小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第24話 望むもの、望まれるもの



 ねえ、イリィ。
 どうして世界は、こんなにも簡単に壊れてしまうんだろうね。

 白一色に覆い尽くされたあの離宮で。
 全てが偽りだったと知ったあの日、目の前の世界は一変した。
 それでもたった一人だけは、ボクを理解ってくれるはずだと。
 でも、そのたった一人ですら、ボクを裏切り去って行った。
『・・・・・・必ず行くから・・・・・・やらなきゃならないことをやり終えたら、その時は、絶対に、お前の所に行くから・・・・・・』
 その声は、微かで、途切れ途切れで、ボクの内の結晶が砕け散る音に重なって、小さく消えていった。
 何だよ、それ。
 そんなの、信じられるわけないじゃない。
 ボクよりも大切なものがあるんでしょ。
 そのためだったら、何だって出来るんでしょ。
 だったら、キミがボクの所に戻って来るなんて、あるはずがないじゃない。
 彼ですら、私の所に戻って来ることはなかったのに。
 なのに、ボクはどうして、こんな冥い闇の中で、淋しい夢を見続けているんだろう・・・・・・。



「アシェル、大丈夫かアシェル!」
 揺すぶられる感覚と同時に、繰り返し呼ばれる、ボクの名前。
「カリム遅いっ! って、あれ? 何でキミがここにいるの?」
 カリムの腕の中で覚ましたアシェルは、思わず怒鳴りつけてしまってから、キョトンと首を傾げた。
だって、カリムがこんな所にいるはずがない。
 魔物の眼を持たないカリムが、結界の外からアシェルやイリィの危機を知る術など無かったはずだから。
 村を覆う結界は、本来そのためのものなのなのだ。
「さて、どう答えたものかな? この期に及んで、俺のことを呼びもしなかった薄情なヤツに?」
「ううう・・・・・それはその、色々とワケが・・・・・・」
 上目づかいに見上げると、いつもの悪戯っぽい瞳が見下ろしている。
 意地悪っぽい口調なのに、全然そうは聞こえないから不思議。
 悪態をつくことで「何でもないよ」ってフリをするのは、カリム流の思いやりだ。
「って、そんなこと言ってる場合じゃない!」
 慌てて身を起こそうとしたアシェルに逆らわず、カリムは握っていた手を開く。
(あれ?)
 カリムが握っていたのは、アシェルの手と言うより、両の腕で。それは、アシェルを介抱するにしては、ちょっと不自然な感じで。
 嫌な予感とともに視線を落としたアシェルは、目にした自分自身の姿に、思わず肩を震わせる。
 引き裂かれて、ボロボロになった衣服の下。
 黒く武骨な甲冑様の殻に覆われた、自分の腕と、身体。
 魔物の力の具現である鎧。
(そっか、あの時・・・・・・)
 暴走し襲い掛かる羽根に耐えかねて、とっさに魔力で防御した。そこまでは、覚えている。
 だが、その後は・・・・・・。
「カリム、これ・・・・・・!」
 ふと横に目を移したアシェルは、カリムの腕に赤く走る、鋭いもので切り裂いたような数条の傷に気付いてギョッとする。
 それは、羽根によるものではないだろう。
 羽根は基本的に、魔物以外を攻撃することはない。たとえ暴走していたとしても。いや、むしろ暴走状態だからこそ。羽根使いであるイリィが命じるか、イリィが攻撃を受けるかしない限り、カリムが標的になったはずはないのだ。
「もしかして、ボクが、また・・・・・・?」
 魔物の力に支配されて、無意識の内にカリムのことを傷つけた。
 そうとしか考えられない。
 何だか無性に泣きたい気分で、アシェルは俯く。
「なあ、アシェル。今、村ン中はどうなってると思う?」
「? 今そーゆう話してんじゃないでしょ!」
 が、アシェルの反応など意に介さず、カリムは続ける。
