小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第27話 羽根 



「ジーロっつったか。まさか、こんな所まで来てたなんてなあ」
 半ば感心、半ば呆れた気分でフェグダは、木にしがみついた格好で気を失っている少年を見やる。
 ここはもうほとんど村はずれ。
 フェグダが当たりを付けた羽根の暴走地点の、目と鼻の先だ。
「よっぽど、イリィちゃんが心配だったんだな」
 だが、ここから広場に面した小屋までジーロを連れ帰るには、少々手間だ。
 ざっと見たところ、かすり傷以上の怪我は無さそうだし。
「俺もあんまモタモタしてるワケにはいかねーから・・・・・・悪いな、また後で」
 フェグダはジーロの周りに簡易結界を張ると、すぐにその場を離れた。
 これでも一応天使なのだから、暴走する羽根をそのままにしておくわけにもいかない。それ以上に気になるのは、おそらくあの場に居るだろう、災厄の天使に似た少年のこと。
「あれが本当に災厄の天使なら、こんな暴走くらいソッコー押さえられるはず・・・・・・それとも別の何かを企んでやがるのか・・・・・」
 どちらにせよ、是非ともこの目で確かめておきたい。
 油断すれば吹き飛ばされかねない強風の合間を縫って、最後の起伏を越えた直後、半壊状態の小屋と、さらに岬に続く小道の果てに暴風の中心である竜巻状の風柱が目に飛び込んで来た。
 その時だ。
「遅い!」
「あ!?」
 その妙に高い声が怒鳴りつけた相手が、誰でもない自分であると知って、フェグダは少なからず驚愕する。
 竜巻からほど近い地面に倒れ伏している老婆。そして、その脇で手招きするように身を乗り出している小さな、人間ではありえないくらい小さな赤毛の妖精っぽい生き物。
「な、誰だお前は!?」
「そんなこと、今はどーでもいいの! こっち来て手伝って! 早く!」
 いや、どーでも良くはないだろう、と口の中でブツブツ言いながら、フェグダは前進を再開する。
 とりあえず緊急事態であることだけは確かだったし。
(にしても、どーしてこー誰も彼も、人をパシリ扱いするかなあ・・・・・・)
 妖精モドキは、遮蔽物が全く無くなったこともあって、苦労しながら近付いたフェグダに向かって。
「彼女を安全なトコまで運んで! 超特急!」
「ああ、まあ、それはいいんだが、アレをどうにかするのが先だろ?」
 フェグダが指し示したのは、もちろん妙な竜巻の方。
 渦巻く風の中心がどうなっているかは見えないが、羽根を暴走させた羽根使いがいるのなら、まず間違いなくそこだろう。
 フェグダが羽根を最大限に発現させれば、相手の力の影響を受けることなく、竜巻の中に入ることは可能だ。ただし、先刻力を使い過ぎたばかりなので、正直少々キツいのだが。
「キミは来なくていいの! 手助けにはボクが行くんだから!」
「手助け? イリィちゃんの・・・・・・それともあの野郎のことか? ・・・・・・お前もしかして、あの時遺跡にいた奴か!? それより、これは・・・・・・魔気?」
 赤毛の妖精モドキは、不機嫌そうな緑の瞳でフェグダを見る。
「だったら何?」
「お前、魔物の類か!? 羽根を暴走させたってことは、それなりの事態が起こったってことだよな。お前ら、イリィちゃんに何をした!」
「ったく、そん場合じゃないってのに!」
 両者の間に火花の飛びそうな緊張が走った。



(邪魔だな・・・・・・)
 目の前に立ち塞がり、感覚を掻き乱す羽根が。思い出したように時折襲ってくる攻撃が。
 苛立ち、憤り、焦り・・・・・。そんな感情に支配されることこそが羽根の狙いなのだから、それに乗るわけにはいかない。解ってはいるのだが。
『邪魔ってキミさぁ、そんな呑気なことを言ってる場合? 自分が危ないことやってるって自覚あるの? もうちょっと真剣に怖がったらどうなのさ!』
 もし、この場にアシェルがいたならば、やはりこう言っただろうか。
 遠慮なく叱りつけてくる顔を思い浮かべて、カリムは少し肩の力を抜く。
 そんな事を度々聞かされるくらい、離宮にいた当時のカリムには、怖いということが実感出来ていなかったのかも知れない。
 だが、恐怖することを知った今でも、他者の羽根を怖いとは思わない。
 対抗する手段を失くしていてさえ、不思議とそのような感情は湧いて来ない。
 羽根だけに限らず、今ここに高位の魔物や、魔剣や神剣の類のような、一撃で結晶を破壊するような脅威が出現したとしても、それに恐怖はしないだろう。
 死に安らぎを感じる心がある限り、死をもたらすものに恐怖を覚えることはない。きっと、そういうことなのだろう。
 脅威を前に思うのは、むしろ、ありったけの力を叩きつけて自分と相対することが愚かな行為だと知らしめたい、そんな単純な破壊衝動だ。
 その衝動は、あながち間違いという訳でもない。実際、ここに自分の羽根があれば、こんな暴走などすぐにでも止められるのは事実なのだから。
 一時しのぎという意味では、だが。

