【第3章】
【第十二話 解き放たれて】
ブルーアの教皇就任が失敗に終わり、三日が経った。
フリッツたちは足止めを食っていた。本物の方のルダが使いに現れ、なんとしてでも礼をしたいといって聞かなかったのだ。しかしそれには、教会が鎮まるのを待つ必要があった。フリッツたちは街の一等高級な部屋をあてがわれ、色めき立つパーリアで三日間を過ごした。
パーリアの街は混乱した。しかしそれは想定していたほど酷いものではなく、ごく一部のことだった。
ブルーアが今回の儀式で教皇になれなかったことで約束していたはずの褒賞が行き渡らなかったため、雇われの僧兵たちが暴動を起こしたのだ。それは契約違反が理由であったが、実は大多数の僧兵は、女神パーリアの罰を恐れてブルーアから離れたがったというのだ。
皮肉なことに、ブルーアに加担していた僧兵たちも少なからず女神を信じているということが、このことで明るみに出た。
しかしそれも教会の内部の話で、街の人々にこれといった実害はなかった。変化といえば、街角に立つ僧兵の数が激減したことぐらいだ。警備なくなって少し心細くなったと感じる者もいれば、見張りがいなくなってすっきりしたと思う者もいた。
ルーウィンとラクトスの立ち回りで倉庫の中身が燃えてしまったこともあり、またいわゆる保守派と呼ばれる聖職者たちの尽力によって、今後免罪符は禁止になった。これで元の木阿弥、というわけである。
パーリアの人々は強かだった。女神パーリアの姿を拝むことができ涙が出るほど感激したと訴える一方で、女神の記念日として年月日が印刷されたペナントを刷ってみたり、饅頭に焼き印を押してみたりした。
つまり彼らは女神を崇める一方、その感動を多くの人に伝えたいと商品を売り出し、ありがたくその恩恵を頂戴するのだった。パーリアの人々は、信仰心が厚く、そしてちゃっかりしていた。
意外にも、ブルーアが儀式に失敗したのか、そうでないのかという論議はあまりされなかった。
ブルーアが儀式を行う前に、突如として現れた少女が女神を召喚したという事実そのものがもてはやされたためだ。少女の正体を知りたいと熱く語り合う人はいても、ブルーアがこれから教皇に就任するか否かは人々の話題には上らなかった。
良くも悪くも、ティアラはブルーアの所業を暴露して追い詰めることなく、現時点での教皇就任を食い止めたのである。教会内部の人間の話によると、ブルーアの処分はまだ下されておらず、保留であるとのことだった。
そして朗報が入った。ティアラの父である教皇が、奇跡的な回復を見せたのだ。
聖水と神官たちによる祈祷、そしてティアラの尽力によるものだという話だった。
肝心のティアラはというと、女神召喚を成し遂げた後、泥のように眠ってしまった。その後は教会側に引き取られ、この三日間ティアラについての情報はなかった。気がついてから教皇を持ち直させた後、また再び深い眠りに落ち、丸二日間眠り続けていたという。それほど体力を消耗したのだろう。
フリッツは、荷物の奥のほうに大事にしまっていたサークレットを取り出した。ティアラに報酬の前払いとして渡されたものだが、このまま貰ってはいけない気がしていた。これを渡すとき、ティアラは確か母の形見だと言っていた。そんな大切なものを持っていってしまうのは気が引ける。
これだけいい部屋でゆっくりさせてもらっているのだから、フリッツはもう報酬など要らなかった。欲を言えば、次の街にたどり着くまでの食料が欲しい。しかしこれをラクトスが許すだろうかと、フリッツはラクトスの顔色を窺った。ラクトスもなんだかんだ言いながら、結局はティアラに協力したのだ。報酬の件は彼にも決定権がある。
フリッツと目が合い、ラクトスはフリッツを小さく手招きした。ラクトスの手元を覗き込むと、そこには見たことのある紙切れがあった。
「これ、免罪符? こんなにたくさん」
「おれをなめるなよ。転んでもタダじゃ起きないぜ。あんな大変な目に遭わされたんだ、これでがっつり儲けてやる。例の黒いやつはないから安心しろ。中身も抜いてあるしな」
フリッツはその抜け目のなさに苦笑した。
「でもティアラのあの話を聞いた後で、買う人なんて出てくるかなあ」
「だからとっととこの街を出て売りさばくんだよ! 話が伝播しないうちにな。おら、さっさと行くぞ」
そう言ってラクトスは腰を上げた。昨日のうちにルーウィンとも話し合い、そろそろパーリアを出ようという結論に至ったのだ。フリッツもすでに荷は整えてあり、いつでも出発できる状態だった。
そこへ二人の部屋をノックする音がした。ラクトスは急いで免罪符を隠した。
「みなさん、お久しぶりです」
ティアラが数日振りに姿を現した。ティアラの後ろには隣の部屋にいたルーウィンも一緒だ。
ティアラはすっかり体力も回復しているようで、とてもずっと眠っていた様子には見えなかった。栗色の髪を流し、白が基調の法衣を着ている。しかしその袖は少々短く動きやすいようになっており、簡略化された法衣だった。
