小説『ようこそ、社会の底辺へ[完結]』
作者:回収屋()

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 [見てはいけないモノをとりあえず見るよう]

 夕方……真夏はまだ空が明るい。しかし、弥富の住むアパート周辺は比較的寂しく、夕方にもなれば、人通りはめっきり減って物静かになる。そんな中を一台のジープが停車する。中から出てきたのは両手に斧を握りしめた運転手と、悲痛な表情をした青年。普通に見れば拉致事件の現場だ。
「あ、あの……御近所さんに見られたらマズイんですが(汗)」
「何がですの?」
「手に持っている危険物がです」
「先程のような襲撃に常に備えなければ。わたくしに課せられた任務ですので」
 仕事に真面目なのは分かりました。けどですね、この国ではアナタの今の状態を『危険人物』と呼びます。回転灯を装備し、サイレンを鳴らす自動車がやってきちゃいますんで、そういうのは非常時のみの使用に限定してください。
 ドサッ……
「ふぅ……」
 弥富はアパートのリビングに荷物を置くと、軽く溜息をついた。昨日の今日でまさかの襲撃……しかも、やたらと演出じみていてバカにされたような感じだった。一体、俺を拉致ってどうする気だったんだ? やはり、オリジナルP・D・Sに深く関係を持ってしまったせいか?
「弥富殿、デスクトップを御借りしますわ」
「あ、はい……何をするんですか?」
「本日の事件の詳細を課長に報告しますわ」
 そうか、早くも襲撃があったのだから増援が期待できるワケだ。睡眠を必要としないとはいえ、津軽さんたった一人で24時間体制の警護は無理がある。それ以前に、女性関係に関する免疫が欠片もない俺にとって、同棲みたいな生活は少々マズイ。脳内に住む不思議な妖精さんが、<まあ、押せよ>と書かれた謎のスイッチをいつの間にか押しかねない。そうなると、色々と困る……男性的に困るのである。
(メシでも炊くか……)
 弥富は広がりかけた妄想を振り払い、狭いキッチンで米を洗い始める。正直、今までの人生で、他人様のために料理をしたことは一度も無い。だから、なんだか変な気分。
「津軽さん、何か好き嫌いはありますか?」
「いいえ、ございませんわ。どうぞ御構い無く」
「じゃあ、米が炊けるまで一時間近くかかるんで、その前に俺はシャワー浴びますね」
「ええ、どうぞ」
 こんな何気ない言葉のやり取りも全てが初体験。すごく新鮮で、自分の現状の立場ってヤツを失念しそうになる。

 一時間後――
 夕飯の支度が整い、長い一人暮らしで鍛えられた粗末な料理がテーブルに並ぶ。
「で、津軽さん……増援はいつ来てもらえるんですか?」
 沢庵をコリコリしながら弥富が問う。
「増援? いいえ、ダレも来ませんわ」
「へ? いや、あの……事件起きちゃったし……いくらなんでも津軽さん一人だけというのは……」
「心配ありませんわ。他人の救援を当てにするほど、わたくし弱くはありませんの」
 彼女は毅然と言い放って赤だしをすすった。
(この人、もしかして……)
 弥富が一瞬、何か親近感に似たモノを感じた。他人とのコミュニケーションに微妙な問題がありそうな……特殊な人生や人間環境が関係したのか、彼女もまた知らない内に、心に薄い壁を形成する人種だった。やがて、夕飯を食べ終わり――

 カチャ、ガタン、サアアアアァァァァァァッ……
 津軽が手際よく戸締りして鍵をかけて、カーテンを閉めた。
「あの……どうかしたんですか?」
「弥富殿、お風呂場を御借り致しますわ」
 つまり、入浴。こんな時、男はどんな顔とリアクションで対応すれば、イヤラしく思われないのだろう?
「あ……じゃあ俺、少しの間外に出てますね」
 この部屋は狭い。UBのため、もちろん、脱衣所など無い。リビングに居ると、どうしても脱衣する相手の姿を見る事になってしまう。つまり、相変わらずなガラスのハートが、ドキドキでワクワクでオマエはもう死んでいる。
「いけません。弥富殿の身の安全を託された者として、常に側に居ていただかねば」
「いや、あの……しかしですねえ(汗)」
 パサッ――ファサッ――
(うおッと!)
 家主の同意を得ずして容赦なくスーツを脱ぎ始めたもんだから、弥富は慌てて彼女に背を向けた。衣擦れの音がなんとも悩ましくて、下半身に余計な血液が全員集合しちゃう。
血液:「フヒヒ、サーセンwww」
 静まれよ、不埒な血液。
 パタンッ
 UBの扉が閉まり、シャワーを使う音が聞こえてきた。
(イカン! はやまるな、俺の中の妖精さん! そのスイッチは押してはいけない!)
 妙な妄想に取り付かれかけている弥富が、頭を抱えて必死に何かと戦っている。
妖精さん:「おおっと、危ねえ……マジで寸止めだったZE★」
「よしッ」
 彼は力強く立ち上がってデスクトップの前に座る。雑念を追い払うには、ネットに潜るのが一番! そんなワケで……
(ん?)
 『最近使った項目』にふと目をやると、なんか見覚えの無いファイルの存在が。
「コレって、もしや……」
 今日の朝、津軽がデスクトップを使って何か作業していたが、その時のヤツか? まあ、おそらくは実動課への報告書類か何かだろうが、自分の事がどんな風に書かれているか普通に気になる。
(う〜〜ん……見たい。けど、見ちゃマズイんだろうなあ。でも、やっぱ……)
 チャンスは今しかない! さあ、勇気を出して左クリック!
 ――カチッ

