小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第2.5章】

【第一話 みちくさ】

 ラクトスが旅の仲間に加わって数日が経った。

 彼はキャルーメルにいた頃は毎日アルバイトで駆けずり回り、おまけに睡眠時間を削って魔術の勉強までしていた。その辺のガリ勉とは一味違う。足腰がしっかりしており、体力はなかなかのものだった。おまけに家事までこなしていたというのだから、もう言うことは何も無い。ここまで来るのに足手まといになることなど一度もなかった。
 三人は機嫌の悪い冒険者に絡まれることもなく、強いモンスターに遭遇するわけでもなく、特に何事もなく順調に旅をしていた。キャルーメルから伸びる街道を辿り、次の街を目指している。

 しかしガーナッシュで冒険者に絡まれたこともあって、ルーウィンは誰かとすれ違うたびに顔をそむけなければならなかった。あまりに堂々としているルーウィンに、フリッツが頼み込んでそうさせたのだ。
 本当はラクトスが言い出したことなのだが、彼は嫌な役割をあっさりとフリッツに押し付けた。特にその日は街道ですれ違う旅人や行商人が多かったので、日が暮れる頃にはルーウィンの機嫌は最悪に到達した。

「…腹立つ」

 ルーウィンが小さく呟く。前から誰かやって来たので、フリッツはわざと大袈裟にあくびをして見せた。もちろん伸ばした腕でルーウィンの顔を隠すためだ。しかし、それが余計にルーウィンの癇に障った。

「なに? あたしは人様に見せられないような顔だってことなの?」

 ルーウィンの額にはぴくぴくと青筋が浮かび上がっている。フリッツは恐れをなしてラクトスの後ろに隠れようとしたが、ラクトスは非情にもその手を振り払った。あんまりだ。

「そうじゃないよ! だってルーウィンだってわかると、また誰かとケンカになっちゃうし」
「すればいいじゃない! コソコソするなんてまっぴらごめんだわ。あんたたちはそのへんに隠れてればいいのよ、あたし一人で十分なんだから」

 完全に腹を立てたルーウィンは、早足でフリッツの前を行き過ぎた。

「おい、このままだとあの穀潰しの方から相手にからみかねないぞ」

 調子よくなりを潜めていたラクトスが言い、フリッツはため息をつく。
 道中のルーウィンの食事の様子を見て、ラクトスが彼女につけたあだ名が「穀潰し」だった。読んで字のごとく、そのままの意味である。一方でフリッツのことをデコっぱちと呼ぶことは少なくなっていた。
 その時、ルーウィンが突然足を止めた。そのまま進んだフリッツはルーウィンの背中にぶつかる。

「ぎゃ!」
「うわ、おっかねえ」

 反動で地面にしりもちをついたフリッツに、ラクトスは哀れみのまなざしを向けた。
 フリッツは真っ青になってルーウィンに謝ろうとした。しかし、ルーウィンが怒っている様子はない。不思議に思って彼女の視線を辿ると、そこには一人の少女がいた。平らな石の上に、両足と頭を抱え込むようにして座っている。

「どうしたの。ケガでもした?」

 ルーウィンが声をかけた。少女はそこではじめて誰かがいることに気がついたようだ。はっと上げられた顔をルーウィンは覗き込む。フリッツとラクトスも近くへ寄った。

「なんだ、迷子か」
「どうしたの? こんなところに一人でいるなんて」

 フリッツは立ちあがって少女を見た。前髪をまっすぐに切り揃え、銀髪を二つに分けてねじっている。歳は十近くだろう。視線は下がりがちで儚げに見える。少女はしばらく口を閉ざしていたが、意外にもルーウィンは我慢強く待った。
 少女は自分の咽元を押さえる。続いて、両手を交差させる。

