小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第6話 情報 



『あーあーあー、フェグダ聞こえてる? ちゃんと? 良かった、ようやく繋がったー!』
 いつもと変わらずテンションの高い声に、フェグダは通信珠を持つ手を目いっぱい身体から遠ざける。
「何だクミルか。どうしたんだよ、急に連絡なんかしてきてさ」
『何だとはご挨拶ね! このノンキ者の放蕩天使! 折角面白いコト教えたげよーと思ったのにさ!』
 通信班所属で天軍各隊への指令や報告が仕事のクミルにとっての面白いこととは、”白亜の塔”の内部レア情報であることが多い。使える情報かどうかはさておき、だ。
 現地駐留部隊所属と言う肩書きだけは大仰だが、実態は地方をフラフラ渡り歩いているフェグダにとっては、唯一の、しかも結構正確な情報源だ。
 幼馴染みの気安さがあるとはいえ、無下にしてしまっていいはずもない。
「・・・・・・悪い。で、何だ?」
『全然悪いと思ってなさそーね。ま、いーけど。あんた、この2、3日、転移門も通信珠もぜーんぜん通じなくなってたって、気付いてた?』
「は!?」
『やっぱりねー。そーじゃないかとは、最初の一言でわかったけどサ。こっちはすっごい大変だったってのに、もう・・・』
「・・・・・・それは別にオレのせいじゃないと思うんだが」
 文句だかグチだかのはけ口にされかけて、フェグダは指でカリカリと頬を掻く。
「何だよ、慰めて欲しかったのか?」
『そんなんじゃないわよ何考えてるのよこのおバカ! ”塔”始まって以来の一大事なんだから、ちょっとは察しなさいっての!』
 いや、何百年という歴史を誇る”白亜の塔”きっての大事件と言えば、普通は、魔物と大規模戦争に突入したという500年前の伝説のことを言うだろう。
『そんな大昔の本当にあったかどうかも判んないよーな話なんかどーでもいーわよ。それより、ね、何があったか気にならない?』
「・・・・・・いや、内容によるけど」
『じゃあそれが”災厄の天使”に関わることかもしれないって言ったら?』
「・・・ほーお、それが?」
『まーた気のないフリしちゃって! あんたがこのネタで食いつかないはずないって、こっちはちゃーんとお見通しなんだからね。どーする? ほら? 正直に言ってごらん?』
「・・・・・・はいはい、お聞かせ願えませんか、クミル様!」
『はい良く出来ました! っても、実はまだぜーんぜん、噂の段階なんだけどね・・・』

 クミルの話によると3日前、白亜宮内で第一軍の緊急招集がかかった直後に、突如通信珠が完全に黙り込み、それと同じ系統の技術によるだろう転移門の方も使用不能に陥った。
『そのおかげで伝令一つとっても、通信班はもちろん、管理部各班や、手の空いている駐留部隊まで片っ端から駆り出されて、広っろい白亜宮の中、延々走り回らされることになったんだから! 派遣部隊への緊急連絡なんか、わざわざ市街にまで出て電信打ったり、文字通りびゅーんって早馬走らせたりして、すっごい大騒ぎだったんだから!』
 もっともそれは完全に内部事情であって、対外的にはいつも通りの平静を取り繕っていたというのだから、さすがと言うべきか。
 それはともかく、唐突に通信珠が復活したのが昨日の午後のこと。
 直後に、各地の門番に向けて”この2日の間に門を潜った者について報告せよ。可能であれば拘束せよ”という指令が下った。
 それは取りも直さず、転移門を通常でない手段で用いた者があったことを示している。
 つまり、脱走者の可能性。

「そりゃあ確かに変な話だがな・・・。ってもたかだ脱走天使の一人や二人、毎年この時期にゃ珍しくもないだろー?」
 フェグダの言う”天使”とは、もちろん神話に出てくるエンジェルのことではない。
”白亜の塔”で実動部隊に配属されている者は、神の僕になぞらえて、”天使”と呼ばれることがある。
 ちなみにフェグダも一応、その天使のはしくれなのだが。

 ところで天使の呼び名にも、一応の根拠はある。
 この世界には様々な魔物が跳梁跋扈するように、魔物に対抗する手段もまた、少なからず存在する。
 退魔の能力を持つ人間、あるいは一族しかり。
 退魔の力を込められた武器や法具しかり。
 そんな中で最強の退魔法具とされているのが、”羽根”と呼ばれる神秘の物質である。
 ただし、ありとあらゆる魔物を滅する力を秘めたその物質は、必ずそれを使う能力のある人間の下にのみ出現し、その死を以って消滅する。
 ゆえにそれを扱う能力を持つ人間を、”羽根使い”あるいは”天使”と呼ぶのは、ごく自然の成り行きだろう。

