小説『夏空』
作者:水崎 綾()

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 「それで、かなちゃんが焦って凜を追い詰めた理由は氷見山くんが関係してるんでしょー?」

のんびりとした優衣ちゃんの声に私も彼の方を向く。飛び出していった凜は、荷物はここにあるからしばらくしたら戻って来るはずなんだけどな。

「言わねえよ。だってお前ら笑うだろ」
「何ですか、冗談でも言うつもりなんですか」
「そうじゃねえよ。あー……水谷は笑わねえかもだけど、速水は絶対笑う。腹抱えて爆笑する。だから言いたくねえ」

それは楽しみだなあーと優衣ちゃんが頬に手を当てる。

「まあさっきの発言でなんと無くは分かったけどねー」
「は?!」
「ヤキモチ、でしょ」

何処から出したのか、ポッキーを口に運びながら彼女はニヤニヤ笑う。ヤキモチ、それはつまり

「嫉妬って事ですか。誰に?」
「だから氷見山先生に、でしょ」
「っ……」

分かりやすく木島くんが顔を赤くする。険しい顔をしながらも否定はしないということは、きっと優衣ちゃんの言った通りなのだろう。気持ちは分かるけどねーと優衣ちゃんは笑う。それは別に馬鹿にしている笑いでも、蔑みの笑いでも無くて、仕方ないよねと困ったような笑いだった。嫉妬、嫉妬か。そうか。いつもクールな木島くんでもそんな感情を抱くことがあるんだな。

「この前のいじめの一件あったろ」
「ふむ、あったねえ〜。あたしはもう全然気にしてないけどね!」
「それはいンだよ。ただ、あれで氷見山が結構凜のこと怯えさせたろ。それであいつも凜をよく気にするようになって、毎日毎日『大丈夫か?』とか『学校楽しいか?』とか何とか……」
「氷見山くん優しいもんね。ね、ちーちゃん」
「あ……そう、だね」

うん、優しい。あの人は優しい。誰にでも。

「凜は凜で『氷見山くんは何でもよく聞いてくれるから、先生の中では一番好きかな』とか『教育実習生なんて勿体無い! ずっといて欲しいなー』とか浮かれてるし、今まで何となくあいつもオレのこと好きなのかと思ってたけど、確信無くなってきて」

だからこの際はっきり『そういう立場』を作ろうとしたのか。何とも直情的な人だな。いつも通り冷静にふるまえる人だと思っていたけど、案外そういう所は不器用なのかもしれない。それにしても、凜が心露くんにお熱なことが心配なのは分かった。それと嫉妬やヤキモチがどう関係するんだろう?

「木島くんが凜の気持ちを確かめたくなったのは分かりますけど、何でそれがヤキモチになるんですか」
「はあ? そりゃあお前、好きな奴が他の男と楽しそうに話してたらムカつくじゃねーか」
「ムカつく?」
「ん。イライラしたり不安になったりすんだろ。……まさか初恋もまだとか言いだすんじゃねえだろうな」
「馬鹿にしないで下さい、それくらいありますよ」
「じゃあ分かるんじゃねーの、オレの言いたいこと。こう、氷見山と話して笑ってる凜なんか見た日には、すぐ割り込んでって腕掴んでこっち連れ出したいくらいイライラする」

って、何でオレこんなことお前に言ってんだよ! と一人で頭を抱えて彼はしゃがみこむ。けれど私にはそんなことは問題じゃ無かった。それは、今木島くんが言ったヤキモチと言うのを、どうやら私はつい最近経験したことがあるようだからだ。すごく、すごく身に覚えがある。一週間前とか昨日とかじゃなくて、もっと近い中でそれと似た体験をした気がするのだ。好きな人なんて小学校以来いた事が無いのに。最近は誰かに恋焦がれるという感情自体綺麗に忘れてしまっているというのに。

「どうしたのさーちーちゃん、そんな難しい顔して」
「うん……今の話に、ちょっと既視感があったものだから……」

自分の中でも納得してないながらにうっかり口にしてしまった。当然、優衣ちゃんが尋常じゃ無い食いつきを見せた。

「えええ?! 何なにちーちゃん、誰にヤキモチ焼いてんのー?!」
「え? いやまだ私が誰かにヤキモチ焼いてると決まったわけじゃ」
「おーい水谷ー、そいつ馬鹿だから色恋沙汰だと思ってやがるぞ。ちゃんと言ってやれ、『優衣ちゃんが凜と仲良くし過ぎるからヤキモチ焼いただけです』って。初めてに近い友達だろ?」
「いや、木島くん、私はそういうんじゃな」
「ってことだから速水、凜と仲直りしたのは良いけどこいつの事も構ってやれよ」
「嘘ー! ちーちゃんごめんねえ、また二人でどっかおでかけしよう〜」

