小説『夏空』
作者:水崎 綾()

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 最近になって気付いた事がある。今更感が否めないが、私はどうやら嫌われている様なのだ。優衣ちゃんに、では無い。クラスの女子に、だ。考えてみれば、クラスの中心近くに居た優衣ちゃんと友達になったのだから、数珠つなぎに友達が増えても良い様なものなのに、何だか皆私を避けている気がする。無理も無いのは分かっている。何故なら私は雰囲気が刺々しく、怖いから。自分でも分かっているんだ。だから、変わろうと、そう思っているのに……。
「知里ちゃんは間違いなく変わってきてると思うよ」
「だからあなたは何故唐突に私の背後に現れるんですか」
「んー……愛の力による瞬間移動?」
思いっきり氷見山先生の足を踏みつけてやった。
「痛って!!」
「セクハラって言うんですよ、そういうの。念の為言っておきますが、セクシャルハラスメントの略ですからね」
「知ってるよ! うー痛ぁー……」
大の大人が足を押さえて涙目になっている姿はなかなかに面白い。良い気味だ。
「昼休みの度に私に絡んできませんか? 氷見山先生」
「まあね。……ちょっと気になる事があるもんだから」
最後に彼がぼそっと言った言葉は、教室の喧騒に遮られて私には届かなかった。そんな事は気にも留めずにお弁当箱を出して、蓋は取らずに読書を始める。
「あれ、食べないの?」
いつの間にか回転椅子を持ってきて、自分のコンビニ弁当をパクつく先生。
「優衣ちゃんが戻って来るまでは食べませんよ」
「その優衣ちゃんは?」
「購買にお昼のパン買いに行ってますよ」
「毎日?」
「私が見る限りでは毎日です」
「へー……」
頷きながら先生が視線を向けたのは私の背後。何を見ているのかと振り返ると、大勢の女子の中で昼食を食べている背の高い子と目が合った。そして、睨まれた。キッという効果音がピッタリ来る睨まれ方をした。確かあの子は、このクラスの学級委員をしている……
「茜沢凜ちゃん。知里ちゃん何か嫌われることした?」
苦笑いと共にそう言われた。
「茜沢さんに悪意を持って接した事は無いですけど、以前の私の突っ張った態度が気に入らなかったのかもしれません。あの人達は、沢山の友達で群れるのが、好きだから……」
そういえば、と。氷見山先生に出会った日の事を思い出す。あの日、いやそれ以前にも、茜沢さんの近くでいつも笑っていたのは優衣ちゃんだったな。私が彼女に睨まれたのは、その理由もあるのだろう。
「ちーちゃんお待たせた! 何か今日は購買混んでてねぇ〜。あ、氷見山くん」
「おー速水ちゃん。今日は焼きそばパン?」
「たまには甘い系以外も食べたくなるもんなのです〜」
にこにこ笑って買ってきたパンを食べ始める優衣ちゃん。
「氷見山くんは今日もコンビニ弁当だねぇ。作ってくれる人いないんですか〜? 寂しいですねっ」
「居ないよ、残念ながら。優衣ちゃん作ってくれても良いよ?」
人懐っこい笑顔と、少しふざけた言葉。いつもの事なのに、その発言に何だかイラッとした。
「えー、歳の差あり過ぎだし、先生と生徒では駄目ですよ〜」
「じゃあ教育実習終わっ」
「氷見山先生。そういうのセクハラって、さっきも言いましたよねっ!」
自分でも驚く位の刺々しい言い方と大きな声。たかが冗談に、私何でここまでムキになってるの?
「ち、知里ちゃん?」
「……すいません。疲れてるみたいです」
眉間にシワを寄せて卵焼きをほお張る。やっぱり何だろう、この人が近くに居ると、私自身におかしなことばかり起きる。もうこの人嫌だ。
「時に速水ちゃん、毎日買い弁なの?」
「そうですよ〜?」
「両親共働き?」
「……そうですよ?」
「大変だね」
にっこりと、読めない笑顔で彼は頷いた。やっぱり、分からない。笑顔という仮面の下で、彼は何を考えているのだろう? 何を思っているのだろう? 何を、企んでいるのだろう?
「氷見山先生、」
「さぁて、俺は仕事しなきゃな。教育実習生は忙しいんだよ」
嘘つけ、と心の中で思ったが、口には出さずに彼を見送った。茜沢さんが優衣ちゃん(・ ・ ・ ・ ・)を睨んでいる事も、その優衣ちゃんが悲しげに俯いている事も知らずに。

