小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第3章】

【第七話 潜入】

 フリッツとルーウィンは、結局その夜は教皇の休んでいる小屋で一晩を明かした。
 翌朝最も近い場所から行動でき、街の宿屋から朝一番で大聖堂に向かうところを見咎められることもない。敵の懐のなかで休むというのは危険な賭けではあったが、夜になって僧兵が小屋に鍵をかけに一度立ち寄っただけで、それ以降は見回りもなかった。ベッドは教皇が使っているものを入れて四つあったので、いくらでもその下に隠れてやりすごすことができた。
 なによりフリッツが教皇の容態を酷く気にしていて、小屋を離れたくなかったのだ。聖水を飲ませた後、教皇は相変わらずそのまま眠り続けていたが、その寝息は健やかだった。

 朝になり、二人は準備を整えた。法衣に身を包み、どこからどう見ても立派な僧兵だった。あまりにも不審な行動をしたり、余計に話してボロがでるようなことがなければ、一目で偽者だと見抜かれるようなことはないはずだ。
 再度教皇の様子を見、その容態が安定していたのでフリッツはほっとした。そして見張りが小屋の鍵を開けに来る前に、二人は窓からそっと出て行った。
 
 二人は大胆にも、堂々と大聖堂から教会内部に侵入することにした。変に裏からこそこそと入れば、それこそ見つかったときに言い訳が出来ないという判断からだ。
 しかし法衣に身を包んだルーウィンが、僧兵とすれ違うと「ご苦労様ー」「お前もな」というやりとりをするので、フリッツには気が気でなかった。

「もっと胸はりなさいよ。大丈夫、ばれやしないって」
「そんなこと言われても」

 確かにルーウィンは堂々としていて、いったいわたしのどこが不審なの? と言わんばかりだ。フリッツはなんとかそれを真似ようと試みたが、逆に手足が同時に出てしまい余計に怪しくなったので、ルーウィンも諦めて無理強いはしなくなった。
 大聖堂横の儀式の会場づくりは着々と進んでいた。舞台上のブルーアの歩くであろう場所には赤い絨毯がひかれている。あと数時間すれば、ここで儀式が執り行われてしまう。その前になんとしてでもルダを連れ戻さなければならない。
 
 大聖堂を通り過ぎ、二人は教会関係者しか入ることを許されない区域へと足を踏み入れた。ここまでくると信者や観光客の立ち入りがないため人もまばらであり、すれ違うのは皆僧兵か神官であった。

「うんうん、ここまでは順調ね」
「ルーウィンのその自信はどこから湧いてくるの?」

 ルーウィンは上機嫌で奥へと進む。フリッツは見つかったらという心配で先ほどから胃がきりきりしていた。なんだかお腹が痛くなってきたような気がしたが、あくまで気のせいということにしておいた。

「さて、そろそろじゃない。いい? 胸張って行くのよ」

 中庭を抜け、二人は教会の最深部へと来ていた。ここまでもいくつかの部屋や施設を通り抜けてきたが、儀式が迫っていることもあり、皆あわただしく動き回っていた。そのお陰もあり、ずんずん進むルーウィンとフリッツは、誰にも見咎められることがなかったのだ。
 しかしこの辺りまで奥まると、辺りにいる僧兵は動き回らず、槍を持って見張りをしている者が多い。おそらくはこの辺りに、捕らえられた者が掴っている場所や、パーリア教の重要物が管理されているとみて間違いない。しかしそうなると、ルーウィンとフリッツの動きも目立ってしまう。
 さて、どうやって潜入しようとルーウィンが考えていると、おもむろにフリッツはその場にしゃがみ込んだ。

「ちょっと待って、靴紐がゆるんで」
「もう、なにしてるのよ」

 フリッツは中庭の通路から少しはずれ、植え込みのほうによってブーツの紐を直した。
 ルーウィンがまったく、と呟いていると前から僧兵がやってきた。

「待て。ここから先は合言葉だ」
「はあ?」

 思わずルーウィンは不満そうな声を上げた。フリッツはそのやりとりに気がつかず、いそいそとブーツの紐を直している。ルーウィンはさりげなく視線を走らせ、フリッツの様子を視界の端に捉えて確認した。
 見張りの僧兵は続けて言った。

