小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第29話 解放 



「とりあえず、こんなところか?」
 気を失ったイリィと、その母親だと思われる痩せ細った女性を小屋に運び入れたフェグダは、二人をベッドに並べて寝かせたところでやれやれと息をつく。
 元々粗末な造りの小屋は、壁が壊れたことで強風が入り込み、散らかり放題の荒れ放題。小さなベッド一つを人が寝られるよう整えるだけでも大変な有様だった。
 これがイリィのためでなければ、努力など最初から諦めて、外に放置していたかも知れない。
「ま、こっから先は、誰か呼んで来て世話して貰うのが正解だよな。あのジーロってチビも放って置けないし、それに・・・・・・」
 フェグダは、頬を拭った袖口と、マントの肩から胸にかけての赤い飛沫に目を落とす。やはり、幻ではない。崖下に消えた少年と、赤毛のちびっこいの。
「あの高さから落ちたんじゃあ、無事じゃ済まないだろう。どうする? 村の連中に捜索を手伝ってもらうか? ・・・・・・けど、何のためにだ? ・・・・・・あれが災厄だろうが別人だろうが、こんなところでくたばるようなら用は無い。だろう? そうさ、俺が何かを感じてやる義理なんてねーんだ・・・・・・」
 自分自身に言い聞かせるように呟いてから、フェグダはかぶりを振って立ち上がると、足元に細心の注意を払いつつ、その小屋を後にした。

 嵐さえ過ぎ去ってしまえば、小屋からジーロを置いてきた場所までは、大したことのない距離である。が、
「ええと、確かこの木の辺りだったんだが・・・・・・」
 吹き飛ばされてきた落下物のせいで多少趣が異なってはいるが、まさか完全に間違えてしまうはずもない。
「それとも目が覚めたんで自力でどっか行ったのか? いや、そもそもイリィちゃんを気にして飛び出したんだから、まず小屋の方に来るよなあ。やっぱもう少し先だったのか?」
 ジーロを探しながら元来た道を逆に辿ったフェグダは、振り出し地点である広場の辺りに賑やかな人だかりが出来ていることに気が付いた。

「それがさあ、ホントにスゴかったんだぞ! 風がピタッと止んだと思ったら空からキレーな光がぱーっと差して、その真ん中にイリィが立ってたんだよ! こう、天使様みたいなカンジでさ! そんで、昨日の兄ちゃんがオレに向かって言ったんだ、『魔は払われた、もう何も心配することはない』ってさ!」
 村人の輪の中心で、興奮に頬を上気させながら身振り手振り付きのオーバーアクションで熱弁を振るっているのは、誰あろうジーロである。
「それからさ、あ、あの人!」
 村人の後方で立ち止まったフェグダを目ざとく見つけたジーロは、ビシイッと真っ直ぐに指を差す。
「え、お、俺!?」 
「そう! 後のことはそっちの旅人兄ちゃんに任せろって言ってさ、妖精さんと一緒に光の中に消えちゃったんだ!」
「はあ? 何で俺が? てか誰の指名だって?」
「いやー、そうでしたか! やはりあの方々は魔物から村を救いにお出で下さった天使様! そして貴方はその下僕の天使様だったのですね!」
「おい! 何で俺が下僕扱い! てか、一体どっからそんな話に・・・・・・!」
「おおー!」
「ありがたや、ありがたやー!」
「きゃー!」
「わー!」
 完全に興奮状態の村人たちには、フェグダの反論など通じない。
「ったく、何だって俺はこんな役ばっかなんだよぉ・・・・・・」
 正直、人目もはばからず頭を抱えて唸りたい心境である。
「さあさ、どうぞこちらへ! こんな有様で大したことは出来ませんが、多少なりとも宴席を用意致します! どうぞごゆるりと寛がれて、魔物退治の様子などをお聞かせ願えませんでしょうか!」
 その瞬間、フェグダの耳がぴくっと動く。
「そ、そんなに言うんなら、無下に断るのも申し訳ないな。忙しい身ではあるのだが、ほんの少しだけならば」
 わあっという歓声と共に、村人たちが押し寄せた。
 彼ら突撃を宥めようと両手を高く上げたフェグダは、ふと違和感を覚る。
 その僅かの隙に、フェグダは完全に取り囲まれ、容赦なくわやくちゃにされる。
(・・・・・・ま、いっか。どーせ面倒事からは逃れられやしねーんだから、ちょっとくらいお祭り騒ぎに付き合ってやったて悪かないよな。それに、幻術だか魔法だか知らねーが、こんなことが仕組めるのはあいつ以外に有り得ないだろーし)
 袖口に付いていた赤い染みが消えていた。最初から何も無かったかのように。
(冗談にしたって人が悪すぎるぞ。ったく、心配して損したぜ・・・・・・じゃなくて、誰が心配なんかするかってーの!)  
 幸いと言うべきか、フェグダの内心の葛藤に気付いた者は誰一人としていなかった。