 結局のところ、羽根に選ばれた人間は、自分の心にケリをつけない限り、常に暴走の危険を抱えることになる。
 そして、羽根使いになることを拒否し続ければ・・・・・・待っているのは、羽根と共に消滅する運命。
 羽根とは、そういうものだ。
 勝手に憑りつく人間を選び、強引に力を押し付け、運命を受け入れることを強要し、それ以外の生き方を決して許さず、心までも屈服させる。
 すぐ傍にありながら、この世界とは異質な、強大な力を内包した、人間の智など遠く及ばない、得体の知れない、何か。
 羽根に選ばれた者が何を思おうと。あるいは塔の連中が何を考え、どれほど研究し、どんな技術を編み出そうと。そんな人間の努力など全く意に介することなく、羽根はただ、そういう存在として在り続けるだけ。
 羽根使いが限界を迎える、その時まで。
 そんなものを受け入れない限り、イリィはこの先、生きてはいられない。
 特別など望まないと言い切った、あの娘は。
 
 羽根とは何か?
 何のために、存在するのか?
 そんなことは知らない。
 知る必要もない。
 むしろ、羽根など要らないと、この世界から消え去ってしまえばいいと思う。
 魔物など知ったことか。塔も、世界も、どうだっていい。
 そう考えて、何が悪い?
 いっそ羽根だけを消滅させてしまえるなら、それがどんな方法だろうと躊躇いはしないものを。

(だが、それは俺が気にしてやることじゃない。どうせ、俺が手を貸せるのはこの一回きり。どんな決断であろうと、後は本人が決めることだ。あの娘だって、いずれは全てを受け入れるに決まっている。・・・・・・あの、守護者のように)
『・・・・・・ありがとう、わたしのはね・・・・・・いままでずっと、いっしょにいてくれて・・・・・・』 
 じわりと湧き上がる怒りの感情。押し殺しても無視しようとしても、何度も、何度でも。
「本当に、それがお前の本心だったのかよ!?」
 ついにカリムは、激しく叩きつけた。もう存在しない相手に、その言葉を。
 
 今まで、数多の羽根使いを見送って来た。
 徹底的に羽根を拒絶した者もいれば、羽根に全てを捧げるほど愛していた者がいた。共にあるのが自然なことなのだと、飄々としていた者もいた。
 どんな風に羽根と出会い、受け入れ、あるいは拒絶し、そのことについて割り切っていたのか、納得し切れず悩みつづけていたのか。
 其々が其々に、思い惑いながら、羽根使いとしての人生を生き切った者たちがいた。
 その名も、姿形も、とっくに定かではなくなった。ほんの一瞬すれ違う以上の、何かを共有したわけでもなかっただろう。そんな彼らの何かを語る資格が、自分にあるとも思わない。
 だが、一つだけ。
 どれほど拒絶しようとも、憎もうとも、目を逸らそうとも、実際に羽根を無視してしまえた者など、きっと一人としていなかった。
 どんなに愛しながらも、どれほど憎みながらも。どれほど短いものだったとしても、他者からはどれほど馬鹿げたものに見えたとしても。彼らは羽根と共に生き、羽根と共に滅びて行った。
 自ら選んだものであろうと、戦いの中で散ったのであろうと、羽根使いとしての力が尽きてその時を迎えたのであろうと、最期の時を、自らの羽根と共に。



 シャリィィィィ・・・・・ン・・・・・・
 まだ、聞こえる。
 全てを震わせ、どこまでも広がっていく響き。遠い残響。
『ありがとう・・・・・・そしてすまない・・・・・・それでも君以外、頼める者がいなかったんだ・・・・・・』
 黒く染まりかけていた結晶が砕け散る音と共に、すぐ耳元で聞こえた声。蒼空の天使と呼ばれた者の、最期の言葉。
『ジェレミオと言うんだ。それが、僕の本当の名だ・・・・・・けれど、覚えておく必要はない。他の全てと共に、忘れてしまっていい・・・・・・。君は、反逆者と戦って、やむなく結晶を破壊した。ただ、それだけのことだ・・・・・・』
『どうして・・・・・・!』
『さあ・・・・・・それは僕にもわからない・・・・・・ただ、これしか思いつかなかった・・・・・・だから、僕は今、満足しているんだよ。そう、きっと、これでいい・・・・・・』
 残響の中、淡く溶けていく蒼空の羽根。 

