小説『夏空』
作者:水崎 綾()

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 「……ちーちゃん、何か一人多いよー」
「……そうだよね」
「何でかなー?」
「さあ」
むしろ私が聞きたい。本当に、何故だ。何故この人が当然の様にここに居る。
「あ、水谷、唐揚げ食わねーの? もらうわ」
「待て! いや待って下さ、あー食べた!」
「うっめ。なんこれ」
「唐揚げですよ! ていうか何でここでお弁当食べてるんですか!」
氷見山先生? それなら私もこんなに動揺しない。邪険に扱って終わりだ。
「怒鳴んな不動明王」
「昨日も言ってましたよねそれ!」
向かい合って座る優衣ちゃんと私。の横にナチュラルに座って自分のお弁当と私のお弁当を食べる、もとい食い荒らす木島くん。昨日少し話しただけなのに何故こんなに絡んでくるのだろう? というか女子二人の中に男子一人で飛び込む勇気がある事が凄い。
「いいじゃねぇか弁当くらい一緒に食っても」
「いや良いですけど、ん? 良くない? と、とりあえずあなたの行動原理が」
「難しい事考えんな。あ、このオムレツもうめぇな」
「自分のお弁当食べて下さい」
無表情ながら頬を膨らませてチーズオムレツを食べる姿は少し可愛らしい。確かにお弁当を横取りされるのは良い気がしないものだが、自分が作った料理をこんなにも美味しいと食べてくれるのは何だかこそばゆい。嬉しい、のかな。難しい感情だ。
「ねーえーかなちゃん」
「……何だその呼び方」
放置されかけていた優衣ちゃんが間延びした声を上げる。案の定その不思議なあだ名で、木島くんの眉間にシワが寄ったが、彼女はそれを気にしない。
「かなちゃんいつの間にちーちゃんの仲良くなったのー? あたしちょっと寂しいですう」
「あー……」
箸をおいて彼が窓を指差す。ま、まさか言う気じゃ……。
「昨日こいつが窓か」
「うわあーーーー!」
キーーン。当たり前ながらかなり頭に響いた。木島くんは迷惑そうに顔をしかめているし、優衣ちゃんも目をまん丸に開いてポカンとしている。そりゃそうでしょう。ごめんなさいと心の中で謝っておく。
「るせぇな」
「あなたが言おうとするからですよ」
「別にいいじゃねぇか」
「良くないから大声出したんです」
「ったく」
何が「ったく」なんだ。こっちのセリフだ。しかも完全に私のお弁当箱を抱え込んで食べている。私のお昼ご飯が……。
「じゃあオレとお前だけの秘密?」
「は!?」
やけに甘ったるいその声に彼の方を向くと、その綺麗な顔には、艶めかしい笑みが広がっていた。切れ長の目も何だか変な光を帯びていて、雰囲気が何だろう、ホスト? まあそのホストが持ってるのは私のお弁当箱だけど。
「あーかなちゃん色目使ってるー」
「あ?」
「戻ったー」
多重人格。それが今私の頭に真っ先に浮かんだ単語だった。いや、それぞれの人格の記憶が無い、だなんてファンタジーじみたものでは無くて、あくまでコロコロと性格的なものが変わる人、という意味でだ。
「何が秘密だとー? このマセガキが」
鋭いトゲをオブラートで何重にも無理やりくるんだ様な声に振り返る。これ以上無い笑顔で木島くんの頭を鷲掴みにしているのは氷見山先生だった。表情と声と行動とのギャップが物凄い。
「先生には関係無いっすよ」
「ほう。隠し事とはいい度胸だなてめえ」
「氷見山先生言葉遣い悪いっすよ」
氷見山先生何でこんなに機嫌が悪いのだろう。笑顔は完璧で鉄壁だけど、でもやっぱり機嫌悪いと思う。かなり。
「木島お前、茜沢と仲良かったよな。まさかあいつに何か言われてんじゃねーだろうな」
「え!?」
驚きを隠しきれない、ひどく狼狽した声。その声の主は私ではなく、優衣ちゃんだった。いつも通りに菓子パンを両手で持ってぱくぱくと食べていたはずの優衣ちゃん。その顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。
