小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 
【第十二話 旅立ち】

「ありがとね」

 盗賊団のアジトからの帰り道、ルーウィンはふと口を開いた。細々とした林道にオレンジ色の光が差し込んでいた。緊張から解放されたためか、助けだされたニーナはあっという間に眠ってしまった。今もフリッツの背に負われたまま、すうすうと健やかな寝息を立てている。

「堤防を直す話。あたしは知らなかった」
「たまたま知ってただけだよ。それにあの人たちが全員雇われる保証はないんだ。後は本人たちの努力次第だよ」

 フリッツは足を止めて背中の少女を負ぶり直した。

「まさかとは思ってたけど、当たっちゃったな」

 ルーウィンが呟いた。

「元ガーナッシュギルドの冒険者が、流れてきちゃったこと?」

 フリッツの言葉に、ルーウィンは肯く。

「ダンテはそのことも頭に入れてた。ギルドを潰したら、そこを拠点にしていた冒険者は職にあぶれる。そこからどういう道を辿るかは、個人の考え方次第だって」

 今回のことは、ルーウィンの師であるダンテの所業が事の発端であった。もしもダンテがガーナッシュギルドを襲わなければ、あの盗賊たちは盗賊になることすらなかったのかもしれない。ルーウィンは続けた。

「ダンテは信念を持ってた。ギルド潰しにそんなものがあってたまるかって、笑ってくれてもかまわない。結局あたしはダンテがそうする、はっきりとした目的を知らないもの。でも良かれと思ってやってることだってのはわかってるし、信じてる」

 フリッツはそれを黙って聞いていた。

「どんなに些細なことでも、やったことには結果がついてくる。だからあたしたちは、何を為すか、それが本当に正しいのかを考えなきゃいけないのよ」

 フリッツはルーウィンの言葉を頭の中で反芻した。自分の行いには、結果がついてくる。何を為すか、それが正しいのか。本当に、正しいのか。

「なんてね。なにするのにもいちいち考え込んでたら、なにも出来なくなる。あたしは考えるの、嫌いだしね」

 ルーウィンは、からっとしたいつもの調子で言った。

「あんたさ、なんでついて来たの?」
 不意にそう問われて、フリッツはばつが悪くなった。

「言わなきゃダメかな」
「別に。どっちでも」

 フリッツはほっとした。そっけない返事だったので、本当にルーウィンはどっちでもいいのだと思った。

「短い付き合いだけどあんたはさ、絶対おれが助けてやるぜ、って意気込むタイプじゃないってことはわかる。なのにアジトの前でのあんたは、真剣な目をしてた。だからあたしは連れて行く気になったの。どうしてそこまで本気になったのか、ちょっと気になっただけ」

 フリッツは視線を落とした。自分の影法師がひょろりと道に伸びている。フリッツはすぐには答えなかったが、少し歩いてから口を開いた。

「最初はわからなかったんだけど」

 フリッツは表情を見られまいとうつむいた。自分でも本当に情けないと思う。純粋な正義感で動くことが出来たら、もっとましな人間になれるだろうに。

「ぼくはただ、両親にいいところを見せたかっただけなんだって」

 正しくは、見返してやりたかった、かもしれなかった。
 ルーウィンは目を見開いた。それを気配で察して、フリッツはさらにうな垂れる。絶対に軽蔑されていると思った。これ以上冷たい視線で見られるのはまっぴらだ。これ以上自分が恥ずかしくて情けない人間だと認めたくはなかった。
 せっかくルーウィンは理由を言わなくてもいいと言ってくれたのに。しかし自分のふがいなさのせいで彼女を危険に晒した以上、正直に言わなくてはならないと感じたのだ。それがみっともない自分に出来る、せめてもの誠意の示し方だと思った。後悔はしなかったが、消えてしまいそうになるくらい恥ずかしかった。

「ほんとにそれだけ?」

 ルーウィンは平坦な調子で訊ね、フリッツは黙ってうなずいた。その様子を見て、ルーウィンは鼻から息を吐いた。

「前見て歩きなさい。木にでもぶつかったらどうするの、その子までケガさせちゃうじゃない」

 そう言われてフリッツはしぶしぶ姿勢を正す。知らないうちにどんどん背中が丸くなってしまっていた。少女を背負っているせいだけではないはずだ。それでも視線は地面に注がれたままのフリッツを見て、ルーウィンはため息をつく。

「いいんじゃないの」

 その言葉に、フリッツは顔を上げた。そしてルーウィンの顔を見た。その表情があまりにも意外で、フリッツはその横顔に目を奪われた。オレンジ色に染まった彼女の顔は、とても穏やかな表情をしていた。

