小説『赤い渚に浮かぶ月』
作者:UMA.m(UMA.mのブログ)

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 第7話 朝靄 



「あの、おはよ・・・・・・!」
 ホールの入り口からそおーっと覗きこんで声をかけた瞬間。
「おっはよイリィ!」 
 胸の辺りをどーんと勢い良く強襲されて、イリィはあやうくひっくり返りそうになり、壁を支えに何とか堪えた。
「どしたのこんな朝早く?」
「ア、アシェル!?」
 悪びれもせず至近距離から見上げているのは、赤い髪の妖精さん。
 イリィに遠慮ない体当たりをかました張本人だ。
 そしてもう一人は、と視線を上げてホールの奥に目を凝らすが、他に人影はない。
「今、なんかガッカリしなかった?」
「そ、そんなことないっ!」
「ふうーん?」
「本当! 絶対ほんと! あ、そだ! 食べ物とか服とか持って来たんだけど・・・」
「ええっ! 見せて見せてっ!」
 途端にアシェルは、緑色の瞳をキラキラと輝かせる。
 何と言うか、すぐにコロコロと表情を変えるアシェルは、見ていて本当に可愛いらしい。
 両手に抱えて来たものを差し出そうとして、けれど今、イリィの両手におさまっているのはアシェルであって・・・。
 ぶつかられた拍子に、持って来た物はどこかに飛んで行ったらしい。
 慌てて周りを見回すと、斜め後ろにぽってりと転がったバスケットが目に入った。
 だが、イリィが慌ててバスケットに手を伸ばすよりも、イリィごしにそれを発見したアシェルが腕を抜け出して飛びつく方が早かった。
「これだね! わーあ、かわいい!」
 アシェルが真っ先に取り出したのは、散々迷った末に思い切って持って来ることにした、レモン色の古いブラウスだった。
「それ、私が前に着てたお古なんだけど・・・アシェルにどうかと思って」
だがイリィが危惧していた通り、いくら子供サイズとはいえ、小さなアシェルにはちょっとしたドレス並みだ。
「ありがとうイリィ!」
 それでもアシェルは嬉しそうに、ブラウスを胸に当ててながら、ダンスのステップを踏むように宙でクルリとターンしてポーズを決める。
 古着にそこまで喜ばれると、何だかかえって悪いような気になってくる。
「ねえ、今日はジーロは一緒じゃないの?」
「え? ええと・・・」
 急にジーロの話を振られて、イリィは少し視線をさ迷わせる。
「今朝はまだ見かけてないけど・・・」
 そもそも、いつもジーロの方が呼びもしないのについて来るのであって、イリィから誘いに行ったことなど一度もない。
 だが、何があったかくらいは想像出来る。
 昨日の騒ぎのせいで、ジーロは多分、外出禁止を言い渡されていることだろう。
「イリィは? 叱られたりしなかった?」
 ようやくイリィは、アシェルが昨日の件を心配していることに気がついた。
「私は・・・叱る人なんていないし、お母さんには黙ってたもの」
 何があったかなんて、言ったが最後。
 それこそお母さんは心配のあまり、イリィを家に閉じ込めてしまいかねない。
「あーなるほど。バレないで済むなら、それに越したことないもんね」
 事情を知らないアシェルは、別段気にした様子もなく、イリィに同意するようにうなづいた。
「あ、それとね、これ・・・・・・」
 それ以上突っ込まれても困るので、イリィは持って来た物に話を振る。
「何、なに?」
「お菓子を、その、焼いてみたんだけど・・・・・・」
「そうなの? 見せて見せて!」
 キラキラおめめで期待しているところ申し訳ないが、単に練った小麦粉に刻んだドライフルーツを混ぜて焼いただけの、簡単な焼き菓子だ。
 焦がさないようにかまどの前で真剣に見張っていただけに焼き加減は悪くないと思うのだが、モノが素朴すぎて何コレとか言われたらどうしよう、などとドキドキしつつイリィは包みを開ける。
「わああ! 美味しそーう! ありがとうイリィ! 嬉しいなー! あ・・・と。カリムってば、早く帰って来ないかなぁ」
 アシェルは味見するかしないか迷うように焼き菓子の上で手をひらひらさせ、だが結局カリムの帰りを待つことに決めたらしく、ちょっと名残惜しそうな目をしつつも手を引っ込めた。
「あ、そだ。食べ物だったらそこにもあるよ。イリィもどう?」
 アシェルが指差した方には、昨日イリィが隠れるのに使った平らで大きな岩をテーブル代わりにして、上等のパンや肉やハチミツ漬けの果物などが、きちんと綺麗に並べられていた。
 村長の家の、祭り用のご馳走の一部なのだろう。
 これに先に気がついていたら、イリィ自作の焼き菓子など、到底披露出来ないような。
「昨日、あれから、お供えみたいに持って来られちゃってさ。何かボクたち、神様扱いされちゃってるみたいだよ? カリムはぶどう酒が美味いって喜んでたけどね。ねえ、一緒に食べていかない?」
「え、でも・・・」
 それだけ綺麗に並んだままだということは、まだほとんど手付かずなのではないだろうか。
「それで、その、カリムはどうしたの?」
「さあ? そこらを見回って来るって先刻出てったけど、来る途中会わなかった?」
「ううん。全然」
 そもそも、二人ともここに居ると思って、わき目も振らずに登って来たのだ。
 遺跡の近くに誰かがいたとしても、絶対に気付けなかっただろうなと、イリィは思う。
「まあ、遠くには行ってないだろうし、そのうち帰ってくるでしょ・・・・・・」
 元気なアシェルにしては、何だか心持ち、伏目がちなような・・・。
「あの、何かあった?」
「え、何で?」
「だって、声がちょっと、元気なさそうだったから」
 イリィはすぐに、違ってたらゴメンと付け加える。
(そういえばイリィって、人の声には敏感だったっけ)
 昨日の事を思い返しつつ、アシェルは考える。
(おっとりしてそうで、意外に嘘やハッタリの通じないタイプかも?)
 アシェルはちょっと真面目モードになって、イリィに向き直った。
「ねえ、相談したいコトがあるんだけど、聞いてくれる?」
「ええっ私なんかに? でも相談って・・・」
「・・・あのね。フツー、イリィくらいの女の子に相談って言ったら、恋の悩みに決まってるでしょ」
 当然のごとく答えたアシェルだったが。
「えええええっ!」
「・・・・・・」
 イリィときたら、本気でオロオロしている。
(ここにも一人、問題児がいたか・・・)
 アシェルは今度こそ、大きなため息をついた。