「見境無い羽根のせいで、もの凄い大嵐状態だぞ。バラバラになった祭りの櫓とか、大工道具や農具なんかが飛ばされて来て、危ないの何の。ちょっとでも油断したら、たちまち傷だらけだぞ。村人は家に逃げ込んだだろうが、この分じゃ家ごと飛ばされたりしてな」
 気遣っているつもりだろうが、カリムは明るい調子でそんなことを言う。
「ふーん。キミって、そんなのも避けられないよなドジなんだ!」
 返す言葉に、つい怒気が混じる。
 変に気を遣われるくらいなら、いっそハッキリお前のせいだと言われた方が、どれだけ楽か。
「その程度のものだよ。お前の暴走なんて。俺からしたら、それくらい何でも無いことだ」
 俯いたまま、アシェルはハッと目を見開く。
「言っただろ。俺はお前以外には殺されてやらない。もちろん、暴走した魔物の力になんか負けてやらない。絶対に、お前が知らない間にいなくなったりしない。だから、いいぞ。安心して、いくらでも暴走しろよ!」
 と、同時に。アシェルの上からフワリと、深緑色の布が降ってきた。
 それはカリムがストール代わりに使っていた絹帯だ。
 カリムはそのままアシェルの身体を包み込むように絹帯を巻き付け、余った端を腰の辺りでちょうちょ結びする。
「うわ、何か雑・・・・・・」
「大丈夫、お前は何でも似合うから」
 見上げたアシェルに、カリムはニッと笑って見せる。
「だからもうしばらく防御を解かないでいろよ」
「え?」
「羽根の暴走が止まったわけじゃないからな。お前にもしものことがあったら困る」
「・・・・・・キミってばどーしてそーゆーコト真顔で言うかな」
「思ったことは思った時にハッキリ言うことにした」
「たくもう・・・・・・」
 苦笑してから、アシェルはふと、カリムの腕に手を伸ばした。
「ちょっと待って! そんなこと言ってまた誤魔化すつもり? 傷が結晶化してないってどういうこと!? 再生の力が無くなっちゃったんじゃないの!? 意地ばっかり張って薬酒を嫌がるから!」
 騙されるもんかと、アシェルは再び目を吊り上げる。
「ああ、違う違う。そうじゃない! ここがそういう所だからだ」
「ここ? そう言えば、ここって、どこ? 何でこんなに静かなの? イリィは? あの人は・・・・・・!?」
 改めてキョロキョロと見回したアシェルに、カリムが指し示した先。
 草地も海も家もまるで見通しが利かないほど激しく渦巻く嵐の只中に、虚ろな瞳で立ち尽くしているイリィの姿が微かに垣間見える。
 そして、イリィのすぐ傍の地面には。倒れ伏しながらも、イリィに向かって必死に手を伸ばそうとする女性の姿が。
 それはアシシェルが気を失う前に最後に見たものと、寸分変わらない光景だった。
 本当に何も変わらない。
(何で? それって変! あ、でも・・・・・・?)
 イリィの周りを激しく渦巻いているはずの羽根の動きは、そよ風に揺らめくように緩慢で、それはまるで現実の一場面を切り取った絵を見ているようだ。
 完全に静止していはいないが、恐ろしくゆっくりにしか動かない、時間。
「何、これ・・・・・・どういうこと? もしかして、これも結界の作用とか?」
「少し違う」
 混乱して声を上擦らせるアシェルに、意外なほど冷静な声が答える。
「強いて言うなら、空間の狭間みたいなものだ。時間の流れが外とズレて感じるが、それは感覚だけの問題で、肉体にまで作用するものじゃない。だから怪我をしても血は流れないし再生も進まない」
「どうしてそんなことが? てか、結界のせいじゃないなら、これって誰の能力? それとも作用? カリム、何か知ってるの?」
「えーとな、えらくお節介なのが居て、力を押し貸ししやがるからさ。実際、お前を助け出すのに便利だったし、遠慮なく利用してやった」
「先刻の、変わった羽根使いの彼のことじゃないよね。・・・・・・もしかして、会えたの? キミと同質の力の持ち主に?」
 その問いに答える代わりに、カリムは僅かに微笑った。
 それは肯定の意味に違いないのだが。
