小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第四話 老師マルクスの修練所】

 林道を抜け、視界が開ける。次第に木々の数も減り、地面にへばりつくように雑草が生えていた。フリッツが日々の通行によって築き上げた小さな道を、二人は黙々と歩く。進むに連れ地面がだんだんと固くなり、大きな岩が増えてきた。

「どうしてこんなところに修練所なんて」

 ぶつぶつと文句を言うルーウィンに、フリッツが答える。

「北寄りの方が門下生は集まりやすいだろうけどね。師匠は嫌なんだって。なんでも昔、知り合いの修練所がモンスターに奇襲されたらしいよ。そういう事態だけは避けたいんだって」
「そんなこと聞いてないわよ」

 どうやら先ほどの一件で、すっかりルーウィンは機嫌を損ねてしまったようだ。すっかり嫌われたことを情けなく思いながら、それでもフリッツは道案内をしないわけにはいかなかった。

「着いたよ。ここがぼくの修練所」

 フリッツが案内したのは、天を目指してそそり立つ断崖が巨人の手によって抉られたような場所だった。洞穴ではなく、岩の屋根に覆われているようなところにフリッツの修練所はあった。風が通り抜け、向こうに広がる白い山脈が見える。はるか下には緑の波打つ大草原が広がっている。フランの牧場である囲いの中に、家畜たちが動いているのが点のように見えた。

 ルーウィンは我知らず、その光景にしばらく見入った。それを見てフリッツは誇らしげに笑った。ここから見えるちょっとした景色は自慢だった。しかし訪れる人がないために、誰にも披露することが出来なかったのだ。岩壁に大きく繰りぬかれた半円形の空間には、フランの村よりもずっと質素な造りの小屋が一つと、ちょっとした畑がある。腰を曲げ、鍬を振り上げ畑を耕す老人がフリッツに向かって手を振った。

 背は歳のわりに高い方だが、その容姿は老人そのものだ。白い髪は短くこざっぱりと整えられているが、目に付くのは長い髭だった。口髭やら顎鬚やらを雪崩のごとく垂らしている。眉も同じように伸ばされており、その目はすっぽりと隠れてしまっている。初対面の相手になら、ただ人ならぬ世捨て人といった印象を与えるだろう。

「あんたって、魔法使いの弟子だっけ?」

 ルーウィンのその言葉に、フリッツは苦笑する。

「ただいま、師匠」

 老人は顔を上げ、首にかけている布で顔の汗をふいた。ルーウィンの姿を見て、おやと声をあげる。

「珍しいな。客かねフリッツ?」
「うん、こちらはルーウィン。ちょっとわけありで追われてて。しばらくかくまってもいいですか」
「もちろんじゃ。どうせここには誰も来んしの。お嬢さん、あんたが久しぶりの客じゃ」

 老人はルーウィンにしわだらけの笑みを向けた。そして鍬をその場に置き、粗末な小屋の中へと入っていった。フリッツとルーウィンもそれに続いた。




 フリッツは修練所という名の掘っ立て小屋にルーウィンを案内した。中はがらんとしており、隅の方に質素な造りの剣がいくつか立ててあった。それらのほとんどはフリッツが持っていたような木製の物であり、朝早く起きてこれを磨き上げるのがフリッツの日課だ。質素ながらもガラス窓はあり、今朝もフリッツによってぴかぴかに磨き上げられている。床にはチリ一つなく、これもフリッツの日課のうちである。師匠が人差し指で窓枠をなぞった。

「よしフリッツ。今日もぴかぴかじゃな、合格」
「ありがとうございます。これ、おつかいで頼まれていた剣です」
「ふむ、ご苦労じゃったな」

 フリッツは師匠に剣の包みを渡した。師匠が床に腰を落ち着け、フリッツとルーウィンもそれに倣う。師匠が背にする壁には、「柔よく剛を制す、これアーノルド流派最大の心得なり」と達筆に書かれたものが立ててある。

「さて、自己紹介といこうかね。わしはマルクスじゃ」
「あたしはルーウィン」
「どうも。それで、なんでこんな辺鄙なところに逃げおおせるはめになったのじゃ?」

 その問いにルーウィンは声を尖らせた。

「それはあなたの弟子が、あたしの邪魔をしてきたからよ」

 横に座っているルーウィンから刺々しい視線が送られているが、フリッツはそれには気がつかない振りをした。少し話の方向を変えようと思って、フリッツはわざとらしく声音を明るくする。

