小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 第4話 謁見



 しばらくするとイリィの耳にも、数人の大人が丘を上ってくる重たそうな足音が聞こえてきた。
 が、いざ神殿を前にして、彼らの足運びは”坂道で疲れた”以上に緩慢になってきているのが判る。
 廃墟同然とはいえ、禁域に足を踏み入れるのは、そこそこ勇気がいるようだ。

 妖精さんはイリィの横で、どうしたものかと思案顔をしている。
 普段よそ者が訪れることのほとんどない辺鄙で小さな村の住人にとっては、異国人のカリムだけでも十分目立つ。
 妖精さんのアシェルに至っては、下手をすれば恐怖の対象になりかねない。
「ねえ、隠れた方がいいんじゃない?」
 不安そうな面持ちで、イリィは至極当たり前に思える提案をした。
 崩れかけてはいても、神殿にはそれなりに奥行きと広さがあるし、こっそ隠れてしまえば、ちょっとやそっとで見つかりはしないだろう。
 大人達だって、こんなところにはあまり長居したくないだろうし。
「うーん。それはどうかなー。目撃者がいるからねぇ」
 アシェルも言う通り、やんちゃな子供とはいえ、ジーロはそれなりにしっかりしている方だ。
 悪戯ですむ嘘とすまない嘘を使い分けるくらいの分別だってある。
 ジーロが必死に主張すれば、大人だって真剣にならざるを得ないだろう。
 その結果が、この状況というわけだ。
「何、ここに居るのがバレたらマズいの?」
 青い顔をしているイリィに気付いたアシェルが、小首をかしげて問いかける。
「禁域だから怒られる、とか?」
「う、うん・・・」
「ひょっとしてさぁ、ボクたちが隠れちゃったりしたら、イリィやジーロが普段からここに出入りしてますよって、宣言するみたいなもんだったりする?」
 鋭い指摘だ。
 大人たちが何も見つけられなければ、くたびれ損のトバッチリはジーロに行くことになり、なし崩し的にイリィのこともバレる可能性が高い。
(そんなことになったら、もう歌いに来れなくなっちゃうかも・・・・・・)
 ある意味、掟破りで一番割を食うのは、逃げ出せばそれで解決のよそ者よりも、その掟に縛られる共同体の一員だ。

「まあ考えようによっては、出向く手間が省けたかもな」
 思い悩むイリィの心中を見透かしたかどうかはともかく、そう言ってカリムはおもむろに立ち上がると、パチンと音をさせて両腕に嵌めていた籠手を外した。
 そしてイリィの見ている前で、ポイと無造作に砂の上へと投げ落とす。
 次は両手に嵌めていた数個の指輪が外され、さくりと乾いた音を立てて砂に埋まる。
 ホールの入り口とは舞台を挟んだ反対側なので、上から砂を被せて隠さずとも見つかりはしないだろうが、それでも後で探し出すのは結構大変なのではないだろうか。
 そんなことを考えてハラハラしているイリィをよそに、カリムは結い上げた髪を束ねていた髪留まで外して投げ捨てる。
 淡い色の長い髪がふわりと波打って広がるのに、一瞬わずらわしそうな目を向けたカリムだが、すぐに作業を再開する。
 幅の広いベルトのバックルが外された途端、支えをなくした引き裂き傷だらけの緋色の長衣が、カリムの身体から外れてバサリと落ちる。
 ただし、長衣が落ちたのは舞台の上で、それは即席の敷物に早変わりした。
 カリムが長衣の下に着ていたのは、黒いチュニックとズボン。腰には深い緑色の絹帯。そして細身のロングブーツ。
 だがその全てに、長衣と同じような引き裂き傷が刻まれていて、濃い色目であるだけに白磁色の肌との対比が一層際立っている。
 それでも軽装になったことで、豪奢で異国風なイメージが幾分緩和されたが、それでカリムの価値が損なわれるということは全くないだろう。
 彼は、身を飾ることで地位を主張しなければならないような人間とは、一線を画す存在だ。