「ねえ、何があったの?」
 カリムが纏う空気の色が、先刻までとは少し変わっている気がする。
 どんなに隠そうとしても隠しきれないでいた切羽詰まった雰囲気が、ごく自然に影を潜めてしまったような。
「ま、その話は落ち着いてからゆっくりな。残念ながら、ここもそう長くは保たない。だから今の内に、お前に何があったか知りたいんだが・・・聞いてもいいか?」
 それを聞くことは、アシェルがカリムを呼ばなかった理由を聞くことでもある。
「無理はするな」との含みを読み取って、アシェルはふるふると首を振る。
「確かめたいことがあったんだ。どうしても、ボク自身で。でも・・・・・・ボクには何も出来なかったんだ。イリィを守ってあげることも、あの人を解ってあげることも・・・・・ボクだけじゃどうにもならない・・・・・・」
「そうか・・・・・・」
 うなだれるアシェルの頭を、カリムはくしゃりと優しく撫でた。
「あれから、何があったんだ?」
「うん・・・・・・あれからボクは・・・・・・」



「魔物? あの老婆がか?」
 アシェルにしてはかいつまんだ話を、それまで黙って聞いていたカリムだったが、ついに我慢できなくなった様子で、そう口を挟む。
 怪訝そうに眉根を寄せながら。
「だから、イリィのお母さんだってば。やつれてるから歳取って見えるけど、ホントはそれほどじゃないと思うよ」
 すかさずアシェルが訂正を加える。
「いや、それはどっちでもいいんだが。魔物にしては、あまりにも気配が無さすぎる。あえて探せば、微妙に存在の芯がブレてる気もするが、それだって感受性の強い人間だったら有り得ないレベルじゃねーし。第一、羽根の標的になってねーし・・・・・・」
 そう。羽根は魔物の気配に敏感だ。
 羽根の本性が顕わになる暴走状態ではなおさらのこと、魔物と見れば、見境なく襲い掛かっているはずだ。
 しかも彼女は先刻のアシェルよりも、よほどイリィに近い位置にいる。
 だが、羽根はそれ以上近寄るなと威嚇はしても、積極的に攻撃しようとはいていない。
 もっとも、アシェルは魔物の力を使える以前に黒翼の天使でもあるので、単純には比べられない。だが、そうだとしても。
「ってことは、まさか・・・・・・」
「判った?」
「契約者、なのか?」
「そう。正解。どうしても叶えたい望みと引き換えに、魔物になることを承諾した人間。だけど、その願いが完了してないから、あの人はまだ人間のままで、魔物の力は単なる借り物。だから力を使っていない時には、本当にただの人間にしか見えないんだよ。契約者を見分けられるのは、魔物か、契約主である黒翼の天使だけ・・・・・・」
「・・・・・・」
「ビックリした?」
「いや・・・・・・まあ、そうだな。そう、初めて見た」
 契約の魔物が元は人間であることは、カリムも知識としては知っている。契約主となるのが、黒翼の天使であることも。
 だが、魔物に変じる前の契約者を目にする機会などは、これまで一度として無かったのだ。
「だろうね。塔は契約者には無関心だもんね」
 アシェルの言う通り。白亜の塔は、魔物退治の要請を受けてはじめて、現地に天使を派遣する。
 それは昨日今日の話ではなく、塔が組織された当時に各国との間で交わされた取り決めによるものだ。
 どこの国からも、どこの組織からも中立を保つために、それは必要なことだったが、塔という組織の地位が確立した現在でも、その姿勢は全く変わっていない。
 天使が自ら魔物を探して歩くことも無ければ、契約者の段階で魔物の芽を摘み取ることも、人間が契約を結ぼうとすること自体を阻止することもない。
 天使は魔物を滅するもの。
 悲しい魔物を生み出さぬように、務めるものではない。