「師匠、ルーウィンって凄いんだ。あのギルド潰しのダンテたちを追い払ったんだよ!」

 それを聞いたルーウィンは呆れた顔をした。

「ばかねえ、あいつらニセモノよ。本物は別にいるわ」
「えっ、そうなの?」

 ルーウィンにあっさり言われてしまい、フリッツは話の骨を折られてしまった。

「だいたいこんなド田舎のギルド潰したって何の特にもならないじゃない。あいつらはあの村にいたあたしをおびき出したいがために、わざわざあのギルドにちょっかい出したのよ」

 ダンテの一味なのかとならず者たちに訊ねたとき、だから顔を見合わせて笑っていたのだと、フリッツは納得する。フリッツとルーウィンのやりとりを見ていたマルクスは口を開いた。

「またどうして、こんないたいけな少女を追っかける輩がいるもんかね」
「あら、一人でいる女の子が目を付けられることなんて、よくあることじゃない? バカじゃなかったら普通そうするわよ、特に追いはぎなんかするときにはね」
「ではどうして、このご時勢におなごが一人で旅なんかしておるのか聞きたいところだが」

 ルーウィンは口をつぐんだ。うまい嘘がすぐに思いつかなかったのか、それとも単に言いたくないのだろうか。確かにフリッツも、なぜルーウィンが一人で旅をしているのか気になるところではあったが、黙り込んだ様子を見ると無理に聞き出したいとは思えなかった。

「…まあそれは事情もあろうしな。またの機会にするわい。ところで」

 マルクスの顔に一層しわが寄る。フリッツには、それがなにか考え事をしている時の癖だとすぐにわかった。マルクスは白い髭の下に隠れた口をゆっくりと開く。

「ファイアテイル、じゃな」

 それを聞いた途端、心なしかフリッツにはルーウィンの表情が一瞬引きつったように見えた。マルクスは続ける。

「鏃に調合した火薬を仕込み、摩擦熱で発火させる。それは奴が編み出したオリジナルのはず。そうじゃないかね」

 その言葉は問いかけではなく、確認に近かった。ルーウィンは素早く腰を浮かせ、警戒態勢に入った。フリッツにはなんのことだか見当もつかなかった。ただ突然二人の間にピリピリと緊張した空気が流れるのはわかる。フリッツはルーウィンとマルクスの顔を交互に見比べ、おかしな冷や汗をかいた。
少しして、マルクスが表情を崩した。

「安心せい。やつとは顔見知り程度じゃ。因縁などないよ」
「本当に? その証拠は」

 ルーウィンの警戒はまだ解けてはいない。おそらく、ポケットに潜ませた武器に手を伸ばそうとしているはずだ。フリッツはおろおろとその場を見守るしかなかった。

「因縁があったなら、お前さんの姿が目に入った時点でなんとかしておる」
「なんとかできるの?」
「…年寄りをなめるでないぞ、お嬢ちゃん」

 ルーウィンは深く息を吐き、ポケットに伸ばしかけていた手を頭の横でひらひらさせた。ルーウィンが警戒態勢を解いたことで、フリッツは胸を撫で下ろす。

「その小型ナイフ、一応預かっておこうかね。お嬢さんがポケットに忍ばせるには、ちと過激な物じゃないかね?」
「いやよ」

 ルーウィンは即答した。

「ふぉっふぉっふぉ! なかなか手強い嬢ちゃんに引っかかったなあ、フリッツ」

 マルクスは楽しそうに笑い声を立てた。

「引っかかるだなんて。ぼくはただルーウィンが行き倒れになっているのを見つけてしまっただけです」

 フリッツはやや不満そうに言葉を漏らす。

「ルーウィン。お前さん、うちのフリッツを見つけたのは運がよかったのう。見ればわかる通り、こいつは気弱で押しに弱い」

 それを聞いて、フリッツの眉は八の字に垂れ下がる。

「運がよかったんじゃない。あたしが目をつけたの、実力だわ」
「ふぉっふぉっふぉ!」

 強気なルーウィンの発言に、マルクスはさらに愉快そうに笑った。フリッツはなにか言いたそうな視線をルーウィンに向けたが、「なによ、文句ある?」の一言であしらわれてしまった。マルクスは楽しげに頷く。こんなに面白そうな表情を浮かべるマルクスを、フリッツは久々に見た。マルクスは白く雪崩落ちている髭をいじりながら目を細めた。

