小説『ようこそ、社会の底辺へ[完結]』
作者:回収屋()

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 [買い出しするため街に行くよう【前編】]

 カァカァ……カァカァ……
 カラスが鳴いています。つまりは、新しい朝がやってきたワケです。これが都会の世知辛い朝……ニワトリもスズメもいません。彼等、真っ黒で不吉な害鳥によって生ゴミが荒らされる瞬間から、俺の住むアパートでの朝は始まるのです。しかも、夏場なもんで日の出が早く、夜型の生活を営む俺としては、あまりありがたくない仕打ちなのであります。
 で――
(…………ん?)
 デスクの椅子に腰かけた人物が一人……そうだ、“彼女”が居たんだった。昨晩から俺の身に降りかかった罰ゲームの一種だ。“綺麗なオ姉サンと一晩過ごした”……そう言えば、世の童貞共はあらん限りの妄想をフル活用するだろうが、才能の無駄遣いになること請け合いだ。決してハートがときめきメモリアルになる事はないし、甘酸っぱい期待感などお呼びでない。俺はしばらく寝付けなくて、時々、床でキチンと正座して監視(?)役をこなしている津軽さんをチラチラと見ていたが、彼女は微動だにせず、まるでオブジェみたいに佇んでいた。マジで……怖かった。正直、眠気に誘われて目を閉じたが最後、永眠させられるんじゃねえかと錯覚するぐらいだった。
「あ……オハヨウ……ごさいます」
 弥富が弱々しい声で挨拶する。
 ガタッ――!
(えッ――!?)
 津軽はビクッと全身を小さく震わせ、デスクトップの主電源を素早く押して強制終了した。そして……
「はい、おはようございます(汗)」
 微妙に引きつった笑顔で御挨拶。明らかに、彼女にとって何か不都合な事が起きたみたいだ。
「あ、あの〜〜……何をされてたんですか?」
 家主としては当然聞いておくべき状況だ。
「あ、ああ……え〜〜、さっきのは実動課への定期報告ですわ。何も問題はありませんことよ」
 いや、見るからに挙動不審ですよ。顔面に「ウソだよ〜〜ん☆」って書いちまうより分かりやすいし。おそらくは、ネット環境の遠隔制御とやらに関係しているんだろうが、あまり深く追究して、余計な火の粉が降りかかってくるのはイヤなんで、頭の中のメルヘンボックスにでも片付けておこう。それはそうと……
「それにしても、ずっと起きてたんですか?」
 もっともな疑問だった。監視役は彼女一人だけ。つまり、24時間体制なのだから、睡眠中の俺を護衛する役目も彼女一人なワケで。
「ええ、わたくし睡眠はとりませんの」
「……は?」
 妙な事を言い出した。
「わたくし、脳髄が先天性の奇病を患っておりまして、産まれてから一度も睡眠をとった事がないのです」
「えッ……それって、体は大丈夫なんですか……?」
「もちろん、普通なら乳幼児の頃に死亡しております。わたくしは、薬物療法でなんとか命をとどめている状態でしたわ……最早、安楽死という選択しか残されなかった時、当時の政府でとある臨床実験の被験者が募集されていたのです。新発見された特殊なタンパク質を注射するのですが、どうせ死を待つだけの身ならと、わたくしの両親は決意したのだそうです」
「じゃあ、そのおかげで回復したんですね」
「残念ながら、奇病の原因となった中枢神経の遺伝子異常までは回復しませんでした。なんとか延命に成功は致しましたが、完全な不眠である事に変わりはありませんし、以前の職場の支配人からは、30歳まで生きられるかどうか分からない……と、言われましたわ」
「え、そんな……」
 朝一番でものすごく重い話を聞いちまった。津軽さん本人は軽く苦笑いしたりしているが、俺なんかが気軽に干渉したりできる人生ではない。本日はあまりイイ一日にはなりそうにないな。
「では、弥富殿。今日はドコかへ外出される予定などはありまして?」
「そ、そうですね……」
 一人暮らしのニート予備軍に、一日のスケジュールなどあるハズもない。その日暮らしもいいところな生活なんだし。ただ、昨晩は絶食してしまったので、やたらと空腹を覚えている。
「まずは何か食べたいです」
「分かりましたわ。では、支度が出来次第、アパートの前までおこしくださいな」
 彼女がそう言うもんで、弥富は簡単に外出の準備を済ませて、アパート前にある月極め駐車場まで行ってみた。
(マジっスか……?)
 一台のジープの前に津軽が立っていた。まさかの送迎車だ。
「わたくしが運転致しますので、目的地をおっしゃってください」
 一気に生活水準がレベルアップしたような気がした。コレって結構なVIP待遇じゃねえの? 俺って、もしかして貴重な存在になってんの?
(ふ〜〜む、目的地か……)
 残念な事に、弥富の地理的なキャパは貧困そのもの。というワケで――
「アキバの街まで御願いします」
 彼はそう言ってジープに乗り込んだ。

