小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第25話 最高の奇跡 



 昔、全てを創った全なる神とやらは、この世界を完全なものに創るつもりなど無かったらしい。不完全なものが好き勝手した挙句、世界はとっくにガタガタで亀裂だらけ。いつ壊れても不思議はない。
 だが、そこに棲み続けねばならないものは、そんな都合の悪い事実を認めるわけにはいかない。
 世界はこうあるべきだという建前の元に、ごてごてと嘘を塗り重ねて、見たくないものを覆い隠して。出来上がったのは偽りだらけの歪んだ世界だ。
 そんな世界にどんな意味がある?
 ほんの少しでも。
 この世界に意味があるのだとすれば、・・・・・・。



 ピシッ!
 
 村を見下ろす丘の上にいたカリムの背後で、不意に何かが爆ぜるような音が響く。と同時に脳裏に飛び込んで来たのは、壊れかけた石像のヴィジョン。
 遺跡の中央広間の五本の柱の内、折れ残った一本の上に取り残されていた少女像。その中心から放射状に亀裂が走ったと見るや、像は粉々に弾け飛び、内部に在ったそれを顕わにする。
 揺らめく炎の形に凝縮固定された、高次の力。
 非物質の結晶は、一瞬だけ何かに抗するように瞬いて。

 シャリィィィン・・・・・・

 音ならぬ音を響かせながら、結晶は無数の火の粉と化して飛び散った。
 響きの余韻は波動となり、幾重にも重なる空間の垣を飛び越えて、広く深く、どこまでも浸透してゆく。
 暗転する世界の中。降り注ぐ炎の欠片、その一つ一つに、数多の虚像が映り込む。

 知っている。
 俺はかつて、これと同じ音を聞いている・・・・・・。



『・・・・・・そしてついに! 魔物は光の中に溶けて、消えていきました』
 声が、聞こえる。
 暗闇の向こうから押し寄せてくるのは、呪印の発するじりじりとした白い光。
『こうして、美しく甦った湖のほとりの国に帰った王子様とお姫様は、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたし!・・・・・・あ、起きた?』
 暴力的な光がすっと陰って、そこに上下逆さまのシルエットが浮かび上がる。
『大丈夫、じゃないっか。またハデに暴走させてたもんねー』
 快活に話しかけて来たのは、明るい緑色の瞳の持ち主。
『これくらいいつものことだろ。・・・それにしても惜しかった。あともう少しで結晶核を壊せたってのに』
『ゴーレム相手に徒手空拳で3時間も粘ったんだって? キミ付きの番人達、ウンザリしてたよぉ。上級天使には体術なんて必要ない、羽根さえ使えれば後は立ってるだけで十分なのに、って』
『それは極端過ぎるだろ。・・・で、先刻は何喋ってたんだ?』
『ん? ああ、キミが寝たまんまでタイクツだったから、昨日読んだお話でも聞かせてあげよっかなーって。どう、面白かった?』
『どう、と言われてもな・・・・・・』
 辛うじて耳に入ったのは、話の最後だけだ。
『ねーねーねー、幸せに暮らすってどんなだと思う?』
『・・・・・・あ?』
『ボクはねー、うんといっぱい魔法の勉強をしたり、剣の修業をしたりしながら、二人で一緒に国中の魔物を退治して歩くんだと思うなっ! また魔物が出て悪いことをしたら、国のみんなが悲しい思いをするからね』
『・・・・・・』
『青い空の光を映して宝石みたいに輝く湖かあ。どんなのかなー。キレイかなー。いつか見てみたいな・・・・・・』
 その時の俺は、どんなことを考えていたのか。どんな顔をしていたのか。
 お前の言う通りだと同意したのか。
 そんなものはお伽噺だと突っ撥ねたのか。
 何か言おうとしたのか、しなかったのか。
 一言でも発していたなら、手掛かりになったものを。
『あ! 番人こっち来る! あいつら仕事熱心過ぎだなんだよ、ったく、何が楽しくてやってんだろ? 少しはノンビリすりゃいいのにさ! じゃまたねっ!』
 アシェルが慌ただしく立ち去った後も、カリムはついぞ無言のままだった。



