小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第3話 遭遇



 その少年の声は、ここが音の響き易いホールだということを割り引いても、心地よいテナーでイリィの耳を打った。
 だが内容の方に意識を向ければ、それは悪態以外の何物でもない。
 しかも内容云々以前に、イリィの知っている声ではない。

 どちらからともなく手に手を取ったイリィとジーロが、恐る恐る声のした方に首を巡らせると。
 もうもうと舞い上がる砂煙の向こうに、頭を振りつつゆっくり起き上がろうとする人影が見えた。

 それは、何とも幻想的な光景だった。
 ゆっくりと砂煙が晴れていき、その人物の姿がだんだんと鮮明になっていく。
 頭上で一つに束ねられた淡い色の長い髪に、決して闇に染まらぬような白磁色の肌。
 整った横顔に、少し伏せられた切れ長の目。
 細身の身体を覆う、袖の無い緋色の長衣は、見たこともない異国のものだ。
 年は、イリィよりも少し上の16、7歳くらいだろうか。

「ん・・・・・・ここ、どこ?」
 そしてまた、聞こえた声。
 だが今度は、もっと高い声だ。
 小さな男の子っぽくもあり、同時に女の子っぽくもありながら、幼子特有の舌足らずさなど微塵も含まない不思議な感じのその声は、イリィの聞き間違いでなければ、少年とほとんど同じ位置から発せられた。
 でも、そこに人影は一つきり・・・・・・いや、違った。
 少年の腕に庇われるような格好で、小さな子供がうずくまっている。
 ところが良く見れば、腕の中から頭を上げたその子供は、異国の少年以上に不思議な姿をしていた。
 なにしろ、身長は2歳の幼児くらいなのに、その体型は10歳前後の子供のようだ。
 クセのある赤い髪の間に覗く、大きくて尖った耳。そして背中には、金属のような光沢を持った、一対の翼。
(もしかして、妖精さん!?)

 あまりの事態にただぼーっと突っ立っているイリィに、顔を上げた少年が、真っ直ぐな視線を向けた。
 鋭い光を湛えた、深く蒼い瞳。
 儚くさえ見えるような細身の身体が、その瞬間、言い知れぬ存在感を放つ。
 目を、逸らせない。
 イリィの傍らで、ジーロがジリジリと後ずさる気配がする。
 だが、足が竦んでしまったイリィは、全く一歩も動けない。
 そんなイリィに向かって、少年がおもむろに口を開く。
「お前、天使か?」
「・・・・・・・・・はい?」
 その瞬間、イリィは本気で面食らった。
 聞き間違いでなければ”天使か”とか、何とか・・・・・・。
「違うのか?」
 訝しげに問われて、イリィはようやく、ぶんぶんぶんと勢い良く首を振って否定する。
(何言っているんだろう、彼は?)
 どこをどう繕ったって、イリィは田舎娘以外の何者でもない。
 確かに、銀色の髪と紫の瞳という取り合わせは、この近辺では珍しいが、それ以外はいたって何の変哲もないし、取り柄もない。
 だからそれは、イリィが受ける質問ではないはずだ、絶対に。
 天使というなら、そう、精一杯努力して着飾った少女達よりずっっと綺麗なこの少年の方が、よほど天使のようではないか。
 背中に白い翼を隠していないとしたら、その方が驚きなくらいだ。
 赤い髪の妖精さんを連れていることといい、”おとぎの国から来ました”と言われたって、絶対素直に信じると思う。
 というか、それ以外どうやって、彼がここにこうしている説明がつくのだろう?
 何しろイリィとジーロが居たのはホールの入り口側、少年が居るのは舞台を挟んだ奥側だ。
 正面以外の入り口が塞がっていて使えないのは判っているから、彼らが普通に歩いてここに来た、なんてことは有り得ない。