「流石だな」
 広場の様子を遠くに感じながら、カリムは素直な感想を口にする。
「でしょ! ダテに黒翼の天使なわけじゃないんだよ」
 眠っていたジーロにそれらしい夢を見せて、村人たちを煽るよう仕向けたのはアシェルだ。
 人間の精神に直接働きかける類の術は黒翼の天使の得意技の一つなのだが、それに散々苦労させられた経験を持つカリムとしては、少々複雑なところでもある。
「それじゃ、仕上げと行きますか」
 アシェルは乱雑に散らかってしまった小屋の中で、唯一整えられたベッドに目を向ける。そこには寄り添って眠り続ける、母娘の姿があった。
「・・・・・・やはり、魔物には視えないな」
 イリィの母親が契約者であることは判っている。だが、カリムの眼には彼女はただの人間にしか視えない。
「そりゃあそうだよ。契約者は人間だもの。魔物の力を借りることは出来ても、力を行使しない限り見分けはつかないよ。黒翼の天使にとって魔物は単なる手駒じゃない、負の感情に染まった人間の命を集めて精製するための重要なアイテムだ。ボクらにとっての薬酒を得るための。だから魔物を製造するための契約には、途中であっさり見破られるようなチャチな術は使わない。持てる技術を駆使し用意周到に手間暇かけて、一体一体に見合った方法を取るわけだから、それはもう芸術作品って言っていいと思うな」
「・・・・・・お前、魔物を造ったことなんてあったのか?」
「あるわけないじゃない。それが?」
「いや別に」
 それにしてはしっかり魔物を語ってたよな、とは口には出さない。
「負の感情に染まった命が黒翼にとっての薬酒・・・・・・その最たるものが死の恐怖か」
「だから魔物は本能的に人間を殺戮する。そして殺人は、契約者が魔物に変わる条件の一つでもあるんだ。つまりね、彼女のように契約してから二年もの間、その条件を満たさずにいられたなんて、本当に稀なことなんだ。守護者がこの地に及ぼす力も一役買っていたんだろうけど、何より彼女自身がそういう人間だからだと思うよ。・・・・・・彼女と契約した奴は、じっくり待つつもりなんだ。なかなか魔物にならないような人間を契約者に選ぶことは、強力な魔物を造り出す秘訣でもあり、契約主の自尊心を満たす愉悦でもあるからね」
 淡々とした口調とは裏腹に、アシェルは翳りを帯びた瞳でじっと二人を見下ろしている。 
「彼女がどんな人間だとしても、契約が結ばれてしまっている以上、いずれ魔物に変じる運命は変わらないのだろう?」
「そうだね。契約を破棄するには、予め設定した破棄条項を満たすか、契約主の合意を取り付けるしかないけど、そもそも破棄条項なんて設定してるはずないし、契約主が破棄に合意するなんて有り得ないね」
「彼女を魔物にしない方法は、一つしかない、か」
 
