【第2.5章】
【第二話 二人と一匹】
翌朝、装備を整え、宿で軽い朝食を摂った。ほんとうに軽い量だったため、ブツブツ文句を言うルーウィンをフリッツはなだめた。
ルーウィンは昨晩のことには気がついていないようだと、フリッツは胸を撫で下ろす。チルルも昨日となにも変わらない様子だった。あんなことがあった後ではもう少しおどおどしてもよさそうなものなのに、彼女は少しも動じていないようだった。自分があれくらいの年の頃には、悪いことして大人に見つかれば二三日は落ち込んでいたものだったが、最近の子供はみんなこうなのだろうか。
チルルは宿を出て少し行った所にある洞窟へと三人を連れて行った。驚くべきことに、洞窟の前には古びた立て看板があり、「今話題の洞窟はココ」と書かれている。看板の寂れた様子からも、ここ最近多くの人が出入りした気配はなかった。ラクトスが言った。
「聞いたことがあるな。弱いモンスターばかりが棲みついていて、奥に宝が隠されてるって噂のあった洞窟。ここがそこなわけか」
「だからあんな辺鄙なところに宿屋があったんだね。洞窟に宝ものがなくなって客足が遠のいたのかな」
チルルが何も言わず、ここに三人を連れてきたということは、この中で同行者が消えてしまった可能性
が高いということだろう。
「ところでチルル。本当にお兄さんはこの中なの?」
フリッツが確認するのも無理はなかった。こんな寂れたダンジョンに、いったいなんの用があるというのか。好き好んで訪れる者はいないだろう。チルルはフリッツの袖を少し引っ張ると、洞窟を指差した。なにはともあれ、彼女は一行にこの洞窟に入ってもらいたいのだということだけははっきりしている。
「そう、ここね。じゃあ行くわよ」
ルーウィンはあっさりと承諾し、チルルを連れて先陣切って洞窟の中へと乗り込んでいった。それを見届けて、ラクトスがフリッツに耳打ちした。
「…わかってるとは思うが、気をつけろよ」
「なにが?」
フリッツは首をかしげる。
「あの手癖の悪いガキだよ。ひょっとするとこの先に待ち受けてるのは、盗賊の同行者かもしれないぜ」
「ええ!」
「迷子になったふりして助けを求め、洞窟に向かわせてそこで袋叩き」
フリッツが口をぱくぱくさせているのを見て、ラクトスは笑った。
「冗談だ。あの穀潰しが反応してないから大丈夫だろ。その手の勘は良さそうだしな」
冗談に思えず、ありそうな話だなあとフリッツはため息をついた。
「こら、なにもたもたしてるのよ! 早く来なさい!」
先に行っていたルーウィンから声がかかって、フリッツとラクトスは急いだ。
洞窟に足を踏み入れ、荷物を背から降ろしカンテラを取り出そうとするフリッツを、ラクトスが手で制した。口の中で小さく呪文を唱え、杖を掲げる杖の先に灯りが点って、洞窟内を照らした。
「そうか! ラクトスがいるから、カンテラはもう不用だね!」
フリッツが嬉しそうに声を上げる。ラクトスはまんざらでもなく、にやりと笑みをこぼした。
「ふうん。あんたもたまには便利じゃない」
「お前、ひとをなんだと思ってるんだ?」
ルーウィンが水を差し、一瞬にしてラクトスの表情は引きつった。
少し先へと進むと、冷やりとした空気が漂う。灯りを持っているラクトスを先頭、次にフリッツ、チルルを挟んで最後にルーウィンという順だ。念のため警戒しながら進んでいたが、生き物の気配はまったく感じられない。
天然の洞窟だった。ガーナッシュの盗賊たちのアジトは、自然の横穴をさらに人の手で掘ったもので生活感もあったが、今回は本当の意味での自然の洞窟だ。入り口が下り坂になっており、進むに連れて下がって行く。ごろごろとした大きさの違う石や岩が足元に転がり、勾配もあるため歩きづらい。暗闇に向かって地下に進んでいくというのは、なかなか緊張するものだった。空気も地上のそれとはどこか違う。
ラクトスの杖の先の光は安定的で、気力があれば彼の意のままに操ることができた。今は四人の足元を丁度いい範囲で照らしている。
しばらく歩いて、ぽっかりと空いた空洞へとさしかかった。チルルが小さな悲鳴を上げた。フリッツとルーウィンが同時に手を伸ばし、バランスを失ったチルルの腕を捕らえる。暗闇の中で、石かなにかに足をとられてしまったようだ。
「大丈夫?」
フリッツは声をかけると、チルルは静かに頷く。ルーウィンは自然とチルルの手をとって歩いた。
「…おいおい、これはなんだよ」
ラクトスは足もとに転がる物体を軽く蹴った。おそらくそれがチルルの足元を不安定にさせたのだろう。じゃらじゃらと連鎖して音がなる。ラクトスが杖で照らし、フリッツが地面に顔を近づけた。
「うわ、物凄い数の骨だ。それも小型モンスターばっかり」
「だいぶ昔の骨ね。ここを根城にしてた雑魚モンスターよ。ほら見て。ここのところ、明らかに刃物でやられてる」
ルーウィンが骨の断面を指でなぞる。明らかに鋭利な刃物で斬られた跡であり、モンスターでは有り得なかった。
「タチの悪い冒険者に一掃されたか。運が悪かったな」
人々の生活を脅かすモンスターも、こうなってしまってはカタなしだ。フリッツはしばらくその骨の山を見つめていた。しかし、新しい骨がいくつかあることに気がつく。
つい最近捕食された?
