小説『ようこそ、社会の底辺へ[完結]』
作者:回収屋()

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[初体験に対処しよう]

ずっと昔、物心がついたばかりの弥冨は、夜店で買ってきた金魚をニヤニヤしながら見つめていた。透明の袋の中で小刻みに泳ぐ彼等を見ていると、言葉では表現できない楽しさがこみ上げてきた。急いで家に帰り、大して考えもせず、水を張った洗面器に金魚を放った。彼等は狂ったように泳ぎだし、とっても嬉しそうだった。
 翌日――
 金魚は全滅していた。いきなり一夏の人生を終えていた。子供だった弥富の心に小さな虚脱感が生まれ、ただ一言……
「死んだ」
 と、小さな声を漏らした。それは、ペットを失ったという感覚ではなく、“死”という事実を確認し終えた事務的なリアクションだった。彼は死因が解らないまま毎年夏になると、必ず金魚を見殺しにしていった。学習せず、手に入れた時のゾクゾク感にただ身を委ねるだけで……。そして、現在――

「絶対俺の番だ……絶対俺の番だ……!」
 弥富はベッドの中でブツブツ呟いていた。朝――外は雨。正午をまわっていたが、体がだるくて動きたくない。見殺しにしていった金魚達の悪夢に一晩中うなされた。
(関わりたくない……捕まりたくない……死にたく……ない)
 憂鬱過ぎる…………はッ、まさか! これこそがP・D・Sの中毒症状なのか!? いや、そんな……まさかな。
「よしッ、今できる事をしよう!」
 一大決心というワケではないが、一人でも出来る事を思いついた。彼は四つの水槽にエサを放り込み、デスクトップの前に座る。『偽P・D・S』には幾つかのバージョンがあるが、大元となった本サイトの管理者は尽く逮捕され、ネットから消えている。しかし、派生サイトは後を絶たず、ダウンロードされたバックアップは、いつでも泡のように湧いて出る。そして、電薬管理局によって取り締まられてきた。
(深見、君は関係ないよな……?)
 弥富は真剣な面持ちでポータブルHDのアーカイブを開く。そこには、やはり……オリジナルP・D・Sが。
「やべぇ……本気にしちまってるよ、俺」
 浜松が口にした、『陰謀』などという陳腐な二文字に影響された。いいか、冷静になるんだ、俺ッ! FBIは宇宙人を追いかけたりしないし、CIAは96時間かけて犯人を追い詰めたりしない! フィクションとノンフィクションの境目をしっかりと見据えろ! そうすれば、杞憂は消える。深見は偽P・D・Sとは何の関わりあいも無いハズだ。そんな悪辣な女性であるワケが……まあ、浜松と何故か同じ顔なんだけど。

