【第三話 ならず者との攻防】
少女は走った。小さな村で人気も少ないので、人ごみに紛れることも出来ない。どこまで行っても畑ばかりで身を隠す場所もなく、男達を撒くのは難しかった。しかしこのまま走っても、直線距離ではいずれ追いつかれてしまう。民家の角を曲がって、どうしようかと辺りを見まわした。
「こっち!」
民家の植え込みの影からフリッツが少女に声をかける。
「なんであんたが」
少女は驚いてフリッツを見た。
「ぼくらのギルドを助けてくれたんだ。放っておくわけにはいかないよ」
少女は振り返り、男達が追ってくるのを見た。意を決して、フリッツの隠れている植え込みに飛び込む。
「そうじゃなくて、どうしてここがわかったの?」
「きみはすぐにこの街を出て行くだろうと思ったんだ。きみはこの街に来たばかりで、ここの地理を知らない。だったらどこかに隠れて身を潜めるより、さっさと街から出る方が懸命だ。でもあいつらもそう考えるだろうね。だから賭けだったけど、こうして出入り口に一番近いここに身を潜めて待っていたんだ」
少女は意外そうな顔をしてフリッツを見たが、本人はそれに気がつかなかった。フリッツは追手がこないのを確認し、再び植え込みの影にしゃがみこむ。
「…っ!」
不意に少女が小さく声を上げた。見ると、わき腹の辺りから服を通して血が滲み出ている。
「血が出てる! 早く手当てしないと」
「大丈夫。前の傷が開いただけよ」
「大丈夫じゃないよ!」
少女は首を振った。
「大丈夫よ」
少女は口を引き結んで、フリッツを見た。強い視線だった。傷は痛むが、それを気にしていてもどうにもならない、次の行動に移すだけだと、その瞳は言っている。弓矢で射られたような感覚だった。同時に、臆病な自分の中身が瞳を通じて見透かされてしまいそうになって、フリッツは思わず目をそらした。
「…まだ姿は見えない。逃げるなら今のうちだよ」
「そうね、行きましょ」
フリッツが言い、少女は頷いた。
フリッツと少女は家々の合間を縫って走った。ネコの尾を踏んだり、犬に吠えられたりしたが、なんとか切り抜けて村を抜ける。地元民ならではの抜け道に、さすがの猛者も気がつかないだろうとフリッツは思った。茂った草を踏みしだいて、林に入る。小さく開かれた道に出て、二人はやっと息をついた。
「ここから先はあんまりひとが来ないんだ。よっぽどのことがない限り、追ってこないと思うよ」
「あんたには二度も助けてもらっちゃった。ありがとね」
少し息を切らせながら、少女は歯を見せて笑った。出会ったときに着ていた薄汚れた服は取り替えたらしく、今度は身なりもきちんとしていた。そうしていると、少女はなかなかかわいらしいことにフリッツは初めて気がつく。カツアゲされたり、ギルド潰しから逃げたりしていて、とてもそれどころではなかったのだ。
「あたし、ルーウィン。見てのとおり弓使いよ」
ルーウィンは軽く身をひねって背中の矢筒を見せた。今更ながらの自己紹介だなあと思い、フリッツは笑った。
「ぼくはフリッツ。えっと、剣士見習いなんだ、一応」
ルーウィンが弓使いだと名乗ったので、自分もそう付け加えた。
「さっきはそんなもの持ってなかったと思うけど。腰の棒きれだけだったわよね?」
ルーウィンはフリッツの背を指した。棒きれって、木刀なんだけどなあと思いながらも、フリッツは答える。
「ぼくはこれを取りに行く予定だったんだ。師匠への届け物」
「じゃあ、あんたのものじゃないわけね。どうりで似合わないと思った!」
フリッツは力なく苦笑したが、ルーウィンはそんなことにはお構いなしに屈託なく笑った。
「あんたのギルド、巻き込んじゃって悪かったわ。あそこで戦えば村も混乱するし、運悪く傷も開いちゃったしでこうするしかなかったの。ちょっとくらい時間稼げば、ギルドの方も立て直してくれるかと思って」
彼女の判断は正しかった。今頃ギルドの管理人は畑の大人たちを呼び集めている頃だろう。村人全員が一丸となれば、三人のならず者くらいなんとか追い払うことはできる。
