小説『ようこそ、社会の底辺へ[完結]』
作者:回収屋()

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[新生活を始めよう]

「諸君、残念ながら目標の回収は失敗に終わった」
 一人の男性がPCのモニターに向かって呟いた。
<失敗? プロの傭兵に整形手術までさせたと聞いたが……>
 別のモニターから声が返ってくる。
「ああ、そうだ。肉親や周囲の知人に違和感を持たれぬよう、数ヶ月かけて訓練もさせた」
 男性は薄暗い部屋の中で三台のカメラ付きノートPCに囲まれ、椅子に腰かけている。
<まさかの失態だねえ……当局に嗅ぎつけられるのは時間の問題かしら?>
<それより、この計画に出資した分を迅速に回収せねば!>
<事が表面化する前にぃ、身辺整理を進めた方がいいかもしれないクマ〜〜>
 各ノートPCのスピーカーから不平不満が飛び交いだす。
「諸君ッ、まだ計画は終わっていないッ!」
 男が俯きながら一喝し、各自が声を潜める。
「先兵との連絡が途絶し、行方不明なのは認めよう……しかし、当局に拘束されているとしても、我々の関与に繋がる情報は与えていないし、偽の個人情報は一通り設定済みだ。次の計画に支障は無い」
<次の計画? ……予備プランがあったなんて聞いてなかったが>
 一人が不愉快さをあらわにする。
「黙っていた事は謝ろう。大事の前の情報漏洩を避けたかったんでね」
<我々の出資が無駄にならない保障は?>
「物的な提示を今すぐしろと言うのなら、無理だ。これまでと同様、私の言葉を信じていただくしかない」
<…………いいだろう。で、計画の内容は?>
「享輪コーポレーションに潜伏させてある内通者からの情報によると、オリジナルP・D・Sは電薬管理局の実動課に回収された。この件で、当局のメインサーバーはより強固なファイアー・ウォールで守られ、外部からのハッキングは十中八九不可能……となれば、別の人間に仕事を請け負ってもらうまで」
<別の人間? 実動課に内通者はいないハズよねえ……>
「連中は『深見素赤』の捜索も並行して実施している。ある程度真相が露呈してしまえば、アノ女はイヤでも動かざるをえなくなる。そこを我々が利用する」
<深見素赤? ……ヤツは死んだと聞いているわ>
<ああ、確かにぃ。こちらでも裏をとったクマ〜〜>
「いいや、アノ女は生きている。まあ、厳密に“人間”として生きているワケではないが、ヤツは死亡証明書と戸籍データを改ざんして身を隠しただけだ」
<それが事実だとしてぇ、どう利用するクマ?>
「保管されている深見素赤の『肉体(バックアップ)』を奪取する」
 男は口元を歪めながらそう言った。

「…………」
 弥富更紗は戸惑っていた。西日がギラつく炎天下の中、自分の背後をさっきからずっと女が一人……追跡しているから。紺色のフォーマルスーツ姿で、この暑さにも関わらず何故か両手には真っ黒な皮手袋。ほとんどパンダ目気味のやたらと濃いアイシャドウが特徴的で、黒髪のポニーテールを揺らして一言も発することなく、彼の2m程後ろを機械みたいに正確に距離をとって歩いている。御近所の奥様方から「まあッ、不審者よッ!」と声がするのは時間の問題っぽい光景だ。
(俺、マジでどうなるんだ……?)
 また襲撃される可能性が高いだって? どう頑張っても絶望しか見えてこない。そろそろ銀行口座の蓄えも底をつく。アルバイトでも探さないと……そんなタイミングで生命の危機みたいな状況が訪れるなんて。父よ母よ、実家で飼ってるオウムよ――無力なまま人生をムダに漂流する息子を御許しください。後、米でも送ってください。反省して自炊します。
「ロクデナシ。ミズデモノンデロ」
 またしてもオウムの幻聴がした。たまには実家に帰れという、天の軽い啓示なのかもしれない。で、そんな物思いにふけってる間に自分のアパートに到着した。築18年・鉄筋コンクリートの2階建て。8畳フローリングの1LDKでUB付き。月の賃貸料は6万円。そして、夕暮れの中なんとか帰還した我が家には――
「アイツ等……」
 エアレーションの泡だけがブクブクと音をたてる、水だけ入った四つの水槽がポツンと残されている。弥富は数秒間、何も出来ぬまま立ち尽くした。わずか数日の事ではあったが、禁魚達の言動が彼の脳裏を駆け巡った。友達を失った感覚とは違う……何か生活の一部を失ったような不可思議な感覚だ。
(ん……?)
 ふと後ろを振り返ると、さっきまでストーカーみたいに背後からついてきた、電薬管理局・実動課のエージェント『津軽六鱗』の姿が消えていた。玄関戸を全開にしたままで。
「ふぅ……」
 弥富は玄関戸を閉めて軽く溜息をつき、デスクの椅子に腰かける。彼女は監視役と言っていたから、おそらく、近所を巡回したりしているのだろう。それにしても、24時間体制で監視? つまり、彼女を含めて数人でシフトを組んで、アパート周辺に見張りとして立つ……そんな状況だろうか。
(はあぁ〜〜……こんな事になるんなら、P・D・Sのバックアップをとっとくべきだったなあ〜〜……)
 彼はとっても残念そうに目頭を押さえながら、デスクトップを立ち上げる。まあ、コピーしていた事が後でバレたら、更に罪状が上乗せになるんだけどね。
 ――――ポ〜〜ン♪
 モニターに展開するファイルが一つ。やたらとメモリを使用しているが……俺、何かダウンロードしてたっけ?

