小説『ようこそ、社会の底辺へ[完結]』
作者:回収屋()

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 [ヌイグルミは洗わず空気洗浄して欲しいよう]

<クマぁ〜〜…………どうやら何者かが“作戦内容”に気づいたようだベア>
 薄暗い部屋の中で一台のノートPCから声がする。モニターにはチョーカーを付けたとっても可愛らしいクマのヌイグルミが映っていて、デッキチェアにちょこんと座っている。
「……と言うと?」
 そのモニターを見つめる男が一人。左手に皿を持ち、右手には一本のフォークが。皿の上には焼きたてのホットケーキが熱を発している。
<『享輪コーポレーション』に仕掛けた下準備を、拙者達以外が覗き見した形跡があるんだクマ〜〜>
 クマのヌイグルミが両手をブンブン振り上げながら答える。
「電薬管理局かい? それとも、国家調査室かな?」
<いやいや、おそらくはどちらでもないクマよ。バカなハッカー共が近づかないよう設置してある攻性ワームを、ギリギリのタイミングで回避している。これは…………浜松の御仲間の仕業と推測するベア〜〜>
「ふむ。実動課の連中、禁魚と協定でも結んだかな? アハッ♪ なりふりかまってられなくなったかな? アハハッ♪」
 モニターを見つめる男は愉快そうにホットケーキをフォークで刻み、口に運ぶ。
「ムダよ……軽く脅迫したくらいじゃ、あたしの身体(バックアップ)は手に入んないからね」
 部屋の隅っこで壁にもたれかかるようにして、セーラー服姿の少女が一人立っている。その目は不愉快さに満ちており、決して男と視線を合わせようとはしない。
「なるほど。だが、その言い方だと君の肉体は『電薬管理局』に保管されている…………そう推測できるよね、浜松?」
「うッ…………!」
 イヤラしく口元を歪める男に対し、そのセーラー服少女──浜松は分かりやすく動揺してしまう。
「ま、ある程度の確信はあったのさ。この国で身元不明の遺体、もしくは脳死状態にある肉体の隠蔽が可能な機関となれば、数は限られる。そして、君は電薬管理局と契約して業務を請け負っていた享輪コーポレーションの元社員。何かしらのコネクションが生じたと考えるのが自然」
<さっすがはMr.キャリコ〜〜♪ 自宅警備員の無駄に洗練された頭脳が冴えわたるゥ〜〜★>
 モニターのクマが一生懸命に拍手してる。
「情報機関ってヤツは、他人の情報はなにがなんでも手に入れようとするが、自分達の情報はなにがなんでも公開しようとしない。相手が一国の大臣であろうと、頭のイカレたテロリストであろうと答えは変わらない。“存じ上げません”…………だ」
 男──Mr.キャリコが一瞬だけ憂鬱な表情を見せた。そして、PCの近くに置いてあった衛星電話を手に取り、コールする。
<何だ?>
 相手はすぐに出た。カナリの貫禄を感じる中年オヤジの声が聞こえてきた。
「やあ、Mr.ジブリ。新しい仕事を頼みたいんだが……手透きだったかな?」
<今は忙しい。仲間と観光中だ>
「観光? カブキ町で散財するにはまだ時間が早いでしょうに」
<カブキ町? バカな……そんな如何わしい歓楽街で遊ぶ趣味は無い。我々は今、アキバの街で癒されているところだ>
「さ、左様で……これはまた、意外な……」
<噂には聞いていたが、コレが本場のメイド喫茶というヤツか……実に素晴らしい。従業員の女の子達はまだまだ若いのに、立派なプロ意識を感じる>
「ま、アナタ方がアキバの街にいらっしゃるというのは好都合でした。実は……人間を一人、拉致していただきたい」
<ふむ。魚を一匹連れて来いと依頼された時は耳を疑ったが、今度のはどのような裏事情があるのかな?>
「その街の一角に『享輪コーポレーション』というソフトメーカーがあります。本日、そこにとある人物が特別来賓として訪れる予定です。今からおよそ1時間後に」
<えらく急だな……準備不足なミッションはロクな結果を生まないぞ>
「その分、報酬は上乗せしますよ。御土産にメイド喫茶が一軒買えるくらい」
<……いいだろう。で、ターゲットは?>
「今からそちらの端末に人物の詳細な行動予定表と、顔写真を送信します。拉致完了後は、前回と同様の手順でこちらへ送り届けてもらいたい」
<了解した>
 ゴトッ……
 Mr.キャリコは通信を終え、満足そうな微笑みを浮かべて衛星電話をテーブルに置く。
「まるで出前だぁね。自分は家から一歩も出ず、カーテン閉め切った薄暗い部屋で他力本願……キモッ! あ〜〜〜〜ッ、キモッ!」
 浜松がペッて床に唾を吐いちゃう。
「ネットの海へ“身投げ”した君に言われたくはないな」
 Mr.キャリコが皮肉のこもった言葉を返す。
「アンタ、どこまであたしの事を知ってるワケ?」
 浜松の声に殺意にも近い何かが滲む。
「深見素赤・25歳。享輪コーポレーションの元プログラマー。電薬管理局からソフト開発を請け負い、オリジナルP・D・Sを設計した張本人。ちなみに、ド近眼と貧乳にコンプレックスを抱いている」
「おーけー、おーけー。プロのストーカー、乙ってカンジだね。じゃ、ついでにアンタの方も自己紹介しちゃってよ」
「アハッ♪ さっき言ったでしょ? “情報機関”は決して自分達の情報は与えないって」
「…………………………あァ〜〜ん?」
 浜松が眉間にシワを寄せる。