「ところでこの道はどこへ向かってるの? あたしの来た方からはこんな場所見えなかったわ」
ルーウィンは辺りを見まわした。
「ああ、この道はね」
「やっと見つけたぜ!」
フリッツは最後まで答えられなかった。突然、上から人が降ってきて殴り飛ばされた。ルーウィンはかすかに声を上げたが、取り乱すようなことはしなかった。フリッツは男の拳に吹き飛ばされ、木の幹にしたたか背を打ちつけてすぐには動けないでいた。痛みがびりびりと全身を走る。
「探したぜぇ、嬢ちゃん。あんたの連れにはちと恨みがあってなあ」
角刈りの男が、拳をボキボキと鳴らす。ルーウィンは倒れたフリッツのほうにちらりと目をやった。
「あいつはここにはいないって、一体何度言ったらわかるの!」
ルーウィンは、ゆっくりと手を矢筒に伸ばした。髭面の男が下卑た笑いを浮かべる。
「関係ないね。なあ、嬢ちゃん攫ったら『ギルド潰し』は顔を見せるかな」
「泣きながら命乞いするかもな! ははっ、見てみたいぜ」
素早く構え、ルーウィンは髭面男の右胸めがけて矢を放った。狙い違わず、矢はまっすぐ男の胸に突き刺さる。しかし、すぐに地面にぽとりと落ちて虚しい音を立てた。男はにやついてシャツをめくり上げる。そこには何十にも重ねられたメイル鎖帷子が装着されていた。
「二度も同じ手にはかからないぜ」
近づいてきていた髭面男がルーウィンに手を伸ばす。その時、丸刈りの男が悲鳴を上げた。
「どうした!」
髭面男は声の方を振りかえった。丸刈りの男は足を抱えてうずくまっている。脛を思いきりフリッツに木刀で打たれたのだ。
「こっち!」
立ち上がったフリッツが叫んで、ルーウィンは髭面男に頭突きをお見舞いする。二人は走った。しかしルーウィンは相手との距離が少し出来るや否や、再びならず者たちに向き直った。彼女が弓で応戦するつもりだと察したフリッツは叫んだ。
「早く! なにしてるんだ、逃げるんだよ!」
「いやよ」
ルーウィンは腕を背に回し矢筒から矢を取ると、そのまま手首を回すようにしてほんの一瞬、鏃を地面に擦り付けた。フリッツはそれを見て、矢を番えるまでずいぶんなロスになる癖だと思った。
ルーウィンが矢を番え、構えたと同時に狙いを定めて撃った。速かった。フリッツは彼女が矢を射ったことに気がつかなかったほどだ。フリッツは更に息を呑んだ。まっすぐに放たれた矢が、見る見るうちに炎の塊になったのだ。炎の矢など、聞いたこともなければ見たこともない。
炎の塊は三人の真ん中目掛けて飛んでいった。しかし間一髪で避けられてしまったようだ。フリッツは納得した。ルーウィンのあの地面に鏃を擦る動きは、摩擦で鏃を燃やすためのものだったのだ。
「あっ熱っ!」
「おい! 今日はもうあの技は出ないだろうって言ってたじゃないか! 話が違うぞ」
直撃はしなかったものの、ならず者たちは明らかに狼狽しはじめた。丸刈り男は火の粉が頭を掠めたらしく、男は頭を抑えながら地面に転がった。それを見て、ルーウィンは笑った。
「大事な髪が丸焦げね。って、あんた燃えるような髪ないじゃないの。良かったわね」
そう毒を吐き、言い終わる頃にはすでにルーウィンは二発目を放っていた。今度はやや左に向かって。炎の塊は女の足元に刺さった。それを見て、無理やり落ち着きを取り戻した女が嗤う。
「あんたノーコンかい? どこ狙ってるんだよ!」
「あんたバカなの? こういうのはお約束なのよ」
言ってルーウィンは三発目、四発目を放った。どちらも相手には当たらない。しかし周りの生い茂った雑草に燃え移り、いつの間にかならず者たちは炎に取り囲まれていた。その一連の出来事を、フリッツは口を半分開けたままあっけにとられて眺めていた。
「あたしは、自分が肉食べるときはレアが好きなんだけど。あんたたちは焼き加減どうする? ミディアム? それともウェルダン?」
