小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第5話 傷ついたもの



 カリムは崩れるように倒れ伏したまま、ピクリとも動こうとはしない。
 急いで傍に飛んだアシェルは、白い顔の上に落ちかかっていた淡い色の髪をそっと払って、冷たい頬に手を当てる。
 閉ざし切らない瞼の下、ごく僅かに覗く瞳が、光すら届かぬ深淵を思わせる。
 それでも、胸に耳を押し当てれば、ゆっくりとした鼓動が感じられて、アシェルはほっと息をつく。
”あの時”刻まれた傷は完全に塞がっていて、見た目には全く跡形もない。
 だが、負ったダメージからは、まだ回復しきれていないのだろう。
 せめてここに薬酒があればよいのだが。
 アシェルはぎゅっと強く拳を握り締めた。
 両の手には、まだ”あの時”の感覚が残っている。



『おはよう! キミにとっては久しぶり、かな。ボクのこと、覚えてる?』
”あの時”。
 何年もの時を経て。
 驚きに歪む綺麗な顔を、正面から見据えた。
『ねえ、もっと嬉しそうな顔をしたら? これは感動の再会ってヤツなんだからさ。懐かしい懐かしい、キミが殺したトモダチとの、ね』
 ここで笑おうと思っていた。
『ボクの望みがわかるかい? もちろん、わかるよね。そのためにわざわざ、こんな力を手に入れてまで戻って来たんだからさ』
 無邪気に。あでやかに。残酷に。
『ボクにはね、必要なんだよ、どうしても。ねえ、キミの命をボクにちょうだい! いいでしょう? だって、キミはボクを殺すことで、今まで生きて来れたんだからさ?』
 刃のような、宣告を。
『・・・・・・アシェル・・・・・・』
 苦しげに搾り出された声が、それでもハッキリと、その名前を呼んだ・・・・・・。
 だが、伏せられた瞳が再び開かれた時、彼の顔からも、全身からも、一切の表情が消えていた。

 それはつい先刻。
 転移門でこの地に跳ばされる、その直前にあった出来事・・・・・・。



 不意に、カリムの睫が微かに震え、アシェルはハッと我に返る。
 一度強く瞼を閉ざし、小さく眉根を寄せてから、カリムは薄く目を開けた。
 深く蒼い瞳の中に、アシェルの小さな姿が浮かぶ。
 陽光を遮る雲が吹き流されるように、造り物めいた硬質さが消えた。

「・・・・・・どれくらい寝てた?」
「5分くらいかな。ってか、寝てたんじゃないでしょ。気を失って倒れてたって言うんだよ。無防備に、格好悪く!」
「容赦ないな。相変わらず」
「そりゃーね。で、どう? どれくらい大丈夫じゃない?」
「・・・・・・そういう時は大丈夫かって聞くものだろ、普通」
「そんな風に聞いたら大丈夫って答えるでしょフツー。どー見たって大丈夫じゃない人に、ンなこと聞くほどバカじゃないし!」
 どうだと言わんばかりにふんぞり返ってみたものの、アシェルの顔はすぐにまた心配げに翳る。
「キミってばホント、意地っ張りだよね。調子悪いなら悪いで、もうちょっとそれらしくすればいいものを、ヘンに格好つけちゃってさ。まあ、おかしいなーとは思ってたケドね」
 カリムが本調子だったのなら、いきなり中空に投げ出されたとしても、無様に地面に転がるようなヘマはしなかっただろう。
 その場に部外者二人が居合わせたところで、そんな者には目もくれず、さっさと立ち去ってしまえばいいだけのことだった。
 だが、常に自分の状態を把握しておくことは基本中の基本であり、あまり芳しい状態でないと自覚していたからこそ、カリムは当分の居場所を確保するために村人相手に交渉もしたし、アシェルの存在を隠すことなく周知させた。
「まったく、ボクが周りの連中をとっとと追い返してなかったら、一体どうするつもりだったのさ?」
「・・・・・・その時は、その時だ」
 自分の感覚を確かめるように、目の前にかざした手を握ったり開いたりしてから、カリムは身体を起こそうとする素振りを見せる。
「もう少し寝てたら。どうせ今は二人っきりなんだしさ」
 上から覗き込んで額をちょいとつついたアシェルを、カリムは少し驚いたように見返した。
「何? どうかした?」
「いや・・・・・・ずっと前も、そんな風に見下ろしてたよな、お前」
「うん。何度もね」
「・・・・・・そうだったか?」
「うん。何度も!」