そんな可能性が頭をよぎったが、フリッツはその考えを打ち消した。しかし不意に洞窟の奥でなにかの気配を感じた。先にあるのはぽっかりとした暗闇ばかりで、何も見えない。フリッツは恐る恐る、気配のする方へと近づいた。そして暗闇の中に蠢くものを見つけてしまった。
「う、うわああ!」
フリッツは声を上げた。
「馬! 馬! 馬食べてるみたいなモンスターが!」
わけのわからない形容だったが、今のフリッツにはそれが精一杯だった。ラクトスが即座に光を向け、暗闇の中でその生き物は不気味に浮かび上がる。
見たことのないモンスターだった。二本の足は鳥に近く三本の指の先に鋭い爪がついている。その脚にはうろこのようなものも見えた。しかし視線を上げれば、その胴体の上についているのは間違いなく馬の頭だ。
三人の気配に気がつくと、モンスターは何かを続けざまに吐き出した。一つが岩にぶつかって、ぶしゅうと煙と音を立てる。ルーウィンが叫んだ。
「避けなさいよ! 多分この感じ、溶解液だと思う」
ルーウィンが言って、一行は即座に後退する。モンスターは聞いたこともないような甲高い謎の奇声を発しながら、手足をバタバタさせた。翼のような、手羽のような部位があるのだ。二足歩行で、羽があり、頭は馬。どうみても異形のモンスターだが、どこかはりぼて的な胡散臭さがある。
しかし手ごわそうなことに変わりはなく、なによりその姿がフリッツを弱気にさせた。モンスターは続けざまに溶解液を吐き出しながらバタバタと動く。この暗く不気味な洞窟の中で、出来ることならこんなモンスターとは戦いたくないとその場に居る誰もが思った。
「気をつけろよ! 来るぞ!」
ラクトスが叫んだ。その時、モンスターが深く息を吸い込んだように思えた。するとその口から炎のようなものが飛び出してきた。溶解液の範囲よりも遠くに飛んだため、危うく火の玉に当たってしまいそうになる。一行はモンスターからまた距離を置いた。
「えっと、どうしよう。これ、倒さなきゃだめ?」
目の前のモンスターの醜悪さにフリッツは涙目になった。
「生き物としてセンスが間違ってるわね」
ルーウィンもげんなりとした様子で言う。しかしモンスターは広範囲の攻撃を仕掛けてはくるものの、モンスター自身が襲い掛かってくることはなかった。
「いや、倒す必要はないだろ」
ラクトスは自分たちの元に光の玉を一つ浮かべ、新たに杖の先に生み出した光をモンスターのほうへと飛ばした。光はモンスターを照らし出す。肝心な点は、そのモンスターは一定の距離以上動けないということである。
突然チルルが、モンスター目掛けて駆け出した。
「ちょっとチルル! 危ないよ、行っちゃだめだ!」
フリッツの制止を振り切り、チルルはそのまま走った。相変わらず暴れているモンスターを見てもびくともせず、チルルは果敢にも立ち向かっていく。
「仕方ないわね。ちゃんと照らしててよ」
言ってルーウィンが矢を番えた。するとそれを察したチルルが妨害するようにモンスターの前に立ちはだかる。
「…なるほどね、そういうことか」
ルーウィンは弓矢を下ろした。チルルは暴れているモンスターに近づき、その喉元を優しく撫でた。二三回ほどそれを繰り返すとモンスターはすっかり大人しくなった。チルルにされるがままに撫でられている。
モンスターが落ち着いたのを見計らって、フリッツたちは少しずつ近づいた。モンスターは人によって飼われているものだった。なぜならその背には鞍が載せられ、首には首輪が、そしてそこから伸びるロープは大きな岩の向こう側へと伸びている。恐ろしく不気味だと思った容姿も、正確には、馬の頭の被り物を頭に乗せられているなにか、だった。
「つまり、このモンスターみたいなのがチルルとお連れさんの奇獣ってこと?」
「こんなのに乗る人間なんて嫌よ、助けたくない」
「そうも言ってられないだろ。落石してから、けっこう経ってるんじゃないのか」