 俺の記憶は、即ち記録だ。
 だから、考える。
 起こったことを。その意味を。
 考え、そして分類する。無理やりにでも分類する。
 記録することこそが、俺の記憶。俺自身。



 どこまでも続く黒灰色の回廊。
 背後の闇に、時折赤い炎が閃く。
 行く手を妨げる煙は熱く、空気を求めて呼吸するたび、じわりと喉を焼いていく。
 かすむ視界は、足を踏み出すごと、上下に左右に大きくブレる。
 そうしてどれくらい経ったのか。やがて前方に、一筋の淡い光が差し込んだ。
 灼くように眩しい呪印の光ではない。あれは間違いなく外からの光。出口の証だ。
『驚きましたよ。まさか、貴方の方が生き残るとは』
 背後からの声に、一瞬、視界が静止する。
『それで、どうするおつもりか。その状態では、貴方はそう永くない。じきに薬酒の効果も尽きる。あそこまで辿り着けるかすら怪しいものだ』
 まるで日常の会話と変わらない、平坦で抑揚を欠いた声。
 ここにも程なく火の手が回る。それを十分承知の上で。
 冷静さを通り越した声は、更に続ける。
『そうまでして外に出たかったのですか。何とまあ、呆れるほど些細な望みだ。この離宮を破壊し尽くし、多くの番人の命を奪い、そればかりか大事な友達とやらまで切り捨てて。それだけの犠牲を払っておきながら、望むものがたったそれだけとは。彼らは無駄死にもいいところだ』
 易い、見え見えの挑発だ。
 だが次の瞬間、それまでの遅々とした足取りが嘘のような激しい勢いで景色が流れる。
 視界の中心に飛び込んで来たのは、黒いフード付きのローブを纏った、一人の番人。
『どうしてお前にそんなことが言える! お前らが何をやって来たか、知らないとでも思ってるのか! お前らが、あんなっ・・・・・・!』

 フラッシュバックする光景。
 あれは、幾重もの結界に覆い隠されていた離宮の地下空間。
 薄紅色の薬液の中に、何十もの人間の形をしたものがひしめいている。彼らが何者であるかは、その体内で歪に揺れる炎の色が語っている。
 そんな幾多の薬槽の果てには、全てを奪い取られ打ち捨てられた、身体。身体。身体・・・・・・。
 それは、真理の番人を自称する者どもがこれまで続けてきた所業の、もの言わぬ証人たちだ。
 カリムもアシェルも、きっと、あの場所から来た。