”ずっと前”・・・・・・。
 それは、カリムがカリムとして、アシェルがアシェルとして、目覚めたばかりだった頃の話。

”力”を制御する訓練の毎日だったアシェルは、何の気なしに息抜きに出た先で、派手な爆発現場に遭遇した。
 アシェルと同じく訓練期間中のその少年は、ガタガタにめくれ上がった訓練場の床の上に、四肢を投げ出して転がっていた。
『・・・・・・何だよ、お前?』
 それが彼の第一声だった。
 失敗の直後だろうに、悪びれた様子など微塵も無く。
 好奇心に駆られて見下ろすアシェルを、彼は実に堂々と見上げ、自分から問いかけた。
『・・・・・・キミこそ、こんなトコに転がって何してるのさ?』
 それは、少し意地悪な質問だったかも知れない。
『見て判んねーのかよ』
 そう。彼が”力”を制御し切れず暴発させたのは、見れば誰でも判ること。
『天井見ながらお前と話してるに決まってるだろ』
 不敵に笑う、蒼い瞳・・・・・・。

 カリムとアシェルは、そんな風にして出会った。

 その後アシェルは、勝手に出歩いたことをこっ酷く叱られ、”訓練期間が終わるまでは二度と会いに行くな”と散々言い含められたけれど。
 結果的に、アシェルはその言いつけを無視した。
 カリムが何かを派手に破壊するのは茶飯事で、そんな時は周りの小うるさい連中もバタバタと慌しくしていたから、その隙をぬって探しに行くのは簡単だった。
 そうして二言三言、他愛無い言葉を交わして、見つかっては逃げ戻って。でも今度会ったら何を話そうかとワクワクしながら考えて・・・・・・。

 そんな日常がその先も続くのだと、疑いも無く信じていた頃。
 そしていつか、自分達の”力”でもって世界の人々を幸せに出来るのだと、無邪気に信じていた頃のこと・・・。



 カリムにとってそれは”ずっと前”の、過去のこと。
 だが、深い闇の中に閉ざされていたアシェルには、ほんの一時眠りに着く前の、昨日のことと変わらない。

 時の流れは容赦なく。時を戻す術は無く。
 アシェルは変わった。
 外見も、何もかも。取り返しがつかないほどに。
 カリムも、そう、背格好こそ以前と大差無いが、短く切り揃えられていた髪は、流れるほどに長く伸びた。
 二人を隔てる時の流れそのもののように。
 カリムの左腕、短い袖の間に見え隠れしている金細工のアームレットは・・・。
 護符でも何でもなく、どこか素朴な印象さえあるそれは、身に着けていた武具や装備の類だけでなく自分の”力”の源ですら何の躊躇いもなく手放したカリムが、たった一つ手元に残した物だ。
 そんなところにさえ、アシェルの知らないカリムの物語がある。

 ほんの一瞬、ほんの些細なきっかけで、世界はガラリと様相を変える。
 優しかった世界は瞬時にして幻と消え去り、真実は残酷な刃となって、手にする者の心を抉る。
 それを手にしてしまった時−−−アシェル全てを破壊し終わらせる事を望んだ。
 カリムもろとも、滅びる道を。
 だがカリムは、アシェルとは違うものを望んだ。
 それゆえに、カリムは一人生き延び、その後もあの場所で戦い続け、アシェルはそんなカリムを激しく憎んだ。
 閉ざされた、闇の中・・・・・・再び目覚めるその時まで。



 ボクとキミの間に何があったかなんて、語りきれるものじゃない。
 ただ、悲しみも、憎しみも、愛しさも、真実も。ボクの全ては、キミが持ってる。
 だけど、キミの全てを持っていたのは・・・・・・。

 今度こそ、何もかも終わらせる。
 そのためだけに、アシェルは再び、カリムの前に立った。
 それがどんな形であれ。
 全てが始まった、あの場所で。
 なのに・・・・・・。
「ねえ、ボクたち、生きてるんだよね。・・・・・・どうしてかな?」



