小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第2章】

【第七話 モンスター召喚】

 クリーヴが本当の犯人であることにショックを受けているフリッツだったが、目や身体の痛みは徐々に回復しつつあった。今二人は、目の前で杖を構えている。並々ならぬ圧力を感じ、フリッツは気持ちを切り替えた。クリーヴの真実に落ち込んでいる場合ではない。危険な空気が、辺りに漂い始めていた。

「おいクリーヴ。なんか言いたいことあるなら直接言えよ。回りくどいことしやがって」
「言ったら、きみはここに通うのをやめたかい?」
「いいや」

 ラクトスは不適な笑みを浮かべた。クリーヴはそれを冷たい表情のまま見つめた。

「おれはもうここへ戻ってくる気なんかねえよ。ただ、汚名は返上したい。所長にちゃんとおれじゃないって身の潔白を証明して、まあそうだな、ついでに修了書貰えたらいいなとは思ってる。なんせ家計は火の車だからな」

 ラクトスは言った。

「勝負しようぜ。おれが勝ったら、おまえは所長に真実を話す」
「いいだろう。もしぼくが勝ったら、きみにはこの街から消えて貰う」
「そんな!」

 二人のやり取りを黙って聞いていたフリッツだったが、思わず声を上げた。ラクトスがフリッツを睨む。

「黙ってろ」

 クリーヴは口を開く。

「前々から目障りだったんだ、きみは。貧乏人のくせして、ぼくらと同じ空気を吸って。一丁前に魔法なんか使うんだもの。虫けらは虫けららしく、地面を這いずり回っていれば良かったのに」

 クリーヴは杖を掲げると小さく詠唱を始めた。ラクトスは身構えた。
 クリーヴの足元に怪しく光る紫色の光が現れ、それは円を描くようにクリーヴの周りを滑り始める。やがて光の点は線に、線は陣を描く。魔法陣が現れ、黒い光の玉が地面から噴出し、クリーヴの髪を逆立てる。エネルギーが足元の地面から溢れ出しているのだ。酷く禍々しい光景だった。今まで美しい魔法しか見たことのなかったフリッツは、その様子を見て嫌な脂汗がどっと沸いてくるのを感じた。美しいが、とても怖い。
 ラクトスはクリーヴの繰り出す魔法を見極めようと、しばらく目を細めて見入っていたが、やがて顔色を変えた。

「あいつ、勝負じゃなく本気で口封じにかかりやがった!」

 フリッツはラクトスの言った意味が解らなかった。

「あいつを止めろ。詠唱の邪魔をするんだ!」
「わかった!」

 ラクトスの形相があまりにも必死だったため、フリッツは弾かれたように立ち上がった。クリーヴに投げ捨てられた剣を回収し、木刀のほうを持って杖を振り落としにかかる。

「そう簡単に完成させられてたまるかよ」

 ラクトスは足元の拳大の石をクリーヴに向かって投げた。抜群のコントロールだ。しかし石はクリーヴには当たらず勢い良く外に弾き返された。

「やばい! バカ、引き返せ!」

 時すでに遅く、フリッツはクリーヴに向かって剣を抜いていた。助走にまかせて大きく一歩踏み込む。しかし、あと少しで切っ先が届くというところで、フリッツの目の前にプラズマが走る。
 フリッツは弾き返され、吹き飛んだ。近くの木に強か背を打ちつける。ダメージはそこまで大きくはなかったが、初めてのことに動転していた。なにが起こったのかまったくわからない。ラクトスは苦々しげに悪態をついた。

「魔術だけじゃなく、召喚術もかじってやがった。さすがいいとこのぼっちゃんだぜ。召喚術は呼び出される側からの力も加わって、自動的に防護壁が働く。つまりそう簡単には邪魔できねえってことだ」

 ラクトスが舌を打つ。その言葉には羨望ではなく、確かな焦りが浮かんでいる。クリーヴの足元からさらに強い風が吹き上げてきた。前が見えなくなり、強風でラクトスの声が聞こえず、フリッツは叫んだ。

「召喚術って!」
「簡単に言えば、今からここにモンスターが現れるってことだ。それも、そのあたりの三下とは違う。そこそこ使えるやつが来る!」

 それを聞いてフリッツは声を上げた。

「困るよ! ぼくここまで来るのに、数えられるほどしかモンスターと戦ってないんだから」

 これまでに出現したモンスターといえば、ナッチュウかモコバニーくらいだ。戦うと表現するのもおこがましい。確かに強暴だが、子供のぬいぐるみにもなるような愛らしい容姿とサイズである。簡単にあしらうことができたが、今回はそうはいかないだろう。
 ガーナッシュまでに人間とは何度か打ち合ったが、幸運にも大型モンスターとは一度も遭遇してはいなかった。

