手してやるよ!」
 残念ながら、フェグダの説明台詞にすかさずツッコミを入れてやるほど、少年は親切ではなかった。

「っと! この野郎! ちょっとは仲良く団体で来やがれっ!」
 瘴気と格闘すること暫し。
 フェグダはすでに、威勢良く宣言してしまったことを後悔していた。
 どんどん濃度を増していって形を取るかに見えた瘴気は、実際にはそれ以上凝ることはなく、ただ幾重にも周りを取り囲んでいる。
 いや、それだけでも下手に触れれば皮膚など簡単に溶け落ちてしまいかねないのだから、十分厄介ではあるのだが、羽根の防御結界をまとっているフェグダにとっては大した脅威にはならない。
 その反面、短刀を振り回してのフェグダの攻撃も、羽虫の大群に徒手空拳で挑むようなもので、これまた大した有効打になっていない。
「こんなんじゃ、キリがねえ!」
 だが、苛立ちの息を吐き出した瞬間、霧の中から延びた獣のように太く長い腕が、フェグダ目掛けて掴みかかった。
「おわっ!」
 鎌を並べたように凶悪な鉤爪にかけられそうになりながら、フェグダは咄嗟に短刀をかざしてその一撃を受け流すと、すかさず抜き放ったもう一本の短刀で、爪の付け根辺りをスパリと一刀両断する。
 退魔法印を施された刀身が白炎のきらめきを放ち、じゅわりと音を立てて、腕の形を成していた瘴気の一部が蒸発して消える。
「何なんだ一体!」
 短刀を握った両手を胸の前で交差させて構えながら、思わず悪態をつく。と、今度は左後方の瘴気が凝ったかと思うや、再び獣の腕と化して襲い掛かった。
 横っ飛びにかわしざま振るった短刀が、獣の手首を切り落とす。効率は悪いが、霧のままでいられるよりは、攻撃が届きやすい分少しはマシか。
 と、蒸発する瘴気に気を取られたフェグダに向かって、手首を失った腕が勢いもそのままに突進し、咄嗟に地面に身を投げたフェグダの真上を掠め過ぎた。
「っぶねー・・・っと!」
 すぐに跳ね起きたフェグダの眼前で、新たに繰り出された腕が地面にめり込むように潰れて四散した。地面を覆っていた下草がしなびて茶色く変色し、歪な円形の痕が残る。
「おい、お前!」
 いきなり声をかけられたフェグダは、一瞬、注意を少年に向ける。
「危ないぞ」
「!」
 あらぬ方向から襲い掛かった腕に対して、ほんの僅か、フェグダの反応が遅れた。
 奇妙に捩れ曲がって伸びた腕が、振り上げられた短刀を掻い潜るや、フェグダの腹に食らい込む。と、見えた瞬間。
 ぐわっ!
 盛大な火花を散らして、腕を形作っていた瘴気の塊は、拡散する暇もなく根元近くまで一気に爆発消滅する。
 思いの他派手な反撃に、爆ぜ残った瘴気は気持ち、フェグダから距離を開けた。
「なるほどな」
 終始高みの見物を決め込んでいた少年は、口にした台詞以上に素っ気ない顔で、ほんの少しだけ目を細める。
「何が、なるほど、だっ! わざとだろ今のっ!」
「要領悪っ・・・」
 全く悪びれもせず呟かれた声に露骨なやれやれ感を読み取ったフェグダは、全力疾走直後なみに息を弾ませながらも、くわっと大きく牙を剥いた。

(攻撃型の障壁とはな)
 羽根を武器化せずに短刀を振るっていたことからして、防御系が得意なのだろうとは思ったが。
 障壁を発現させている限り、魔道の攻撃は青年には届かない。それどころか、攻撃してきた相手の力をごっそり浄化消滅させるほどの強い力。それは、他者の羽根による攻撃に対しても、十分に有効なのだろう。
 だが、そういうことなら、先刻の青年の行動にも納得がいく。
 いくらイリィに気付かれた後だとはいえ、遺跡の中に潜むだろう者に対して、波動を放って探索をかけるという無謀かつ大胆な行為は、そうそう出来るものではない。
 なにしろ青年がやったことは、みすみす自分の存在を喧伝するのみならず、彼我の力量を意に介さず「オレはお前より全然強いんだぜ」と、相手を挑発する行為なのだから。
 それが、魔道の能力を持つ者にだけに認識可能な波動でもって、相手に反撃させることこそが目的だったとすれば。青年の狙いは、魔道攻撃を無効化することで相手に生じる隙をつくことだ。
その戦法に対して、それなりに場数を踏んでいて、大概のことには対処出来る自信も、度胸もあったということだ。
(怖いもの知らずには違いないが)
 少なくとも、魔道的知覚の持ち主が、あえて体術で反撃してくることくらいは、予想して然るべきだろう。単にカリムが、青年の予想を上回っただけなのかも知れないが。
 それに、障壁の能力が万能でないこともまた、確かだ。
 何よりも、障壁が羽根の力によるものである以上、消耗は避けられない。青年の戦法は、速攻で勝ちを決めることにこそ意義がある。
 今、この瞬間も。霧状の瘴気に対して、このまま打開策なしに強い発現を続ければ、時間が経つにつれて青年が不利になっていく。
 瘴気は、未だ諦める素振りを見せない。