 イリィが来る少し前。
 カリムは一人、遺跡の外を歩いていた。
 早朝の空気はまだ冷たい。
 だが、背の中ほどで無造作に束ねた髪を揺らして吹き抜ける風は穏やかで、確かな春の到来を告げているようだ。

 小高い丘の上に位置する遺跡の、東側はなだらかに山の稜線に続き、西側は開けた牧草地。その下方に民家の屋根が点在する。
 遺跡から村までは、下草と低い雑木が点在する程度で見通しはかなり良い。それでも地面の起伏のせいで、村の全景を見渡すには、相応のポイントを探さねばならないようだ。
 逆に村から遺跡を見上げたとしても、それは白い岩が点在する程度の風景の一部でしかないだろう。
 そして、村の先の切れ込んだ崖の向こうに広がるのは、陽光を反射して輝く海・・・・・・。

 村の方からは祭りの前の、独特のそわそわした雰囲気が伝わってくる。
 家の中では既に人々が忙しく動いているのだろうし、遠くからは家畜の群れが鳴きながら移動していく蹄の音が聞こえてくる。
 人々の生活する、ごくありふれた平和な光景。
 その当たり前のはずの日常風景は、戦いの場に身を置くことを常としていたカリムにとっては、何だか不思議なもののように見える。

 やはりここは、ロアーナ国の南方で間違いなさそうだ。
 それは、イリィの言葉や衣装などからも推測していたことだったが。
 大陸の南西に位置する、海に突き出た大きな半島の国で、王の直轄領と十五貴族の自治領からなる。気候は比較的温暖で、半島の付け根に当たる北部が他国との交通の要衝であり交易を中心とした街が多いのに比べ、南方は地味豊かな農村地帯だ。
 国土全体に、古代からの名も知れぬ神々の遺跡が多数点在しており、土着の伝説も数多い。
 そんな土地柄であるからこそ、唯一の神を信奉する者が多数を占めているとはいえ、一方では農耕の神や戦いの守護神など、古来からの土地神も共存しているような懐の深さがある。
 ここの村人にとっては、貴族も異国人も妖精も魔物も、自分達とは違う存在という意味では、感覚的に同列なのかも知れない。とまあ、その程度の予備知識があったからこそ、村人との交渉にも余裕を持って臨めたわけだが。

