―生と死―
この感覚はヒヤリ、と言ったほうがあっているのだろうか。
自分の背中から首にかけて水をかけられたかのような冷たさを感じる。
寒気がなにもかもを被った。
机の上にはあの世への薬が入った包み。
その机さえ今はヒンヤリと冷たい。
部屋の温度も酸素も体も簡単に冷えた。
冷たいよ。
「ずっと、待っていた」
矢木矢さんがそう言って机の上に手を滑らせる。
彼の目の色がいつもとは打って変わって違うことにあたしは今更気付いた。
あたしは震える口を開いて今言える精一杯の言葉を吐いた。
「い・・・か、ない・・・で矢木・・・矢、さんっ」
はっきりと口に出すことができずもどかしい。
体が震えるあたしは小心者だね。
ああ、おかしいや。
パタッパタッ
涙が出るなんてさ。
パタッパタッ
畳と自分の涙がぶつかり合うたび矢木矢さんとすごした長くも短い思い出が頭の中をループする。
その記憶を無意識に掘り返す度、涙の量が増えていく。
(この人を忘れようとすればあたしは矢木矢さんと一生会えなくなる)
嗚呼
そんなの、嫌だ。
「俺のためなんかに泣くな」
顔をうずめて泣くあたしに矢木矢さんの細長い手がポンッとあたしの頭を軽く叩いた。
顔を上げて矢木矢さんを見ると、彼はいつもと変わらず涼しげな表情。
これから死ぬ人間とは思えない堂々とした面持ちに驚く。
矢木矢さんが呟いた。
「泣き顔酷っ」
「・・・聞こえてますけど」
「そんなんじゃ男できねえよ?」
出た。お得意の挑発技。
「な、余計なお世話です!」
「ククッ」
彼の広角が上がった。
いつもとなんら変わらない笑み。
あたしもつられて笑った。
「アハハッ」
そして、あたしと矢木矢さんは玄関へと足を進ませた。
あたしはスニーカーの靴紐を結びながら「この家にはもう入れないんだ」と、悲しくなってまた涙をこぼしそうになった。
なんとか涙をこらえてスニーカーも履き終わり玄関の古風な引き戸を開ける。
外から池の流れる音と鳥の鳴き声が耳に入ってくる。
全て、さようならだ。
この家と主の矢木矢さんとは永遠に。
「――――香奈、お別れだ」
「――――矢木矢さん、お元気で」
『またどこかでな』
その一言が耳に入ったと同時に引き戸は閉じられました。
もう何も聞こえない。
スベテガオワッテシマッタ