チルルはその言葉に頷き、大きな岩を指差した。岩に手を当ててどんどんと叩く動作をする。壊すか、あるいは退かすかしてほしいという意思表示だった。この向こう側に彼女の同行者が閉じ込められてしまっているとみて間違いなさそうだ。
「なかなか大きいね。これ、ぼくらの手でなんとかなるかな」
「さあね。でも、何とかするしかないでしょ」
近くにいる不気味な奇獣を気にしながらも、三人は岩を退かすという地道な力仕事にとりかかった。
岩が崩れないよう慎重に作業を進め、とうとう一番大きな岩がどかされた。真っ暗ななかで、ラクトスの光に照らされて顔を出したのはまだ年端も行かない少年だった。チルルよりは年上だが、フリッツよりは幼い。土ぼこりで顔を汚していたが、その目には光が宿っている。意外にも衰弱しきった様子はなく、三人を見るとほっとしたように微笑んだ。
フリッツが手を貸し、少年を岩の向こう側からなんとか引きずり出した。助け出された少年を見たチルルは一目散に駆け寄って抱きついた。兄妹だと、三人は一目見てわかった。なぜなら助け出したその人物は、同じように切りそろえた前髪をしていたからだ。
「おんなじね。ぱっつんだ」
ルーウィンが呟いた。チルルはしばらく少年にくっついていたが、落ち着きを取り戻すと、やはりいつものなんでもない表情で離れた。少年はしばらくチルルをなだめていたが、彼女が離れると三人に向き直った。
「助けていただいて、ありがとうございました。ぼくはミチルといいます」
兄らしき少年は深々とお辞儀をした。名前が似ているので、うっかりすると間違えそうだなとフリッツは思った。
「ちょっとガセネタ掴まされちゃって。入ったはいいんですけど、岩が崩れてきちゃって出るに出られなかったんです」
「無事でなによりだな。ほかに同行者は?」
ラクトスが尋ねると、ミチルはけろっとした顔で答えた。
「いませんよ。ぼくとチルル、パタ坊の三人旅ですから」
どうやらその得体の知れないモンスターはパタ坊という名前らしかった。子供二人と謎の奇獣との旅と聞いて、ラクトスは眉根を寄せる。
「嘘吐け。お前らみたいなガキだけで旅なんてできるはずないだろ」
「だめですよ、人を見た目で判断するのは。逆に図体大きくても中身が子供な人間なんて、世の中腐るほどいますよ」
今さっきまで真っ暗な密閉された空間でじっと耐え忍んでいた子供とは思えない口ぶりだった。最近の子供はみんなこんなに強いのかと、フリッツは唸る。不毛なやりとりを見かねたルーウィンが声を上げた。
「とりあえず、ここから出るわよ。こんな真っ暗なところはうんざりだわ。小腹もすいたし」
「同感です。ぼくも早く日の元に出て腹ごしらえがしたいですしね」
皆の意見がまとまって、一行は洞窟を後にした。
一行は洞窟を抜け、宿屋を行き過ぎ、街道まで来ていた。フリッツたちの持っていた干し肉やパンなどの携帯食料で腹を満たしたミチルは、再び三人に向かって深々とお辞儀をした。
ミチルの体力回復のため、しばらくはフリッツたちが昨晩泊まった宿に世話になるということだった。ルーウィンが次の街まで同行することを提案したが、ミチルは自分たちのせいで旅を遅らせるわけにはいかないと、丁寧にその申し出を断った。今までも二人と一匹で旅をしていたので、今回のようなことがなければ大丈夫、しばらく無理はしないということでルーウィンも納得した。
「では、ぼくらはこれで。このご恩はいつか必ずお返しします」
「うん、気をつけてね」
「もうこんなことはないようにしなさいよ。チルルが心配するから」
ミチルはにこっと笑った。
「ごもっともですね。以後気をつけます」
光の元で見るパタ坊は洞窟の中で見るよりかなりまともな生き物に見えた。しかし、家畜というよりはやはりモンスター寄りな外見をしている。ミチルはどうしても馬に見せたいようだが、それには無理があるだろう。フリッツは思い切って尋ねた。
「ねえ、ミチル。聞きたいんだけど、パタ坊って」
「馬です。どこからどう見ても」
間髪いれず即答された。しかしフリッツには珍しく粘る。どうしても納得がいかない。