 {アキバ電気街}――国内屈指のオタク街。大型量販店や大手家電メーカーがひしめき、ほとんどの電子部品や家電製品が手に入る。特にPCやアニメ・ゲーム・同人系のジャンルに特化し、合法・違法を問わず、マニアックな欲求を満たしている。そして、一番の特徴は……
「気のせいでしょうか、男性の通行者ばかりいますわね」
「いや、気のせいじゃないっス……コレが真実っス」
 弥富が申し訳なさそうな声を漏らす。彼等はアキバ駅前のコインパーキングにジープを停めて、周囲をキョロキョロしていた。津軽としては、全く慣れ親しみのない街に対する警戒に近いモノがあって。弥富としては、フォーマルスーツを纏った美人さんと一緒に居る状況が、街のオタク達にどう見られるか気になって。
「あら、アレは何でしょう? 珍妙なデザインの自動車が駐車してありますわ」
 そう言って津軽が指差した先には――
(うわ〜〜、あんま説明したくねえ〜〜)
 痛車発見。コイツに関しては塗装されたキャラクター云々よりも、金のかかる塗装して、アキバの駅前にこれ見よがしに駐車しとく持ち主の神経自体が痛い。
「と、とにかく、行きましょう……ここって駐車料金カナリ高いですし」
「心配ありませんわ。実動課より特別予算が組まれておりますので、金銭的には余裕がありましてよ」
「えっ、そうなんですか?」
 いまいち事件に巻き込まれた感が薄弱だったので、普通に驚いた。自分みたいな社会の底辺一人に、情報機関が予算を捻出してくれたなんて……いや、別の言い方をすれば、今回の事件の重要性や危険性が高い事を意味しているのか?
 二人が大通りを歩き出す。この街ではカップルの楽しそうな往来は御法度。これ、暗黙の了解。なのに、こんなカップルはいかかでしょう?
 男性=使い古された半袖Tシャツ・ヨレヨレの短パン・いつ洗ったか覚えてないスニーカー・戦利品収納用リュック。
 女性=シワ一つ無いブランドスーツ・ピッカピカのピンヒール・瀟洒なクラッチバッグ。……事情を知らない連中が見れば、キャッチセールスに捕まったバカ一名連行中。そんな風にしか見えない。
「あ、津軽さん。ここに入ります」
「……ここは何の御店ですの?」
 彼女にとっては周囲の光景やら空気全てが初体験で、メイクの濃い瞳がやたらと動いている。そして、弥富に誘導されてやって来たのは……
「ファミレスです」
 弥富は普段から一人でも平気でファミレスに入る。カップルや子連れの家族達が笑顔で食事を楽しむ中、ドリンクバーだけで平気で数時間過ごせられる。そんな常連である彼を長年見てきたウエイトレスは言う……「アノお客さん、去年のクリスマスから年末・年始にかけて、ほぼ毎日来店されてました。正直、涙で会計伝票が見えなかった日もありました」……と。
「さぁ〜〜て」
 自分の縄張りに腰を据えた弥富は、安心感で顔がほころぶ。彼の数少ない安息の地。まずはやっぱりドリンクバー。
「…………」
 メニューに目を通す津軽が沈黙。何か困惑しているような。
「津軽さん、さっき言ってた予算って食費も込みなんですよね?」
「……あの、弥富殿……ここは本当に食事のできる御店なのでしょうか?」
「え、あ……はい。ファミレスなんで」
 当然のように答える弥富に対して、津軽の方はなんかメニューを睨みつけて首を傾げたりしだした。
「もしかして……ファミレス、初めてですか?」
 彼女の妙な雰囲気に気付いて小さな声で聞いてみた。
「ええ。わたくし、基本的に外食は緊急時以外しませんので。しかも、これほど多人数が同じ空間で食事をとる場所など、任務の際ですら入った事がありませんの」
 うわ〜〜……本当にいるんだ、こんな人って。生まれつきの奇病で特殊な人生を送ってきたのだから、やはり、食事一つとっても一般人とは違うんだ。
「じゃあ、俺が適当に津軽さんの分も注文しちゃいますね」
「ええ、御願いしますわ」
 弥富は呼び出しボタンを押し、すっかり顔見知りになったウエイトレスに一通りの注文を済ませ、席を立った。全く勝手の分からない津軽に代わって、ドリンクバーの飲み物を取りに行く。
(やっぱ、完璧な人間なんていないよな)
 彼はコップに氷を入れながら、軽い安心感みたいなモノを感じて微笑んだ。自分と大して歳の変わらぬ女性が、情報機関でSPの任務についている。最初は自分との社会的立場の違いに萎縮してしまった。さほど無い余命を告知されながらも、懸命に任務に準じる彼女の姿勢に畏怖の念すら覚えた。が……人は決して万能には出来ていない。どれほど些細な欠点であっても、その存在こそが人間らしさを定義する。
「おッ……」
 炭酸飲料を注いだコップを二つ持って、席に戻ろうとした弥富が偶然目にした自然な光景――向かい側の席で食事を楽しむ家族と、その様子を何か気持ちの良さそうな笑顔で見つめる津軽。ドコにでもいそうな夫婦と、一緒に談笑する小学生くらいの可愛らしい男の子……実に他愛無い光景。
「はい、どうぞ」
「あ……ありがとうございます」
 彼女の前にコップを差し出す。少しハッとしながらコップを手に取り、中身をしばらく見つめたりする。父よ、母よ、俺……もしかしたら初の女友達が出来そうです。
「チョウシニノルナ。クソガ」
 オウムの幻聴はやっぱ聞こえちゃうんだけどね……。


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