「…………………………………………………………ん?」
 ポンポン、ピロリ〜〜ン♪ チャンチャン、ピロラ〜〜ン♪ ズンチャ、ズンチャ♪

 えらく愉快なBGMが流れてきた。そして、モニターに映ったのはアニメチックな動画……蠱惑的な美人の女性(全裸)に、後ろから抱き締められる美少年(全裸)。
「…………………………………………………………んんッ?」
 コレはいわゆるDL版の『エロゲー』ですねえ。オープニング映像を見た感じ、思いっきりショタ系ですねえ。若奥様の年齢から淑女までが揃って、明らかに10代半ばかそれよりちょい若い美少年達と絡んでますねえ。
「…………………………………………………………んんッ!?(汗)」
 弥富の脳内で本日、彼が記憶した一コマ一コマが反芻される。てなもんで、気がかりな箇所を挙げてみた。
 1つ目・ファミレスで談笑する一家を見つめる津軽。(可愛らしい少年を含む)
 2つ目・DVD販売店の宣伝用モニターを見つめる津軽。(柴犬とじゃれる愛らしい少年を含む)
 3つ目・明らかに児ポ法のグレーゾーンに位置している、ショタ系のエロゲー。(淫語あり)
 上記の3つから導き出される回答――

(ちょっとおおおおおおおッッ!! ダレかアグネス呼んできてえええええええッッ!!)

 弥富は心の中で吐血するぐらいの勢いで叫んじゃった。コイツはヤベぇ! マジで尋常でないモンを見ちまった! これから先、どう対応していけばいいのか……と、とにかくファイルを閉じねえと。
 ――カタッ
 慌てて立ち上がった弥富のズボンのポケットから小さな音がした。
(あ、そういえば……)
 ポケットの中身を取り出す。ソレは量販店でこっそり買った『インカムα・β』のセットだ。弥富は隅っこに片付けた四つの水槽へ目をやった。もう、中の水も捨てちゃって、殺菌のため乾かしている最中。つい先日まで禁魚達が泳いでいた……なんか不可思議な侘しさを感じてしまうのは何故だろう? よし、津軽さんに頼んで、アイツ等がどんな様子なのか実動課に聞いてもらおう。
 カチャ……
 空っぽの水槽にインカムを取り付ける。オリジナルP・D・Sをコピーさせた外付けのHDをネットにつなぐ。
「…………」
 インカム・βを装着するが、もちろん、禁魚達のアバターは現れない。彼等は……いない。弥富は何かの儀式を行った後みたいに、妙な空虚感を味わっていた。
 シャアアアアアアァァァァァァァァ――――
 UBの方から聞こえてくるシャワーの音が、なんだか切ない。
「おお〜〜、とっても卑猥だぞ〜〜。アグネスが強制捜査に乗り出してくるぞ〜〜」
 ああ、その通り。しかも、俺のデスクトップ使ってダウンロードしてる……し……?
(……ん?)
 不意に耳に届いた低調で抑揚の無い子供の声。弥富がデスクトップの方に目をやると、椅子にチョコンと腰かけた幼児が一人。
「エロゲーにオチはいらん。それこそが世界の真実だぞ〜〜!」
「…………………………………………………………あっれええええ〜〜〜〜?」
 『ポチ』が居た。


「経過報告を、『Mr.アルビノ』」
 一人の男がノートPCのモニターに話しかける。
<……期限までには確保できる。問題は無い>
 モニターの中年男が機嫌の悪そうな声で答える。
「結構。では、『Mrs.タンチョウ』……計画の進行具合は?」
 男が別のモニターに話しかける。
<予定の“頭数”は揃ってるよ。少々、予算をオーバーしたけどね>
 艶やかな着物を纏った淑女が水タバコの煙を燻らせる。
「計画が首尾良く運べばいくらでも補填できる。不満をこぼすヤツがいれば、札束ではたいてやれ」
 男はそう言ってイヤラしく微笑んだ。
<ところでぇ、『Mr.キャリコ』……深見素赤の肉体を確保する件についてだがクマ〜〜>
 まだ若い感じの変な訛りのある男の声。モニターには何故か……やたらと可愛らしいクマのヌイグルミが映っている。
「心配ない。それはこちらで処置を行う。君は今まで通り、ネット環境の安全確保に努めてくれればいい」
<はいぃ、分かったクマ〜〜>
「では、各自怠り無きよう」
 フッ――
 全てのノートPCが落ちた。


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