 あれから一晩休むことで、大分支障なく動けるようになりはした。が、実のところそれだけ回復したというより、その状態に慣れてきたという方が正しかったりする。
 痛いとかだるいとかいうわけではないが、腕を持ち上げるなど普段何気なく出来るはずの動作に、いちいち”腕を上げろ”と意識するような、そんなもどかしい感覚だ。
 重装歩兵用の装備一式を、がっつり身に着けて歩いているカンジとでも言うか。気分的に。
(まあ、あれだけのダメージ食らっててこの程度ならマシな方か。別に今回が初めてでもないしな)
 とは、アシェルに知れればどんな顔をされるか予想出来るので、絶対に言わない。
 それよりも、昨夜ほどくつろいで休めたのは、カリムにとっては初めてのことだったかも知れない。
 何しろこれまで居た場所ときたら、自室だろうが街中だろうが関係なく、呪符やら結界やらが大盤振る舞いに張り巡らされていて、常に苛立たされっぱなしだったのだ。
 まったくあれは、イヤガラセとしか思えない。
 そこまでしなければならないとは、一体何を封じ込めているのやら、だ。
 とにかくそんな環境に比べれば、今のこの平穏は、どれほどかけがえのないものか。
 少しくらいの不調など、全く大したことではない。

 カリムは目を転じて、背後の遺跡を振り仰ぐ。
 元はなだらかな曲線を描いていただろう、崩れかけた白い壁が、丘の斜面に沿うように延びていた。
 壁沿いには、2メートル幅くらいの白い地面が、整地された小道のように続いている。
 だがその様子は、石畳だろうが壁だろうがものともせずに生い茂る雑草が、遺跡を畏れて避けている印象で、ガタガタになった壁よりもよほどしっかりと聖域の範囲を主張しているようだ。
 神殿の建築時に何か特別な技術が使われたのでなければ、遺跡に残された僅かな力が、そんな風に作用しているということだろう。
 だが、それだけだ。
 白い砂地から、しっとりと朝露を含んだ下草の生える地面へと、境界を越えて足を踏み出してみても、素足に感じる感覚以外、特に違和感らしきものはない。
 そのまま壁に沿って白い道を登って行くと、遺跡の正面入り口と思われる門があり、さらに進んで丘の勾配が強くなるころ、遺跡の壁は裏手へと切れ込んで、山の斜面にぶつかって終わっていた。
 とりあえず、遺跡の裏手には人の行き交えるような余裕はなさそうだと、敷地の全体像を思い浮かべつつカリムは考える。
 だが、人間には踏み込みにくい所だろうが、天軍や魔物はその限りではない。
 もしも裏手で何らかの気配を感じたとすれば、それは敵の可能性が限りなく高く、逆に言えば少々派手なことをやらかしたとしても、裏手で村人が巻き添えになるようなことは無さそうだ。

 元来た方に引き返そうとしたカリムは、不意に、何かの気配を感じて立ち止まった。
(水音・・・?)
 微かに聞こえる音を辿って、ちょうど見つけた遺跡の壁の間から内側に身体を滑り込ませると、そこには小部屋程度のほの明るい空間があり、四角く区切られた床の中央からふつふつと小さなさ泉が湧き出していた。
(砂の遺跡に、湧き水・・・・・・ね)
 これも遺跡の力が何らかの作用を及ぼしていると見るべきだろうが、やはり危険なものは感じられない。
 ためしに泉の縁にかがんでそっと手を入れてみると、雪解け直後であるかのような、痛みを覚えるほどの冷たさだった。
 そんな数秒も触れていられないような冷水に、カリムは豪快にも頭をざばっと突っ込んだ。
 キンとした冷たさが気持ちいい。
 水から上げた頭を振ると、水滴が盛大に舞い散って、たちまち全身ビショ濡れになる。
 鈍った五感をシャッキリさせるには、これでちょうどいいくらいだ。
(後でアシェルを連れてきてやろうか)
 何気なくそんなことを考えてから、カリムは少し目を伏せる。
 湧き出る水の波紋と、カリムが作った無数の波紋が重なり合い、漣となって水面を揺らす。