 振り向いたアシェルは、静かに佇むカリムを見た。
 イリィに母親と話をさせたいと、アシェルは望み、カリムはそれが叶うよう全力で応えた。
 二人が目覚めれば、その願いは叶うだろう。アシェルの考えが正しかろうと、そうでなかろうと、イリィは答えを得られるだろう。
 けれどもしも、母親と話すことで彼女の事実を知ってしまったら、イリィは辛い決断を迫られることになるだろう。
 イリィに非情な選択をさせるよりは、敢えて自分の手を汚すことを、カリムは厭わないだろう。自分がイリィに憎まれることになろうと、躊躇いはしないだろう。
 憎しみに縋ることが、往々にして救いとなることを、カリムは否定したりはしないから。 
(ボクが願いを口にした時から、キミはその可能性に気付いてたよね)
 蒼い瞳は、全てを深く深く沈めて、ただ静かにそこに在る。
「ねえ、カリム。黒翼であるボクには、契約者に刻まれている契約印が視えるんだ。契約印は他の黒翼や魔物に対して、これは自分の所有物だから手を出すなって警告だから。それを侵すことがどういうことか。だから魔物は絶対に、契約者に手を出さない。けど、わざわざ警告するってことは、そうする意味があるってことなんだよね」
「・・・・・・」
 怪訝そうなカリムをどこか楽しげに振り返ってから、アシェルは眠っている二人の傍に降り立った。
「ねえ、カリム。そこで見ていて。絶対に手出ししないって、約束して」
「・・・・・・」
 カリムは返答しない。理由は簡単。もしもアシェルに危害が及ぶ可能性があるなら、それを黙って眺めているつもりなど無いからだ。
「キミの気持ちは解るよ。でも今は、キミが手出しをせずに黙って見ていてくれることこそが、一番ボクのためになるんだよ。だから、ボクを信じて」
「信じて、いればいいのか?」
 カリムは瞳を一度伏せてから、しっかりとアシェルの緑色の瞳を見返す。
「分かった。ここで見ている」
「うん! 待ってて!」
 とびっきりの笑顔で頷いてから、アシェルは死んだように動かないイリィの母親と正対した。
 アシェルの瞳に、黒い炎が浮かび上がる。
 その背の金属を溶かしたような羽根が、大きな黒い翼へと形を変える。   

「ボクの声が聞こえるね?」
 その瞬間、イリィの母親がカッと目を見開く。その眼窩の奥に瞳の色は無く、ただ闇だけが存在する。
「答えなさい。お前の名は?」
 威圧的に、アシェルは命じる。
「ウ・・・・・ア・・・・・」
 開かれた口から、苦悶に満ちたしわがれ声が漏れ出す。
「答えなさい!」
「・・・・・・イ・・・サラ・・・・・・」
「そう、イサラ」
「グ・・・・・・ウゥ・・・・・・」
「お前は黒翼の天使と契約を交わした。その際に何を願ったのか、言いなさい」
「ウ・・・・・・ウウ・・・・・・オ・・・許シ・・・・・・」
「ダメだよ。イサラ、これは命令だよ。答えさない!」
「ウ・・・・・・ガアッ・・・・・・!」
 イサラの身体がビクッと跳ね上がるや、野獣の唸り声と共に、正面のアシェルに肉迫する。
 カリムは、動かなかった。
 アシェルはカリムを見なかった。
 ただ、イサラの目を見つめ続けた。
 操り糸に手繰られる如く飛び上がったイサラの身体は、アシェルの眼前で見えない壁にぶち当たったかのようにバンッと急停止する。なおも手足を震わせてもがき続ける彼女に、アシェルは命令を重ねる。
「答えなさい、イサラ。それがお前の・・・・・・お前の大切なイリィのためだよ」
「ウ・・・・・・イ・・・リ・・・・・・」
「イリィのためだよ。解るね?」
「ウ・・・・・・ああっ・・・・・・!」
 イサラの空虚だった眼窩から透明な液体が、涙があふれ出す。
「・・・・・・ノ、望ミ・・・・・・イリィを、守ルこと・・・・・・約束したカラ・・・女神さまト・・・・・・ぐ・・・・・・うがあっっっ!」
 見開かれた眼窩から、叫びを上げる口から、そして彼女の全身から黒い炎が吹き上がり、大きな火柱となって渦を巻く。
 黒い火柱の中に、イサラと、アシェルの身体が呑み込まれる。
「・・・・・・!」
 カリムは、動かなかった。
 両手の拳を力一杯握り締めながら、一歩たりとも動かなかった。
 その光景から目を逸らすことなく。
    