「それよりフリッツ、茶を出せ。この道場では茶も出ないのかと思われてはいやだからな」
「あ、すみません。すぐに」

 フリッツは立ちあがり、奥の小さな炊事場へと引っ込んだ。朝一番に漬けた薬草と茶葉からは、いい具合に色が染み出している。二つのカップにそれを注いだ。フリッツが細々とした用事をしている間にも、マルクスとルーウィンはなにやら話し込んでいる様子だった。聞き耳を立てるのはよくないとわかっていたから敢えてしなかったが、どうやらその声の調子からして深刻そうな様子である。薄っぺらい板で仕切られた部屋に、二人の会話がもれ聞こえた。

「…ですから、北へ向かおうと思うんです。幸い、あたしは多少腕に覚えもありますし」
「じゃが、それも南での話だ」
「そうですけど。あ、悪いわね」

 フリッツが出て行き茶を出して、二人はそれぞれお茶に口をつける。フリッツが入ってきたことで、話は一旦中断した。水を差してしまったようなので、フリッツは早々と外に出て洗濯物を取りこんだ。初対面の師匠とルーウィンがいったいどんな話をしているんだろうと、考え出したら気になって仕方がなくなってしまった。師匠はどうやらルーウィンの知り合いと面識があるらしい。
 『やつ』とはいったい誰のことだろう? ルーウィンはどうして一人で旅をしているんだろう? 
 次々と洗濯物を取り込みながら、フリッツはぐるぐると考えていた。そっと修練所の扉に近づき、聞き耳を立てようとした、その時。

「フリッツ」
「はいっ!」

 不意に中から師匠に呼ばれて、フリッツは態勢を整え勢いよく戸を開けた。

「お前、ここから東北にあるガーナッシュを知っておるな」

 フリッツは問われるままに答える。

「街道沿いにある街ですね。知ってますよ」
「お前明日からそこへ向かえ」

 フリッツはぽろりと洗濯物を取り落としてしまった。

「冗談止めてください! あんなとこまで一人で行ったら」
「一人じゃないぞ。ルーウィンも一緒じゃ」

 マルクスはなんでもないように言った。

「お前がさっき持って帰ってきてくれたそれじゃがな、長い年月を経てえらくなまくらになってしまった。ガーナッシュに腕のいい鍛冶屋がいるから、鍛えなおしてもらってこい。以上」
「そんなあ。どうしてそんな話の運びになるんです?」

 フリッツは恨みがましくマルクスを見返した。

「なまくらなんか持っておってもただの粗大ごみじゃわい。鍛え直してもらってこい。これも修行のうちじゃ」

 こう言い出したらマルクスは引かないことをフリッツは嫌と言うほど知っていた。

「…この頑固じじい」
「ひ弱のひよっこめ」

 フリッツは大きくため息をつき肩を落とす。

「わかりましたよ。行けばいいんでしょ」

 もう後には引けなくなったフリッツを見て、マルクスは上機嫌になった。

「大丈夫、明るいうちに行けば何とかなるじゃろう。ついでに久々の里帰りでもしてみたらどうじゃ。アーサーはまだおるかな? 会ったらよろしく伝えてくれ」

 マルクスはルーウィンに向き直った。

「そういうわけだから、気休めにフリッツを供に連れて行くがいい。ガーナッシュまでの道中、心が変わらなければ手紙を寄越せ。知り合いの魔法修練所に問い合わせて、物好きを探してみよう。おぬしの場合はギルドを頼れないことも考えておけ。敵が多いこともな」

 マルクスの言葉に、ルーウィンは頷いた。





 フリッツは屋外で素振りをしていた。世界は空色や藍色のグラデーションに満たされ、ほっそりとした三日月が白く輝いている。フリッツは柄を握り締め、上から下へ振り下ろす。何度か続けた後、練習用の案山子相手に打ちこみをする。精神を集中させ、全身全霊で一打ち。また一打ち。その繰り返しだ。