 もう何百年も前のこと、多大なる混乱と紆余曲折の末、大陸中の国々の間で”羽根及び羽根使いは超国家的退魔組織(後の白亜の塔)によって一括管理される”という取り決めがなされ、それは現在にまで至っている。
 そのために、世界のどこかに羽根使いが現れれば、それがどんなに小さな子供や老人だろうが、王侯貴族であろうが奴隷であろうが、善人だろうが罪人だろうが、即刻”塔”に招聘され退魔士としての訓練を施された後、天軍組織に編入されて一人の兵士となる。
 もっとも羽根使い自体が減少傾向にある昨今では、天軍といえども、その9割方は退魔能力や退魔武器が扱えるだけの普通の人間であり、彼らもまた天軍に所属する限りは便宜上”天使”と呼び習わされている。

 しかし天軍内部での待遇がどうであれ、羽根使いとそうでない者の差は大きい。
 羽根を持たない仮称天使が、使命に燃えてであろうが生活の為であろうが、自主的に”塔”に身を置いているのに対し、拒否する自由なく集められた羽根使いの大半は、本来ならば魔物退治を生業にするなど全く人生設計に無かったはずの者達だ。
 彼らは羽根を持っている限り”塔”に帰属し、世界の全ての人々の為に生涯を捧げて働くことを誓約しており、羽根が損なわれない限り離塔は許されない。
 それは”生涯塔を離れることが出来ず、二度と故郷には戻れない”のと同義である。
 いざとなれば、制約は課されるものの離塔も可能な仮称天使とは、事情が全く違うのだ。
 となれば、故郷に心残りや家族や恋人を残して来た者などは、特に毎年春の祭りの頃には、脱走事件を起こしたくなるのも道理だろう。

 ただし、脱走を考えるまでなら多かれ少なかれ誰でも一度はやるだろうが、実際に決意し決行するとなると、これはハッキリ別問題だ。
 任地での行動中に脱走者が出た場合は所属部隊全体の責任問題になるので、元よりそれを見越した小隊編成が為されているし、それでも実行しようものなら裏切り者扱いで追求の手も厳しくなる。
 それをどうにか巻いたとしても、羽根の気配は隠しようがないため、普段は新人発掘が任の羽根探し専門部隊(天軍内では”天使狩り”などと揶揄されもする)に捕縛されるのがオチだ。
白亜宮城下からの脱走となると、物理的な関所だけでなく、退魔用と名目された幾重もの魔道障壁を突破せねばならず、これはもう不可能に近い。
 そこから転じて、”脱走天使”とは不可能を信じるバカ者の代名詞ですらある。

「で、それのドコに”災厄の”が関わって来るんだよ?」
『慌てない慌てない! コレが今日の最新情報なんだけど、白亜宮への第一軍緊急招集直前に、任地から転移門で帰還したのが”災厄の天使”様と”星焔(セイエン)の天使”様だったって、管理部で衛生係してる子が教えてくれたわけ!』
「・・・・・・」
『大体、宮殿内での騒ぎだもの。上級天使が全然関わっていないって方が、おかしいっちゃおかしいのよね。事件があったのはそれこそ上級天使の常駐区画なんだし。しかもそれ以来、お二人に関する仕事が来てないって、主塔の衣装部屋の子が言ってたから、信憑性は高いと思うのね』
「・・・・・・」
 相変わらずスパイ顔負けの情報収集能力だが、真に驚くべきは、それが単に女の噂話のレベルで遂行されている点だ。
 彼女らは自分の好奇心とおしゃべり本能を満たすべく、活動しているのに過ぎない。
「・・・けど、その話の流れで行くと、脱走に上級天使が手を貸したってコトだろ? っても、門の出口は門番に押さえられてんだから、捕獲されるのは時間の問題じゃねーの?」
『それがね! ちょっと前にまた新しい指令が出たわけよ! ”転移門のシステムに干渉しそうな遺跡や聖所を片っ端から調べろ”ってことと、天使狩りの全部隊に緊急招集! ね、コレってどう思う?』
「・・・・・・そりゃあ確かに、大事だわな」
『ねえ、もしかしたら脱走天使って、実はお二方のことだったりして! 手に手を取って逃避行・・・うっわあロマンチック・・・』
 それは”だとしたら面白いのに!”というだけの妄想的無責任意見なのだろうが、何がロマンチックなんだか、フェグダは理解に苦しむ。
 大体”災厄の天使”は見目は良くともしっかり男性だし、”星焔の天使”というつい最近上級天使に列っせられたばかりの新人は、確か15,6の少年という話ではなかったか。
「・・・・・・それはねーよ。絶対」
『えーどうしてよー?』
 通信珠は声しか伝達出来ないが、面白くなさそうな顔をしているクミルの顔が、アリアリと想像できる。
 だが、不謹慎極まりない冗談はさておき、だ。
「上級天使ってのは、そーゆうもんだからさ」
 それはまことしやかに囁かれる上級天使にまつわる噂話の一つであるのだが。
『あははははーって、何カッコつけてンだか! ってゆーかさ、あんたがその辺うろついてるのって、遺跡とかそーゆーのも目当てだったりするんでしょ? ついでにトライしてみれば? ・・・・・・え、何、仕事? 急ぎ?・・・・・・あ、フェグダ、こっち急用入ったから、バイ!』
 何だかバタバタとした余韻を残して、クミルは唐突に通信を切った。
 途端に、フェグダの周りがシーンと静まり返ったのは・・・多分、錯覚に違いない。