 耳障りに掠れる声は、喉を焼く煙のせいだけではなかったはずだ。
 が、怒りに任せた声は、続く言葉を発しなかった。
 目の前の男は微動だにしない。
 フードの奥に深く隠れた、男の表情を伺い知ることは出来ない。
 ただ、男の全身を濃密な魔法が一分の隙無く覆っているのが視て取れる。たとえ全身が炎に包まれようとも、その男はきっと、平然と立っている。それだけの魔法を身の内に蓄えている。
 数多の番人の中で、一人、その男だけが。
『我らは塔のために必要なことを行ったまでのこと。それは即ち、世界のために必要だということ。そこに疑う余地などありはしない。貴方にも、私にも』
『・・・・・・』
『私は別に、貴方がどうなろうと構わない。興味も無い。このまま野垂れ死ぬならそれも結構。ですがもし、貴方に多少なりとも犠牲を悼む気持ちがあるのなら、違う道を示して差し上げてもいい』
『お前に期待することなど無い』
『ならば私など無視してしまえばよろしいでしょう』
 全くその通りだ。そんな奴、気にする価値もない。
 だが、その男を真ん中に据えたまま、視界は微動だにしない。
『解っておりますとも。貴方は、たかが感情に全ての判断を委ねるほど愚かではない。一時の感情がどれほど頼りないものであるか、とっくにご存じだ。私の話を量りもせずに一蹴などなさらない』
『・・・・・・言ってみろ』
『何も難しいことではない。経緯がどうあれ、貴方は集められた数多の素材の中から、ただ一人生き延び這い上がり、羽根の力を手に入れた。ならば堂々と上級天使の位を得ればよい。貴方には、その資格がある』
『馬鹿げたことだ。こんな所業を引き起こした者を、誰が認める。辛うじて生かされたところで、道具として利用されるのが精々だ』
『とんでもない。これだけのことがお出来になるからこそ、貴方には価値がある。無論、私が口添えすればの話ですが』
『・・・・・・』
『考えても御覧なさい。ひとたび上級天使に列せられれば、その後何をしようと貴方の自由。最低限の責務さえ果たしていただければ、誰も口出し出来ますまい』
『俺がそれを望むとでも?』
『困りましたね。貴方がそんなご様子では、とても手助け出来そうにない』
『親切ぶりやがって。ハッキリ言ったらどうだ。困っているのはむしろお前の方だろう。この事態で、お前が失態を問われないはずがない。処分を免れるには、それなりの成果を示す必要がある。だから俺が必要なんだ』
 はじめて、男のフードが僅かに揺れる。
『これは、少々侮り過ぎましたか』
『俺は、お前を信用しない。塔に忠誠を誓うつもりもない』
『では、こういう話は如何か。私は何の後ろ盾も無い一介の番人に過ぎない。責任者の数名以外、ここにいたのは元々そのような者達だ。今回のような事態が生じた場合には、全てを無かったことに出来るように。今更私が出頭したところで、許される可能性は皆無だ。それでも私は、こんな所で倒れるつもりはない。貴方はどうなんです。ここで無駄死にするのを良しとしますか』
『・・・・・・』
『私を信用する必要など無い。ただ、私達の利害は一致する。それで十分でしょう。目的の為に互いを利用すればいい。貴方には何を犠牲にしてでもやりたいことがあるのでしょう。ならば、途中で投げ出すことは、犠牲にしたものを蔑にするに等しい。塔だろうが世界だろうが、あらゆる全てを利用し尽くしてでも、やり遂げる覚悟を決めるべきだ。貴方にほんの僅かでも、アシェル様に報いるつもりがあるのなら』
『あいつを引き合いに出すのはやめろ。お前にあいつ何が解る。・・・・・・お前が言っていることは、俺に、お前の同類になれということだろう!』
 どれほど言葉を取り繕おうと、カリムの命を肯定することは、塔の非道を恩恵として受け入れるということ。上級天使になるということは、塔の意向に従うということ。
 それは、離宮ごと全てを破壊することを選んだアシェルを、裏切り続けることだ。
『おや、違うと仰いますか』
 目を閉ざしたのは一瞬。
『いいだろう。お前の手駒になってやる。だが、それも俺が塔を去る時までだ。俺を利用したいというのなら、俺の気に沿うよう精々便宜を図ることだ』

 あの時。
 どうして黒い炎は現れなかったのか。
 黒い炎を受け入れることなく、カリムは天使となることを自ら選び、受け入れた。
 そして、カリムと契約を交わしたあの番人の男は。
 自分の望みのためならば、どれほど大切なものだろうが犠牲に出来る、カリムの同類は。、
 全てが離宮と共に燃え落ちた中、研究の委細を知る唯一の存在としてのし上がり、現在では一派の長にまで上り詰めている。



 天使とは、魔物を狩るものだ。
 では魔物とは何か。何をもって魔物とするのか。
 それは、塔の上層部の意向によってのみ決まる。
 政治的判断や、ほんの些細な思惑や、取るに足らないエゴによって、その判断がどれほど歪められてきたことか。
 浅薄な目論見の陰に、敢えて見過ごされる魔物がある。
 ために、どれだけの命が犠牲となっただろう。犠牲になる必要のなかった命が。避けられたはずの悲しみが。
 あるいは、魔物とされたものがある。
 そこに理由が無いとは言わない。場合によっては、それも必要なことだったから。だが、何の咎も無く魔物の汚名を着せられ消されていった者も、確かにいたのだ。世界のために必要だから、と。
 どれだけのものが犠牲になったのか。どれだけのものに自分自身が関わっていたのか。それすらも、もうとっくに判らなくなってしまった。
 塔のシステムは、根本的に悲劇を食い止めるものではない。
 それどころか、悲劇を必要とするシステムであるとさえ言える。
 塔も、天使も、魔物も、黒翼の天使も、そして人間も。システムを構成する歯車の一つに過ぎない。