「お前新入りのくせに態度悪いなあ。まあ、今日は儀式の日だからな、ブルーア様に免じて多めに見てやる。さあ、いくぞ。赤、青、緑」
「は?」

 ルーウィンは怪訝な顔をして再び声を上げる。その声にルーウィンの明らかな不満を感じ取って、僧兵もカチンときたようだ。

「赤、青、緑。対応する言葉があるだろ。忘れたのか?」

 ルーウィンは内心舌打ちをした。法衣の替えを見つけたことで突破口が開け満足し、そういう場面でふるいをかけられることまで予想していなかった。否、していないわけではなかった。楽観的に物事を考え、油断していたのだ。しかし合言葉を探る時間などなかったのも事実だ。ルーウィンは素直に自分の過ちを認めた。そして気を取り直して考え始める。

 たしか大聖堂で、女の子が、ルダが言っていた。ステンドグラスの意匠にもなり、パーリアのシンボルカラーがその三色だ。赤はなんだったか、たしか「愛」だ。
 青は「冷静」? いや、違う。パーリアは勝利の女神だ、そこに関連があったはずだとルーウィンは考える。そうだ、「勇気」だと見当が付いた。
 最後の緑はなんだ、「優しさ」か? いや違う、なんだったか。

「どうした。答えなければ、ここは通せないぞ」

 ルーウィンは覚悟を決めて口を開いた。

「赤は愛、青は勇気、緑は希望」
「本当に、それでいいんだな?」

 ルーウィンは迷った。このダメ押しの真意はなんなのか。本当に間違っているのか、あるいは正しいのか。しかしルーウィンに思い当たる答えはこれしかなかった。それにここで別の答えを口にしたところで、一発で正しい答えを導けなかった者は不審者とみなされるだろう。ルーウィンは頷いた。
 それを見た僧兵は、にやりと嗤った。

「違うな。お前は、侵入者だ」

 僧兵が首からかけていた警笛をピピーっとならすと、たちまち数人の仲間が奥から現れた。思っていたより数が多い。ルーウィンは、今度は実際に大きく舌打ちをした。

「よし、できたっと」

 フリッツが紐を結びなおし、顔を上げるとルーウィンはいつの間にか僧兵に取り囲まれていた。フリッツは思わず表情を強張らせる。フリッツには何が起こったのかわからなかった。ルーウィンはたいした抵抗も見せず、さっさと縄をかけられて連れて行かれてしまった。

「え? え? なに?」

 フリッツはとっさに身を隠した。幸い、僧兵たちはフリッツには気がついていない。

(落ち着け、とにかく落ち着くんだ)

 フリッツは茂みに隠れたまま、飛び出してしまいそうな心臓を押さえた。
 自分は靴紐を結び直していた。顔を上げたらルーウィンが掴っていた。やっぱりその間、何が起こったかはわからない。
 ただ事実として、ルーウィンは掴ってしまった。これからだというときに、こんなにもあっさりと。

(でもあの一団をこっそり追っていったら、ルダが捉えられているところに向かうかもしれない!)

 必ずしも同じ場所に捕えられるとは限らないが、ルーウィンまで掴ってしまった以上、フリッツにできるのはそれくらいだった。意を決し、よし、ルーウィンを追おうと茂みから立ち上がる。そして駆け出した瞬間、フリッツは別の僧兵に声をかけられた。

「おい、そこのお前。うろうろして、ひょっとして暇なのか」

 フリッツの心臓は跳ね上がった。バクバク言う胸を押さえて、フリッツは後ろを振り返った。僧兵だ。ついに自分も見咎められてしまったのだ。

「こんなところに用もなくいるってことは、もしかしたらお前…」

 これは確実に疑われている! フリッツの頭はぐるぐると回りだした。
 どうする、今ならまだ一人だ。木刀で気絶させるという選択肢が浮かんだ。しかしフリッツはルーウィンのように、鳩尾への一撃や首下への手刀で、相手を一瞬で気絶させるような芸当を持ち合わせてはいない。木刀で殴り続けて気絶させるというのは、そうとう残酷なことになってしまう。
 しかし、このまま捕まるわけにはいかない。逃げるか? でも相手の方に地の利がある以上、すぐに掴ってしまうだろう。フリッツは首筋に大量の汗をかいていた。
 僧兵は口を開いた。