 クミルもまあ、シュミを兼ねているとはいえ忙しい任務の合間に情報をくれたわけだから、感謝するべきなのかもしれないとは思う。だが。
「・・・トライしろなんて急に言われたってなぁ。そんな雲や霞つかむよーな話、しかもこの国だけで遺跡が何百、いや何千か? あると思ってんだよ。こっちは物見遊山でウロウロしてるワケじゃねーんだぞ、こー見えても! 思いつきで道草なんか食ってられるかってーの!」
 ぶつぶつと口の中で呟きつつ、フェグダは通信珠を荷物の中にしまい込み、閑散とした広場の噴水の淵から立ち上がる。
 春分祭りの会場ではないせいか、単にそういう時間帯のせいか、街の一角にしては人通りがまばらである。 おかげで、通信珠に向かって一人でブツブツ呟く声は、水音に紛れて目立たなかったはずだ。
 一つ大きく伸びをして、荷袋を背負いなおすと、フェグダは街道の方へと足を向けた。
(にしても、上級天使云々なんて、ここしばらく思い出しもしなかったのになぁ・・・)
 次第に早足になりながら、フェグダは聞いたばかりの情報を頭の中で整理する。



 世間一般的に”白亜の塔”が”魔物を討滅する天使のお城”であるならば、そのお城に集う”天使”とは、羽根使いであるなしに関わらず、ただの天軍の一兵卒のことではない。
 数少ない羽根使いの中でも、さらにほんの一握りの特別な存在。普通の羽根使いなど足元にも及ばないような強大な”力”を自在に操る、天使の中の天使。白亜の塔の栄光と希望の象徴。
 それは、羽根使いの中から特別に選りすぐられ、上級天使として認められた、8名のことを言う。
 天軍の先頭に立つ彼らの活躍こそが”塔”の公式発表として宣伝され、その活躍を題材とした歌劇が旅芸人らによって大陸各地へと伝えられ、時には神の使者として崇められさえする。

 だが、そうやって宣伝される強く美しく華やかなイメージとは裏腹に、上級天使の実態は”塔”に所属する者であってもおいそれと窺い知ることは出来ない。
 本塔勤めの管理職か直属の近衛隊でもなければ、間近に目にする機会すらほとんどない。
 だからこそ、多分に希望的要素が散りばめられた噂話には事欠かない。
 白亜宮の最上部で王侯貴族のような待遇を受けているとか、不老不死であるとか、羽根使いを対象にした資格審査が毎年こっそり行われているとか、魔物千匹を倒せば資格が与えられるのだとか・・・。
 羽根使いとして”塔”に来た者は誰でも、努力し能力を磨き続ければ、いつか彼らのような存在に、肩を並べることは畏れ多くとも近づくことはできるかも知れないと、勝手に夢想し憧れる。

 だが、羽根の力を引き出すには、羽根使いの精神力、ひいては生命力が必要不可欠であり、その理自体は上級下級に関わらず不変であるのならば。強い力を引き出せるということは、それ相応の代償をその身に課すことに他ならない。
 それを可能にしているのは、”白亜の塔”の秘術によってであるという。
 即ち、どんなに強大な力を有しようと、上級天使は”塔”を離れては、そう長くはいられないのだ、と。
 その話をフェグダにしたのは、ある程度内部事情に通じた者だったから、多少の信憑性はあるはずだし、羽根使いの実感としても、それは十分に有り得ることに思える。
(だとすれば上級天使が、しかもよりにもよって”災厄の天使が脱走したかも知れない”なんてハナシは、限りなくマユツバに近い、よな)
 わき目もふらずに大股で闊歩しつつ、フェグダは眉間に皺を寄せる。

