小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第十一話 あとかたづけ】

「勝負は決まったでしょう? 女の子とルーウィンを放してください。お願いします」

 完全な勝利を収めながら、フリッツは頭領に話しかけた。そのまま真剣で首を刎ねるなどということはもちろん考え付かなかったし、人の首の骨を叩き切る力も残ってはいなかった。すっかり息が切れ呼吸が乱れてしまって、いまはもう何もかもがすっからかんの状態だった。額から汗が伝うが、それを拭う余裕すらなく、今はただ目の前の頭領への首の狙いを維持し続けることだけに集中していた。

「なかなかやるな。だが」

 にやりと笑って、頭領はフリッツの方へと首を向けた。

「まだ勝負はついてないぜ」

 刃先がわずかに首領の首に食い込む。フリッツは剣を動かしこそしなかったが、苦い顔をした。今すぐにでも鞘に収めてしまいたいところだった。頭領の首筋から紅いものが滲み出してきて、フリッツは思わず目を細める。何年も鍛えられていないナマクラでも、やはり刃物は刃物。肉が切れないわけではない。

「どうした? そんな調子でおれを殺れるのか、んん?」

 血走った頭領の目がフリッツを射る。頭領は勝負に敗北したことで多少ひるんではいるようだが、なんとでもなるという余裕も感じられた。フリッツが剣をこれ以上深く突き刺すことはないとタカをくくっている。
 その読みは的中で、フリッツはこうなった先のことを考えてはいなかった。後ろをとったのも首を狙ったのも戦いの中で反射的にしたことだ。
 フリッツはマルクスから剣術を習いはしたが、人の殺し方は教わらなかった。

「剣の腕は思ったよりなかなかだった。だが、人は殺せないとみた。つまり、お前はおれ様には勝てないってこった」

 図星だった。
 最初からフリッツは頭領をどうにかしようなどとは考えていなかった。ただ剣の勝負に勝って、交渉できるまでに持ち込む状況にもっていくことしか頭になかった。傷つける気などさらさらない。しかしさすがに盗賊の世界では「勝負あった。はい終わりましょう」では済まされない。

「どうした、弱虫さん? はやく刺してみろよ!」

 フリッツの葛藤に気づいた頭領は強気に出た。口元にはにやにやと下卑た笑いが浮かんでいる。フリッツは唇をかんだ。

「はぁい、そこまで。ご苦労だったわね、フリッツ」

 ルーウィンの間延びした声に、弾かれたようにフリッツは顔を上げた。

「だいぶ時間も稼げたし、もういいわ。あんたにしちゃ、よくやったわね」

 今のルーウィンには緊張のかけらもなかった。首だけを彼女のほうに向け、頭領は絶句する。ルーウィンの手枷はすでに解き放たれており、見張っていたはずの男たちは地面にへろへろと折り重なって倒れている。周りの男たちもその状況にはじめて気が付いたようで、ぎょっとした。しかしその男たちも、同じように脱力してその場に座り込んでしまった。ルーウィンは矢を番えて狙いを定めており、それは頭領の頭部に向かって絞られている。

「ばかな! お前たち、いったい何をしてたんだ!」

 頭領は状況が把握できず、つばを撒き散らして喚いた。手下の男たちはその剣幕に押され怯えた様子を見せたが、なんのアクションを起こすでもない。否、起こせないのだ。ルーウィンは番えていた矢を放った。頭領の鼻先をかすめて、矢は岩壁に軽快な音を立てて突き刺さる。それを見て、頭領は大人しくなった。
 その場はすでにルーウィンのたった一本の矢に命運を支配されていた。

「わかってると思うけどさ、誰かがちょっとでも動いたらあんたらの頭領の命、ないから。大人しくこっちの要求飲んだほうがいいんじゃない?」

 ルーウィンがこのまま矢を放つことに迷いがないことは明らかだった。フリッツはごくりとつばを飲む。実際にルーウィンが人相手に矢を向けるのを見るのは二回目だ。頭領や手下もルーウィンが脅しではなく、本気だということを悟ったらしい。首領はぎりりと歯軋りをした。

「…おい、じょうちゃん。せめて種明かしくらいしてくれたって、バチは当たらないんじゃないか」
「いいわよ。喋ったくらいじゃ的は外れたりなんかしないし。ただ引き絞ったままなのは疲れるから、うっかり指を滑らせちゃうかもしれないけどね。でもやっぱりダルいから、あとはあんたが説明してやって」