「誰かに自分を見て欲しい、良く見せたいって思うのは当たり前のことで、そしてとんでもなくバカバカしいことよ。どれだけ自分を大きく見せようとしたって、結局のところちっぽけなままの自分でしかないんだから。でも、そんなにしょうもない理由であれだけ真剣になれるのは、そうないことだと思うの」

 彼女の表情に浮かんでいるのは優しさだけだろうか。哀愁や切なさ、そんなものが潜んでいるように思える。夕日に照らされ、光の悪戯の仕業か、ルーウィンはとてもか細く苦しげな様子にも見えた。
 そんなフリッツの視線に気がついた彼女は、ふいと顔を向こうへと反らした。

「まぁ、あたしもそんな時期があったってことよ」

 その言葉にフリッツはきょとんとする。よく噛み砕いて考えてみて、フリッツは耳を疑った。

「よくわからないんだけど、つまりルーウィンはぼくを慰めてくれてるんだよね」
「そう聞こえたんなら、そう受け取っておいたら?」

 フリッツは表情を緩ませた。最後の気力を使って、重い身体に鞭を打つ。疲労は溜まっていく一方なのに、なぜだか少しだけ足取りが軽くなったような気がした。ルーウィンのおかげで、気持ちはずいぶん楽になった。

「今度は、ぼくが聞いてもいいかな」

 フリッツはルーウィンを見た。

「ぼくに言ったよね、なんのために剣を振るうのかって。情けないけど、ぼくはあの問いの答えが見つからないんだ。それでルーウィンは、なんのために戦うのかなと、思って」

 意外にも、ルーウィンは微笑んだ。

「大切なもののために、命を賭けて闘う。これだけよ。この弓と腕に、そう誓ったの」
「大切なものって、ダンテさん?」

 すかさず右ストレートが飛んできて、残った道のりをフリッツは頬をさすりながら帰ることになった。
この日も色々なことがあった一日だった。両親のこと、盗賊のこと。それでもなんとかさらわれたニーナも助けられて、フリッツもルーウィンも無事に乗り切ることができた。ひとえにルーウィンのお陰だと、フリッツは感謝した。 

 身体は重く、汗と砂埃にまみれて、足を引きずるのがやっとの状態だったが、なぜか心は清々しかった。
おそらく自分がこんな冒険に遭遇することは二度とない。他人には、ずいぶんと地味でお粗末な冒険談だと笑われてしまいそうだが、それでもいいとフリッツは思った。

 様々な思いを巡らせながら、フリッツはやっとのことでカヌレの門をくぐった。村ではルーウィンの帰りを今か今かと待っていた村人たちが二人と少女の姿を見つけ、どっと押し寄せてきた。ルーウィンは少女の両親にお礼を言われ、ちょっとした報酬を受け取った。少女を背中から下ろした後、フリッツは村人にもみくちゃにされた。ビリーには頭をごしごしと撫でられた。
 久々の故郷も悪くないもんだなと、フリッツは思った。
 
「フリッツ」

 村人たちにまぎれて、いつの間にかフリッツの両親が立っていた。フリッツの両親が表に出てくるのは久しぶりで、村人たちは急に静まり返った。

「お前、帰ってくる気はないか」

 何を為すか、それが正しいのか。本当に、正しいのか。
 フリッツはもう、心に決めていた。








 まだ靄のかかる早朝。フリッツの家で一泊し、フリッツとルーウィンは表に出た。村人たちはちらほら畑仕事に取り掛かっている者もいる。小鳥の声がよく響く、すがすがしい朝だった。

「なんで断ったの?」

 開口一番にルーウィンはそう訊ねた。両親に帰ってこないかと言われたフリッツは、まだ帰らないと即答した。

「後悔しないの?」

 ルーウィンはフリッツの顔を覗きこんだ。

「そりゃ最初は、嬉しくなかったなんてことなかったんだけど」

 フリッツは頭を掻いた。今まで両親は兄にかまけてばかりで、フリッツはろくに手をかけられたことがなかった。そんなフリッツに、初めて訪れたチャンスだった。隣で事の成り行きを見守っていたルーウィンは、フリッツが家に戻るものと思っていたが、フリッツは別の答えを出したのだ。