 それはカリムが遺跡の外に出る少し前のこと。
 きっかけは、ほんの些細なことだった。
 お供えされた品物の中に、男性用の衣服の一揃いが置かれていた。
 村人と対面した時のカリムのあの格好では、そのくらいの気は遣われて当然だったかも知れない。
 だがそれは特別な儀式や行事などに用いるような上等の正装で、横方向に貫禄のある村長ではなく、その身内の誰かのために用意されただろう物だった。
 カリムはそれを着ることに、抵抗を覚えた。
 確かに、自分が今まで着ていた物にしても、かなり高価な部類であることは理解している。
 だがそれを纏うには、それなりの意味があった。
 上衣に使われていた服地は、丈夫な素材をさらにしっかりと織り上げた特別製で、ちょっとやそっとの刃物くらいは簡単に弾くことが出来る代物だった。
 縫い取られた紋章には護符の意味があるし、それは防具の装飾にしても同じことだ。
 色は何だっていいにはいいが、やはり濃いものの方が汚れが目立たずに済む。
 それで見た目が派手になるのは、これはもう、諦めるしかない。
 とにかくそれはカリムにとって、任務に当たる上で必要な物だった。
 もっとも”塔”を離れた今となっては無用となってしまったが。
 ただし、戦うことを念頭に置く限り、汚したり破いたりに気を遣わなければならないような身を飾るだけが目的の衣装を纏うことには、どうしても納得がいかない。
 第一、本来その衣装を着るはずだった者に対しても、その服を仕立てた職人に対しても失礼だ。
 出来れば農作業用の古着を譲ってくれと言いたいところだが、昨日のあの演技の後では、そういう我がままを言える立場でないのも確か。
 それならいっそ、ちょっとばかり痛んでいるとしても、元のままで差し支えない。

 だが、アシェルはそうは考えなかった。
『それでいいワケないじゃない! それはね、村長さんの好意の表れなんだから無下にしないで、ちゃんと受け取りましたって身に着けるのが礼儀ってもんだよ! なのにカリムが要らないって言っちゃったら、村長さんはカリム用にもーっと高価なのを新調しなくちゃって思うに決まってるでしょ! それに、そもそも装備品なら乱暴に扱っていいなんて考え方が間違ってるよ。作り手はね、それがどんな用途にしたって、その服を着る人に喜んでもらえるよう一生懸命作るものなの! それは贈り手も一緒! そこんとこ、よーく考えなよね!』
 そういう発想は、カリムにとっては斬新なもので、驚きですらあった。
『アシェルは服に詳しいんだな』
 だがアシェルは、カリムのその一言に、思いきりムッとした顔をした。
『まったくもう、キミってヒトは・・・・・・』
 不機嫌に黙り込んだアシェルは、それ以上何も言おうとせず、それが一層カリムを困惑させた。
 一体何が気に障ったのか。
 いくら考えても、判らない。
 そんなわけで、カリムの現在の出で立ちは、礼服の内着に当たるクリーム色の上下で、それが最大限の譲歩だったりするのだが、アシェルはそれにちょっと目をやっただけで、特に何かを言おうとはしなかった。

 だがそれ以上に判らないといえば、やはり昨日のあの一言だ。
『もしもボクが、イリィを助けてあげてって言ったら、キミ、どうする?』
 そして、何故と問うたカリムに向かって、アシェルはただ、笑ってみせただけだった。

 確かに、イリィの様子からも、村人の態度からも、そこに何らかの事情があるだろうことは分かる。
 それにアシェルは、イリィのことが気に入っているようだし、色々と同情的だ。
 だとしても。
 それだけでアシェルが、イリィを助けてと頼む理由になるとは思えない。
 そもそも今の自分たちに、他人の事情に首を突っ込むような余裕なんて無いはずだ。
(だいたい、何をどうすれば助けるということになる?)
 イリィを狙う何かから守れというのなら割合簡単だろうが、アシェルが言うのは、そういうことではない気がする。

(アシェルのことが大切だ)
 強く、強く、そう思う。
 アシェルはいつだって、どんな闇の底でだって、カリムを見つけて手を差し伸べてくれる。
 それなのに、カリムはアシェルに何も出来ないどころか、いつもひどく傷つけるようなことばかりしてしまう。
 もう二度と、アシェルを傷つけるようなマネはしたくない。
 アシェルのためになるのなら、何だって出来るのに。
 それにはどうすればいいのか。
 今はこんなに近くにいるはずなのに、そんなことすらままならない自分が、もどかしくてたまらない。

 カリムは今まで、考えまいとし続けてきたから。
 だから今になって、そのツケが回ってきている・・・。

 湧き出る水が生み出す波紋が、静かに燃える炎のように、光を反射し室内を満たす。
 光と、影。
 織り成される陰影は、徐々に何かの像を結ぶ。

(そりゃあそうだよ。君はただの”力”の器。君の抱く感情なんて、ほんの一時吹き抜ける風。留まることなく、すぐに消え去る。そんなものに、他人の何かが解るはずないよね)
 ものすごく聞き覚えのある声が響く。
(出やがったか)
 水面を見つめるカリムの瞳に、鋭いものが過った。

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