「そんなん知るかよ! それに困ってるのはこっちだって同じだ」

 フリッツは弱音を吐いてしまった唇をきつく結んだ。街からほとんど出ることの無いラクトスにとっては、ひょっとしたらモンスターを見るのも初めてなのかもしれなかった。いくらラクトスが冷静で強そうだといっても、未知のものとの遭遇は怖いだろう。それでも彼は逃げようとはせずに戦おうとしている。
 フリッツは、どうして自分はこんなにもみっともないのだろうかと落ち込みそうになった。こんな状況でなければ確実に項垂れているところだったが、生憎そんなことをしている余裕は無い。

 クリーヴは詠唱の最終段階に入ったようだ。紫色の光を放つ光の線が、クリーヴの頭上にも幾何学模様を描いていく。不気味で、それでいて美しい光が再び吹き上げる。魔力の波に、クリーヴの髪やローブは重力に逆らってはためいている。
 こんな大掛かりな魔法を見るのは、実はラクトスもはじめてだった。修練所の片隅で生徒が慣れない様子で飛ばしている、すぐに消えてしまう術とは桁違いだ。
 すべての線が繋がり、クリーヴの瞼がゆっくりと開けられた。
 クリーヴが杖を掲げ、両手を迎え入れるように広げた。魔法陣から煙が立ち上り、やがてそれはフリッツの視界をさえぎるほどに膨らんだ。煙の中から現れたけだものを見て、クリーヴは微笑んだ。

「久しぶりだね。グラン=フェンリル」

 モンスターは、煙をまとってしなやかな体躯を現した。黒い毛並みが逆立っている。殺気にぎらつく黄色い相貌、涎の滴る真っ赤な口元。一見すると犬のようだが、全長はフリッツの身長以上はゆうにある。明らかに獰猛な気配がした。姿勢を低く保ち、咽の奥で低く唸りながら飛び掛るのを今か今かと待ち構えているようだ。フェンリルといえば、凶悪なことで知られるワルモーンより一つ格上の存在で、さらにグランとつくからには群れの首領格と考えていい。

「こりゃまた、でかいわんこのお出ましだぜ」

 軽口を言ってのけるラクトスだが、緊張しているのは声音で分かった。

「おいデコっぱち!」
「デコっぱちじゃないよ! フリッツ!」
「いまはなんだっていい。それよりお前、どっかそのへんに隠れてろ」
「嫌だよ!」

 フリッツは即答した。

「邪魔なんだよ、退け!」

 この場にともに居るのが百戦錬磨の屈強な戦士だったら、喜んでそうしたことだろう。しかし、現実はそうではない。ここのいるのはフリッツとラクトスだけだ。
 おそらく、ラクトスはモンスターを相手にしたことなど無いだろう。こんな状況で、ラクトス一人を放っておけるフリッツではなかった。本音は逃げたくて仕方なかったが、今背を向ければ確実にモンスターに殺されることも予想が付いた。

「バカ、逃げろ! 殺されるぞ」
「ぼ、ぼくがモンスターの相手をする。ラクトスくんはクリーヴさんを止めてあげて!」

 本当は怖かった。怖くて怖くてしょうがない。恐怖と緊張で脚が震えているのが分かる。勝算などどこにもなく、むしろ鋭い爪や牙で嬲り殺される自分のほうが簡単に想像がつく。しかしフリッツは、剣に手をかけた。今度は、背中の真剣に。本気でいかなければ殺される。恐怖と焦燥感が上回って、いままでのようにモンスターに同情の念は湧かなかった。人間相手のように、変な気遣いもしなくていい。しかしこの大物を仕留められるかどうかは、また別の話だ。
 ずしりとした金属の重みが、右手に伝わる。やはり真剣は気が進まない。すらりと抜いて、両手で握り締める。腰をやや沈めて、相手の出方を待った。

「やれ」

 無感情な声音でクリーヴの命令が下された。





「デコっぱち、これ使え! お前のやりやすいように動く」

 余裕のない声でラクトスが叫んだ。ラクトスは大きく振りかぶって何かを投げる。魔法の光の玉だった。まっすぐに投げられたそれはフリッツの上空でふわふわと停止した。辺りがぼんやりと明るくなる。フリッツも照らされるので標的として丸わかりだが、それ以前にフェンリルは夜目が利く。暗いままで戦っては、フリッツが一方的に不利だった。手元や足元が見えるようになり、フリッツはラクトスに感謝する。

 盗賊の頭領とは一度真剣を交えたが、モンスターと命のやり取りをするのは初めてだ。気を抜いたら、あっというまに咽笛を噛み切られてしまう。この場にルーウィンが居てくれたら、どれだけ心強いか。一人で来たことが悔やまれたが、今更遅かった。
 真剣を持っていなければ、今頃フリッツは一目散に逃げ出しているところだった。しかし背中を見せれば一瞬で飛びつかれるのはわかっている。真剣を構えていることで、同時にそれは盾の役割も果たす。相手のフェンリルも刃物の気配を感じ取って、低く声を唸らせた。

 フェンリルが跳躍した。一瞬の出来事に、フリッツの頭の中は真っ白になった。次の瞬間、フェンリルは宙に浮いており、その前足はフリッツの肩にかけられた。爪が食い込む痛みに思わず身体が反射し、重心をかけられる前になんとか身をひねってかわす。フェンリルはフリッツのすぐ背後に着地し、間髪いれずに襲い掛かった。フリッツはまたも反射的に剣を突き出し、その牽制にフェンリルは飛び退く。フリッツからは四、五歩も離れていない。