「かなちゃん、りんりんに言われてちーちゃんに近付いてるの?」
「は? 何言って、」
「答えてよ!!」
普段の優衣ちゃんとは似ても似つかない厳しい声。さぞや皆驚いただろうと隣と後ろを盗み見たが、不思議な事に木島くんも氷見山先生も驚きの色は微塵も見せておらず、むしろ納得している様にも見える落ち着いた表情をしていた。
「落ち付けよ速水。オレは本当にたまたま、昨日水谷に会って今ここで弁当を食ってる」
「私のお弁当をね」
「るせぇ。だからオレと凜は今何の関係も無ぇ。凜に協力して、とかじゃねぇんだよ。……むしろその逆、みたいなとこか」
ぼそりと低い声で言った最後の言葉。何となく、昨日の彼の帰り際に言った言葉とかぶった。
「けど木島が茜沢と仲良かったのは本当だろ?」
「まあ、幼なじみだしな」
「だからこその行動ってか」
にしし、と笑って木島くんの頭を乱暴に撫でる氷見山先生。撫でられた木島くんは一瞬驚きの色を顔に浮かべて、そしてすぐに表情を戻しながら小さく笑った。
「化けモンかよ氷見山。人の心読むとか」
「先生は全智全能なんですー」
「うぜえ」
「うるせ」
じゃれあう二人は何だか兄弟みたいで、微笑ましいと私は思った。でもやっぱり、笑ってる氷見山先生の、目の奥は笑ってない。内側が見えない。
「知里ちゃん何ニヤニヤしてんの」
「いえ、二人が兄弟みたいだなと思って」
「おい水谷ふざけんな」
木島くんが露骨に嫌そうな顔をする。そんな顔してても実はちょっと楽しかったくせに。
「あー……そうだな。お前らと同い年の弟居るもんな俺」
「へえ、やっぱり……って、え?」
「は? マジで?」
「ん」
人懐っこく笑う先生。意外だ。彼はどちらかというと弟っぽい感じもするんだけれどな。氷見山先生の弟。少し会ってみたいと思う。彼に似て人懐っこいのか、それとも無口で冷静なのか。
「そんな事は置いといてさ。さっきから黙り込んじゃってる……速水ちゃん」
出た。突然変える声のトーン。低く重い声。先生がこんな声を出すのは決まって大事な話をする時だ。でも、何だろう。今はそんなに深刻な話をする雰囲気では無かった気がするけど。
「速水ちゃんさ、さっき茜沢の名前が出た時に物凄く焦ったよね? どうしてあんなに焦ったのかな」
「べ、別に焦ってなんか無いですよ〜氷見山くん。あたしはほら、いつも通り」
「速水、お前今日も買い弁か」
「!」
ぽすっと音がして優衣ちゃんの手から菓子パンが滑り落ちた。木島くんが挿んだ言葉に、彼女は慌てている様だった。
「何でだよ?」
「え? だ、だって共働きだから……」
「水谷と仲良くなる前は普通に弁当だったろ」
「お母さんの仕事が、見つかって」
「へえ?」
「……っ」
泣きだしそうな顔で優衣ちゃんは俯いた。私にはこの状況がさっぱり分からない。どうやら氷見山先生と木島くんの間では話が共有されている様なんだけれど、私は分からない。私だけが分からない。
「木島、追い詰めるな」
「は? 別に追い詰めてねーし」
「どうせ口止めされてるんだから、速水ちゃんに言える訳無いだろ。言えない状況で吐けと言われてもパニックになるだけだ」
優衣ちゃんは膝の上で両手を握りしめていた。力が入り過ぎて白くなる位に硬く硬く握りしめていた。怖いの? 優衣ちゃん。悲しいの? 寂しいの? 今優衣ちゃんは何を思っているの? 氷見山先生と木島くんは何についてそんなに深刻になっているの? 知らない分からない。私だけが理解していない。何だろう、この置いてけぼりな感じは。無知は怖い。無知が怖い。教えてよ誰か……!

「速水ちゃん、君は茜沢達からいじめを受けてるよね」

混乱する私の頭に、氷見山先生の意味不明な言葉が、滑り込んできた。

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