「でも、父さんたちは替わりが欲しいだけだ」
「いいじゃない。なんにせよ、親から愛情を注がれることに変りはないんだから。なにが不満なのよ」

 フリッツは首を横に振った。

「この村に残るのはぼくじゃなくていいんだ。あの二人が望むのはぼくじゃない」

 一見後ろ向きなフリッツの意見だが、おそらくこれは本当のことだった。

「取替えの利く誰かの替わりじゃイヤってわけ? 自分なんかって言う割には、けっこう自分の居場所に注文が多いじゃないのよ」
「そうだね」

 フリッツはぎこちなく微笑んだ。今はまだ後悔は無かった。しかし不安だった。後悔というものは、その字のとおり時間が経って生まれてくるものだから。

 フリッツはカヌレの村を見渡した。目の前の懐かしい風景に、きゅっと胸をつねられたような痛みが走る。小さい家屋に、小さい畑、小さい道。鶏やロバが目覚めたのだろう、遠くのほうで彼らが動き出した気配がする。朝日に照らされるかかし。幼い頃は古いものを譲ってもらって、家の裏で打ち込みの練習をしていた。冒険者ごっこでは、いつも治癒師で、主役の剣士にはなれなかった。木に昇った自分。降りれなくなって、はやしたてる友達。飛んできて、助けに来てくれた兄。フリッツには無関心な両親。もう戻れない昔に思いを馳せる。
 フリッツは深く息を吸った。そして吐き出した。

「ぼくは兄さんを探すよ。それが一番、いい方法だと思うから」

 朝日がまぶしく顔を覗かせる中、フリッツは旅立つことを決意した。
 それが彼の旅路の最初の一歩だった。






【エピローグ】

 マルクスは戻ってきたフリッツとルーウィンの顔を見るなり、声高に叫んだ。

「なんだおまえたち! 紹介状を書く前に帰ってきおって。ははあ、さては怖気づいたな。よせよせ、北上などお前等にはまだ早すぎるわい」

フリッツはどっこいしょと荷物を下ろしながら言った。

「違います、剣を届けに来たんですよ。色々あって、結局直らなかったですけど。配達をギルドで頼んだら、あんな田舎に行きたいと思うやつはいないと言われて仕方なく戻ってきました」

 フリッツは背中の剣を差し出した。戦いに使った、装飾の壊れたなまくらの剣。出来れば二度とあんな思いはしたくなくて、早くこの剣を返したくてうずうずしていた。

「なんじゃ。直せんかったのに戻しに来たのか? はあ、まったくどうしようもない弟子じゃな」
「…すみません。返す言葉もないです」

 それを言われてしまうとなにも言えなかった。肩を落とすフリッツを置いておいて、マルクスはルーウィンに向き直った。

「どうだ、気持ちは変わらんか」

 ルーウィンは黙って頷いた。

「だが、それを成し遂げたことでおまえさんになにが残る」
「わかってる。ガーナッシュへ行くまでだけでも、思わぬ騒動があった。自分の未熟さを思い知ったわ。北へ行くことは簡単じゃないかもしれない。でも、それだけよ。この気持ちは変わらない」
「そうか」

 マルクスは答えた。ルーウィンは師匠のダンテを捜すために、ガーナッシュよりもはるかに先に北上をするつもりらしかった。北上しても街はあり、都などは南大陸のかなり上のほうに位置する。しかし道中の危険は、北上するとともに増す。北へ向かうほどモンスターは強くなり、そこへ集う冒険者たちもまた強者ぞろいだと聞く。ルーウィンが北へ向かうと聞いたときには、フリッツは大変そうだなあと思っていただけだった。 しかし、そうも言っていられなくなった。フリッツ自身、家庭の崩壊を防ぐために、兄であるアーサーを捜しに行くことを決めたからだ。

「それで師匠。少しお話したいことがあるんですが。両親と、兄のことです」

 フリッツは故郷でのことを手短に話した。ルーウィンは横槍を入れず、黙って聞いていた。フリッツは両親のことについては驚くほど淡々としていた。しかし、兄の話題を口にすると、その視線を床に落とした。マルクスは腕を組んで、フリッツの言葉に耳を傾けている。表情は読み取れないものの、かなりの打撃を受けたことは察しがついた。話を聞き終え、しばらくしてマルクスは口を開いた。

「そうか、あのアーサーがのう」
「師匠。大変申し上げにくいのですが、しばらくの間留守にさせてはもらえないでしょうか」

 マルクスはたくわえた顎鬚を触った。マルクスが考え事をしているときの癖だった。

「外の世界を見るいい機会じゃ。ここへ篭ってばかりでは本当の強さなど得られぬ。よし、行って来い」

 それを聞いて安心した一方、こんなに簡単に承諾されるとは思っていなかったのでフリッツは拍子抜けした。しかし気を取り直して、姿勢を正し一礼をする。

「ありがとうございます。では、行って参ります」

 しかしあまりにもあっさりしすぎる承諾だった。もしかしたら、フリッツがここ数日修練所を空けている間に、こうなることをマルクスは予想していたのかもしれない。そんな考えか浮かんだが、フリッツはそれを打ち消した。フリッツが留守にする、と言ったのを、ちょっとそこまで行ってくるのと取り違えているのではないだろうか。フリッツは念押しのために、マルクスに尋ねた。