 突然、カリムはガバッと半身を起こした。
 アシェルが制止するヒマも無い。
 そのままあぐら座にになったカリムからは、それまでの気だるげな様子が、ものの見事に消し飛んでいる。
(・・・ありゃ?)
 何が起こったのか掴み切れず、アシェルはキョトンと目を瞬かせる。
「んん? どうしたのさ?」
「・・・・・・嫌なこと思い出した」
 見上げるアシェルから逃れるように、カリムはふいと顔を背ける。
「んー?」
 構わず横から回り込んだアシェルが半ば強引に覗き込むと、カリムは実に不機嫌そうな、不本意そうな、外見相応に子供っぽい顔でふてくされていた。
「・・・・・・あ、ひょっとして、」
 あることに思い当たり、アシェルはわざとニッコリ笑う。
「キミのトモダチが関係してるでしょ。あの時あそこに一緒にいた・・・」
「そんなんじゃない! あれはただの大バカヤローだ!」
 思った以上に、素直な反応だ。
「そーなんだ?」
「・・・・・・この世で一番ってくらい嫌いなヤツを助けるためにテメーの命張るよーな奴が、バカじゃなけりゃ、何だってんだ!」
「ふぅーん?」
 カリムにそんな顔をさせるとは、彼もなかなかいい性格の持ち主のようだ。
(ひょっとして、似たもの同士?)
 アシェルにしてみれば、カリムだって十分、他人のことは言えないと思う。
 本人にその自覚が無かったとしても。
「・・・・・・あのバカ、勝手に転移門を開いて、俺たちを突き落としやがった」
 ぼそりと、だが固い声でカリムがつぶやく。
「・・・・・・それ、そう簡単に出来ることじゃないよね」
 その意味するところに思い当たって、アシェルの顔からもニヨニヨ笑いが消える。



 転移門の技術は、超国家的なある組織が管理運用している、一種の交通システムだ。
 魔物討滅を旗印に掲げ、大陸全土の国も宗教の枠組みも超えて存在する、一大軍事組織。
 その組織は、本拠地とする都の、白く輝く尖塔連なる威容を以って、”白亜の塔”と呼ばれている。

”白亜の塔”有する転移門は、大陸全土を網羅し、一瞬にして目的地に移動することを可能にする。
 その仕組みは、魔道によるものとも、錬金術によるものだとも、古代の超科学によるものだとも言われているが、実際のところは”塔”に属する者の間でさえ”昔から存在する便利な技術である”という以上のことは知らない。ひょっとすれば技術部の連中でさえ、確かな原理を説明出来るかどうか、怪しいものである。
 ただし乱暴を承知で言えば、仕組みなど解らずとも確実に運用出来さえすれば、それで別段何の問題もないのだが、個人の一存で何の準備もなく突発的に操作するとなると、話は全く変わってしまう。
 そんなことがおいそれと出来るほど転移システムは容易くないし、長年にわたってかなり日常的な頻度で転移門を利用していたカリムでさえまず不可能だろう(そもそもやろうと思ったことも無いが)。
「感心することないぞ。あのバカがロクに扱えもしないものに放り込んだりするから、俺たちは転移門の中に 丸2日も閉じ込められた挙句、こんな出口でもない場所に投げ出されたんだからな。ったく、あのまま出られなくなってたらシャレにもならん」
「それって単に、春分祭りの日から逆算しただけでしょ?」
 転移門の中に、時間の感覚というものは存在しない。つまり、カリムとアシェルが一瞬と感じた間に、外では2日が経過していた訳である。
「しかも、そのおかげで、今、こうしていられるんだよね」
「・・・・・・」
 転移門の出入り口は通常、教会のような施設の奥で管理されており、当然のことながら組織の関係者が常駐で警護している。
 まさか転移先がこんなうち捨てられた廃墟だとは、放り込まれた方にしても、門を管理する側にしても、想定外もいいところだ。
 だからこそ”白亜の塔”に敵対した者と逆らった者が、即座の追撃を受けずにのんきにしていられるという、アシェルの指摘は実にもっともだ。
「しかも、それだけじゃないよね。あの時死にかけてたボクが、何のイカサマもなしに助かるなんて、万に一つもあり得ない。ボクのこの小っちゃな姿はさ、その代償じゃないのかな。キミがそのくらいで済んだのは、ボクらが負っていたダメージの差っていうより、干渉した力の質の問題じゃないのかな・・・」
 言いながらアシェルは、淡い色に変じたカリムの髪の一房を手にとって弄ぶ。
「・・・・・・」
「只者じゃないよね、彼・・・」
 一般人から見れば”只者ではない”の範疇に入るカリムやアシェルから見たとしても。
「・・・・・・だから、極め付きの大バカだっての。余計なことばっかしやがって」
「こだわるね、ホントに」
 カリム言うところの”あのバカ”が何者でどんな”力”を持っていようと、そうまであからさまに反逆者の逃亡を手助けしては、何の咎めも受けないで済むはずがない。
 だが、カリムは小さく舌打ちすると、考えを追い払うように、頭を一振りした。
 事が起こってしまった後で、目の前に居るわけでもない奴を相手にいくら文句を言ったところで、何が出来るわけもない。
 今一番考えなければならないのは、自分達の置かれた状況の確認と、これからどうするかということだ。