「私が住むこの部屋が次世代の情報機関さ。これからは端末を持つ者全てが情報機関者になる時代……一国の直轄機関だけが極秘情報を隠匿する時代は終了。偽P・D・Sの開発を皮切りに、情報格差をなくしてあげるんだよ。ダレもが正しい情報を得られ、政府の嘘や妄言に騙されない日常を形成してやるのさッ!」
 Mr.キャリコはとても愉快そうに答えた。
<プ〜〜〜〜ッ、プップップップッ★ いつもながら中二臭が絶えないクマぁ〜〜♪ それでこそ未来を築くに値する狂人だベア〜〜♪>
 褒めているのかバカにしてるのか、モニターのプー左衛門が口元を手で押さえて爆笑している。
(こりゃ…………ちょいとヤバイかな……)
 オンラインの状態ならともかく、小型の水槽に監禁された禁魚・浜松には逃げも隠れもできない。今はイントラネットによる限定仕様によりアバター化しているが、当然、外部との連絡手段は断たれている。自分の父親を名乗って弥富の部屋に神経ガスを撒き散らしたオッサンの時のように、相手の脳を焼き切るという強硬手段もとれないのだ。
「ちょっと尋ねたいんだが……どうして君は弥富更紗にポータブルHDを託したんだい?」
 Mr.キャリコはテーブルに両肘をつき、両手を組んで神妙な口調で問う。
「だって…………大切な友達だったから(ポッ☆)」
「……………………(黙)」
<……………………(黙)>
 頬に両手をあてて顔を薄らと赤くする浜松に対し、傍観者二名は“絶対にツッコまないぞ”――的なオーラで対抗する。
「ちッ……」
 適当にはしのげないと分かった浜松が、場末のチンピラみたいに舌打ちしやがった。
「で、どうして託したんだい?」
「一人暮らしで、友達いなさそうで、コミュニケーション能力が乏しい。しかも、他人の言葉を鵜呑みにして疑わず、大して考えもせず、周囲の空気と状況が生み出す惰性で生きている……まずはそんな隠れ家の家主を選定する必要があった。何人かの候補とチャットした結果、最適なバカが弥富更紗だった。だから、あたしは裏サイトで禁魚を購入するよう仕組み、人間の女性としてではなく、魚類としてアイツと直接接触することにしたワケ」
 そう言い放った浜松の顔には一片の躊躇も陰りも無く、本心をブチまけたことにより心なしかスッキリとしていた。
「これは、これは。ヒドイ女だよ。アハッ♪」
<このビッチめぇ〜〜! 人間のクズめぇ〜〜! オマエなんかエロゲの取説以下だクマ〜〜!>
 当然の野次。プー左衛門にいたっては、モニターの中で洗濯機に飛び込んでグルグル回ってる。
「世界のドコかでダレかが一人幸せになるには、ダレかが一人不幸にならなきゃいけない……そんなリアルの世界で不条理に泣かされるくらいなら、ネットの海で永久に泳いでいたい。そう思ったワケ。ま、ネットの海へ仕掛けた網に、たまたま引っ掛かったのが更紗っていうバカだった。それだけね」
 彼女の口から何故そんな言葉が吐き出されるのか……ただ、その呟きを聞いたMr.キャリコは、素直に納得したような面持ちだった。
「『生命のデジタル化』──ネットの社会構造を知りつくしたハッカーならダレもが夢見る未来。ケガや病気や老いに苦しむ生身の肉体を破棄し、デジタル化された不滅の肉体を得て永遠に生きようとする超理論。浜松、君はまさにその一号となる一歩手前まで来ているんだね」
「ええ、そうよ。でも、残念ながら一号から先はいらないの」
「…………いらない?」
 Mr.キャリコの顔が曇る。
「ネットの海で生き続けるのはあたし一人で十分。仲間は必要無いってコト」
「何故だい?」
「あのねぇ……世界中の引きこもりやニートをネットの海へ放流したら、クソ溜めみたいなリアルの世界がもう一つ出来ちゃうじゃない。本日は仕事でヘマして落ち込んだからネットの海へ……彼女と別れてブルーだからネットの海へ……消費税の引き上げで生活苦しいからネットの海へ…………最後には地球上から人間が消えるでしょうよ」
 いくらなんでも極論だが、可能性としては決してゼロではない。人は新しいシステムを手に入れると試さずにはいられない。それが、己の生活水準の向上につながるとなれば尚更だ。隣の人が最新型のデジカメで遊んでいたから、次の日、自分も同じのを買った。見知らぬラーメン屋に行列ができていたので自分も並んだ。中東の小国で大規模な反政府デモが起きたから、自分の国でもデモを起こした――要するに、人間は“群集心理”の中で常に生きているのだ。ダレか一人がネットの海へ潜り込み、快適な生活を永久に送れると呟けば、情報の精査が緩い者から順に“身投げ”していく。
<プ〜〜〜〜ッ、プップップップッ★ Mr.キャリコ、とっても残念クマ〜〜。せっかく捕まえた浜松は正反対の考えみたいだベア〜〜>
 プー左衛門、全自動洗濯機の中で洗われ→すすがれ→脱水されて。小さなドライヤーで全身を乾燥中。ファーファを使った後のイイ香りをさせて。
「私はこう思っている……“人間みんな、ネットの海へと消えちゃえ”って」
 そう言って、Mr.キャリコはホットケーキの最後の一切れを口に放り込み、持ってたフォークを浜松めがけて投げつけた。
「あァ〜〜あ……キチガイが技術を持っちゃった結果がコレだよ」
 彼女は吐き捨てるように呟いた。額からダラダラと血を流しながら。

 

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