うわあん、と大袈裟な泣き声を上げて優衣ちゃんが抱きついてくる。それを倒れ込まないようにかろうじて受け止めながら、誤解を解こうと木島くんの方を見ると、彼は机の上に置いていたノートに何か書き込むと、広げて私に見せた。

『恋愛沙汰だってばれるとそいつ面倒だからそういう事にしとけ。つかお前分かりやす過ぎ』

?? はてなマークしか頭の中に浮かばない。彼は一体何のことを言っているのだろうか? 確かに私は『ヤキモチ』という症状に見覚えがあるとは言ったが、それが恋愛沙汰とは言っていない。ましてや今好きな人がいる訳でもないのに何故そんな?

 とりあえず今とりかかるべき問題は、散々に体重をかけて甘えてくる優衣ちゃんをどうにかすることだな。こうやってじゃれてくれるのは嬉しいけど、このままでは彼女に怪我をさせかねない。優衣ちゃん、と声をかけて、ゆっくりと彼女の腕を解くことにした。



 あの後ひょっこり教室に戻ってきた凜。思いの外けろっとした顔をしていて、訳を尋ねたら、『氷見山くんに会ったの!』との事。すこぶる機嫌の悪い木島くんの隣で、帰り道ずっと心露くんの話をしていた。面白くなさそうな木島くんの気持ちが何故かよく分かる。私も何だか、楽しくない。優衣ちゃんや凜が楽しそうにしていることが、この前まで本当に嬉しかったのに、今はとても笑う気にはなれない。気を抜くと眉間にしわを寄せて仏頂面になってしまうのだ。

 『氷見山くんのこういうところがカッコいい』という話題で盛り上がり始めた女子二人から少し距離を置いて、後ろからついていく。気持ちが沈んで、とてもその話題に参加する気分にはなれなかった。黙りこくってしまった私を、木島くんは凜の隣でちらちら見ていたが、何を思ったか歩調を緩めて私の隣に並んできた。

「やっぱお前もヤキモチ焼いてんじゃねえか」

前の二人には聞こえないように言っているのか、小さな声で彼は言った。

「ヤキモチを焼いているのは木島くんでしょ。さっきからすごく不機嫌なのバレバレですよ。そんなに凜が心露くんの話するのが気に食わないんですか」

まあなーと呟いた彼は意地悪く笑うと

「お前だってあいつらが氷見山の話で盛り上がるのそんなに気に食わない? さっきから眉間に超しわ寄ってる。ヤキモチ焼いてんのはお互い様だろ?」

は? 彼は今何て言った? 意味が分からずよほど間抜けな顔をしていたんだろう。勝ち誇ったように笑っていた木島くんの表情が怪訝そうなものに変わった。

「え、何でそんなにきょとんとするんだよ」
「だってあなたの言ってる意味が分からないから」

ぽかーんと、そんな効果音が聞こえてくるくらいに彼は口を開けたまま固まった。ん?

「え……いやお前……氷見山のこと好きなんじゃ……」
「はい?」

突拍子も無い言葉に裏返った声が出た。何を根拠に彼はそんなことを言いだしたんだろう。心露くんがやけに私を気遣うからだろうか。それが仲良さげに見えたんだろうか。そして私が彼を好きだと、私が好き好んで彼と接していると思いこんだのだろうか。何にしろ、それは誤解だと言う事を伝えなければ。

「木島くん、私と彼がよく話をするのは、私が彼の近くにいたいからとかじゃなくて、私と彼は少し面識があっただけの話で好きとかそういうんじゃ全然ないんですよ」

そう言いつつ何だか妙な引っ掛かりを感じた。何だろう、自分の言った言葉に違和感を抱くなんて最近の私らしくない。心露くんと出会った日から自分に嘘をつくことはやめたはずなのに。

「え、あんな態度取っといてそれはねえだろ……」
「あんな態度?」
「氷見山に手え握られた時、お前すっかり動揺して一回もあいつと視線合わせなったじゃねえか。やっと自覚して意識しちまう様になってたのかと思ったけど……。いや嘘だろ……無いわ、それは無い」