「本当にいいんですか? 洗濯も掃除も買い物も、全部師匠が一人でやるんですよ?」

 それを聞いて、マルクスは少しひるんだようだった。ほら、やっぱり考えてなかったとフリッツはため息をつく。

「うぅ、まあなんとかなるじゃろ。お前こそ大丈夫か? ろくにフランからも出たことがないのに」
「大丈夫じゃないです。緊張してます。でも行かないと」

 フリッツの決意を読み取って、マルクスは頷いた。

「フリッツ。忘れ物じゃ」

 マルクスは先ほどフリッツが渡したばかりの剣を押し付けた。フリッツはマルクスの顔を怪訝そうにじっと見つめた。

「…ひょっとして師匠、呆けてますか?」
「たわけ。旅立ちのはなむけに持っていけと言うとるんじゃ」

 はい、そうですかと持っていくわけにはいかない。真剣は持ちたくないし、第一こんななまくらは持っていても荷物になるだけだ。フリッツは言い返した。

「なに言ってるんですか。ぼくはこれをわざわざ返すために、ここへ戻ってきたんですよ」
「おぬし、いつまでその棒っきれに頼って旅をするつもりじゃ。一緒に行くルーウィンの身にもなってみい。心もとなくてたまらんわ。頼むから持っていってくれ。わしを、弟子に真剣一つ持たせないような師匠にさせるつもりか?」

 そう言われて、フリッツはすごすごと引き下がる。

「そこまで言うなら。わかりました、多分使いませんけど」

 そうは言っても、修理もできていない、切れ味も鈍いただの金属の塊だ。邪魔なことこの上なかったが、マルクスの意を汲んでフリッツは受け取った。ひょっとしたら遠まわしに、ちゃんと修理して持って帰って来いよという、師匠なりの圧力なのかもしれないとも思った。
 ルーウィンはマルクスに言った。

「ちょっとの間、あなたの弟子を借りていくわね」
「お前さんも元気でな。まあ、ほどほどにやれよ」

 マルクスはルーウィンの肩を叩き、ルーウィンは苦笑した。マルクスはフリッツに向き直った。

「気をつけてな。達者でやれよ」
「はい、行ってきます!」

 フリッツは元気良く返事をした。
 二人の姿が小さくなって見えなくなるまで、マルクスはその場に留まって見送っていた。意外にも、フリッツは一度もこちらを振り返ることはなかった。弟子は薄情なものだ。やれやれと言いながら、マルクスはゆっくりとした足取りで、修練所とは名ばかりの掘っ立て小屋へと戻っていく。

「…本当に行ってしもうたわ。アーサーを捜す、か」

 マルクスはふと足を留めた。半洞穴のような岩場からは、青い空が広がっているのが見える。心地の良い薫る風が吹き、姿は見えなかったが鳥類モンスターが高らかな声で唄っているのが聞こえた。眼下に広がる緑は青々と生い茂り、目の前にあるのは空と地平線だけだ。簡略化された世界を眺めて、老人は一人呟いた。

「ダンテの弟子が、わしのたった一人の愛弟子をとっていきおったわい。人生どんな巡り会わせがあるかわからん」

 風が少し強くなって、老人の長く白いひげを乱した。

「フリッツはアーサーを、ルーウィンはダンテを。この探し人の旅、そう簡単には終わりそうにないのう」




 ぽかぽかとした日差しが暖かい昼下がりだった。いつもと同じ道のりであるため、フリッツは思わず散歩と錯覚してしまいそうになる。しかしこれは、紛れもない旅立ちへの道のりだった。否、マルクスの習練所を発った時点で、フリッツの旅は始まっていたのだ。いつものおつかいとは違う証拠に、隣にはルーウィンがいる。
フランへの道のりを再び歩き出し、しばらくしてからルーウィンはぽつりと呟いた。

「ねえ、フリッツ。あたし思ったんだけど」
「なに?」

 フリッツは返事をし、珍しくルーウィンは真顔だった。

「なにもさっき帰ってきて、すぐ出て行くことなかったんじゃないの?」

 フリッツは少しの間言葉をなくした。

「それもそうだね。なんだかそんな雰囲気だったから、師匠の言うままに出てきちゃったけど。まあ、いいか」

 二人はまた歩き出した。フラン村、ガーナッシュを経由して、そのまま街道沿いに道を進む。ルーウィンの荷物には、マルクスからの紹介状が入っていた。魔法使いの斡旋を依頼するものだ。
 彼らの次の目的地は、魔法使いを多く輩出する街、キャルーメルだ。



                                 【第一章 フリッツの旅立ち】



-12-
Copyright ©としよし All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える