(それも、不可解なことだよな)
 魔の気の色濃い瘴気に、カリムは鋭い目を向ける。
 青年が触れた呪術結界は、村の境界に沿って施されていたものだ。
 仮にも羽根使いが、何の危機感もなくスルーしたくらいだから、結界自体は比較的ありふれたもので、おそらく村に出入りする存在を認識する程度の代物なのだろう。
 だが結界に触れてマークされた青年は、イリィに話しかけるのみならず、激しく怒らせたり恐怖させたりしたことで、呪者に敵と認識された。そして、イリィが青年から離れることで、呪の発動条件を完全に満たした。
 村人に対しては不幸の呪い程度でしかなかった呪が、これほど張り切って力を発動させているとは、イリィに対する態度のためか、単に羽根使いであることが影響したのか。
 だがカリムから見れば、最強の退魔法具とされる羽根が必要なほど、この呪は強力なものではない。
 つまり、クセの強い能力を持つ青年の羽根が、たまたま苦手とする状況だからこそ、力が均衡しているように見えるのであって、彼がもう少し真面目に攻撃系の技を習得していたなら、あるいはカリムが指摘したようにとっとと逃げを決め込んでさえいれば、これほど苦戦する必要はなかっただろう。
 これが呪者の限界であるのなら、羽根使いなど無視して、村を出て行くまで息を潜めているべきだった。
 これでは、”塔”に敵対する術者が存在することを、自らバラしているようなものだ。
(その程度の分別も持てないほど、あの娘に執着しているということか。それとも、そうと見せかけて・・・?)
 この期に及んでも、村や付近に、魔物や魔道師などの気配は読み取れない。
 番犬代わりに術を仕込んで、本人は不在である、というオチなら良いのだが。
 とにかく、呪者の正体を見極める必要がある。それも早急に。
 先に行かせたアシェルのことも気がかりだ。

 少なくとも、ここでこれ以上粘ってみたところで、更なる状況の変化は期待出来そうにない。
 おもむろに、カリムは腕を持ち上げた。フェグダに狙いを定めるように、真っ直ぐに。

(ああもう! 何やってんですか君はっ!)
 声がかかるのと同時に、カリムの全身を、覚えのある浮遊感が包み込んだ。



 ゆらめく水面をはさんだ向こうで、瘴気の腕を横っ飛びに避けようとする青年の動きが、コマ落としのようにゆっくりとしたものに変わる。
 しかもその水面は、カリムと青年との間に垂直な壁のように存在する。その壁面に沿って視線を落とせば、そこには遺跡を中心に砂地と草地を区切る境界線があった。
 水中を漂うような感覚を覚えながらも、周りに水は存在せず、身体は遺跡の壁に腰掛けたまま微動だにしていない。
(出やがったか)
 視線だけを動かした先で、先刻の声の主は、緊張感のないヘラヘラ笑いを浮かべて立っていた。
 その足下に、地面はない。
(あれ? あまり驚いてくれませんね。あ! もしかして僕が止めに入るの、期待してました?)
(まさか。”ただの力の器”に、まだ用があるとは驚きだ)
(嫌だなあ。今朝のこと、ネに持ってるんですか?)
 プイとカリムはそっぽを向く。
(全く、余計なことをしてくれる)
(君が彼を攻撃しようとしたからですよ)
(単に足止めしようとしただけだ)
(どうせ彼を囮にして、今の内にアシェルさんのところに行くつもりだったんでしょ。そんな軽はずみなことして、彼の羽根が暴走したらどうするつもりですか)
(お前が心配しなくとも、奴のあの能力なら、暴走したところで大した影響は出ないはずだ)
 当の本人以外には。
(・・・・・・っとに、情け容赦ありませんね)
(俺には瘴気などより、羽根使いの方がよほど厄介だからな)
(これは任務じゃないんですよ? そんなに頑なにならなくても・・・)
(お前こそ、無駄口を叩きに出て来たのか? だったらアシェルのところにでも行けばいいだろ)
(全くです。僕だって好き好んで君のところに来たりなんかしません。だけど残念なことに、本当に本っ当に残念な事に。アシェルさんとはうまく道が繋がらなかったんだから、仕方ありません。あーあ、よりによってこーんな無愛想なのしか話し相手にならないなんて、僕は本当にツイてない・・・)
(それは全く同意見だ)
(おや、気が合いました? 実は僕たち結構・・・)
(ざけんな。こんな問答に意味があるとは思えない)
 カリムはピシャリと、相手を遮る。
”あの馬鹿”と同じ顔。同じ声。同じような喋り方。無性に苛立ちを覚えるヘラヘラ笑い。
 だが、こいつは”あの馬鹿”ではない。
(それもそうですね。君はとっくに、僕の正体を知っているんだから)
 特に気を悪くするでもなく、そいつはあっさりうなづいた。

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