 いつもならば、この時間になればすべての鍛錬をこなせているはずだったのだが、今日はそうはいかなかった。ルーウィンがやってきたところまではいい。予定がずれだしたのはその後で、フリッツは今までえんえんと皿洗いを続けていたのだ。
 どうやら昼に見た彼女の驚くほどの食欲は行き倒れのためだけではなく、元々よく食べる子だということが発覚した。おかげで保存していた食料はすべてからになってしまった。使いの旅から帰ったら、また保存食を作らなくてはならない。

 やっと半分まで終わったところで、フリッツは岩壁にもたれかけているルーウィンに気がついた。

「ふぅん。基礎はちゃんと出来てるんじゃない」
「わかるの?」

 ひとまず木刀を下ろし、首にかけたタオルで汗を拭いながらフリッツは訊ねる。

「ちょっとくらいはね。かじったこともあったし。でもわたしは弓が性にあってたから、やめたんだけど」

 ルーウィンはフリッツに近づいた。

「どうしてあのとき、剣を抜かなかったの?」

 それは至極当然な問いだった。剣を鞘から抜きもせず持っているだけの剣士が、この世界のどこにいようか。しかし残念ながら、ここに一人いる。フリッツは視線を落とした。

「斬りたくなかったんだ、ひとを」

 それを聞いて、ルーウィンは呆れたような顔をした。

「師匠からは甘いって言われる。でも命は奪っちゃいけない、どんな理由があっても。いつか大切な何かを守る為に、剣を抜いて戦わなくちゃならないかも知れない。そんな日が来なければいいと思ってるよ」
「ふぅん」

 そう呟いたルーウィンの声音は少し冷たかったように思えた。

「マルクス師に会えてよかった。いろいろとアドバイスしてもらえたし。正直ここまで来るの、ちょっときつかったのよ」
「でもいるんでしょ? 一緒にパーティを組んでた人が。師匠の言ってる『やつ』ってその連れの人のことだよね?」
「ちょっと前はね。あたしがドジって、はぐれちゃって」

 ルーウィンは目を伏せた。ルーウィンも失敗するんだ、とフリッツは漠然と思った。なんだか少し辛そうな様子だったので、フリッツは話題を変えようとした。

「そうだ。こんなところになにしにきたの?」
「なに、って」

 ルーウィンは顎を使って示した。その先にあるのは小さな滝で、水を汲んだり洗濯をしたり水浴びをしたりと大変便利なものだった。先ほどまでそこで山積みにした皿を中腰姿勢で洗い続けていたフリッツは、かなり腰にきていた。その後に続く小さな流れは大股一歩ほどで、崖に飲まれて宙で消えるのだ。
 よく見てみれば、ルーウィンは何かを持っているようだった。暗がりでわからなかったのだ。彼女は浅い円柱状のもののなかに、布かなにかが入ったものを持っている。

「気が利かないわね。考えてみなさいよ」

 フリッツは考えた。ルーウィンは滝に用事があるのだろうか。フリッツはもう一度思考を巡らせる。水汲み、洗濯。それともう一つ。

「ほら」

 ルーウィンに手荷物を突き付けられて、フリッツはやっと理解した。そこにあるのは桶と、タオル。

「あっ、そういうことか」
「わかったらとっとと立ち退く!」

 背中を押されて、フリッツは渋々練習を断念せざるを得なかった。

「足が重いわね。なによ、そんなに見たいの」
「そんなんじゃないよ! 練習が途中だって知ってるくせに。もう、いいよ。わかったよ、退けばいいんでしょ!」

 フリッツは肩を怒らせてその場を立ち去った。からかわれたり困ったりで、すべての鍛錬をこなしていないのにも関わらずいつもよりどっと疲れた。

「意地悪だなあ」

 それにしてもルーウィンは怒ったり笑ったり忙しい子だった。気性が激しく、良く言えば気持ちを素直に表に出す人間だ。悪い子ではないのだろうが、ガーナッシュまでの道中ずっと一緒にいなければならないのが少し思いやられた。

 フリッツよりもはるかに実戦経験は豊かな彼女の旅に自分が同行することで、彼女になにかメリットはあるのだろうかと、フリッツは考えた。フリッツは役に立つ自信はなかったが、役に立てたらいいなあ、とは思った。




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