 それは、どこかの街だった場所。
 劫火の後の、真っ黒に焼け焦げた残骸。
 所々に、真っ黒に煤けて力なく項垂れる人影。
 そんな中に現れた一人の女性。
 粗末な身なりではあったが、黒く澱んだ世界の中で、その女性だけが色を持っていた。
 その腕の中に眠るのは、輝くような一人の赤子。
 女性は傷を負っていた。
 それでも消えることのない紫色に輝く瞳を、小さな小さな命に向けて。
 ・・・・・・彼女は一人、去って行った。
 女性の言葉はよく解らなかったけれど、小さな命をお願い、と。どこに行ってもいつか必ず迎えに来ると言い置いて。
 託された小さな命をしっかりと抱き締めながら、言われた通りに隠れている横を、黒装束の一団が駆け抜けて行った。
 彼らが何者かは判らない。ただ、その先頭に立っていた女の目は、一度たりとも忘れたことが無い。 
(その女性に託された小さな命がイリィ・・・・・・。貴方は、そんなになってまで守りたかったの? ほんの一瞬出会っただけの、その女性のために・・・・・・)
(イリィは、女神さまに託された希望・・・・・・大切な光・・・・・・だから、願った。イリィを託せる者が現れるまで、守る力が欲しい、と・・・・・・。私の大切な女神さま・・・・・・私の全て、私の希望・・・・・・)
(そう、愚問だったね。誰かを好きになるのに、理由なんて要らないね。好きになったその瞬間こそ全てなんだから)



 黒い炎は勢いを減じ、一条の風の渦となって収束していく。
 渦の中心に、大きく腕を広げた格好のアシェルが立っている。黒い渦は次第にアシェルの胸から身体の内へと、飲み込まれて消滅した。
 中空に浮かんでいたイサラの身体が、そのままドサリとベッドの上へ落ちる。
 眠り続けるイリィの横に、何事も無かったかのように。
 黒い炎を吸収し尽くしたアシェルは、閉ざしていた瞳をゆっくりと開ける。
「・・・・・・もう大丈夫だよ。これであなたはイリィの行方を見届けることが出来る。・・・・・・だけど、誰かに頼る必要はないんじゃないかな。イリィは、ちゃんと自分で歩ける子だよ。カリムもそう思うよね!」
 そしてアシェルは、カリムのへと向き直った。
 緑色の、悪戯っぽい瞳で。