 これは、記憶。
 蒼空の魔法によって封じられていた、事実の記録。
 それは手を下した者に対する、彼なりの思いやりだったのか。あるいは、最期の記憶の共有を望まなかった故なのか。術をかけるまでもなく、その時の想いを留めておくなどカリムには出来はしない。彼と同じく、結晶に封じられた命を持つカリムには・・・・・・。

 脳裏に真っ白な閃光が走る。
 圧倒的な力で全てを飲み込み灼き尽くす真っ白な闇の中に、溶け落ちていく無数の人影。
 空しく伸ばされる、大きな傷を刻んだ手・・・・・・。
 繰り返し繰り返し甦る、戦慄の一瞬。届くことのない夢幻。
 あの光景が羽根の暴走によるものだとしたら、それを引き起こしたのは何なのか。誰で、あったのか。
 あれがカリムとなる以前の自分の、最期の瞬間だったのなら、あの時起こったことは・・・・・・。 

 それでも、なお、魅かれずにはいられない。
 暴力的なまでに魅了する、強く鮮やかな、自分だけの輝き。
 この世界の何よりも醜く、美しいもの。

 いるはずがないのだ。
 羽根を無視してしまえる人間など。
 炎の結晶と同化した命を与えられ、人間とは違ったものに変えられてさえ。人間として生を受けた存在である以上、羽根という人智を超えた至高の輝きから目を逸らすなど、不可能なことなのだ。
 だからこそ、嫌った。心底憎んだ。
 羽根などこの世界に無ければ良かったのだと、本気で願った。
 始めから存在しなければ、どうしても無視することの出来ない自分に、気付かされることもなかったのだから。
  
『・・・・・・ありがとう、わたしのはね・・・・・・いままでずっと、いっしょにいてくれて・・・・・・』 
(お前は、それで良かったのか?)
 何度も甦る響。
 応える相手を失ってなお、どうしても問わずにはいられない問いかけ。

 守護者と、仮に称していたあの存在は、もうとっくに人間ではなかった。
 気の遠くなるほどの年月を、自らの羽根とともに結晶の内に封じられ、この世に繋ぎとめられた存在。
 人間であった時の思い出も、感情も、考えるということさえも、遥か彼方へと置き去りにして。
 何もかもを、あるがままに受け入れて。
 存在をまるごと、人間ではないものに昇華させて。

 だが、それでも、問わずにはいられない。
 本当に許せるのか、と。
 本当に平気なのか、と。
 自らの羽根によって砕かれることが、ではない。
 もしも、自らの羽根によって滅びることが可能だったなら、ジェレミオは進んでその手段を選んだはずだ。
 自分と羽根との間に他者を入れずに済むのなら、カリムに願う必要など、どこにも無かった。
 俺であれば、きっと、そうする。

 だから、問いたいのはたった一つ。
 自分だけのものであるはずの羽根が、他者の元へと渡る光景を目の当たりにして。どうして納得出来たのか。どうして平静でいられたのか。どうして許すことが出来たのか。
 あの言葉は、本心から出たものなのか。
 人間ではない存在になれば、それすらもどうでも良くなってしまうのか。
 それは、自分という存在が、無に成り果てるに等しい。

 解っている。
 羽根との関わりは、羽根使いだけのもの。守護者が羽根をどうしようと、それは守護者だけの問題だ。そこに他者が介入する余地は無い。 
 だから、これはただの願望だ。相手の中に、勝手に自分の好ましいものだけを見る、そういう類の願望に過ぎないものだ。

 では、どこにやればいい?
 この、やりきれぬと感じる心は?
 消えるのを待つだけなのか?
 いつものように、二度と戻らぬ彼方へ消え去るのを、ただ待つだけなのか?