「この村を覆っている結界はね、彼女の契約主が張ったものなんだ。彼女が魔物になるのを邪魔されないよう、その存在を覆い隠すために。だって、せっかく契約して力を分け与えたってのに、魔物になる前に狩られるようなことになったら、丸っきりの大損だもん。契約者に付けられた契約印が魔物や黒翼の天使に視えるのは、”これはオレの所有物だぞ、誰も手を出すなよ”ってサインだからだよ」
「だが、どんなに覆い隠したとしても、すっと一緒に暮らしていれば、何かがおかしいことに気付く・・・・・・だからあの娘は歌えなかったのか? 母親がおかしいとは認めたくなくて、無意識に自分の力を抑えていた。そして否定しきれない事実を突き付けられたことで、そのタガが一気に外れてしまった。唯一の支えである母親に、裏切られたと分かったから」
「誤解なんだよ!」
 即座にアシェルは大声を上げた。
「誤解なんだ。イリィのお母さんはきっと、イリィを守りたくて契約したんだ。イリィだってそれは解ってるはずだよ! ただちょっと、お母さんを信るのが怖くなっちゃったんだ。本当に大好きな人だから。だからこそ、信じ切れない自分がイヤで、悲しくて、不安で、どうしようもなくなっちゃったんだ・・・・・・」
「アシェル・・・・・・」
「イリィの周りで変なことが起こり始めたのは、2年くらい前からだったよね。だから、彼女が契約したのは、多分その頃だったと思うんだ。でも、そんなに経ってもまだ魔物になってないってことは、イリィのお母さんは本当に優しい人なんだよ。契約者はね、簡単に魔物になるような人間には声をかけないものなんだ。本当なら魔物になろうとなんか考えない人間を、手間暇をかけじっくりと魔物に変える。それが強い魔物を生み出す方法なんだ。だけどいくら手間隙かけるったって、いつまでもは待っていられない。結界は契約者の存在を隠すものだけど、同時に早く魔物になるよう促す仕掛けがしてあるんだ。イリィの周りに起こった異変だって、その仕掛けのせいに違いないよ。それでもイリィのお母さんは、まだ魔物になってないんだから!」
「それで、契約者を救う方法はあるのか?」
 カリムが問うたのは、一番肝心なことだ。
「・・・・・・契約を解除できるかって意味なら、それは無理だよ。契約主は自分の配下となる魔物が欲しいんだ。願いを叶えるのは、人間の為なんかじゃない。魔物を作る為の、単なる手段。だから、契約に解除条件を付けるなんてことは、絶対に有り得ない」
 泣き出しそうな顔で、アシェルはカリムを見上げた。
「ねえ、カリム。黒翼の天使は魔物を必要とする。それがどうしてだか知ってる?」
 カリムの返事を待たず、すぐにアシェルは言葉を繋ぐ。
「魔物が集める、恐怖と悲しみに満ちた人間の魂こそが、闇色の結晶にとっての薬酒だから」
「・・・・・・!」
「そうだよ。だから黒翼の天使は、自らの記憶を代償とする薬酒を必要としない。他人の悲しみを代償に、ボクらは永遠を手にしている・・・・・・」
「・・・・・・」
(どう? それでもボクが大切だって言える? ボクを救う価値が、本当にあると思うの!?)

 叫んでしまえば、きっと楽になれる。
 だって、カリムの答えは解っている。
 あれほど薬酒を嫌うカリムが、それでも天使であり続けた。そのこと自体が、何よりも明確な答えだ。
 カリムは信じていたはずだ。カリムの求め続ける人が、他人を犠牲にするような選択をすることは決してない、と。
 アシェルになる以前の記憶はあっても、アシェルが昔に戻ることは出来ない。決して、出来ない。
 解っているのに。
 最後の言葉を、口にすることが怖い。
 カリムを、アシェルの世界そのものを失ってしまうことが、怖くてたまらない。
 アシェルはギュッと目を瞑る。
 固く、固く。
 そうしたところで、何も感じずに済むわけではないのに。

「・・・・・・すまない、アシェル」
(イヤだ! やっぱり、聞きたくない!)
「それでも、俺は」
(耳! 耳を塞がなきゃ! 早く、早く!)
「お前がここにいてくれることが嬉しいよ」
(・・・・・・え?)