心底呆れられている。理由は不明。釈然としないなあ。さっきから私には意味の分からない言葉ばかり彼は並べて唸ってるし。

 確かに先ほど心露くんと向き合った時、私は酷く動揺していた様に思う。目が合わせられなかったし、何故か彼の優しさを拒んだ。あの時は何だか自分がおかしくなっていた気がするけれど、どんな感情を抱いていたかは上手く思い出せない。いや、思い出してはいけないと心が無理やり蓋をしている。

「木島くんから見て……私は心露くんのことが好きなように見えるんですか」
「ああ、すごく見える」
「ふうん」

そんなに誤解されやすい行動をとっているだろうか私は。常識的に考えて先生と生徒の間の恋愛はご法度。普通有り得ないシチュエーションだし、それが露見すると世間では大変な問題になる。ミーハー女子が『先生がカッコいい』とか騒ぐ分には本気で無い事が分かるから誰も咎めたりはしないが、もし私の誤解を招きやすい態度のせいで噂になったりしたら、心露くんは先生になれないんじゃないだろうか。だとしたら迷惑はかけられない。きちんと自分の言動に気を使ってそんな風に見えないようにしなくては。だって私は彼のことを別に好きでも何でもないから。

「教えてくれてありがとうございます木島くん。私にはそんなつもりは無いのにそう見えるって事は態度を改めないといけないですよね。気付けて良かった」
「いや……まあ、お前がそれで良いなら良いけど」

でも絶対そう見えるのにな、なんて聞こえた気がするけど気にしない。こういうのは下手に慌てて否定する方が相手も調子に乗るから。

「そう言えばさー」

ふと凜が大きな声を上げる。何事かと少し足を速めて彼女の隣に並ぶ。

「氷見山くん、明後日で教育実習終わりだね」
「そう言えば」

凜の言葉に相槌を打つ。今日も木島くんの頭を叩いたのは丸められた数学の小テストの様だったし、いつの間にか授業も彼が担当していた。『どう? 分かりやすかった?』なんて満面の笑みで尋ねられて、何だかムカついたから『意味分かりませんでした』と答えたらやけにしょげていた気もする。『冗談ですよ』と笑ったら、『意地悪言うな』って乱暴に頭を撫でてくれたっけ。色んな表情を見せてくれる心露くん。でもやっぱり笑顔が一番だと思う。胸の奥があったかくなって、すごく安心する。何であの人は……


「じゃあ今週の金曜日で氷見山くんとはもう会えないんだねー」


冷水を浴びせられたかのようだった。優衣ちゃんの何気無いその言葉にたった今まで考えていたことがすべて吹き飛ぶ。そうだ、そうなのだ。私と心露くんは先生と生徒と言う立場。連絡先なんて知らないし、彼がこの中学に正式な教師として採用される可能性はゼロに等しい。と言うことはもう明後日で彼とは今生の別れと言ってもいいくらいなのだ。すうっと体の芯が冷えて、言葉が出なくなる。どうしてだろう、たまらなく寂しい。明日と明後日。もうあと二日しかない。

「あれ、ちーちゃんどうかした?」

優衣ちゃんが首をかしげる。

「何でも無いよ」

笑って見せたが心の中はまだぐちゃぐちゃだった。私は伝えきれただろうか、彼への抱えきれない感謝を。私がどれだけ彼の言葉に、笑顔に励まされたかを。嘘つきな私は、全てを素直に言えただろうか。明日にでも、もう一度話をしようか。

『木島くんから見て……私は心露くんのことが好きなように見えるんですか』
『ああ、すごく見える』

ぴたりと足が止まった。駄目だ。彼に近付けばまた木島くんや周りに誤解されてしまう。それに、と考える。彼は人の心を読んでくるような人だ。きっと言わなくても伝わっている。大丈夫だ。

「水谷、置いてくぞ」

木島くんに呼ばれ、慌てて開いた差を詰める。何やら凜が彼に耳打ちし、それに対して彼が『俺もそうだと思ったんだけど違うみてえ』とかなんとか言っているのが聞こえたが、今の私はそれどころではなかった。残り二日間、それをどう過ごすか。そればかりを考えていた。

 何故こんなにも頭から彼の笑顔が離れないのか、少し疑問に感じながら。

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