『発行元――電薬管理局・開発課』 『名前――P・D・S』
「はいりゃああああああああああああああああああああああああああ――――ッッッ!?」

 弥富、絶倒。生まれて初めてな声を絞り出しちゃって、開いた口が塞がってくんない。
(な、何でッ!? マジかよ……いつの間にッ!?)
 バックアップのための操作をした覚えはない。となれば、デスクトップにポータブルHDをつなげると、自動でコピーを作成する仕様なのか? と、とにかく落ち着くんだ、俺。姉歯物件並みに耐震強度不足なハートが、今にも崩壊しそうだ。
 キョロキョロ……キョロッ……
 弥富は自分の家なのに、空き巣に入ったみたいな気分に陥り、周囲が気になって仕方がない。タイミング良く監視役のエージェントはいない……よし、今すぐ外付けのHDにコピーしてやる!
「…………いや、待てよ……」
 彼は水槽の方に振り返る。そうだ、禁魚達は没収されたんだった。インカムならアキバの中古屋ですぐに手に入るが、話したい相手はもういないんだった。
(腹減ったなあ……)
 またもやテンションがダウンした弥富は、とりあえず外付けHDにバックアップをとり、冷蔵庫を開けて中を見る。中身はビタミン剤と脱臭剤だけ……“もう少し頑張りましょう”のシールが進呈されそうだ。
「…………禁魚のエサって、人間にも食えるのかな?」
 ――ッて、オイ! しっかりしろよ、俺! 鬱の症状が見え隠れしているぞ……。
「決めたッ、今夜は断食ッ!」
 弥富は自分にそう言い聞かせ、窓から外を眺めた。夕日が強烈な紫外線を攻撃的に浴びせてくる。通学路の方から、家に帰る学生達の喧騒が小さく聞こえてくる。この世はとりあえず平和である。“問題”ってヤツは、いつも世間が目にしない局所より発生する。その『局所』の役がたまたま自分だった……それだけの事だ。
 バサッ――
 弥富はUBの扉を開け、服を脱いで洗濯機に投げ入れる。軽くシャワーを浴びて、汚れと煩悩の残り香を洗い流すとしよう。そうやって、明日も惰性で生きていこう。
 ザアアアァァァァァァァァァァァァァ〜〜〜〜!
 どうでもいい事だが、弥富は湯船には滅多につからない。いつもシャワーで済ませる。空の湯船に立ち、ぬるま湯を頭から大量に浴びる。そうすると気分が良い。マイナスイオンでも出ているのかな?
 カチャ……
(んッ?)
 音がした……ような気がした。
 カチャ、カチャ
(んんッ!?)
 ハッキリと聞こえた。UBの外からだ。これってまさか……玄関戸からか!?
 ガチャガチャ! ガチャガチャ!
(うおッ、マジかよ……!)
 玄関戸の鍵をダレかがピッキングで開けようとしている。なんてことだ、電薬管理局が言っていた“襲撃の可能性”が、言ったその日に現実のものとなった! マズイ……こっちは丸腰、って言うか丸出しだ。しかも、逃げ場は無い。
 カチャン……バタンッ!
(うおおお〜〜! やっべええ〜〜!)
 鍵がこじ開けられ、玄関戸が閉められる音がした。明らかに外からの不法侵入者だ。畜生が、こんな時に“監視役”はドコ行きやがった!
「…………ッ」
 現状の弥富に出来るのは、その場に立ち尽くして息を潜めることぐらいだ。1LDKの狭いアパート、目標を探し当てるのに時間はかからないだろう。
 ガッ――
 UBの扉に手がかけられた。後は軽く引っ張ってしまえば、中で怯え身動き一つとれない全裸の弥富と御対面……
「――――ん?」
「…………よし」
 “よし”って……おい。容赦なく開けられた扉の向こうに、エージェント・津軽が立っているんだが。色々とツッコみたい箇所はあるけど、とりあえず閉めていただけますか。あの〜〜、ですからね、俺って今、入浴中ですよね? 分かりますよね? なぁ〜〜んでこっちをジッと見つめていらっしゃるのかな……。しかも、彼女の視線が微妙に上下しているし。コレってれっきとした逆セクハラに認定されるよね。

「ちょっとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――ッッッ!!」

 弥富が顔面を真っ赤にして身をよじる。
「心配せずとも、ただ安全を確認しているだけですわ」
 彼女は大したリアクションも無く、淡々とそう答えた。
「いや、あの……とにかく、閉めてもらえますか……」
 他人様に見せたい肉体は、あいにく持ち合わせちゃいないもんで。しかも、股間のタートルネックが御挨拶しかけてるもんで。どうもスミマセン、ひとつウエノ男じゃなくて。
「そうですか。では、わたくしはリビングで待機していますわ」
 バタン――
 扉が閉められる。
(まただよ〜〜……また変なのが増えたよ〜〜……)
 弥富更紗、25歳にして何か大切なモノを凌辱された。そんな気持ちで一杯になった記念日。

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