「お前にそれが必要だったのなら、それは間違いなく俺自身の望みだよ。それこそが、あの日、炎上する離宮の中で、俺が選んだものだったんだ・・・・・・」
「カリム?」
 目を開ければ、そこに優しい笑顔があった。優しい、でも今にも泣き出しそうな、穏やかな蒼い瞳がそこにあった。
 あの時、どうしていれば良かったのか。
 何が出来たのか。
 それは、アシェルが眠りにつく前の、ほんの少しだけ過去のこと。
 カリムにとっては、思い返すこともままならない、遠い過去のこと。

「だけど、あの二人は違うよね。イリィとお母さんは、まだ間に合うよね? イリィだったら、きっと解ってくれるよね?」
 想いを振り切るように、アシェルは緑の瞳をカリムに向ける。
「あの二人に、ちゃんと話をさせてあげたい。誤解したまま傷つけ合うなんて、絶対にダメだよ。たとえ運命の結末が変わらないのだとしても、このままじゃダメなんだ。解ってるよ、それがボクのワガママでしかないってことくらい。仕方ないよ、イリィは羽根使いで、イリィのお母さんは魔物になる。それを変えることなんて出来ない。だけど・・・・・・」
「そうだな。俺もそう思うよ。出来ることなら、助けてやりたい」
 アシェルの瞳を真っ直ぐに見返して、カリムが微笑う。
「頼みがあるんだ」
 微笑を浮かべたまま、静かにカリムが口を開く。
「その役、俺にやらせてほしい」
「ちょっと待ってよ!」
 間髪入れずに、アシェルは声を荒げる。
「ちょっと待って! ボクはそんなつもりで言ったんじゃないよ! いくらキミでも、あんな暴走しまくった羽根を相手に羽根無しで・・・・・・ううん! 羽根があったとしても・・・・・・」
「だよな。俺の羽根は攻撃専門で、こんな場合にはハッキリ言って何の役にも立ちやしない」
「違うよ、そうじゃない、はぐらかさないで! 今のキミが、羽根の発現に耐えられるワケないじゃないか! それに、これはボクがやりたいことであって、キミに望むことじゃない! ボクがキミに望むことはたった一つだけだよ! 今も、昔も、ずっと、一つだけ。なのに、どうしてそんなことが言えるのさ! それともまさか、これで終わりにするつもりなの? ボクがモタモタしてたから、ボクじゃないものの手を借りて、それで・・・・・・」
「アシェル・・・・・・」
「ねえ、イリィだったらきっと大丈夫だよ! ちゃんと羽根を受け入れられるよ! 大切な人を消したりなんかしないよ!」
「そうだな。正気を取り戻せれば、あの娘ならきっと出来る。だから、呼び戻してやらないとな。羽根に命を削られる前に。それに、このままあの母親が近付いて行けば、羽根の威嚇はもっと強くなる。もしも反射的に魔物の力で防御してしまえば、その時は本当に羽根の標的となる。それは止めないといけないだろ?」
「だからって、どうしてキミが・・・・・・キミに何が出来るってのさ!」
「このまま黙って見ているよりは、ほんのちょっとマシなこと、かな」
「まだ解ってくれないの? どうして解ってくれないの!? キミはいつもそう! 自分のやりたいことばっかりで、ボクはいつも置いてきぼりで、ボクがどんな気持ちでいるかなんて、これっぽっちも知ろうとしないで! いつも、いつだって、ずっと前から、ちっとも変わらなくて・・・・・・!」
「そうだな。俺は今までずっと、お前に甘え続けてきたんだと思う。お前だったら解ってくれる、許してくれるって、多分、心のどこかで思っていたんだ。お前の為になりたいと言いながら、ワガママを通してきたのはずっと、俺の方だ。そうと解ってさえ、やっぱりまた同じことをしてしまう。きっと、何度でも。俺が存在する限り」
「そうだよっ! その通りだよっ! 解ってるよ、それがキミだってことくらい! ・・・・・・そうじゃなきゃ、キミじゃないってことくらい! そんなのとっくに知ってるんだから。知っててキミとこうしてるんだから! っとにナメないでよね!」
 何を訴えたいのか、自分で解らなくなりそうだ。
 ただただ感情のままに、思いついたことをぶつけるだけ。
 子供みたいに。ワガママに。
 それは、昔の私が決して言えなかった言葉。だけど今は。アシェルであれば。
 だってアシェルは、昔の私とは違う。昔の私みたいに物分かりのいいフリなんか、絶対にしないから。