 それでも構わなかったのだ。
 彼女を見つけ出すこと以外、俺にはどうでも良かったから。
 だからせめて。
 憎まれることは受け入れよう。恨みくらいは受け止めよう。
 魔物であれ、魔物と呼ばれた者であれ、カリムが手にかけながら、覚えていられなかった者たちには、憎むものが必要だ。憎むものの名が必要だ。
 それが、力の器に与えられた、便宜上の名称に過ぎなかったとしても。

 解ってきたことがある。
 死を受け入れることと、死を望むことは全く違う。
 冷たく優しい冥闇に眠ることが、俺以外の者にとっては、忌み怖れるべきものでしかないのなら。
 この命は間違いだ。
 永続を望むゆえの歪んだ世界にとって、死を望む命などは更なる歪み。災いであり、間違いだ。間違いは、いつか正されねばならない。

『・・・・・・ボクが間違っていたよ。闇がこんなに優しかったなんて知らなかった。光の中に繋がれてたみんなは、ボクが眠らせてあげたよ。命を弄ぶ悪魔どもは、ボクが地獄に送ってやったよ。これでもう誰も、ボクらみたいに眠りを邪魔されたりしない。さあ、あとはボクたちだけだ。一緒に行こう、静かで優しい闇の底へ。ボクが、連れて行ってあげる・・・・・・』
『・・・・・・ねえ、どうしてボクを裏切ったの? ボクだけを殺したの? それで、キミは何をしたかったの? 何が出来たの? ねえ、教えてよ。キミがボクより大事だったものって、一体何だったのかなあ?』
 恨むのは当然だ。憎むのは当然だ。
 アシェルが魔物として生きるにはカリムの命が必要。それが、アシェルが魔物の力を手にする条件。
 だから、なのか?
 だからアシェルは、再び俺の前に現れなければならなかったのか?
 間違いは、正されなければならない。
 彼女の魂を持つアシェルを以てして、世界は間違いを正そうとしているのか?

(その感覚には、覚えがあります。僕にも・・・・・・わたしにも、滅びを望んだ時があった・・・・・・)