「これって、バツってことかな。ダメってこと?」
「ひょっとして喋れないんじゃないの?」

 少女は縦に二度首を振った。

「耳は聞こえてるみてえだな。筆談はどうだ」

 ラクトスに言われ、フリッツは当たりを見回す。適当な小枝を見つけて、少女に渡した。少女はしゃがみこんで地面に描き始めた。文字ではなく、どうやら絵のようだ。

「そっか、字は知らないんだね」
「このへんの識字率は集落によって偏ってるからな」

 フランのような田舎の村では、日々の生活のなかで文字を必要とすることなどめったに無い。フリッツはかろうじて字が書けるが、それはたまたまカヌレの実家の隣近所に文字を教えてくれる人間がいたからだ。
一方、学問都市であるキャルーメルでは大半の人間が字を書ける。読めるが書けないといった人が多いのが現状だ。
 ルーウィンが難しい顔をして首をかしげる。

「…シキジリツ?」
「言っとくが、食いもんじゃねえぞ」

 ラクトスはルーウィンに殴られた。

「これは、ひとみたいだね」

 フリッツは少女が描いた絵を覗き込む。小さな人と、大きな人がいる。少女は小さな人を小枝でつつき、次に自分を指差す。

「うんうん、それがきみだね」

 少女は頷く。隣に描いた大きな人をつつく。少女は少し考えた後、その人を手でかき消した。

「ん、なに? なんか間違えちゃったの」

 ルーウィンの言葉に、横に首を振る。少女はもう一度「自分」の隣に大きい人を描き、こんどは両手でそれを隠して見せた。ラクトスが手をあごにやって考えている。

「わかった! 消えた! 居なくなっちゃったんだ」

 フリッツが手を打つと、少女は首を縦に振った。

「要するに、連れを探してるってわけね」

 こんな年端も行かない少女が一人旅をしているなんて考えられない。年長の同行者がいるとみて間違いないだろう。街道で独りぼっちになってしまった少女を見捨てるわけにはいかなかった。きっと今まで、道の脇に座り込んで心細い思いをしていたのだろう。
 少女の置かれている状況を知って、このままここに放っておくわけにはいかなかった。せめて次の集落くらいには連れて行かなければ。もしかしたら、同行者は先に行っていて少女を捜しているかもしれない。

(でも…)

 フリッツは、ちらっとルーウィンを見た。こんなにイライラしているルーウィンが快諾するとは思えない。 もしもフリッツが、「この子、連れて行こうよ」などと発言したら、後々恐ろしいことになる。フリッツはちらとラクトスに目配せをしたが、ラクトスはそっぽを向いている。フリッツが視線を送ることを先に読んでいたのだ。
 フリッツは考えた。いったいどうしたら、ルーウィンの逆鱗に触れずにこの少女を同行させられるのだろう。

「ねえ。この子さあ、連れていかない?」

 驚くべきことに、その言葉を発したのはルーウィンだった。
 寄り道と足手まといが大嫌いなルーウィンが、まさか最初に提案するとは思ってもみなかった。自分が言おうとしていたフリッツは目を見開き、あまりに驚いたラクトスは一歩退いている。

「ルーウィン。今何て言ったの?」

 思わず聞き返してしまったフリッツに、ルーウィンは振りかえって言った。

「連れてこう、って言ったのよ。悪い?」
「だって、女の子だよ! 体力ないし、歩くのも遅い。きみにそれが我慢できる?」

 フリッツは慌てて講義する。少女を見捨てたいわけではないのだ。ただルーウィンがあまりにもまっとうなことを真顔で言うものだから、ちゃんと考えた上での結論なのかを確かめたかった。今まで黙っていたラクトスも横から口を挟んだ。

「そうだそうだ。お前こんな子供相手に金巻き上げるつもりか。見逃してやれよ」
「違うってば。失礼しちゃうわね」

 口の端をひくつかせて、ルーウィンが言った。

「目の前に困っている子供が居たら助ける。それって当たり前のことでしょ」
「うわ、おれ寒気してきた」

 ラクトスの言葉を引き金に、ルーウィンは左右同時に拳を打ちこんだ。ラクトスはひょいと避けたが、フリッツはもろに腹部に入って低くうめく。ルーウィンはフンと鼻を鳴らした。