「本当に?」
「やだなあフリッツさん。ここでぼくが嘘をついて何か得になることあります?」
そう言い切られてしまってはなにも言えなかった。ルーウィンとラクトスもこっそり気になってはいるようだが、どちらも深く切り込もうとはしなかったので、フリッツは大人しく引き下がった。
「みなさん、冒険者ですよね。ぼくらも旅をしているので、北上していればまたいつかお会いできると思います。そのときは便利なアイテムも揃えさせていただきますので、またご利用ください。あっ、こう見えてぼくら行商人なんです」
「お前らが商人? その歳でか? 胡散臭せえ」
ラクトスは遠慮なく言った。
「そんなことないですよ。いたいけな子供に向かってあんまりですね」
さして傷ついてもいない様子でミチルは答えた。
「本当にありがとうございました。またどこかでご一緒できるといいですね」
そう言ってミチルは意味深な笑みを浮かべた。フリッツはそれには気がつかず、右手を差し出す。
「じゃあ、気をつけてね」
「はい、皆さんも」
フリッツ一行とミチルとチルルは街道の前で別れ、ミチルたちはフリッツらをしばらく見送った。フリッツたちがしばらく歩いて遠ざかった頃、ミチルはチルルに話しかけた。
「あの人たちの人となりを見るために、一拍置いたんだよね。わかってる、こうして生きていたから怒らないよ。でも欲を言えば、やっぱりもう少し早めに助けて欲しかったかなあ」
チルルは兄を見上げた。ミチルは笑う。
「チルルの見立ても良くなってきたね。それにあの剣はなかなか興味深い。思わず手に取りたくなっちゃうのも解るよ」
道の向こうでフリッツたちが小さくなっていく。フリッツがこちらを振り返って手を振った。ミチルとチルルはそれに気づいてにこやかに手を振り返す。
「いいカモ見つけてきたね、チルル」
ミチルが呟くと、チルルは頬をふくらませて兄をぽかぽか叩き始めた。
「うわ、ごめんごめん。なんだい、めずらしくあの人たちが気に入ったの?」
チルルは静かに首を縦に振った。それを見てミチルは嬉しそうに笑った。そして二人でパタ坊に飛び乗った。
ミチルとチルルとパタ坊に手を振りながら、フリッツは後ろを振り返りながら歩いていた。しばらくして見えなくなったので、体を正面に戻した。
「最近の子供はしたたかだね」
「まったくだな」
ラクトスは答えた。
フリッツは隣で黙々と歩くルーウィンを見た。
「ねえ、ルーウィン。今回珍しくチルルに優しかったのって」
チルルの置かれていた状況は、今現在のルーウィンのそれと似ていた。
保護者でもある連れの不在。
もちろんルーウィンはダンテと離れているから不安だとか寂しいなんてことは口にも出さない。それでも彼のことを話すとき、ルーウィンはいつもとどこか調子が違う。寄り道を嫌がって毎日少しでも多く進もうとするのも、ダンテに会いたい一心なのだろう。
「なによ?」
ルーウィンが振り返った。
「なんでもないよ」
やっぱりこのことはあえて言わないでおこうと、フリッツはその考えを胸の奥にしまった。口に出したところで彼女から素直な返事は返ってこないし、なにより自分が殴られて痛い目をみるだけだ。ルーウィンは眉根を寄せた。
「なんにもないなら呼ぶな。それよりさ、あれって本当に馬だと思う?」
「いや、馬じゃねえだろ。多分」
「だよねえ」
ラクトスが即答し、フリッツも同意する。パタ坊が本当は何者なのか、あの兄妹はほんとうに二人きりで旅をしているのか、そしてなぜチルルがフリッツの剣に手を伸ばしたのか。謎が謎を呼ぶ、なんともすっきりしない二人と一匹だった。
「いらん道草くっちまったな。なんだったんだ、あいつら」
はっきりとしているのは、三人は少しの間ここに足止めされ、道草を食ってしまったということだ。
「さ、遅れた分とりかえすわよ。ほら、進んだ進んだ」
ルーウィンが急かして、三人は歩き出す。林の中の街道はまっすぐに伸びている。
次に目指すは女神の街、パーリアだ。
【2.5章 旅するきょうだい】