「お前はどうする?」
 準備完了したカリムに問われて、そこでイリィは我に返った。
 彼が聞いたのは”自分と一緒に居る所を見られてもいいのか”ということだろう。
 心配されてちょっと嬉しかったり、なんてことを言っている場合ではない。
「えっと、私、えっと・・・・・・」
「隠れる場所は、判るよな?」
 何か言い繕うまでもなく、困りきった態度で丸わかりだったようだ。
 イリィは急いで、ホール左手に幾つか転がっている岩の中で一番大きなものの陰にしゃがみ込んで身を隠しす。
「アシェル」
 呼ばれたアシェルは、躊躇無くカリムに向かって飛んだ。
(どうするつもり?)
 てっきり一緒に隠れる気でいたイリィは、驚いて目を瞠る。
 飛びついてきたアシェルを軽く抱きとめ、一度目を見交わしてから。即席の玉座にゆったりと腰を下ろしたカリムは、ホールの外にまでやって来ていた足音の方に目を向けた。

「そこに誰ぞおられるか!」
 カリムが声をかけた途端、ホールの入り口辺りで、ざわざわしていた気配がピタリと止まった。
 大方誰から先に行くかでモメていたのだろうが、ややあって、のそのそぞろぞろと大の男がおっかなびっくり連れ立って姿を現す。
 先頭にいる恰幅のいい年配の男性が去年代替わりした村長なのだが、まわりの男達に押し出されるように歩いているあたり、威厳や貫禄といったものにはまだ縁遠い。
 だが村長の後ろの3人にしても、若い頃にはそれなりに農作業で鍛えた屈強な体躯の持ち主なのだから、それが他人を盾にしているとは何とも情けない光景だ。
 最後尾の一人が、牧草用フォークや鎌などを4人分まとめて抱え持っているのは、何かあれば一応は武力行使も辞さない覚悟を示すためだろう。
 仮にも聖域の中で、いきなり本気で使うつもりはないだろうが。
 4人の顔ぶれからして、祭りの段取りを確認するという名目で談笑でもしていたところを、広場に駆け込んで来たジーロに出くわした、というところか。
 力仕事専門の現役若者組は、今頃はまだ村の外に散らばっての作業中だろうし、誰かが呼び集めに走っているとしても、来るにはもうしばらくかかるだろう。
 ともあれ、ホールに足を踏み入れた村長他3人は、中央の舞台に端座する少年と、その傍らにピタリと寄り添う妖精さんの姿を見るや、大きく息を呑んで立ち止まった。

「この地の代表者方とお見受けする」
 彼らが呼吸を思い出す程度には驚く時間を与えてから、鷹揚に切り出したのは、もちろんカリムの方だった。
 しっかりした、よく通る声。
 威圧感などおくびにも出さず、いっそ淡々として穏やかですらあるカリムの前で、その場の誰もが凍りついたようにしわぶき一つ立てることが出来ないでいる。
 そんな彼らの視線を一身に集めておきながら。
「貴公らを騒がせたこと、まことに心苦しく思う」
 軽く目を伏せる程度の黙礼。
 相手に下手に出られたことで、彼らは何とか体裁と本来の目的を思い出したようだ。
 「そ、そんな滅相もない・・・私はここの村長で、オーリーと申します。異国の尊きお方とお見受けいたしますが、その・・・大変失礼ながら、この地は私ども代々の禁足の聖地にてございます。もしお許し願えますならば、ご来訪の理由を承りたく存じますが・・・」
 村長の態度からして、目の前にいる少年を、年に一度訪れる領主の徴税吏などよりもよほど高貴な身分のお方と判断したのは確実だ。
 普段の村長の、この上なく横柄に振舞う態度はどこへやら、だ。
「我は、訳あって故国より難を逃れし者。氏素性を明かすことは、貴公らにとっても都合が悪かろう故、許されよ」
 痛んではいるものの、決して粗末ではない出で立ちが、話の信憑性を助長する。
「これなるは、我が友にして守護である」
 ここでカリムは、村長に向けていた視線を、すぐ横に立つアシェルに向けた。
「これがおらねば、難を逃れること叶わなかったであろう」
 アシェルは艶やかな笑みで、彼らの視線を受け止める。先刻までイリィと話していた人懐っこい妖精さんとは、何だか別人の雰囲気だ。
 ゆっくりと村長に目を戻したカリムは、凛とした声で宣言する。
「我と貴公らとの間に諍いなき限り、我ら両名、貴公らとこの地に仇なすことはないと約束しよう」
 それは言葉通りの意味であると同時に、手出ししようものなら容赦しないと宣告したようなものである。
「そ、それは、はい、もちろんでございます、はい!」
 背筋をびしっと伸ばして応える村長に、カリムは満足げに頷いてみせる。
「禁足の地を汚したことは申し訳なく思う。何か礼が出来ればよいが、今はそれも難しい有様」
 なるほど、カリムが装飾品の類を隠したのは、お礼にと与えるつもりがなかったからか。
「そ、それにございますれば、不肖ながら我が家へお招きいたしたく存じます。あずま屋ではございますが、ここにおられますよりは、いくらかマシであろうと存じますが」
 村長としては、他の村人の手前もあっては、やはりいい格好すべきところだ。
 だたし声が上ずっているあたり、どうやってもてなせばいいのか正直動揺しまくっている彼の心中の勘定と葛藤を、十分すぎるほど露呈している。
 もっとも一言も発せないまま見守るしかしていない付き添い3人に比べれば、それでも素晴らしい頑張りようなのだが。
「ご厚情痛み入る。なれど、我が友にはこの地の空気が馴染みやすい。それに先の通り、我らにはあまり関わらぬが貴公らの益と心得る。数日のことと黙認いただけまいか」
「は、それは、その、どうぞご存分にご滞在下さいませ。ご入用の物がございますれば、どうぞ何なりとお申し付けを」
 深々と頭を垂れる村長に倣い、背後の男たちも一斉に頭を下げる。