 わずかな間合いが取れたことで、フリッツは剣を構えなおした。
 怖い。
 言い知れぬ恐怖がフリッツの身体の中を走った。前足で肩を捕まれたとき、爪のするどい痛みと獣くさい息遣いとを感じた。モンスターと戦うことにこれほどまで恐れを抱いたのは初めてだった。モコバニーやナッチュウなど、村に住むネズミと大して違いがない。しかしこのフェンリルは、本当の意味で化け物(モンスター)だった。この威圧感や殺気は、今までのモンスターと比べられない。

(考えて闘う余裕がない!)

 恐ろしいという感情に負け、間合いを空けるためにフリッツは右足をわずかに下げた。だがその隙を狙って、またもフェンリルが襲い掛かる。フリッツの心臓は跳ね上がった。

「わあああ!」

 恐怖に負けた。情けないほど声を出し、フリッツは剣を振り回した。闇雲に振り回したところで、当たるはずもない。しかし幸いにも牽制にはなった。地獄の底から響いてくるような唸り声をさせ、フェンリルは姿勢を低くさせている。再びフェンリルと距離が取れたことでフリッツは我に返った。同じ手はもう通用しない。剣を振り回せば、その隙を突いて襲い掛かってくるだろう。

 嫌な汗が顎を伝う。まずい。まるで勝機が見出せない。苦戦するのは目に見えていたが、ここまで歯が立たないとは思ってもみなかった。
 周りにこれだけ木があるというのに、身を隠す暇もない。もっともフェンリルの嗅覚は優れているので、隠れきれるはずもなかった。加えて夜行性のため夜目も利く。隙を見せることなく、逆に隙を突いてくる。逃げも隠れもできない。思考をする人間も手ごわいが、野性の本能をぶつけてくるモンスターはもっと恐ろしい。しかし刃を向けるより他に選択肢はなかった。

(速さや勢いじゃ勝てない。それなら!)

 今度は慎重に後ずさった。フリッツを照らす光の玉が、少し離れてフリッツのいるあたりを暗くする。フェンリルはこちらを睨みつけたまま動かない。両者は互いに睨みあったままだ。フリッツはじりじりと後退し、フェンリルは身を低くし、飛びつく瞬間を見計らう。
 その時、フリッツの右足のかかとが木の根元にぶつかった。もう後ろには下がれない。その一瞬にフェンリルはフリッツに飛び掛った。

(来る!)

 フリッツは瞬時に身をかわした。避ける心の準備は出来ていた。フェンリルは勢いよく頭から木の幹に突っ込み、その隙にフリッツは剣を掲げ一気に振り下ろした。肉を斬る感触が伝わり、フェンリルが身を捩る。しかしすぐに身を翻し、フリッツの腕にその鋭い牙を剥いた。

(しまった!)

 フェンリルに腕を噛まれるのは避けたが、その勢いで足に噛みつかれた。
 声にならない激痛が身体を駆け抜ける。気を失ってしまいそうになったが、フェンリルの頭部はフリッツの目の前にあった。今だ、とフリッツの第六感が叫ぶ。しかしこの至近距離で剣を振り上げれば、感づかれて飛び退かれる。なにか決定的な、相手に隙を与えなければ。遠のいていく意識の中で、ふと辺りを照らす光の玉が目に入る。

「こっちへ!」

 フリッツは痛みに顔を歪めながら叫んだ。滞空していた光の玉がその呼び声に反応して一瞬のうちに飛んでくる。フリッツは光の玉を掴むとフェンリルの目に押し付けた。視界を奪われたフェンリルはなにが起こったか理解できず悲鳴を上げた。

 フリッツは、無防備になっている首に剣を付きたてた。

 致命傷を負ったフェンリルは、哀れな様子で一声鳴いて、フリッツの目の前から光の粒になって消えていった。あれくらいのことで死んだとは思えないので、ある程度ダメージを受けると元いた場所に戻る仕組みなのかもしれない。

 肉を切らせて骨を絶つ結果になった。夜の静寂の中に、かすかな虫の声と自分の荒い息だけが聞こえる。フリッツは肩で息をし、自分の左腿にぽっかりと空いた四つの穴を見つめた。こんなに酷い怪我を負ったのは生まれて初めてだった。辺りがうす暗いのでよく見えないが、きっと大変なことになっているに違いない。自分の足をエサになんとかモンスターを倒せたからよかったものの、もし出来ていなかったら自分はどうなっていただろう。フリッツは今更思い出したように身震いをした。
林の向こうのほうで、赤々とした炎がいくつも飛んでいるのが見えた。クリーヴとラクトスはまだ戦っている。

(…行こう)

 痛みに目を細めながら、朦朧とした頭でフリッツは思った。重たい身体と負傷した足を引きずりながら、フリッツは這うようにして魔法使いの戦いの現場へと進んだ。




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