「なあ、アシェル。お前に聞いてほしいことがあるんだ。どうしても。これが終わったら。だから、」
「・・・・・・」
「お前が望まないのなら、やらない。お前に望みを強制したいとは思わない。だが、二人に話をさせてやりたいってのも、お前の望みなのだろう?」
「だけど・・・・・・」
「言っただろう。俺はお前のものだよ。契約を交わしていなくても。何の約束も無くたって。それだけはずっと変わらないよ。だから、お前が望むなら、このまま成り行きを見守るだけの傍観者であり続けても構わない。傍観するしか出来ない罪悪感を、共に背負っても構わない。でも、それを悲しいと思うのなら、」
 ふるふるとアシェルは首を振る。両手をしっかり握り締めながら。
「望んでくれるか、俺に?」
「・・・・・・似てると思ったんだ。最初は。誰かのために一生懸命なイリィは、どことなくだけど、キミみたいだって。だけど、ちょっと違ったみたい。イリィは昔の私に似てる。自分からは何も出来なくて、立ち竦んで泣いてるだけの私に・・・・・・。だからかな。イリィが泣くのを見るのは、心が痛い」
 アシェルはカリムを見上げる代わりに、その腕をしっかり掴んだ。
「助けてあげて、カリム。イリィを、あの人を・・・・・・助けて、それからちゃんと戻って来ること。絶対に。じゃないと許してあげない。言い訳なんか、聞いてあげない。キミを殺すのは、他の誰かじゃない、このボクだけなんだから・・・・・・」
「ああ。ありがとう、アシェル」
「・・・・・・だからどうして、そこでお礼なんか言うかな」
「思ったことは、思った時に伝えておかないとな」
 忘れてしまう前に。遠い彼方へ消え去ってしまう前に。
「この空間もそろそろ限界みたいだ。お前は絶対に動くんじゃないぞ。少なくとも羽根の暴走が治まるまでは」
「ふんだ! そんな約束してやんない! 心配だったら、さっさと片付けて戻って来ればいいんだよ!」
「ああ、それもそうか」
「そうだよ。ボクがキミに望むのはたった一つなんだから。今も昔も変わらない、たった一つなんだから・・・・・・!」
 空間を隔てていた薄幕が少しずつ溶けて行き、凪いでいた空気が動き始める。
 時間の感覚が、現実と同調し始める。
 そよ風が、突風に、そして逆巻く強風に。
 カリムの腕を掴んでいたアシェルの手に、手の平を重ねてそっと解いて。石垣の土台の陰にアシェルを座らせて。
 一挙動で立ち上がったカリムは、羽根の生み出す波動の中に無造作に身を晒した。
 頭上で結い上げた淡い色の長い髪が、羽根の生み出す圧に煽られて激しく揺れる。
 だが、真っ直ぐに目標を見据える蒼い瞳には、僅かの迷いも存在しない。

(ああ、キレイだな)
 唐突に、アシェルはそんなことを思う。
 しっかりと地を踏みしめて立つ凛々しい体躯、白く端正な面立ち。
 見る者の目を釘付けにせずにはおかない、上級天使の名に相応しい少年の姿。
 キレイだって言われるのは、キミは不本意なんだよね。その賛美は自分ではなく、その肉体の持ち主だった誰かが受けるはずのものだから。
 だけど、そうじゃないんだよ。外見がどうこうじゃない。
 昔からキミは、とても眩しかったよ。
 そりゃあ、今みたいな美人だったとは、お世辞にだって言えなかったけどね。
 そうじゃなくって、いつもいつもいつも、他人のために。自分が傷つこうが何しようが、無茶苦茶なくらい潔く立ち向かって行っちゃうキミは、本当に・・・・・・。
 外見は全然違うのに。性格だって違うのに。そんなところだけはどうして、こんなにも変わってないんだろうね。
 キミだって、きっと世界が壊れる光景を、もしかしたら何度だって見ているはずなのにね。
 どんなにキミを憎んでも、嫌うことさえ出来たとしても、無視して忘れてしまうことだけは、どうしても出来なかったよ。

 ねえ、イリィ。
 目の前の世界なんて、いとも簡単に砕け散ってしまう。
 自分の心なんて、こんなにも簡単に見失ってしまう。
 それでも。
 どうしてかな。
 世界を失ったはずの者こそが、より強くなることも出来るなんてね。

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