「どう? 見た見た見た?」
 飛びついて来たアシェルを受け止めて、カリムはそっと小屋を後にする。
「・・・・・・何をしたんだ、アシェル?」
「うん。強制的な契約破棄! 黒翼だけに可能な裏ワザだよ! ってか、契約の力の横取りなんだけどね。これで彼女は、もう魔物にはならないよ」
「横取り?」
 物騒な言葉に、カリムはひそめていた眉を更に引き絞る。
「つまりお前は、黒翼の天使が契約に使った力をわざと分捕ったってことか?」
「そういうこと! おかげで今とってもお腹一杯!」
「それは要するに・・・・・・」
「彼女の契約主な黒翼の天使に正面から喧嘩売ったってことだね!」
「やっぱりか」
「さーて、どんな仕返しされるんだろー。手間暇かけた所有物を横取りされて笑ってるよな黒翼なんて居ないだろーしねー」
「所有物ね・・・・・・」
 すいと、カリムの瞳が冷やかに細められる。
「先刻から聞きたいと思ってたんだが、お前はどうやって魔物の力を手に入れたんだ? 条件云々を聞いた限りじゃ、自分で自分と契約することは出来ないよな?」
「どうしてそんな危ないことを」と怒られることは覚悟していたが、何だか怒られる方向性が予想と違う気がする。
「それはその・・・・・・他の黒翼と契約、とか・・・・・・?」
「で、お前は今の所まだ魔物に成りきってない、と」
「まあ、第一条件はクリアしちゃってるけど、契約した望みはまだ叶ってないから」
「お前の望みは俺をその手で殺すことだったよな」
「・・・・・・うん」
「それが叶ったら、お前は魔物として契約主の所有物になるって、そういうことか?」
「・・・・・・そうなる、かな?」
「冗談じゃない!」
「・・・・・・あの、カリムってば、ムカついてる?」
「当然だ。何で俺の一番が他の奴に物扱いされなきゃならない? そんなことを、この俺が認めるとでも?」
 全身から立ち上る怒りのオーラに、カリムの長い髪がゆらりと不穏に揺れている。
「そう言われても、ボクの場合はホラ、契約の解除も裏ワザも出来そうにないんだし、」
「だったら、お前が完全な魔物になるのは断固阻止してやる。俺はお前のものだが、殺させてはやらない。魔物にならなくたって、黒い滴があれば問題無いんだろ。なら契約者から横取りだろうが、遠慮なくやればいい」
「だから、それ、黒翼に喧嘩売ることなんだってば・・・・・・」
「何を今更。先刻hお前自身が喧嘩売ったってのに、俺にはイチャモンつける気か?」
「それはホラ、一回くらいならゴメーン間違えちゃったーで済ませてもらえないかなーって」
「済むと思うか? 本当に?」
「・・・・・・無理、かな?」
「無理だな。そのために俺がいるんだろ?」
「だって・・・・・・いいの? そんな大口叩いちゃって。薬酒は先刻で使い果たしちゃったし、根性だけで何とかなる相手じゃないんだよ?」
「それはもちろん・・・・・・」
「何か勝算があるっての?」
「いや、それほどのものじゃ・・・・・・」
 言葉を濁したカリムに、ここぞとばかり、アシェルは畳みかけを敢行する。
「ねえ、もういい加減手の内明かしちゃいなよ? キミはさ、勝算が1パーセント以下だろーと全賭けしちゃえるヒトだけど、逆に言うと、勝算が完全にゼロなコトを言ったりしないよ。あるんでしょ、何か奥の手が?」
「・・・・・・」
「それとも、ボクが大事だとか大見得切ったの、後悔してたりしてー?」
「するか馬鹿!」
「えーじゃあ聞くけどさー」
「何だよ?」
「ボクが彼女の魂を持ってるって知らなかったら、あんな風にプロポーズ出来たと思う? 男の子の姿なアシェルに対して、さ?」
「・・・・・・!」
 思わず固まったカリムに素早く近付いたアシェルは、軽くキスして、ぴょんと飛び退く。
「お、お前な・・・・・・」
 からかわれたと気付いたカリムが、がっくりと脱力する。
「どうかしたー?」
 五歩分ほど先から振り返ったアシェルが、心持ち照れ笑いで振り返る。
「・・・・・・俺は、お前にちゃんと言えただろうか?」
「え? 何か言った?」
「いや、何でもない」
 カリムはアシェルに追いつこうと、大きく一歩を踏み出した。