ならず者たちは揃ってごほごほと咳き込み始めた。煙が目に沁みるらしく、目をこすっているのが煙の間から垣間見える。彼らは手も足も出ないようだ。炎は明々と燃え、周りの雑草を飲み込んで成長する。ルーウィンはならず者たちにはお構いなしに再び弓を構えた。
「聞こえてないか。まあいいけど。もちろん、ウェルダンよね」
ルーウィンは間違いなく、髭面男の眉間というわずかな急所に狙いを定めていた。真後ろにいたフリッツにはそれがわかったのだ。当たれば男は確実に死ぬ。もし外れてもこの炎だ、これ以上炎が強くなれば重度の火傷を負うことになるだろう。それどころか、林道ごと灼き払うつもりかもしれない。
「ルーウィン!!」
ルーウィンが矢を放つ刹那、フリッツは腰から提げていた水筒の水を燃えさかる鏃に投げつけた。予想外のことに驚いたルーウィンは狙いを外し、小さな炎となった矢は男の髭をかすめた。その勢いは衰えてはいたが火の粉が燃え移り、男達は慌てふためく。
「なにすんのよ」
ルーウィンはフリッツを睨んだ。フリッツはぞっとした。殺気に満ち満ちた瞳だった。フリッツは思わずごくりとつばを飲んだ。今にも殴りかかられそうな勢いだったが、それを覚悟の上で、フリッツは言った。
「も、もうこのへんにしようよ。あの人たちも、十分懲りてるよ。それにこれ以上やったら、あの人たち死んじゃうよ」
「は? あんたなに言ってるの? 死ねばいいじゃない」
ルーウィンはなんでもないように言った。本気の目だった。
ルーウィンは炎に囲まれているならず者たちを見た。煙に巻かれて咳き込み、纏いつく炎から逃げ惑っている様が伺える。明らかにやりすぎだった。三人は炎を超えてこちらへやって来ることはない。
「あんたのせいで気分悪くなった。今日はこのくらいにしておいてあげる」
ルーウィンはフリッツを見て舌打ちした。そして炎の向こうにいるならず者に向かって大きく叫んだ。
「次に遭ったら、殺してやるから!」
フリッツは、だんだん不安になってきていた。あの三人がこのまま焼け死んでしまったらどうしよう、炎が林や森を焼いてしまうかも、フラン村まで火の手が迫ったら?
もっと早くルーウィンをとめるべきだったと、フリッツは今更ながらに悔やんでいた。目の前で見たこともない大技が繰り広げられたため、しばらく見入ってしまったのも事実だった。
「ねえルーウィン、あの炎大丈夫かな?」
「そんなことよりまず、自分の身の心配をしたらどう?」
ルーウィンはフリッツの襟首を掴み上げた。一瞬にして、フリッツは蛇に睨まれたカエルのように固まった。ルーウィンは顔を近づけ大声で叫んだ。
「どうして邪魔したのよ!」
「だ、だって! 殺すなんて、そんな」
恐る恐るフリッツは口を開いた。殺してやるというセリフがあまりにも日常とかけ離れていたため、今でも頭の中でわんわんと反響していた。
「そんなのただ綺麗ごとよ。殺らなきゃこっちが殺られるかもしれないのよ」
ルーウィンはそう吐き捨て、フリッツを乱暴に突き離した。フリッツはほっとすると同時にあっけにとられたが、仕方なく黙って後を追う。
「ちょっと、ついて来ないで」
ルーウィンは振り向かずに刺々しい声で言った。フリッツの眉尻が情けなく下がる。
「そんなこと言われても。いま抜けてきた道は村からぼくの修練所にしか通じてないんだ」
「そうならそうと言え!」
ルーウィンは叫ぶと、突然足を止めて踵を返した。フリッツは驚いて声をあげる。
「どこに行くの?」
ルーウィンは後ろを向いたまま答えた。
「帰る。あんたみたいに甘いこと言ってるやつが通う修練所なんて行きたくない」
「大丈夫、門下生はぼくだけだよ」
「ならなおさら」
ルーウィンはもと来た道を辿り始める。フリッツは慌ててそれを止めた。
「フランに帰ってどうするの? あのひとたち、まだいると思うけど。第一、あの炎の向こうにはしばらく行けそうにないよ」
それを聞くと、ルーウィンはぴたりと立ち止まった。