 頭領は目玉だけを動かしてフリッツを見た。首元に当てた刃はそのままに、フリッツは緊張でカラカラになった口を開く。

「アジトが空っぽだったってことは、仕事の最中だと思ったんだ。そして帰ってきたら、多分あなたたちの何人かは咽を潤すために何かを飲む。だから樽の中の水やお酒に眠り薬を仕込ませてもらったんだ。効果が現れるまでどこかに隠れていようと思っていたんだけど、残念ながらそこで捕まっちゃった。それで時間を稼がざるを負えなくなった」

「あんたがギルドのおばあちゃんから貰ったごちゃごちゃしたもののなかに、まさか睡眠薬なんて気の利いたものが入ってたとはね」
「おばあちゃん、年のせいで眠れなくて、場所が変わるともっと眠れないから。それで渡してくれたんだろうけどね」

 フリッツの説明が終わり、ルーウィンは鼻から息を吐いた。

「まったく。こっそり入ってこっそり出て行く予定だったのに、あんたのせいで台無しよ」
「……ごめんなさい」

 フリッツは頭領に刃物をつきつけたまま、情けない声を出した。一方、ルーウィンの高圧的な態度は崩れることなく、明らかにこちらが優勢だということを盗賊たちに知らしめている。

「安い手口だな。それに、卑怯だ」
「あら、あんたたちに言われる筋合いはないと思うけど?」

 ルーウィンは彼女の足元に転がっている盗賊のうち一人の頭をつま先でこづいた。

「で、どうすんの? おねむの時間になっちゃって、あんたたちどうにもなりそうにないけど」

 手下たちは誰一人動けない状態で、すでにすやすやと寝息を立て始める者までいた。頭領も戦いで動き回って身体に薬が回り、興奮状態が覚めてしまった今、徐々に薬の効果が現れ始めていた。重くなる瞼をなんとかこじ開けようとするが、身体に力は入らず意識は徐々に遠のいていく。頭領は、完全な敗北を認めざるを負えなかった。それもこんな、成人に達してもいない少年と少女、たった二人に。

「……降参だ。その子を離してやれ」

 その命令を実行できる部下は、もはやこの場に誰も残ってはいなかった。その言葉を最後にして、頭領はその場にどさりと崩れ落ちた。
 それを見てフリッツは深く息を吐き、へなへなとその場に座り込んだ。






 盗賊たちがすっかり寝付いてしまったのを見て、ルーウィンは手際よく次々と縛り上げ始めた。その数ざっと十五人ほどだったが、てきぱきとこなし、まだ盗賊たちがいびきをかいて鼻ちょうちんを作っている間に危なげなく作業は終わった。その様子を、フリッツはあっけにとられて見ているだけだった。先ほどの戦いで精根尽き果ててしまったため、もう立ち上がる気力もなかった。その隣にはちょこんとニーナが大人しく座っていた。ルーウィンは一仕事終えて、パンパンと手を払う。

「さて、と。このまま拘束が解けず、誰も助けに来なければ数日後には飢死。ほおっておかないで、今ここで眠りこけている間に処分しても良し。どうする?」
「…どうする、って。ぼくがなんて答えるか知ってるくせに」

 ルーウィンはにこっと微笑んだ。

「そうね。じゃあこのまま放置でいくわ。そのうちミイラ化ね。あっ、干物かドライフルーツ食べたくなってきた」
「そうじゃなくて! もう、ルーウィンだってわかってるくせに。このひとたちに、家族がいるってこと」

 フリッツの言葉に、ルーウィンは笑うのをやめた。そして今までの楽しそうな声音とは打って変わって、低く落ち着いた声で後ろに向かって話しかけた。

「隠れてないで出てきなさい。大丈夫、なにもしてないあんたをとって食ったりはしないから」

 広間の入り口から、小さな男の子がおそるおそる顔を出した。年はニーナと同じ頃で、五、六歳ほどの子供だった。ルーウィンをひどく警戒している。

「大丈夫だよ、おいで」

 フリッツがそう言うと、男の子は開放されたニーナのほうへ寄ってきた。二人は面識があるようだ。

「ひょっとしてニーナは、この子に会うためにこの辺りをうろついてたの?」
「うん。お母さんには怒られるけど、ないしょのともだちなの」

 男の子がやってきて安心したのだろうか、初めてニーナは口を開いた。男の子は戦いの一部始終を物陰から見ていたようで、フリッツとは少し距離を置いた。しかしフリッツの目をまっすぐに見つめて言った。

「お父ちゃん、殺さないで」
「うん、わかってる。このままにもしないよ」

 フリッツは男の子に微笑んだ。ダイニングでこの男の子が現れたことに気を取られ、その隙に帰ってきた盗賊たちに襲われたのだった。
 あの部屋の様子から、盗賊たちには所帯を持っている者がいるとわかってしまい、フリッツは動揺したのだ。盗賊たちは、家族を養うために盗賊行為を繰り返しているかもしれない。だがいざ戦いになってみると、そんな考えが挟まる余地など到底なく、逆になんのためらいなく勝負を終わらせることが出来た。
 しかしその戦いが終わった今、目の前にごろごろと転がり幸せそうに惰眠をむさぼっている盗賊たちを見て、フリッツはしみじみと考え始めた。