 リィィィィィン・・・・・・

 空間を震わせる響きの余韻の中で。
 音が、声が、声が、人が、一瞬にして交錯する。

 穏やかに波が打ち寄せる海辺。
 鮮やかに彩られた、秀麗な建物の連なる古代風の都。
 白い石壁の荘厳な神殿。
 至る所に飾られる、極彩色の塑像。
 神話そのもののような、華やかな衣装を纏った人々。
 儀式に連なる、大勢の市民たち。
 一際鮮やかな衣装を纏った、王族か神官と思われる偉丈夫。
 見渡す限りの丘を埋め尽くす、鈍色の甲冑を纏った軍勢・・・・・・。
(ねえ、美しいでしょう? そして、醜いでしょう?)
 声ならぬ声は、すぐ傍から聞こえた。
(お前・・・・・・思い出したのか?)
(わたしはかつて、この地に生まれた羽根使いの一人。そして、あなたが炎の結晶と呼ぶ力を得て、この地の守護となった者。今となっては、その僅かな片鱗。燃え尽きる寸前の儚い残像・・・・・・)
 それは、僅かな気配だけの存在だった。他者の姿を借りねばならなかった先刻よりも、ずっと脆く儚い。
 だが、どんなに色を薄めても、もう二度と無色だとは思わないだろう。他の何者とも、見間違うことはないだろう。
(人生、何があるかわからないものですね。長生きはしてみるものです。本当にね、わたしの最期に立ち会ってくれる者がいるなんて、想像もしませんでした)
 気配だけが、穏やかに微笑む。
(何を・・・馬鹿なことを・・・・・・)
(そうですね。でも、それでいいんだと思います。同胞から遠く離れて、一人生き延びることは、決して私の望みではなかった。恨みも悲しみも絶望も、きっとわたしの内にあった。でも、そんなものに拘る意味はとっくに無くなっていた。そしてようやく、同胞たちの元へ行くことが出来る)
 穏やかにしか振る舞えないのではない。穏やかであることを受け入れたものとして。
(・・・・・・それでいいのかよ?) 
(心残りと言えば、あの時、もっとちゃんと護って上げられれば良かったのですが・・・・・・それを言ったところで仕方ありません。わたしの後悔は、貴方の感覚で言えば、遠い遠い、神話のような過去の話ですから。・・・・・・大きな戦があったんですよ。攻め込んで来た者たちは、わたしたちに降伏すら許さなかった。そしてわたしたちは、国を護るためという理由で、徹底的に利用されることになった。けれど、思うんですよ。わたしたちをこのようにした者らの中に、どんな形であれわたしたちに生きていて欲しいという願いが存在しなかったと、どうして断言出来るでしょう)
(・・・・・・)
(人間はね、違う気持ちを同時に持つことが出来るのではないですか? 一つの想いだけが全てなんて、そんな単純な存在ではないと思いませんか? それこそ、様々な神を矛盾なく等しく崇めることが出来るように)
(・・・・・・)
(それにね、人間は自分の全てを知っているわけじゃない。アシェルさんが何を思いどう行動したとしても、結果的に、貴方は今こうしてここにいる。それこそがアシェルさんの、本当の望みだったのだとは思いませんか?)
(そんなワケがあるか! 知ったかぶるな。お前に俺たちの何が解る!)
(解りはしません。でもね、わたしは羨ましいと思ってしまうんです)
(!?)
(言葉では語らなくとも、意識すらしていなかったとしても。自らの存在の全てを賭して、大切な人を生かし護ったアシェルさんを。わたしもそんな風に生きられたなら、どんなにか・・・・・・)

 ずっと心に引っかかっていた。
 と同時に怖れていた。
 アシェルは俺の望みを叶えようとした。死を望んでやまない、俺の望みを。
 だがそれは、アシェルにとって最もやりたくないことだった。冷たい冥闇の優しさを知り、闇の色に染まってなお、それを悲しいと思ってしまった。
 だから、アシェルは魔物の力を望んだのか。
 恨みと憎しみを理由とするために。
 どうしてもカリムを殺さねばならないところに、自分自身を追い込むために。
 だとしたら、アシェルの望みは。本当の望みは・・・・・・。

(今更・・・・・・そんなことが許されるものか!)
(どうして? 誰が許さないんです?)
(それは・・・・・・)
(もう、いいんじゃないですか? ここで自分を許してあげても。いえ、許しを求めるべきです。あなたがアシェルさんを大切に想うのなら、アシェルさんのためにも、そう努力すべきです。それが、断罪を求めるより、ずっと苦しいことだったとしても)
(・・・・・・!)
 ふわりと、陰が溶ける。
(ああ、また言い忘れるところでした。ありがとう、カリム。あなたに会えて、本当に良かった。これは、わたしに出来る精一杯のお礼です。これがあなたの助けになるかどうかは、あなた次第ですが・・・・・・そうなることを願っています・・・・・・)
 穏やかな気配すらも、空に溶けて消えていく。
(・・・・・・ありがとう、わたしのはね・・・・・・いままでずっと、いっしょにいてくれて・・・・・・)

 ィィィィ・・・・・ン!