「ああもう、いきなり脅かしてどうするのさ! 相手は女の子だってのに!」
 妙に緊張した空気を破ったのは、赤い髪の妖精さんだった。
 妖精さんはするりと彼の腕を抜けると、ふんわり優雅な軌跡を描いて、イリィの目の前に飛んできた。
 翼があるのだから飛ぶのは当然なのだろうが、その翼を鳥のように羽ばたかせたかというと、そんなこともなく、しかも不思議な金属色をした翼は妖精さんの背中から生えているのではなく、背中近くの空間にぷかぷか浮かんでいるだけだった!
「こんにちは」
 完全に及び腰のイリィに向かって、妖精さんはくりくりした緑の瞳で、人懐っこく笑ってみせた。
 妖精さんも整った顔立ちではあるけれど、その笑顔は愛嬌があって、少年よりも格段に親しみやすい感じがする。
「ボクはアシェル。で、あっちの目つき悪くて無愛想なのがカリム。キミは?」
「あ、イリィ。イリーナ・・・・・・!」
 反射的に答えてしまった後で、”しまった”と思うが、もう遅い。
”妖精に不用意に名前を告げてはいけない”というのは、おとぎ話では常識中の常識なのに!
「そう、イリィっていうの。可愛い名前だね」
 その笑顔に、悪意があるようには見えなくても。
「で、一緒にいた小さい子は?」
「え、ええと・・・さあ・・・?」
 ジーロの名前を出すのは、さすがに思いとどまった。
 そして目だけ動かして見回せば、ジーロの姿はホールのどこにもなくなっている。要領よく逃げ出すのに成功したようだ。
(良かった・・・)
 自分一人なら、何かあったとしても、まだ気が楽だ。
「ふーん? まあ、いいけど」
 一瞬思案するように入り口の方に目をやってから、妖精さんは再びイリィに瞳を向ける。
「ねえ、よかったらちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
「あ、はい・・・」
 またしても反射的にうなずいてから、”忙しいのゴメンね”と逃げ出してしまえば良かったのではないかと考える。
 自分で自覚している以上に、パニック状態なのかも知れない。
 だが”言ったことが嘘だと知れたら酷い目にあわされる”というのもまた、常識中の常識なわけで。
 イリィが心中オタオタし通しなのを知ってか知らずか、妖精さんはニコニコしたまま可愛く首を傾げると。
「ああ、良かった! 忙しいって言われたら、どうやって説得しようかって思っちゃった!」
 胸元に持って来た両手の指を、何だか難しい形に組んで・・・というそれはもしかして”何かの術を使っちゃうよ”の意思表示だったりするのでは!?
「・・・お前だって、人の事言えないだろ」
 そっぽを向いた少年が、あきれたようにぼそりと呟く。
 何気なく少年に目を移したイリィは、またドキリとして目を見開く。
 ただし、妖精さんに脅かされたのとは違う意味で。

 少年の纏う、足首ほども丈のある濃い緋色の上衣には、斜めに強い力で引き裂かれたような無残な傷がいくつも走っていた。
 だが、どんな大きな獣だったら、こんな爪跡をつけられるのだろう。
 山の稜線の迫るこの村でも、そんな大きな獣が出るなど、今まで聞いたことがない。
 でもそれ以前に。
(どうしよう、怪我とかしてるんじゃ・・・!?)
 少年を凝視するイリィの前に、すっと妖精さんが割って入った。
 ひらりとした緑のチュニックが、イリィの鼻先に触れそうな近さだ。
「ねえ、ボクの話聞いてる?」
 無視されて思いっきり気分を害した、と言いたげな顔だ。
「あの、でも、彼・・・怪我・・・」
 妖精さんの機嫌が気にならないわけではないが、やはり優先順位としては、怪我人の手当てが先だろう。
(薬とか、布とか・・・でもそんなのここにあるわけ無いし、家まで取りに戻って、それから・・・)
「ああ、あれだったら、いーのいーの!」
 イリィが何を考えているのか察したらしい妖精さんは、チラリと少年を振り返ってから、パタパタと手を振る。
「俺がどうしたって?」
 少年はいかにも面倒くさそうに立ち上がると、バタバタと乱暴かつ盛大に、服に付いた砂を払い落とした。
 それはどう見ても、怪我人の挙動ではない。
 ね? と妖精さんが振り向いて笑う。
 イリィはほっとすると同時に、それならそれで、どうしてそんなにズタボロなのか、聞いてみたい衝動に駆られる。
 異国風の重厚な衣装といい、腕や髪を飾る高価そうな装身具といい、破損したり汚れたりしていなければ、かなり立派な身なりのはずだ。
 本当に、王子様なのか、騎士様なのか。
 それにくどいようだが、どうして妖精さんと一緒なのか。
 一体どこから、どうやって来たのか。
 ここに。
 他の誰でもない、イリィの目の前に。