(もしも・・・・・・そうではないとしたら?)
 カリムの心の内で、何かが、瞬いた。
 それはあまりにも楽観的な希望。
 笑ってしまうほど、ご都合主義な願望。
 今まで、全く顧みることなく切り捨ててしまってきた、可能性。
(純化に純化を重ねた透明な炎・・・・・・俺の結晶に何の不自然無く共鳴するほどに・・・・・・)
 その共振故に伝わった意志。呼び起された心。それは、本来の守護者ではなく、模擬人格のようなものだったのかも知れない。
 だが、守護者に影響を与えたのは、それだけだったのか?
 明確な共鳴ではなくとも、小さな揺らぎのように、緩やかに穏やかに、影響を与え合う存在があったのだとしたら?
 例えば羽根を介することで、イリィと守護者は、互いに影響しあっていたのではないか?
 だからこそ、そこに矛盾が無かったとは言えないか?
 羽根が渡った先が、自らの分身のような存在だったから。両者の魂に明確な区別が存在しなかったから、守護者は全てを受け入れ消え去ったのだと、そんな風には考えられないか?
(だとしたら・・・・・・俺は既に、お前の心に出会っていたことになる。それが、イリィ、お前を探す手掛かりだ・・・・・・)



「ここにいたのか」
 何も無い空間で、少女はじっと、自分の手を見つめていた。膝を抱えて、うずくまって。俯いた顔の前に、小さく開いた両手の平を、穴が開くほど食入るように。
「何を、見ている?」
「・・・・・・どうしてなんでしょう」
 消え入りそうな小さな声。だが確かな応え。それは、他者を完全に拒絶してはいない証。
「どうして・・・・・・こんなに痛いのに、どこにも怪我が無いなんて・・・・・・本当に、傷一つ、見えないなんて・・・・・・」
「傷があれば安心するのか?」
「安心・・・・・・そうかも知れません。痛いのは、私の気のせいでは無いって思えるなら。・・・・・・ああ、でも、そうしたら、お母さんを悲しませてしまう・・・・・・お母さんは、私が怪我をすると、私よりもっと痛そうな顔をするから。可哀想に、私が代わってあげられたらいいのに、って。・・・・・・私は、お母さんを責めていたんでしょうか。私があんなことを考えていたから。それでお母さんを追い詰めてしまったんでしょうか・・・・・・」
 繰り返される自問。答えの見えない問いかけ。
「この世界のどこかに、私の本当のお母さんがいて、でも、私はその人を知らなくて、私を愛してくれたのかなんて、そんなことも判らないのに。・・・・・・本当のお母さんのことは知らなくても、今のお母さんのことは何でも知ってるって思ってた。お母さんだけは、私がどんな子でも好きでいてくれるって。でも、私はお母さんの何を知っていたのか・・・・・・本当は、私が思うのとは全然違う人だったのかも知れないのに、でも、そんなの信じられない。どんな事情があったとしても、お母さんが私のことを大切に想ってくれたのは嘘じゃないって・・・・・・。でも、わからないんです。何が本当で、何が嘘なのか、私には、もう・・・・・・」
「お前は、母親が許せないのか?」
「そんなこと! 私にはお母さんしかいないのに」
「あの元気過ぎる兄弟は?」
「ジーロもコリオも、本当の私のことなんて何も知らない。私がこんな、怖い力で人を傷つけるような魔女だってことを。村のみんなが怖がるのは当たり前です。私だって、私が怖い・・・・・・」
「悪いのは、自分一人なのか?」
「だって、そうなんでしょう・・・・・・?」
「少なくとも、そう思っていれば周りを責めずに済むものな。人を憎まずにすむ。愛されることを求めずに済む。けれどそれは、寂しいことだ。そう、気付いてしまったんだろう?」
「望んではいけないんです。そんなことは」
「何故? お前は母親や村の連中が好きではないのか?」
「好きです! 大切です! 誰も傷つけたくなんかないです! だから、」
 それが正解。私が消えれば、それで全てが上手くいく。
「お前は偉いな。大切なものが何なのか、ちゃんと解っている。だから、お前の望みは間違っていない。痛いと思えば、傷があろうが無かろうが痛がって構わないし、愛されたいと望んでいいんだ」
 イリィが飲み込んだ言葉を故意に無視して、カリムは断じる。
「・・・・・・そんなこと! だって、私には、こんな怖い力があるのに!」
「そうだな。それは誰にも、どうにも出来ない。でもな、それだけが全てなのか? お前は、連中を少しも怖いと思わないのか?」 
「それは・・・・・・」
「怖いのは何故だと思う?」
「・・・・・・わかりません」
「そういうことだ」
「・・・・・・?」
「お前には、連中が何を考えているのかわからない。だから、怖い」
「・・・・・・!」
「いいんじゃないか。怖いなら、怖いとそう言えば。そうすれば案外、相手も似たようなことを考えているのかも知れないぞ」
「・・・・・・でも、もしかしたら、それで完全に終わってしまうかも」
「それで何か困るのか? もう理解っているだろう。世界の全てが味方ではなくとも、全てが敵になったりしない」
「でも・・・・・・」
「それに、お前の力だって同じだよ」
「・・・・・・!?」
「怖いってことが、だ」
「・・・・・・力が、怖がる?」
「お前が力のことを得体が知れないと思うように、力もお前が何を望むのか判らない。同じことだ」
「力も、同じ・・・・・・」
「ほら、何か聞こえてこないか?」
「・・・・・・これは・・・・・・泣き声?」
「それは、お前にだけ訴えかける声だ」 
「私・・・・・・あそこへ行ってあげなくちゃ! でも、どうしたら・・・・・・」
「あるだろう。お前の得意なことが」
「・・・・・・歌?」
「歌には伝える力がある。だから教えてやればいい。怖いと思う心、優しくする心。お前が望もののこと。お前が在るってことを」
「私に、出来るでしょうか?」
「お前以外の誰に出来る? さあ」
「・・・・・・」
 目の前に差し出された白い手と、その先の蒼い瞳を、イリィは縋るように見つめる。
「及ばずながら、勇気の足しだよ」
 蒼い瞳に、優しい笑みが宿る。 
「だって、私は貴方のことも傷つけて・・・・・・」
「そう、見えるか?」
「・・・・・・?」
「この俺がそんなに弱いとでも?」
「い、いいえ! そんなことはありません!」
「それでいい! では行こうか。お前の行きたい所へ。好きな人の元へ。お前の望みのままに・・・・・・」
「はい!」
 カリムの手に、イリィの細い手が重なる。
 その瞬間に、閉ざされていた世界が開いた。