「それにしても静かだよね・・・・・・追っ手、来るかな・・・」
「来るだろうな、間違いなく」
 ぽつりと呟いたアシェルに、カリムはさも当然そうに断言した。
 予想外のアクシデントで見失ってはいるのだろうが、それも時間稼ぎでしかないだろう。
”塔”は逃亡者を許さない。
 ましてや、表沙汰に出来ないような都合の悪い内部事情を、これでもかというくらい熟知している者などを。
「だったら、ここで騒ぎになるようなことは、あんまりやりたくないよね。この村の人たち、いい人だったもの。カリムのあんな超が付くほど直球なハッタリ話を、あっっっさり信じて受け入れちゃうくらい」
「・・・・・・まあな」
 カリムにしてみれば、もちろん、何の算段も無かったわけではないし、アシェルにしてもその点は判って言っているのだが。
「ホーント、問答無用で出てけーって言われるとか、ボコボコにしてやるってなってたら、大変だったよねー」
 もちろん状況によっては、そちら側に転ぶ可能性が少なからずあったことも確か。
「その時は、受けて立つに決まってる」
「キミが? そんなにヘロヘロになってて、”羽根”も無いのに?」
「ンなもん無くたって、俺がそうそう負けるわけないだろ」
「魔物や追っ手が相手でも?」
「当たり前だ」
「どうだかなー。今のキミとだったら、ボクのが強いと思うよ。絶対!」
「・・・そりゃあ頼もしいな」
「うん! それで、追って来る”塔”のヤツなんかギュウギュウにノしちゃって、”許して下さいお願いします”って謝ってきたところで、樽一杯くらい薬酒を持って来させるんだ。そしたらカリムもすぐに元気になれるしね!」
「・・・・・・あれは嫌いだ。不味い」
「そーゆう問題じゃないでしょ。だってあれが無いとこの先キミは・・・・・・」
「・・・・・・」
 黙り込んだカリムの顔から、すうっと感情の色が消える。
 冴え冴えとして冷酷にさえ見えるそれは、自分の心を閉ざすことに慣れてしまった者の顔に他ならない。
 アシェルは、キリリと心臓を引き絞られるような痛みを覚えた。
 カリムが今までどんな風に生きてきたのか、それだけで十分伺い知れる。それをさせてしまったのは”塔”の連中であり、そして・・・。

 不意に。
 伸ばされたカリムの腕に、アシェルは引き寄せられ、抱きしめられた。
「・・・・・・カリム!?」
 しっかりと、だが振り解こうと思えば出来なくはないくらいの強さで。
 カリムの鼓動が、アシェルの身体に伝わって響く。
 アシェルの位置からだと、カリムの表情はよく見えないが、ひどく真剣な様子であることだけはわかる。
「その時は、全部、お前にやる」
 すぐそばにいるからこそ聞こえるくらいの声で、だが、一言一句はっきりと。
「あれは、本当のことだろう?」
 再会したあの時、”アシェルが生きるためにはカリムの命が必要”だと告げた、あの言葉は・・・。
「だったら、構わない」
「カリム・・・・・・」
 アシェルは目の前に流れ落ちる、淡い色の髪をそっと撫でた。
 隔てられていた時間を何よりも訴えかける、長い髪。
(そうだったね。キミは、彼女に会うために生きてきたんだものね。彼女のためだけに、必死に生き延びようとしていたんだものね。あんな所で・・・・・・だけど、彼女はもうどこにもいない。キミがどんなに望んだって、ボクは彼女にはなれないし、代わりにさえ、なれない)
 長い間求め続けてきた大切な人が、もうこの世界には存在しないのだと知って、カリムは生きる目的を失った。
 この世界に執着する理由もなくなった。
 遠い”あの日”、カリムと共に果てることを望んだアシェルと同じように。
(ボクらにとって、”死”は救いのもう一つの名前。だけど、ボクの望みを拒絶し、ボクを一人で死なせたことに罪悪感を持っているキミは、自ら”救い”は選べない。それでキミは、立ち止まってしまった。進む方向も、進むべきかどうかすら、見失って・・・・・・)

「ねえ、カリム」
 アシェルは少し躊躇ってから、腕に力を込めて抱擁を緩め、そしてカリムの耳元に顔を寄せた。
「もしもボクが、イリィを助けてあげてって言ったら、キミ、どうする?」

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