「次の集落まで保護するだけよ。ギルドに預けて、連れを探してもらえばいいじゃない」

 ルーウィンは少女と視線の高さを合わせるためにしゃがみこんだ。ルーウィンに気がつかれないようにフリッツはラクトスの顔色を覗った。ラクトスは不満そうな顔をしているが、渋々ながら了承したような素振りを見せた。ここで反対すればルーウィンは実力行使に出るだけだ。次の街に着くまで、なるべくなら体力は温存しておきたいという考えだろう。

「もう日が暮れるわね。このへん、近くに宿屋があるって聞いてたけど」

 街道に接する林からはオレンジ色の光が零れはじめていた。歩き出そうとするルーウィンの袖を、少女はぎゅっと掴んだ。不安げに向けられる瞳に、ルーウィンは優しく笑ってみせる。少女の頭に片手を置いて、安心させるように軽く叩いた。

「大丈夫よ。きっと見つかるわ。ちょっとそこ、いつまで転がってるつもり?」

 ルーウィンは呆れて、いまだに地面に伏せているフリッツを見下ろした。

「あたしはルーウィン。あんた、名前は?」

 少女は地面に文字を描いた。自分の名前は書けるようだ。

「じゃあチルル、行くわよ。あんなバカどもは放っておいてね」

 ルーウィンはにこりと微笑んだ。





 一行はひどく寂れた宿屋に部屋を取った。宿の場所はチルルが知っていた。チルルはもともと、同行者とここに泊まる予定だったのかもしれなかった。街道を行き来する何組かの旅人や冒険者が他にも宿を取っているようだが、幸いなことにルーウィンの顔見知りはいなかった。
 貴重な客であろう一行を、宿の主人は粗雑にもてなした。節約のため四人で一部屋を取る。建物の壁に穴が空き、階段は一歩踏み出すたびに揺れる。ずたずたになったカーテンから外が丸見えになるのを見て、ルーウィンが不満を漏らした。

「ひっどい宿ね」
「まあ、これはこれで趣があるんじゃないかな」

 フリッツはベッドに腰掛けた。勢いよく埃が立ち上る。

「これでもか?」

 ラクトスが口元を抑えて窓を空けた。

「探すのは本当に明日でいいの? チルル?」

 フリッツが訪ねるとチルルは頷いた。とりあえず宿を取って疲れたチルルを休ませ、自分たちは彼女の同行者を捜しに行こうという案もあったのだが、なぜかチルルはそれを断った。言葉を話すことはできないが、耳は聞こえるので意思疎通はできる。しかし彼女は歳の割に感情表現に乏しく、その瞳に彼女の気持ちが映ることはなかった。声がもともと出なかったのか何かの拍子に出なくなったのか、この無表情はそれとは関係があるのか。フリッツは少し気になったが、もともとこういう不思議な、奥底の計り知れない子なのかもしれないとも思った。
 その日は明日の同行者捜索に備えて、四人は早めに食事を済ませて床に付いた。



 その夜は月が満ちていた。薄黄色の淡く優しい光が、ボロボロになったカーテンから差し込んで陰影を作る。体の小さなチルルが起き上がっても、老朽化したベッドは悲鳴を上げずびくともしない。
 チルルはあたりを見回した。三人とも、よく眠っている。チルルはそれを確かめ、そっとベッドを抜け出した。まっすぐフリッツの枕元に向かい、迷うことなくフリッツの古ぼけた真剣に手を伸ばした。音がしないよう、そっと持ち上げる。意外に重かったためふらつきそうになったが、なんとかバランスをとりなおした。剣を持ったまま再び窓際に足を運ぶ。鞘と柄に手をかけ、そっと抜いた。スラ、と少しだけ音がした。刀身に月明かりを当ててみる。鈍く光って、とてもよく切れる剣には見えない。チルルは少し首をかしげ、とことこと自分の寝床に戻った。そして自分の荷物の中から大きな布を取り出して巻きつけ、それを自分の荷物の中に入れようとした。

