小説『獣医禁書』
作者:深口侯人()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

そして12月。
世間がボーナスやら忘年会やらクリスマスやら冬休みやらで浮かれ気分の中、我が病院では普通にいつも通りの毎日が繰り返される。
“汚物”は、年末年始の海外旅行のためになるべく多くの金を稼ぎたいのか、いつになく張りきっていて、やたらと手術や入院を入れてくる。
もちろん、僕でも対応できるような軽症患畜だけをしっかり選別して、”汚物”の手間は増やさずに、である。
我が病院では、「師走」であろうと師匠は走らないのだ。
その分こっちは異常に仕事が増えて、いつか過労死するんじゃないだろうかと不安になる程だが、使い捨ての「奴隷」が過労死したところですぐに替えが用意できるとでも思っているのか、”汚物”からの何らかの配慮は相変わらず無い。
仕方がないので、怒鳴られるのは覚悟の上で、後でもできる仕事を後回しにして何とか遣り繰りするが、やっぱり予想していたところで怒鳴られる。
怒鳴られるポイントをある程度予想できるようになったのは良いが、回避しようがないので余計にストレスが溜まる。
そんな忙しさやストレスのため、僕には恋人など作る余裕はないし、できたとしても遊ぶ余裕もないのでやがては心がすれ違い、結局辿り着く先は同じだろう。
もちろん、12月だけでなく他の月でも忙しさやストレスは大変なもので、易々と恋人を作れるような環境ではないのだ。
一番最近、恋愛感情に近いものを感じたのは夏の炎天下草毟り事件の時の新人看護師に対してであるが、その方向へ続く道は前述の通り、すでに絶たれている。
そんな状況下にもかかわらず、”汚物”は僕も含めた恋人のいない従業員に新しく恋人ができやしないかと常に心配している。
さらに、恋人がいる従業員に対しては続いているかどうかを頻繁に聞いてくる。
何故か。
それは昔、「恋人が他の土地へ引っ越すので自分もついて行く。」とか「恋人と会える時間が少ないのが耐えられない。」とか「結婚するから。」とかの理由で辞める人が結構いたらしい。
さらに、院内の看護師と付き合うことになり、看護師が辞める時に一緒に辞めて他の病院に移ってしまった先生もいたようだ。
その結果、”汚物”の中では「恋人がいる=早く辞める」という公式が出来上がっているらしく、事あるごとに恋人の有無をチェックしたり、獣医師と看護師との仲が進展しないように干渉したりしてきては、それとなく辞めないようにほのめかしてくるのだ。
特に5月の連休や、6月、12月、3月の終わりは仕事に一区切りがついて辞めやすい時期なので、チェックが一段と厳しくなってくる。
だが、よく考えてみよう。
確かに「恋人」は辞める原因の一つになるかもしれないが、他の原因は考慮に入れなくても良いのだろうか?
もっと大きな要因があるのではないだろうか?
そう…、答えは分かりきっているのだ…。
周りの全員がその原因に気付いているのに、何故本人だけが想像だにしていないのだろうか…。
また、恋人確認のやり取りもなかなか笑わせてくれる。

“汚物”「○○さん。そのアクセサリー、かわいいね。彼氏からのプレゼント?」
看護師「あ、はい、そうなんですよ。」
“汚物”「てことは、彼氏いるんだね。僕の話術に嵌まってうっかり喋っちゃったねぇ?僕、こういう事をさりげなく聞くのが得意なんですよ。だから、何でもお見通しです。」
看護師「アハハ…(苦笑)。」
“汚物”「あ、でも、結婚とかはまだだよね?今の若い人は結婚とか彼氏の転勤に付いて行くとかで辞めちゃう人が多くてさ。契約の途中で辞められると困るんだよね。○○さんは大丈夫だよね?」
(だから辞める原因はお前だって!!恋人とかは口実だって!!何で分からない!?)

コイツの話を聞いていると「話術に嵌まる」とか「さりげない」とかの言葉の定義が分からなくなってくる。
世間一般において、この程度の「話術」は恋人確認の常套手段であり、聞かれた看護師も別に隠そうとしてはいないので正直に答えただけだと思うが、会話能力の低い”汚物”にとっては「デスノート」のLとライト並みの高度な駆け引きをしたつもりにでもなっているのだろう。
「何でもお見通し」とかほざいているが、周りの従業員は「彼氏がいる」と聞く以前から何となく気付いていたのに、「お見通し」じゃなかったのは”汚物”だけだ。
そもそも、新しいアクセサリーを付けて来るとほぼ必ず前述の質問が来るので、全然さりげなくないし、嘘をつこうと思えばいくらでもつける。
事実、彼氏とのペアリングをネックレス状にして付けていた看護師に「これは親からのプレゼントです。彼から貰ったら左手の薬指に付けますよ。」と言われただけで、全く疑うこともなく「彼氏は居ない」とあっさり信じていたくらいなのだ。
引っ掛けとすら認識していない相手を引っ掛けたと言って独りで喜んだり、嘘にあっさり騙されたりしているコイツはまさにキングオブピエロ。
いや、「ピエロ」は固有名詞らしいから正しくはキングオブクラウンか。
いや、「キングオブクラウン」だとこの勘違い野郎は「王(冠)の中の王」と間違えて喜びそうだから、バカにする表現としてはやっぱりキングオブピエロが良いか。
会話能力が未熟な奴が相手だと、バカにするのにも一苦労だ。
こんなだからこの後、起こる事態も見通せないんだよ…。
「この後、起こる事態」…そう、彼氏のいる看護師が病院を辞めるという事態を…。

-30-
Copyright ©深口侯人 All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える