 ――――ピンポ〜〜ン♪
 チャイムが鳴った。友達もオンナもいない一人暮らしの野郎を訪ねてくる連中は、だいたい決まっている。テレビを持ってなくてもやって来るN○Kの集金とか、神様の声が聞こえちゃう残念な輩くらいだ。
 ガチャ……
「あ、どうも……こんにちは」
 ドアの向こうには知らないオッサンが立っていた。スーツ姿で痩せ型の、ちょっぴり顔色がよろしくないオッサンだ。
「弥富更紗さん……ですよね?」
 オッサンは申し訳なさそうに微笑んで、ペコリとおじぎする。
「あ、はい……どちら様ですか?」
「わたし、素赤の父です」
 思い出した。葬式の時、遺影の前で泣き崩れていた男性だ。しかし、どうして今、目の前に?
「実は……娘の遺品を整理していまして、このようなモノを見つけたんです」
 そう言って彼は一枚の紙キレを取り出し、弥富の前で広げた。
「あ……」
 思わず声が漏れる。ソレは深見が弥富あてに郵送したダイレクトメールのコピーだった。
「パソコンに残っていたアドレスから、ここの住所を知りました。それと、この手紙によると、弥富さんに何か大切な物を渡したみたいなんですが……」
「え、あ……はい」
 マズイ。どうやらポータブルHDの事は知らないようだが、このまま素直に返却して中身を確認されたら、通報される可能性も。今やネット住民でなくとも、P・D・Sの犯罪性は周知の事実。
「よろしければ、見せてもらえませんか?」
「え、ええ……どうぞ、あがってください」
 そうじゃないッ! 素直にお客様ご案内しちゃダメだよッ!
「おッ、コレは……?」
 四つの水槽に占拠された狭い部屋を見て、深見・父は驚きの声を漏らし、立ち止まる。
「あの、コレのことです……」
 そう言って弥富が差し出したのは一枚のDVD-R。彼は条件反射的に嘘をついた。
「コレですか……わたしはパソコンはあまり詳しくないのですが、中身は一体?」
「い、一応見ましたけど、暗号化されていて……検討もつきませんでした」
 こうなれば、嘘をつき通すしかない。
「そうですか……あの、すみませんが……なにぶん娘の遺品ですので、返してもらってもいいでしょうか?」
 そら来た!
「分かりました……ちょっと待ってください」
 DVD-Rの中身はネットで拾った普通のISOイメージだ。いくらPCに疎いオッサンでも、中身を見られたらバレる。
(とりあえず、ソレっぽいモノを入れとけば……)
 インストールしてあった海賊版OSを、空のDVD-Rに記録し始める。
「4、5分で終わりますから」
 弥富は懸命の作り笑いでこの場をしのぐ。
「そうですか……御手数をおかけします」
 深見・父は今にも泣きそうな面持ちで頭を下げた。何だか……やり切れない。娘の遺品と信じこませ、俺はこのまま適当にあしらっていいものか? 我が身の安全と引き換えに、嘘をつき通してもいいのか?
「弥富さんは、その……娘とは親しかったんですか?」
「いえ、そういうワケでは。その……チャットでならよく話をしてました」
「そうでしたか。娘は、その……ひどく人見知りで、あまり外に出て遊んだりしない内気な子だったんです。そのせいか、父親のくせに知らない事が多くて……」
「そ、そうですか……」
 やめてくれ、もう聞かせないでくれ! 自分の行為にどんどん罪悪感が募ってしまう!
「ところで、この大きな魚達はペットですか?」
「え、ええ……近所に専門店がありまして」
「そうですか。娘も飼っていたんですよ……主人を亡くした今では、わたしが面倒をみているんです」
(え? 禁魚をか? いや、まさかな……)
 禁魚が違法なペットであることも、また周知の事実。普通の家庭で当然のように飼うワケはない。
「あの〜〜、一つ聞いてもいいですか?」
 弥富は申し訳なさそうな表情で深見・父に向き直る。
「はい、何でしょう?」
「素赤さんの……その、死因とかって分かってるんですか?」
 死して発生しはじめた、彼女に関係する数々の謎……その一つでもまずは解決したい。
「実は、医者からは心臓発作によるものとしか……ハッキリとした死因は未だに不明なんです。妻が見つけた時にはパソコンの前で倒れていたらしいんですが、警察はまともな現場検証もしないんです」
 や、やべえ……浜松がほざいていた『陰謀』なんてのが、ここにきて現実味を帯び始めた。
「あの……もし、素赤さんの死因がハッキリ解ったら、教えてもらってもいいですか?」
「え、あ……はい。しかし、どうして?」
「彼女の仇を討ちたいんです」
「――――――ッ、え?」
 深見・父は目が点だ。
「つ、つまり……死因が不明ということは、何か疑わしい点があるんじゃないかと」
「何か御存じなんですか!?」
「い、いえ……そういうワケじゃないんですが。やっぱり、死んだ親友のために何かできればと」
 言った。こればかりは決して嘘ではなかったから、毅然とした態度で言ってやった。
「ありがとう……本当にありがとう……!」
 不意に深見・父はうつむき、己の手で両目をグッと押さえた。
「えっ?」
「い、いや……すみません。娘のことを考えてくれる人がいて、とても……嬉しくて……」
 やめてくれ。これ以上の罪悪感は背負えない。
 ガコッ……
 データを記録し終えたDVD-RがHDから取り出される。
「じゃあ、コレを」
「はい、ありがとうございます……本当にありがとう!」
 感涙にむせぶ深見・父は弥富の手を取り、心からの感謝の意を述べる。
(ごめんなさい……本当に、ゴメンナサイ!)
 コップ一杯に溜まった罪悪感が、表面張力の限界を越えそうになって、弥富はひたすら謝るしかなかった。深見・父の顔を直視できない。頼むから早く帰って――
 ――――カコンッ
 床の上に何かが落ちて乾いた金属音が聞こえた。
「――――――ッ、うわッ!?」
 思わず向けた視線の先には、おびただしい量の白煙を吹き出す金属の筒が。突如起こった異常事態に深見・父へと目をやる。

 ―――――――――――――― ガスマスク? ――――――――――――――
 異変。異変。異変。

「かはッ――――!!」
 とてつもない勢いで体中の神経が虚脱し、口から魂がこぼれ落ちそうな気分の悪さに苛まれ、弥富はその場に崩れ落ちた。
 ゴトッ……
 ガスマスクを装着した深見・父は、デスクの引き出しから隠してあったポータブルHDをつかみ出した。
「あ……あ……うっ……!」
 何が起きたか全く把握できぬまま、弥富はただ微かな呻き声をあげるだけ。意識はハッキリしている……目も見えている。が、まともに声が出せず、指一本も動かせない。そんな状態の弥冨の傍らで、深見・父はスーツの内ポケットから通信機を取り出す。
「回収した。今から確認する」
<了解だ>
 ダレかと連絡をとっている。彼はポータブルHDをデスクトップにつなぎ、アーカイブを開く。
(マジでどうなってんだよ……!? シャレにならねえぞ……!!)
 現状の把握どころではない。自分の人生において、全く縁のなかった暴挙に巻き込まれている。
「……本物のようだ。処分するか?」
<いや、そのまま持ち帰れ。それと、禁魚は何匹だ?>
「大型が四匹」
<なるべく情報が欲しい。P・D・Sを使って禁魚達から聞き出せ>
「飼い主の方はどうする?」
<ガスの効果は30分程ある。撤退した後、警察に通報しておけ。禁制ペットが四匹も発見されれば確実に現行犯だ>
「了解した」
 深見・父はガスマスクを外して一瞬だけ弥富に一瞥をくれると、蔑むように口元を歪めた。


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