「ティアラ様のファンか?」

 フリッツはその言葉に耳を疑った。

「安心しろ、ブルーア派でも彼女の隠れファンは何人かいる。塔のてっぺんにいて、滅多にあの可憐な姿を拝めないっていうのがまたそそるよなあ」
「そ、そう! ぼくティアラ様の大ファンなんです! この塔にいらっしゃるって聞いて、じっとしていられなくて」

 フリッツの声は裏返ったが、とりあえず会話に合わせようと思った。
 僧兵の言う「こんなところ」とは、大聖堂の一番突き当たり、最も奥まった五つ目の塔の入り口前であった。塔の一つ目から四つ目までは内部の繋がった空間で大聖堂そのものであるが、五つ目の塔だけは中も分かたれており、外側から遠回りして入るより他なかった。教会の最深部で、フリッツのいたちょうどその場所が、五番目の塔への入り口へと続く通路に近い場所だったのだ。

「そうかそうか。じゃあお前、一つ頼まれてくれないか。この食事を、上にいるティアラ様に届けてくれ」

 そう言って僧兵は唖然としているフリッツに持っていた盆を渡した。そこにはパンや質素なスープなどの食事が載せられている。

「彼女の部屋はこの塔の最上階だ。五階分、いや七階分はあるかな。とにもかくにも螺旋階段が長くて、おれにはとてもじゃないが務まらない。これもそれも、お付の尼が逃げ出したせいなんだがな。なにも今逃げなくても、ブルーア様が教皇になればどっちみち処分は免れないってのに」
「処分? お付の人は、逃げる前に何か悪いことでも?」

 ルダのことだ、と反射的に思ってフリッツは尋ねた。僧兵は首を横に振る。

「いや、なんにも。前教皇率いる保守派はブルーア様の目の上のたんこぶだからな。いられるだけで目障りなんだろうよ。なんだお前、新入りか」

 フリッツは盆を持ったまま頭を深く下げた。表情を見られるわけにはいかなかったのだ。
 ルーウィンを追うことはできなかったが、このまま上手くいけば教皇の娘、ティアラを助け出すことができるかもしれない。フリッツの胸に一気に希望が湧き上がった。

「ありがとうございます。あなたに、なにかいいことがありますように」
「ああ、お前もブルーア様の眼鏡にかなうといいな」

 ブルーア派の僧兵は言うことが一味違った。

 ルダのことも、ルーウィンのことも心配だった。だがしかし、今は目の前に転がってきたチャンスをものにしなければ。ティアラを連れ出さなければ彼女は儀式の生贄となってしまうし、儀式も成功してしまう。なんとしてでも、上手くやらなければ。
 舞い込んできた幸運に顔を上気させ、しかし同時に自分がやり遂げなければという緊張で、フリッツはふらふらと塔を昇り始めた。






 フリッツは螺旋階段を上った。塔の中は、しんと静まり返っていて薄暗い。
 変わらない景色を歩き続けていると、自分は繰り返しに囚われているのではないかという錯覚に囚われた。ひたすら石で出来た階段が続くばかりで、先が見えないのだ。時折明り取りの窓があり、そこから外を見下ろすことで、自分は少しずつ高いところへ登ってきているのだという認識が出来た。これは先ほどの僧兵が嫌がるのも無理はない道のりだった。

 教皇の娘のための食事を盆に載せ、最初はスープがこぼれてしまわないよう慎重に運んでいたが、そんなことでは間に合わなくなってしまう。フリッツは少しペースを上げて昇った。フリッツは早朝の鍛錬をかかさず、運動は得意ではないが体力がないというわけではなかった。しかしさすがにふくらはぎに疲れが溜まってきているのがわかる。変わらない螺旋階段の景色が、余計に疲労を感じさせるのかもしれなかった。