「歌が・・・・・・」
 睨み合っていたフェグダから目を逸らして、赤毛の妖精モドキは空を仰ぐ。
「おい、まだ話は、」
「うるさいな、ちょっと黙ってて!」
 ピシャリと叱られて、フェグダは思わず頬を膨らませる。
 そこまでどうでも良さげに扱われる覚えはない、と思いながら。
「子守唄・・・・・・間違いない! 戻って来たんだ!」
 パッと表情を明るくしたそいつは、風の柱に向き直る。
「それって、イリィちゃんがか!?」
「決まってるでしょ!」
 二人が見守る中、あれほど吹き荒れていた風が急激に弱まり、立ち上る竜巻のようだった風の柱が崩れ始める。
 閉ざされていた柱の中空に、影が現れる。影は徐々に形を成し、重なり合って浮かぶ二人の姿へと変わっていく。
 一つは、緩く瞳を閉ざして子守唄を歌う少女。
 そして少女の後ろには、励ますように細い肩に手をかける、長い髪の少年。緩く俯いた彼の表情は、髪に隠れて窺えない。
「もう、二人とも心配かけて!」
 感極まったような赤毛が駆けつけようとした、その時。
 少年の手が、僅かに少女の肩を押した。
「危なっ!」
「・・・・・・!」
 何の抵抗もなく、フワリと高所から落下する少女に、慌てて落下地点に駆け寄りったフェグダが、間一髪受け止める。
「お前、なんてことしやがる・・・・・・」
 怒鳴りつけようとした声が、途中で途切れる。
 少年の様子が何かおかしい。
 飛び出そうとした恰好のまま、勝ち気な妖精モドキが、竦んだように動けなくなっている。
 パタリと。雨のようなものが、少年を見上げるフェグダの頬や腕を打つ。
 その、鮮やかに赤い滴は。
「おい、お前・・・・・・!」
 フェグダの声が合図であったかのように、少年の身体がぐらりと傾いで、そのまま背後に倒れ込むように、落ちる。
 そこは岬に続く崖の際。
 フェグダの脳裏に、村に来る時に通った崖沿いの道が甦る。海は、切り立った崖の遥かに下だ。
 イリィを抱きとめた格好のまま、伸ばした腕が空を切る。
 フェグダの指先に掠ることなく、少年の身体が視界から消える。
 その瞬間。
「カリム!」
 赤い髪の残像がフェグダの横を駆け抜ける。落ちた少年を追って、何の躊躇いもなく崖下へと。 
「何て奴だよ・・・・・・」
 ぐったりと気を失っているイリィをその場に横たえ、膝が笑うような崖の下を覗き込む。
「カリム・・・・・・それが、あの野郎の名なのか・・・・・・」
 白い波が砕ける崖下に、人影らしきものはどこにも無かった。
 

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