「こら」

 低く小さな声がして、チルルは動きを止めた。

「助けてもらって、それはないんじゃねえの」

 ラクトスは音を立てないよう、静かに身を起こした。月明かりが差し込んでいるが、チルルは窓を背にしているのでその表情は読み取れない。ラクトスはため息をつく。

「隠しても無駄だ。全部見てた。それ、ばれないうちにもとの場所戻しとけ。あいつに見つかったら大変だぞ」

 言ってラクトスは持ち主であるフリッツを指差さずに、ルーウィンを指した。

「…大人しくついて来い。ちょっとした説教だ」

 誰かの声が聞こえたような気がして、フリッツは薄目を開けた。何気なく寝返りを打つと、窓際にチルルが立っており、ラクトスがベッドに腰掛けてなにか話しかけている。あまりいい雰囲気ではなさそうだ。眠たい目をこすり、ゆっくりと身体を起こした。スプリングが小さく悲鳴を上げる。その音に気づいたラクトスは振り返ってフリッツを見た。

「ちっ、起こしちまったじゃねえか」

 ラクトスは頭に手を突っ込んでがしがしと掻いた。

「チルル、眠れないの?」

 フリッツはチルルのほうへ身体を向ける。すると彼女はすぐさま視線を床に落とした。

「あーもう面倒くせえ。お前もついて来い」

 そう言うとラクトスはいつものローブを軽く羽織り、フリッツとチルルに部屋の外に出るよう顎で促した。
 足音を忍ばせて、二人は宿の外に出た。寂れた宿屋は、月明かりに照らされて一層物悲しく見える。森からはほうほうと夜鳥の鳴き声が聞こえた。
 ラクトスは腕を組んだ。尋問などしたくはなかったが、手癖の悪い人間と同室ではおちおち寝てもいられないという顔だ。なんといっても、ラクトスが一行に入ってからは財布は彼の管理下にあった。

「なんであんなことしようとした」

 チルルはしばらく地面を見つめて黙りこくっていた。ラクトスはそれを見て頭を掻いた。

「…忘れてた、こいつ声出ねえんだったな」
「ねえ、一体なにがあったの?」
「こいつな、お前の剣を盗ろうとしたんだよ」

 チルルは小さく頷いた。どうやら素直に認めたらしかった。フリッツは目を丸くする。

「親が居なくなったことは、本当か? だいたい親が居なくなったってのに、落ちついて捜索を明日に引き伸ばせるのがおかしいと思った。最初からこうするのが狙いだったのか?」

 チルルは大きく頭を横に振った。

「まあ、お前から詳しく話は聞けそうにないか。それも声が出ないのか、ただのだんまりかわからないけどな。もうやらないだろうな?」

 チルルは頷いた。相変わらず読めない表情をしているが、しかし今は心なしか反省したような面持ちになっている。フリッツは言った。

「ラクトス。このこと、ルーウィンには言わないで」
「言うかよ。知ったらどんな目に遭うかわかったもんじゃねえし」
「そうじゃなくって。多分ルーウィン、あの子の力になりたいって心から思ってる気がするんだ。だから」

 ラクトスは不審な顔をした。一緒に旅して間もないラクトスには、ルーウィンはただの我の強い扱いづらい相手という認識くらいしかないのだろう。フリッツの言葉を信じきれない様子だったが、フリッツの真剣さに免じてとりあえずは納得しておいてやる、といった様子だった。月が煌々と空高く、やや西よりに上っているのを見て、眠かったのを思い出したようにラクトスは大きなあくびをした。

「わかった。ほら、とっとと寝るぞ」

 ラクトスが言って、宿のほうへと戻り始める。無表情でその場に立ち竦んでいるチルルの肩を軽く叩いて、フリッツは宿のほうへと促した。三人は出来るだけ音を出さないように宿へと戻り階段を上り、静かにそれぞれのベッドへと戻った。フリッツはほどなく寝息を立て始め、ラクトスとチルルはしばらく互いに警戒していたが、それも睡魔には勝てず眠りに落ちた。

 それを背中の気配で察して、ずっと薄目を開けていたルーウィンも寝返りを大きく打って眠りに付いた。


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