 通り過ぎる景色の果て。
 白い遺跡に一体だけ残されていた少女像が砕け散り、その核となっていた炎の結晶が、輝く火の粉となって飛び散った。その一つ一つから眩い光球が生まれ、再び凝集し朝日の如く輝いて。
 光の中心に生じた高圧の力の源は、ビリビリとした波動を撒き散らしながら、一気に空へと駆け上がった。
 封印を解かれ、数百年振りに自由を得た羽根が。
 新たな主を得た歓喜に打ち震えながら。



「助けてあげて、カリム。イリィを、あの人を・・・・・・助けて、それからちゃんと戻って来ること。・・・・・・キミを殺すのは、他の誰かじゃない、このボクだけなんだから・・・・・・」
 目の前に荒れ狂うのは、今はあの娘のものとなった羽根。
 積極的に攻撃して来なくとも、最強の退魔具たる羽根の圧倒的な力は空間を揺るがす嵐となって、近付く者を打ち据える。
 主の平安を乱す者は誰であろうと許さない、敵と見做して排除するぞ、と。
 殺気立つ羽根の波動を全身に受けながら、カリムは一歩、足を踏み出す。
 たったそれだけで、叩きつけられる重圧は数倍にも跳ね上がる。
 それでも、また一歩。
 羽根の向こうで心を閉ざしてしまった少女を、真っ直ぐに見据えながら、カリムはしっかりと歩を進める。
 口元には、微かな笑みさえ浮かべながら。

 もし俺がまた何かに対峙する時が来るとすれば、それは天軍か魔軍を相手に玉砕戦を挑む時だけだと思っていたんだがな。
 人生何があるか分からない、か。好き勝手ばかり言うヤツだったが、それだけは認めていいかもな。
 他人などどうでもいいと言い続けてきたこの俺が、よりにもよって人助けとはね。それも、今一番傍にいなきゃならない奴を置いてまで。
 判っている。それがどんなに馬鹿なことか。
 守護者は最後まで、この地を頼むとは言わなかった。それは、守護者自身がやらねばならないことであって、他人に望むことではなかったから。
 それにアシェルだって。あの母娘を助けたいのは自分であって、俺に望むことではないのだと。
 それはそうだろう。
 羽根を手放した今の俺に、大した力は無い。
 徒手空拳で暴走する羽根に挑むなど、無謀でしかない。
 なのに二人を助けるだと? いっそ奇跡でもない限り、そんなことは不可能だ。きっと誰だってそう思う。明らかに能力のない者に、望む馬鹿などいはしない。
 もしも、俺が羽根を持っていれば違ったか?
 それとも違わなかったのか?
 羽根のたった一度の発現にさえ、この身が耐えきれる保証は無い。

 冷静に考えろ。
 偶然出会っただけのものに、一体どれだけの価値がある。
 比べるまでもない。この命はアシェルのためにこそ使うべきだ。
 それこそが、正しい判断というものだ。
 だが、いいのか、それで?

 今まで塔に従い数多の命を切り捨てて来たのは何のためだ?
 塔のためか? 世界のためか? 違うだろう?
 ただ、彼女に会いたいと思ったからだ。彼女が存在するはずの世界を壊すわけにはいかなかったから。そのためには、自分の命を惜しまねばならなかったからだ。
 もう、その必要は無くなった。
 なのにまだ傍観を続けるか?
 力が無いから。羽根が無いから。関係無いから。この命はアシェルの為のものだから。そんな言い訳で、僅かな時間を惜しむのか?
 そんな命に、求められる資格があるとでも? そんなものを、俺はアシェルに差し出すつもりか?
 そんなもの、惨めに滅びるのが似合いではないか。

 なあ、アシェル。
 俺の無謀を承知の上で、それでも、お前は望んでくれたな。
 いつでも、お前だけが、力の器ではない欠陥だらけの俺をそのまま認めてくれた。
 もしも許されるのなら、俺は、最期の一瞬まで、お前に応えられる俺でありたい。
 そのために奇跡が必要だというのなら、今、この瞬間に、その奇跡を起こしてやる。
 そしてきっと、お前の元に戻って見せる。出来ないはずなどあるものか。
 だって、そうだろう。
 一番の奇跡はもう、お前がくれた。
 失ってしまった者と再び巡り会えることは、どれほど望んだとしても、決して叶うはずのない奇跡。
 お前こそが、この世界で最高の奇跡。



 もう少し。あと、もう少しで手が届く・・・・・・。
 その瞬間、無数の羽根が、カリムの身体を貫いた。

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