「ねえ、イリィ」
 いつの間にか、好奇心の塊になっているイリィの袖を、妖精さんが横からつんと引っ張る。
 明るい雰囲気から一転、妙に深刻な面持ちで。
「ちょっとこっち」
「え、何?」
 何だか逆らい難い雰囲気だ。
 戸惑うイリィに有無を言わせず、袖を掴んだままホールの壁際まで引っ張って行くと、妖精さんはひそりと耳元に口を寄せた。
「一目ぼれ?」
「は?」
「は、じゃないの! さっきからずっとカリムのこと見てるでしょ。キニナル?」
「まさかっ!」
「あ、耳まで赤い」
 え、と思わず両耳に手をやったイリィに、妖精さんは”ほら見ろ”とばかりにジト目を向ける。
「・・・・・・だって、ほら、イキナリ妖精さん連れた異国の男の子が現れたら、フツー驚くに決まってるでしょ!」
「んーまーソレもそっか・・・・・・」
「でしょ! それに、見た途端に好きになるなんて、そんなお話みたいなコトあるわけ・・・」
「それは違う!」
 その途端、最後まで言わせずに妖精さんは、イリィの鼻先にビシッと、小さな人差し指を突きつけた。
「いーい? 人を好きになるのに、時間とか理由とか言い訳とか、そんなの一切関係ないの! どんなにどんなにどんなにどんなにっ好きにならない理由がいっぱいあってもっ、好きになったらそんなの全部ぜーんぶすっ飛んでっちゃうもんなのっ!」
「そ、そう・・・」
「だけど!! カリムはボクのだから! イリィがどんなに好きになってもムダなんだからね!」
 その瞬間、小さいはずの妖精さんがどーんと巨大化して見えたのは・・・果たして目の錯覚だろうか。
 こくこくこく。
 何を宣言されたのか考えるより先に、迫力に気圧された身体が勝手に頷いている。
「ん、よろしい。くれぐれも心するように」
 満足げに腕を組むと、妖精さんは重々しくのたまった。
 解放されたイリィが、深い深い息をつく。
 なるほど、ホールの隅に誘われた理由は判ったが、何と言うか、これでは当の本人に丸聞こえなのではないだろうか。
 妖精さんも、はたとそれに気付いたようで、心持ち探るように少年の方を振り返る。
 が、少年はと言えば、二人の会話に全く興味ナシといった風情で、舞台の上で柱を背もたれ代わりにして完全にくつろいでいる。
 ホッとしたような、拍子抜けしたような・・・。
 何気なく互いに目を戻したイリィと妖精さんの二人は、どちらからともなく笑い合う。