 やっとのことで最上階にたどり着いた。しかし部屋の前にはまたしても僧兵が一人立っていた。

「なんだお前は。昨日きたやつと違うな」
「体調を崩したので、代わりにぼくが持ってきました」

 僧兵はフリッツを上から下まで眺めた。フリッツは顔に作った笑みを貼り付けた。明らかに怪しいと警戒されている。

「合言葉は? 赤、青、緑」

 フリッツは黙った。ここにきて、合言葉があるとは。教皇の娘はこんなに、目と鼻の先だというのに。頭が真っ白になった。

「どうした、早くしろ」

 僧兵が急かす。この街に来てから、その三色に通じるものをフリッツは一つしか知らなかった。連想した言葉を、つまりはパーリアの象徴を気づけばそのまま口に出していた。

「愛、勇気、希望、です」

 僧兵は目を見開いた。フリッツは緊張のあまりそれに気がつかない。
 僧兵は続けた。

「…それらをぐるっと囲んでいる白い円は?」
「パーリア様の、み、御心?」

 フリッツはおどおどしているのを極力隠そうとしたが、それが叶ったかどうかはわからなかった。僧兵はしばらく考えているようだ。
 フリッツは気が気ではなかった。合言葉が合っていれば、すぐに通してくれるはずだ。だが違うといって追い返しもせず、どうしてこの僧兵は黙っているのだろう。

「いいだろう、入れ」

 僧兵は扉にかかっている重そうな錠前を外した。フリッツは僧兵の前にいるにも関わらず、安堵の息を吐いて部屋の中へと入った。






 そこは白い空間だった。
 突然の明るさに、フリッツは思わず目を細める。塔の中の部屋だと明らかに分かる造りをしている、円柱の部屋だった。円を描いて婉曲する白い壁には作り付けの本棚があり、そこには膨大な数の本が並べられている。そして上を見上げれば丸く切り取られた天窓があり、十字の格子戸がはめられていた。高い高い壁。高さは建物三階分ほどあり、天窓からは朝の日差しがさんさんと降り注いでいた。

 その部屋の真ん中、絨毯の上にぽつりと少女が座っていた。部屋と同じ白い法衣に身を包んでいるので、最初は部屋の景色に溶け込んでわからなかったほどだ。
 しかし、おそらく彼女が捕らえられているという教皇の娘で間違いない。少女のほうはフリッツが入ってきたことにすぐ気がついたらしく、驚いた顔でフリッツを見た。

「あなたは…? 食事を持ってこられた昨日の方とは違いますね」
「あなたはティアラさん、ですね」
「…そう、です。あなたは?」

 ティアラと思しき少女は歯切れ悪く答えた。しかし、フリッツに対して警戒しているのがわかる。

「大事なお話があります。ルダが掴りました」

 少女は息を呑んだ。動揺し、大きく後ずさりをした少女を見て、フリッツはあわてて弁解しようとした。

「お前、やはり曲者か!」

 扉の前にいた僧兵が部屋に入ってきた。扉の隙間からこちらの様子を窺っていたのだ。こうなれば強行突破だとフリッツは腹を決め、ティアラに言った。

「怪しい者じゃないんです! ティアラさん、今すぐここを出ましょう」

 フリッツはティアラの腕を掴み、そのまま連れ出そうとした。しかしティアラは、逆にフリッツの腕を取り、出て行こうとするフリッツを静止させた。焦ってフリッツが振り返ると、ティアラはゆっくりと首を横に振った。

「待ってください。お話したいことがあります」

 その様子があまりにも切実だったので、フリッツも思わず足を止めてしまった。
 僧兵もそのままフリッツに襲い掛かるようなことはなく、被っていた僧兵の頭巾を脱いで腕に抱えた。一体どういう展開だと、フリッツはティアラの視線の中に答えを求めた。

 目の前の『ティアラ』は口を開いた。

「わたくしはティアラ様ではないのです。影武者として、彼女の留守を預かった者。

 本当のティアラ様は」



 

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