 上級天使に列せられた者は、”日輪の天使”や”暁虹(ギョウコウ)の天使”などの称号でもって呼ばれている。
 ただし、”災厄の天使”という呼称は、実は単なる通り名だ。
 普通に考えれば、”塔”が虎の子の天使にそういう不吉な称号を付けるはずがないのだが、正式な称号の方はというと、インパクトの差もあってか、通り名とは比較にならないほど知名度が低い。
 何故そう呼ばれるようになったのかと言えば、人気の歌劇のキメ台詞『我、悪鬼魔物にとっての災厄たらん』が一人歩きしたせいだろうが・・・・・・。
 何にせよ、上級天使の中で通称の方が有名なのは、彼の天使だけである。

 一度だけ。ほんの一瞬だったが、フェグダは”災厄の天使”を見たことがある。
 それは、今から5年前。フェグダが天使として天軍に配属されてしばらくたった頃のこと。
 その日フェグダは、前々から謁見を願い出ていた”塔”の幹部の一人にようやく目通りがかなって、白亜宮の謁見の間に上がっていた。
 そして偶然、謁見の間から見渡せる回廊に現れた、一人の上級天使がいた。

 それは、整った顔立ちの、痩身の少年だった。
 緋色の装束から覗く、有り得ないくらい白い肌。
 頭の上で一つに束ねた黒鳥の羽のように艶やかな髪をなびかせ、傲然と顔を上げて。
 彼にかしずく従者どもや、慌てて道を開け頭を垂れる者どもなど、全く気にかける様子もなく。
 その背には、羽根の力の具現である、大振りの曲刀を軽々と負って。
 だがその出で立ちよりも強大な武器よりも圧倒的に鮮烈だったのは、氷で出来た刃のような、冴え冴えとした眼差しだった。
 あれは、一切の他者を寄せ付けない、孤高の冷徹さ。救いや加護を求めてはならない、断罪の刃そのものだ。
 ガキの頃に式典で見た、他の上級天使たちの穏やかな強さとは、全く異質な存在だ。
 そして何よりも。
 平伏するフェグダを冷ややかに見下ろしていた幹部の男が、彼の天使に目をやった瞬間に見せた、あの顔・・・・・・。

 それから程なく、フェグダは実戦部隊から外され、辺境勤務に追いやられた。
 その理由は、今もって不明・・・。

(ったく、嫌なことを思い出したじゃねーか・・・・・・)
 本気で嫌そうに、フェグダはチッと舌打ちする。
(幹部だか何だか知らねーが、あんなのが俺の親父だなんて、絶対に有りえない。そんな幻想はとっくに捨てた。だから、あんな奴が誰に感心を持っていようと、どうだっていいことだ・・・・・・)
 そんな下らない理由で、フェグダとさほど年の変わらない、だがフェグダとはまるっきり境遇の違う彼の天使を気にすること自体、全くもって意味が無い。

 それにだ。たとえ天地がひっくり返り、たった今から魔物を信奉する世の中になりましたとか言われたとしても、彼の天使が塔を離れることなど、それこそ有り得るはずがない。
 上級天使が塔を離れるということは、自分の命や存在よりも、もっと大切なものが存在するということなのだから。

 それなのに、フェグダが先刻からづかづかと早足で辿っているのは、石畳の街道を外れて海沿いへ向かう細い道だ。
 まあ、街道だろうが海辺沿いの脇道だろうが、次の街に続いているには違いない。
 ただちょっと、街道ほどには歩きやすくなくて、便乗させてくれそうな馬車が通る可能性が格段に低くて、ぐるりと岬を回る分だけ大幅に時間を食うだろうということくらいなもので・・・・・・。
 まあ、たまには気分を変えてみるのも一興だし、そのついでに寒村の高台にあるとかいう遺跡見物も悪くない。
(そう、それだけ。単にそれだけのことだ。クミルのたわけた憶測を真に受けたとか、そーゆーのじゃないぞ、断じて!)
 昨夜世話になった教会で聞いた現地情報から判断するに、そこでは大して得るものはなさそうだと思ったことなんて気にしない。
(それにだ。大体、無断で転移門を通ったヤツが本当にいたとしても、それとかち合う確率なんて、石を放り投げて星に当たるより低いだろうし、それこそが常識とってもんだよな、うん!)
 運だけで何とかなるほど、人生甘いものじゃない。
 だからこれは、ムダ足だ。
 万に一つどころか、全く有り得ないものを探す行為だ。
(わかってんだよ。ンなことは。ホント、単なる気まぐれなだけだ・・・)

 だが、もしも。
 もしもそこで天使絡みの何かに行き当たることがあるとすれば、それはこの上ない悪運か、でなければ限りなく作為に近い偶然か、それこそ人智を超えた存在のタチの悪い悪戯のせいに違いない。

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