「あの様子だと、ここにはいないけど奥さんもいるね。明らかに通ってきれいに掃除してあげてるかんじだったし。趣味が違うから、それも複数人。いったいこの盗賊たちのうちの何人が家族を養っているんだろう」
「さあね。でも、所帯持ちとか関係ないでしょ。悪人には変わりないし、家族を養うって理由で今までやってきたことがチャラになるわけじゃない。それに盗賊家業で食わせてもらってる家族も家族だと思わない?」

 ルーウィンが男の子を一瞥すると、男の子は怯えてフリッツの陰に隠れた。

「やめなよ、子供をいじめるのは」
「子供だからって、気に食わないもんは気に食わないっての」

 そうこうやり取りしているうちに、やっと盗賊たちの薬が切れてきたようだ。そこここで盗賊たちが低くうなり、頭領も目を覚ましたようだった。

「お父ちゃん!」
「ばかやろう! どうして出てきた!」

 男の子は縛られた頭領に駆け寄った。

「わお、虫唾の走る展開ね。あたしこういうの、ものすごく嫌いなんだけど」

 ルーウィンが青筋をぴくぴくさせながら、変に明るい声で言った。彼女には人の心がないのだろうかと、フリッツは苦笑いする。フリッツは腰を上げようとしたが力が入らず、はいはいしながら進んで頭領に向き直った。

「頭領さん、もうやめませんか。盗賊家業」

 その言葉に、縛られ倒されたままの棟梁は目を剥いた。

「はあ? お前ちょっと勝ったくらいで、上から目線でなに言ってるんだ?」
「はあ? あんた自分の立場わかってんの? 子供の目の前で今すぐ頭ブチ抜いてもいいのよ、こっちは」

 矢継ぎ早にルーウィンにそう言い返され、頭領はうっと唸った。

「…すいませんでした」

 頭領はわが子の前で言いくるめられ、すっかりしゅんとしてしまった。
 とはいえ、頭領はフリッツたちにこの場が制圧されたことを認めており、すっかり戦意をなくしていた。それなりに腕に自信があったのだろう、頭領は見くびった少年に敗北したことに打ちひしがれていた。子分たちも素直にそれを受け入れており、縛られるがままになっている。

「みんな目が覚めたようだし。さあて、どうしようかな。あたし前こいつらに、けっこう酷い目に遭わされたんだけどなあ」

 言いながらルーウィンは盗賊たちの間をゆったりとした足取りで歩いた。明らかな脅迫だ。盗賊の中には顔を青くし、怯えて声をあげる者までいる。正確には、前回の立ち回りではルーウィンよりも盗賊たちのほうが被害を被っているのだ。

「貧しい人から取り上げたお金や食料でごはん食べて、それであんたたちはそれで本当においしいっていうの?」

 ルーウィンはフリッツの横に来て、おもむろに頭領の首元にナイフを当てた。フリッツは驚き、男の子はちいさく悲鳴を上げる。

「ちょ、ちょっとルーウィン。子供の前で」
「うっさい、黙ってて」

 ルーウィンの持っているナイフはフリッツの真剣のように錆付いてはいない、れっきとした現役だった。刃物が今にも肉に食い込む様を見ていたくはなかったが、目の前のルーウィンはなにをしでかすかわからないので目は離せない。どっちが悪役かと思うくらいルーウィンは冷たい眼差しで、口元にはうっすら笑みさえ浮かべている。

「いい大人が、こんなこといつまで続けるつもり? 生き恥晒すくらいなら、せめてもの情けにここで片付けてあげてもいいのよ」

 フリッツはいよいよしまったと思った。彼女は気に入らない返答をしようものなら、ためらいなくナイフを押し付けるくらいやってのけるだろう。
 しかし頭領はそれ以上の抵抗をしなかった。それどころか、思いがけない言葉を口にした。

「…あんた、故郷に残してきた母ちゃんにそっくりだ」
「はぁ?」

 拍子抜けしたルーウィンは怪訝そうに眉根を寄せた。

「おれたちだって、本当はこんなことしたくねえ! 忘れもしない、三年前だ。おれたちはもともとガーナッシュを拠点に活動する冒険者だった。それがギルド潰しにやられてから、このザマさ。ガーナッシュギルドの評判はガタ落ち。いくら腕のいい職人が揃っていたって、使い手がクズなら意味がねえだと!」