「・・・あの、聞いてもいい?」
「何?」
 言いたいことを言い終えて満足したからか、妖精さんが思いのほか素直に返事をしてくれたので。
「あなたたち、どうやってここに来たの?」
 イリィはようやく、本当にようやく、聞きたくてウズウズし通しだったことを口にした。
「それがねえ、よく判んないんだよね」
「判らない、の?」
 はぐらかされたのかと思ったが、妖精さんは本当に困惑顔だった。
「何かね、気がついたらどこか遠くから綺麗な子守唄が聞こえてきて、それが急に近くなったと思ったら、ここにポーイって投げ出されてたんだよね」
「歌! 聴いてたの? やだどーしよっ! ハズカシっ!」
「・・・何、引っかかるとこ、そこなんだ?」
「その、だって私、ジーロ以外の誰かに歌聴かれたのって実は初めてで・・・」
「ええ? 何で? あんなに綺麗な声してるのに?」
 綺麗かどうかはさて置いて。
「・・・私・・・ここでしか歌えないから・・・」
「歌え、ないの? 歌わないのじゃなくて?」
「うん、そう。ここ以外で歌おうとすると、声が全然出なくなるの」
 言って信じてもらえるかは判らないが、本当なのだから仕方がない。
「明後日なんて春分のお祭りで、村のみんなは準備とか歌の練習とかで忙しいのに、私一人こんなだから・・・」
「あーそれで、ここで歌ってたわけか。春分のお祭りっていうと、歌って踊って恋人にコクハクしちゃったりなんかする・・・?」
 他にも豊作祈願など色々と重要ポイントはあるのだが、イリィのような少年少女年代に重要な部分は、正にそこのところだ。
「まあ、歌ナシでも、イリィみたいに可愛かったら問題ない気もするんだけどなー」
は?
「何ビックリ顔してんのさ? 綺麗な髪だねーとか、神秘的な瞳だねーとか、そーゆうキメ文句、よく言われるでしょ?」
「・・・・・・珍しい、とは言われるけど」
 ほめ言葉なんてとんでもない。
 紫色の瞳なんか、変えられるものなら変えてしまいたいし、みんなと全く違う銀色の髪なんて、村の慣わしだから仕方なく伸ばしてお下げにしているだけで、出来ることならバッサリ切ってしまいたい。
 なんてコトを考えていたら、げんなりした気分になってきた。
 だがそれを妖精さんや少年に言ったところで、理解してもらえるかどうか分からない。
 二人のような色彩も、この辺りでは珍しいが、異国人なのだろうから当たり前だ。
(・・・だったらこの二人には、私の見た目なんか、珍しくも何ともない、のかな?)
 考え込むイリィをよそに”えー、こんなに可愛い子前にして、見る目ないなーこの辺りの連中ー”とか何とかひとしきり呟いてから、妖精さんは目を輝かせながら振り向いた。
「あ、じゃあさ、好きな人連れてここ来ればいいんじゃない?」
 またも、無邪気な質問が襲ってくる。
 そもそも好きな人ってのがいない、と言ったらまた要らぬツッコミを受けそうだし。
「・・・それがダメで。ここ、一応神聖な禁域ってことになってて、本当は来ちゃいけないって言われてるし、それに”天使が飛び去りし地”って伝説があって、好きな人と来たら別れることになるってジンクスもあって、それから・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」
 妖精さんが、下を向いて黙り込んでいる。
「・・・・・・あ!」
 その理由に思い当たって、イリィは思わず硬直した。
(どうしよう・・・何かフォローは・・・)
 ところが妖精さんは、なかなか不屈な精神の持ち主だった。
「・・・・・・大丈夫! ボクとカリムの仲は、そんなちっぽけなジンクスくらいで引き裂かれたりなんかしないんだからっっっ!」
 がばっと天井を見上げて、握りこぶしで宣言する。
「そっ、そうだよねっ!」
「もちろん!」
「あははははは・・・・・・」
 またしても、顔を見合わせて笑ってしまう。

 こんな他愛ない話で誰かと盛り上がるのは、イリィにはとても久しぶりなことだ。
 何だか、親友が戻って来たみたいに錯角してしまいそうになる。
「はー、まー、ソレなら確かに、あんまし来たいトコじゃないってのは、分かったけど」
 妖精さんは、思い出したように少年の方を振り返る。
「じゃあ、アレ、何だと思う?」
(え、アレって何・・・?)
「4、5人ってところだな」
 急に話を振られたのにも関わらず、少年は至極当たり前の事を答えるように、あっさりと応じた。
 だが、その答えを聞いて、イリィはある可能性に思い当たる。
「あの、それって、まさか?」
「うん、さっきイリィと一緒にいた子、ジーロって言ったけ? きっと大人に報せて連れて来たんだね。よそ者が来たぞーっ、とか何とか?」
 そして妖精さんは、イリィの顔をじっと見た。
「さあ、どーしよっか?」

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