『それで、二日もどんちゃん騒ぎしてたってわけ? 連絡するヒマも無しに? ったく、いいご身分だこと!』
「しようとしたよ連絡は! けどそっちが通信に出なかったんじゃないか。俺だけのせいにすんなよな!」
『あんた一人のために四六時中通信珠の前に座ってろっての? 冗談でしょ。休憩時間に休憩出来なくて、どこでガールズトークしろってのよ?』
 それはクミルの生き甲斐であり、フェグダにとっても貴重な情報源である。
「・・・・・・そう言うなよ。これでもちゃんと仕事はしてたんだぜ、最低限は」
『ええっ! それって災厄の天使様か星焔の天使様に会えたってこと!?』
 クミルの声が期待に弾む。
「あ、ああ・・・・・・」
 村中総出て盛り上がった後の夜更け、こっそり遺跡に行ってみたのだが、そこにはもう誰もいなかった。だが、遺跡の奥まったホールで、フェグダは少年が残したと思しき装飾具を見つけた。”三対翼と矛と交差する二つの三日月”の紋章があしらわれたそれを。
「・・・・・・まさか、そんなカンタンに見つけられるかよ!」
『なーんだ。ま、期待はしてなかったけどさ・・・・・・』
 とは言いつつも、クミルの声には落胆の色がありありと浮かんでいた。
『それで、あんたは一体何してたのよ?』
「だから、言ったろ? この村に羽根使いがいたんだよ。それを狙った(のかも知れない)魔物と一戦交えたり、羽根の暴走を食い止めた(ヤツを見届けた)り、その後の事後処理(連日の宴会)や事情説明(旅の面白話)を求められたりや、何やかやだよ!」
『ふーん。あんまりネタになりそうじゃないなー』
「俺の話もガールズトークのネタになってんのかよ。それはともかく、新人担当の手配の方は? 何時ごろ来れそうなんだ?」
『あ、それね。今こっち手一杯だから、あんた近くの街まで連れてきてくれない?』
「何で俺が!」
『だって、大した用なんて無いんでしょ』
「あー、まー、そりゃそーなんだが・・・・・・」
『歯切れが悪いなあ! 言いたいことがあるんならさっさと言えば?』
「いや、ちょっと・・・・・・ああもう、分かったよ! 転移門のある街まで連れて行けばいいんだな! それだけだな!」
『何よ、それで貸にしたつもり?』
「はいはい、クミル様にお借りした今までの御恩の数々は決して忘れちゃいませんって!」
『だったらいいのよ。・・・・・・それとね』
 通信珠の向こうで、クミルは声をひそめる。
「ん?」
『例の物、もしかしたら手に入るかもなんだけど・・・・・・』
「何だって!? お前ずっと、無理だ無理だってつっぱねてたじゃねーかよ!?」
『シイッ! ・・・・・・・あたしだって調べてはいたのよ、一応は! で、ようやく倉庫係(主塔在庫管理室)の子のツテで、何とかなりそうなカンジなのよ。まあ、今すぐってわけにはいかないけど。その様子じゃやっぱ要らないなんて断ったりしないよね?』
「ああ、モチロンだ!」
『・・・・・・』
「クミル?」
『あ、ええ。いいこと? この貸しは大きいからね、覚悟してなさいよ」』
「もちろん、今度聖都に行ったら必ず、今までの分とまとめてどーんと払うから期待していいぜ!」
『まとめてじゃなくても、プレゼントは随時受け付けていてよ。それじゃ、街に着いたらいつもみたいに連絡ちょうだい』
「ああ! 頼りにしてるぜ!」
『当然でしょ!』

 発光の治まった通信珠を見据えたまま、フェグダは暫く動かなかった。
(まさか、ここで手に入るなんて・・・・・・白亜の塔の秘中の秘、奇跡をもたらす禁断の秘薬、炎の滴! その正体さえ解れば・・・・・・。あんな男を頼らなくたって、俺が必ず解放して見せる! だからもう少し待っててくれよ、母さん・・・・・・)



 明るい調子で通信珠を切ったクミルは、余韻の発光が完全に消えてしまってから、ふーっと深い息を吐いた。
「ご苦労だったね」
 クミルの背後で、その人物は労いの声をかける。
「いいえ。この役は、私以外には出来ませんから」
 背後を振り向くことなく、クミルは応える。
「ですが、どうしてなんですか。ずっとフェグダのことを遠ざけていたのに、今になって急に・・・・・・」
「・・・・・・」
「一つだけ、お答え願えませんか。これは、フェグダのためになることなんですよね?」
「もちろん、そうだよ」
 その声はどこまでも優しげだった。いつも通りに。
「すみません、出過ぎたことでした」
「構わないよ、クミル」
 その人物はゆっくり近付くと、通信珠の前に座ったままのクミルの肩に、そっと手を置いた。

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