 それはまさに、歌劇の一場面を見ているようだった。
 カリムは最初から最後までその場の雰囲気を支配し、名乗らない言い訳をさらりと納得させ、互いに争わない約定を取り付けた。
 しかも、全く高圧的に出ることなく、相手を尊重するような丁寧な物腰でありながら、自分の主張は譲らない。
 たった一度の対面で、と言うか、対面した瞬間から、両者の立ち位置は決定付けられていた。

「その方ら」
 放って置けばいつまでも平身低頭していそうな村人に向けて。
 その高い声の主が、少年の傍らの妖精さんだと判って、村人達はさらに身を固くする。
「謁見は終わった。退席を許す」
 アシェルにきっぱりと告げられて、彼らがわたわたと退出しようとした、その時だ。

「みんな待ってよ! イリィは? お前らイリィをどうしたんだよ!?」
 決死の覚悟といった体で叫びながら、ホールに駆け込んできたのは。
「ジ、ジーロ! 何を無礼な・・・・・・!」
 思わぬ事態に青くなった村長が、普段の彼からは想像できないような反射神経を見せて、前に飛び出そうとしたジーロの腕を捕まえる。
「こら、放せよ村長!」
 掴まれた腕を振り解こうとして、ジーロは激しく抵抗した。
 だが、その背後で。
「来ているのか?」
「あの、不吉の・・・」
「しっ! それを口にしては・・・」
 不安げな男らの、ひそめた声が聞こえる。
 それは当然、カリムとアシェルにも聞こえただろう。
 イリィは身体の真ん中が冷たく重くなっていくのを感じた。
 村人たちは、イリィを嫌い、のけ者にする。
 村の不吉であるから、と。
(そんなこと、知れれたくなかったのに・・・・・・)
 絶望的な気分で、イリィは両手に顔をうずめた。
(ジーロってば、もう、どうして・・・・・・)
 思わず八つ当たりしたい衝動に駆られるが、ジーロが何を考えたのかは想像出来る。
 村長らを呼びに行った後、ついてくるなときつく言い渡されただろうに、こっそり後について戻って来て、今までのやり取りを外から窺っていたのだろう。
 何よりイリィを心配して。
 だが、ジーロの思いとは裏腹に、その行動は完全に裏目に出てしまっている。
(どうしたら・・・・・・私・・・・・・)
 カリムにもアシェルにも、イリィを庇う理由はない。
 そもそもこのことは、村の内部の問題だ。
 先刻の約定通り二人が村人との諍いを避けたいのなら、下手にイリィと関わりを持つよりも、とっとと放り出して村長の裁量に委ねるべきなのだ。