 フリッツは盗賊たちを哀れんだ。この盗賊たちは、もとはガーナッシュギルドを拠点に活動する冒険者だったのだ。それがダンテのギルド潰しに遭い、実力の差を見せ付けられ、挙句に職と信用を失ってしまった。

「それで食い扶持に困ってやむ負えず、ですか?」

 フリッツは頭領に言った。家族がいて、所帯がある。仕事はなくなり、養いきれなくなった。しかしギルドを盛り立てるだけの実力はない。だから腕っ節と頭数に物を言わせて、盗賊に身をやつした。

「足を洗うにも、仕事がねえ。こんな中途半な力しかない、こんなボウズにも勝てない、おれたちみたいな人間のクズ、どうせ生きていたって…」


「ふざけんな!」


 ルーウィンが声を荒げた。洞穴中が一気にしんと静まり返った。

「身に降りかかってきた不幸に負けるの? このままでいいの? いいわけないでしょ! あんたには養うべき家族がいる、もっと頑張んなさいよ! 死ぬ気になればなんだって出来る。あんたたちは言い訳して、手を抜いてるだけよ。かっこわる。ダサっ。甘えるのもいい加減にしなさい!」

 びりびりと空気が振るえた。フリッツは耳元で大声を出されたので鼓膜が破れてしまうかと思った。盗賊たちは皆一様に沈み込んでしまった。頭領も、今度こそ本当に返す言葉がなくなったようだ。

 あまりの剣幕に男の子が泣き出し、つられてニーナが泣き出した。すると盗賊たちもその言葉が心に突き刺さったのかしくしくと鼻をすすりだし、しまいには頭領まで男泣きをはじめた。それを見ていよいよ盗賊たちは声を上げておいおいと泣き出し、洞内にはうるさいほどの泣き声がこだました。
 その光景を見てフリッツは一人取り残されたようにぽかんとしていた。一方ルーウィンは思わず説教してしまったらしく、ばつが悪いような顔をしていたが、次第に大の男たちの鳴き声の大合唱にイライラしてきたようだった。

「わけわかんない。あー、こういう展開ほんとに嫌い。あたし疲れたわ、もう帰る」

 言ってニーナを無理やり立たせようとしているルーウィンをよそに、フリッツは明るい声を上げた。

「あるかもしれない」

フ ランのギルドで見かけた依頼を思い出したのだ。運河の堤防が切れ、グラッセルが修繕のため人を欲しがっているという依頼が出ていた。あれからそう日にちは経っていないから、急げばまだなんとか求人に間に合うかもしれない。

「この前の大雨で、運河の堤防が切れたんです。グラッセルが人手を欲しがってるって、ギルドで言っていました」

 フリッツは鼻水を盛大にすすっている最中の頭領に提案をした。

「行ってみたらどうですか?」

 頭領はそれを聞いて一旦泣くのをやめ、きょとんとした。しかししばらくの沈黙の後、突然豪快に笑い始めた。

「な、何がおかしいんですか」

 笑い出した頭領を見てフリッツは狼狽する。頭領は目の端に笑いの涙を溜めながら、苦しそうに言った。

「いやボウズ、人がいいにもほどがあるだろ! たった今まで、おれとお前は命の取り合いをしてたんだぞ」
「でも家族を路頭に迷わせるわけにはいかないでしょ。家族がいるのに、こんなことしてちゃいけない。あなただって本当はわかってるはずだ」

 ひとしきり笑い続けて、頭領は次第に落ち着きを取り戻した。その様子を、盗賊たちは泣くのをやめてびっくりしたまま見ていた。そして頭領は静かに、悟ったように呟いた。

「あぁ、そうだな。そろそろ潮時だな。そこのおじょうさんの言うとおりだ。わかってはいたんだが、つい楽なほうを選んで、堕落しちまった。おれたちは現実から逃げていただけだった」

 すっかり大人しくなった頭領に、ルーウィンは呆れて言った。

「あんたたち、たった二人に負けたのよ。盗賊なんか向いてないって。足洗って、まじめに働きなさいよ」

 向いてない、という言葉をルーウィンの口から聞くのは二回目だと、フリッツは思った。頭領はルーウィンに顔を向けた。

「本当に、おじょうさんは故郷の母ちゃんにそっくりだ。おれが悪いことをしたら、殺してやるバカ息子! ってよくわめいていたっけなあ。やり直す前に、一度故郷に帰ってみるのもいいかもしれん。親のために、息子のために、こんな歳からだがもう一頑張りするとしよう」

 そう言って笑った頭領は憑き物が落ちたかのような、清清しい表情をしていた。



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