 「ごめんちーちゃんっ! 昨日提出し忘れた数学のワーク出してくるから、ちょっと教室で待っててくれる?」
優衣ちゃんにそう言われ、教室で読書をする事十五分。戻って来るの遅すぎじゃないだろうか。今朝から読み始めた推理小説は、もう半分近くまで読んでしまった。今日の内に全部読み終わってしまうのもつまらない。とりあえず本を鞄にしまうと、私はぬるい風の中ではためいているカーテンを留めに、窓辺へと歩いた。
 誰もいない教室に、私だけの足音が響く。誰もいない。そう、誰もいない。校庭は校舎の反対側だから、ここからは見えないし、隣のクラスにも人がいる気配はしない。ここにこうやって立ち尽くしていると、まるでこの世に私が一人だけで取り残されてしまった様な錯覚に陥る。私は、今まで一人だった。一人で生きてきた。氷見山先生に出会うまでは、ずっとずっと一人で居ようとしていた。けれど、今になってみると分かる。一人の世界というのは、こんなにも寂しく、空しく、朦朧としたものなのだ。
 カーテンを留め、開いた窓から手を伸ばして雲をつかむフリをした。勿論雲なんて掴める訳が無いのだけど、ぐっと腕を伸ばして遠くへ、もっと遠くへ。
「水谷」
「!」
びくっと肩が揺れた。一人だけの世界に、突然聞いた事の無い低い声が割り込んできたから。恐る恐る振り返ると、教室の入り口にサッカーTシャツ(サッカーユニフォームのレプリカの様なあれだ)を着た男子が一人立っていた。名前は知らない。というか、彼自体の記憶が無い。
「え……と?」
「教室に一人で何してんだよ」
言いながら彼は教室の後ろの方に歩いて行く。
「友達を待ってて……」
そもそもあんたは誰だと聞きたくなったが、抑えた。
「誰待ち」
単調に言って、自分の席らしい机から英語の教科書を引っ張り出す。
「優衣ちゃん。あ、えっと、速水」
「ああ。仲良いよなお前ら」
一人でそっか、と納得して教室を出て行くのかと思いきや、机に座って教科書を読みだす。
「あの」
「うん」
「部活だったんじゃないんですか」
「サボり。明日単語テストだから」
「そうですか」
「うん」
言葉と共に新出単語のページを見せられた。いや、分かっているんだけれども。それは帰ってからやるべきではないのだろうか。
「あの」
「うん」
「何故私の名前を知ってたんですか」
「クラスメートだから」
「そう、ですか」
「うん」
クラスメートだから。尤もな理由とは言え、クラスメートの名前を覚え切れて無い人間がここに居るので、素直に納得しにくい。どんなに記憶を掘り起こしても、目の前の男子の名前は出てこない。失礼、だろうな。
「オレ、木島叶。名前、分かんねんだろ」
「え」
また肩が揺れる。この人も、人の心を読むのだろうか?
「何驚いてんだよ。だいたい周りに関心ない奴なんてそんなもんだろ」
「あ、うん……ごめんなさい」
氷見山先生みたいに、やたらに愛想を振り向かない人だった。けど、何を考えているか読めないという点では氷見山先生と同じ。ふざけてるのか、怒ってるのか、よく分からない。きっと彼、木島君は、ただつんけんしていた私を見て、人に関心が無いと、そう思ったのだろう。つまり心が読める訳では無い。なんだか少し、安心した。
「でも、これからは覚えますから。木島叶くん? 木島くん」
「へえ」
「確かに今までは無愛想だったと思うので……」
「うん。すっげぇ怖かった」
「え」
「近付くなオーラ出てて、怖いったらねぇよ」
「……ごめんなさい」
淡々と言われると、やけにへこむ。私の精神にダメージを与えた事など知らない素振りで彼は教科書を見つめている。その横顔は、やっぱり無表情で。もしかしたら彼の方が無愛想なんじゃないだろうか。
「けど意外だった」
「え、な、何がですか」
気付いたら彼は私を見ていた。切れ長の、綺麗な目だった。
「窓の外に手なんか伸ばして、何やってたんだよ。妖精でも見えてたのか」
少し感動したのも束の間、忘れていた事を指摘されて顔が熱くなった。
「いや、あれは……く、雲が掴めるかなー……とか、思いまして」
「雲?」
きょとんとした声。嫌だ、もう穴があったら入りたい。むしろ埋めて欲しい。
「はい」
「雲?」
「……はい」
しばしの沈黙。からかわれるのも嫌だけど、黙り込むのもやめてほしい。
「ぶはっ」
「!?」
「ははっ、あはははは!」
「な……」
そこに居たのは、さっきまで無愛想に私と言葉を交わしていた木島くんでは無く、本当に愉快そうにお腹を抱えて笑う木島くん。それがあまりにも大きなギャップだったせいで、思わず恥ずかしさも忘れてその笑顔に魅入った。
「あははははっ! 雲掴む……って! ははは! あの不動明王の水谷が!」
「さ、さすがに笑い過ぎ……というか不動明王!?」
「あはは! はは、はっ、腹痛ぇ……っ」
「笑い過ぎって言ってるじゃないですか!」
「はは……はぁ、涙出てきた」
「もう!」
ようやく落ち着いた木島くんを見ながらため息をつく。明るい人なのか無愛想な人なのか、もうよく分からない。読めない人だ。読めないと言えば、あの先生も読めない人だった。どうしてこうも、私の周りには読めない男の人が多いのだろう。(父も口下手なせいで、私には結局真意が読み取れなかったっけ)
「いや、別に良いと思うけどな」
「何がですか」
「クソ真面目そうな水谷だけど、そういう所あっても良いと思う。オレは」
「それはどうも」
突然氷見山先生の様な話を始めたな、この人。一体何なんだろう。本当に読めないなぁ……。
「誰にでも良い面と悪い面はあって、それは特に問題ねぇ」
「はあ」
英語の教科書を机に置いて、木島くんは教室を出て行こうとする。ガラガラとドアを開けた所で振り返って私を見た。
「だけど度が過ぎたらそれは正さねぇと駄目だと思うんだよ」
「つまり何を言いたいんですか……?」
「オレは、お前ならアイツにびしっと言ってやれると思ってる」
「アイツ?」
私の疑問に明確に答える事をせず、彼は歩きだしてしまった。慌てて廊下に出てその後ろ姿に声を上げた。
「木島くん!」
「どの女子も仮面ばっか被りやがって……。そんなんじゃアイツは……」
最後に聞こえたその呟きは、嘆いている様にも怒っている様にも聞こえて、私はそこにただ立ちつくして、階段を下りて行く彼の背中を見送っていた。

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