 村長は、イリィが遺跡に出入りしていたことを咎めるだろうか。
 煩わしそうに追い立てるだろうか。
 それとも、いつものように無視するだけか・・・。

「貴公が探すは、あの者か」
 カリムはきっと、イリィを指差しているはず。
 閉じていた目を無理やり開くが、イリィの目の前は暗いままだ。
 それでも、ふらりと立ち上がったのは、見苦しい別れ方はしたくないと思う、イリィの最後の意地のようなもの。
 だが。
「あの者もまた、我の助けになりし者。これも大いなる御手の導きであろう」
 イリィははっとして、顔を上げる。
 目の前に、笑顔のアシェルがいた。そのままふわりと、誘うように手を差し伸べられる。
 村人の視線の集まる中。普段は針のように感じるそんな場面の真ん中で。
 イリィが感じていたのは、ビクビクと怯える心ではなく、胸いっぱいに溢れる嬉しさだった。
「されど、知らぬここととはいえ、あの者に禁を破らせたは我らの落ち度。此度のこと、咎めだてなきよう望む」
 命令でこそなかったが、はっきりとそう告げられては、彼らに否やのあろうはずもない。
「は、はっ! まことに、数々のご無礼、平に平にっ・・・・・・!」
「すでに許すと言ったはず。これ以上主のお心騒がせること、我は望まぬ」
 さらに謝ろうとする村長に、アシェルがピシャリと言ってのける。
「主の平安こそ我が望み。ゆめ、違えるまいぞ」
 いくら優しい口調であっても、妖精さんの念押しは、ある意味脅しと大差ない。
 村長らはやってきたときと比較にならない速さで、ホールから退出して行った。

「さて、と」
 アシェルは腰に手を当てると、もうひとつ状況を理解していなさそうなジーロと、まだ動悸が収まらず胸を押さえて肩で息をしているイリィを見下ろした。
「イリィ、イリィ! 大丈夫だった!? あいつらに何かされたんじゃないの!?」
 ジーロは子犬のようにイリィに飛びつくや、開口一番、騒がしくたずねまくる。
「・・・・・・違うから。それに、この人たちはそんなんじゃなくって」
「あのねえ、ジーロ! もうちょっと状況考えて行動しなよね! キミのせいでイリィが困ることになったんだからね!」
「何だよお前・・・・・・・」
 いつものように啖呵を切ろうとしたものの、相手が妖精さんだと気づいた途端、さすがのやんちゃ坊主も威勢をなくす。
「・・・・・・てか、何でオレの名前知ってんだよ!? 魔法?」
「だって、さっき聞いたもの」
「え、私!?」
 アシェルとジーロの双方から目を向けられて、イリィは思わず両手で口を押さえる。
(ど、どうしよう、覚えがない!?)
「まあ、それはともかく」
 こほん、とアシェルは一つ咳払いしてみせてから。
「二人とも、一度戻った方がいいと思うよ。いつまでもここにいたら、それこそ怪しまれるんじゃないの?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「もし怒られそうになったら、ボクが怖かったからとか、言い訳していいからさ」
 今回のアシェルは、そういう役回りなのだし。
 悪戯っぽくウィンクされて、ジーロはちょっとビビりながらも、ほっとした顔を見せる。
 やはり怒られるのは嫌だったのだろう。
 イリィとしてはまだここを離れたくはなかったが、自分が帰ると言わなければジーロが一人で帰るはずもない。
「あの・・・・・・」
 カリム、と名を口にしかけたイリィは、とっさにアシェルが口に人差し指を当てたのに気付く。
 ジーロの前で不用意に呼んでは、せっかく村人に内緒にした意味がない。
 気をつけなくては。本当に。
「さっきは、どうもありがとう」
 片膝を立てて頬杖をつき、静かに3人のやりとりを見ていたカリムは、「ああ」とだけ返事をした。
 アシェルが最初に自己紹介した通り、無愛想なのが地のようだ。
 が、決して、悪い人ではないと思う。
 イリィは心残りを振り切るように手を振ってから、ジーロを促して神殿を後にした。



 イリィとジーロが遺跡から遠ざかるのを見届けて、アシェルはやれやれと息をつく。
「ほんっと、何だかなー」
 目の前のドタバタに対処するために、今まであえて目を瞑っていたが、これでようやく二人きり。
 少しは落ち着いて、自分達の置かれた現状について、考えられるというものだ。
 とは言え、山積状態の問題の、一体どこから解きほぐしていけば良いものやら・・・。
(それに、何だか・・・・・・)
 アシェルがカリムの方に向き直ろうとした、その時だ。
 どさっと、何かが倒れる音がした。
「カリム!」
 振り返ったアシェルが目にしたのは、力を失った手足を投げ出すように、横向きに倒れ伏したカリムの姿だった。
 白い舞台の上に広げられていた長衣の緋色が、不吉なほど鮮やかに揺らめいて見えた。

-4-
Copyright ©UMA.m All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える