「教皇様のこと、本当によかったね」
フリッツは開口一番にそう言い、ティアラは思わずフリッツの手を取った。
「ありがとうございます。これもフリッツさんの、みなさんのお陰です。感謝してもし尽くせません。もちろん、すぐに復帰できるわけではありませんが、あとは回復に向かうだけだとお医者様は言っておられました」
部屋の奥にいたラクトスがやってきて、ティアラは軽く頭を下げた。
「結局疑問を投げかけるだけになったな。その後はやりっぱなしか?」
ラクトスの言葉に、ティアラは微笑んだ。さっぱりとした、思い残すことはないという顔だった。
「これでいいのです。この街はわたくしのものではありませんわ。女神パーリアを信じる、白の街パーリアみなさんのものです。
本当に大切なことは、みなさんが選び取って決められます。わたくしが心配しても仕方のないことなのです。わたくしはそのきっかけを提示させていただいただけに過ぎません。
だって、もう我慢できなかったんですもの」
それを聞いたラクトスは苦笑いを浮かべた。
「やっぱり私怨か」
「はい、少しだけ」
ティアラはいたずらっぽく笑った。
「ところで、ティアラ。足元のそれって、なによ?」
ルーウィンの指摘に、フリッツとラクトスの視線もティアラの足元へと集まる。
そこにはティアラの法衣の裾に隠れるようにして謎の生物がちょこんと立っている。大きさはティアラの膝にも及ばないほど小さく、丸っこい生き物だった。半透明でミルク色をしており、見たところしっとりしていそうだ。きっとみずみずしい触感だろうと予想がつく。輪郭がはっきりしておらず、なんだかぼやけたような、とろっとした顔つきだった。
三人は初めて見る生き物を穴が開くほど見つめたため、当の本人はきゃっと顔を赤らめ(たような気がした)ティアラの後ろに隠れた。
「魚? じゃないか。モンスター?」
ルーウィンはその生き物が隠れてしまった後もじっと見つめていた。彼女の興味が食材に対するそれでないことを、フリッツは祈った。
「皆さんとこうしてお顔を合わせるのは初めてでしたね。わたくしと契約を交わしている、ロートルちゃんです。大切なおともだちなんです」
ルーウィンがなおも見つめ続けているので、ついにいたたまれなくなったのか、ロートルは姿を崩した。フリッツは驚いて眼を丸くし、ラクトスは興味深そうに声を上げる。水の塊のようになったロートルは、床から飛び上がったかと思ったら、そのまま蒸発したように消えていた。ラクトスが顎に手を当てて考えた。
「こいつが女神の正体か?」
「あら、よくおわかりになりましたね」
なんでもないようにティアラは答えた。
「つまり、パーリアの女神召喚はペテンだったってこと?」
「ペテン?」
ルーウィンの言葉に、ティアラは小首をかしげる。
「お嬢サマに俗語は通じないってか。まあ要するに、詐欺ってことだ」
「まあ、詐欺などではありません。これはれっきとした召喚術です」
女神を召喚したように見せかけ、実のところは先ほどのロートルを召喚していた、というのが儀式の真実だったのだ。恐らく水生のモンスターであるロートルは、先ほどの戻る瞬間から鑑みるに水に擬態する特性、あるいは水そのものになる能力がある。その特性を利用し、パーリア教会のなかでも選ばれし者が儀式を成し遂げてきたのだろう。聖水に宿る女神と言えば、大多数の人々は今回のように納得してしまう。
しかしそれを信じさせるためには、やはり術者の腕前が大きく左右するのだろう。ティアラの女神召喚は迫力があり、信憑性もあった。見るものに女神だと、信じさせるなにかがあったのだ。
「でも、召喚魔法なら召喚師に見破られちゃうんじゃない?」
フリッツは言った。ロートルの存在と召喚術を知っている者なら、見破ってしまいそうなものだ。しかしそれでは連綿と受け継がれてきた儀式は成り立たなくなってしまう。
「あら、正解した方は決まって大聖堂に訪れますもの、問題ないですわ。わたくしたちはそれなりの気持ちを差し上げて内緒にしてもらっています。それに召喚師の数はそう多くはないですし」
要するに、召喚を見破って申告してきた者には口止め料を払っていたらしい。昔ながらの敬虔な聖職者も、案外強かで柔軟な対応をしていたのだ。それを聞いて、フリッツは笑った。
「ちゃっかりしてるというか、なんというか」
ラクトスがさっさと部屋から出て行こうとするのを、ティアラは制止した。
「だめですよ。わたくしが教えたんですから」
それを見たルーウィンが呆れかえる。
「あんた、今から教会強請りに行こうとしたわけ?」
「ちっ、ばれたか」
ラクトスは大人しく引き下がった。
ふと室内を見回して、ティアラはフリッツたちが旅に出る準備が整っていることに気がついた。
「パーリアを発たれるのですね」
ティアラが言い、フリッツは頷いた。これでティアラともお別れだ。パーリアに滞在したのは数日間のことだったが、内容か濃く、密な時間を過ごしたように思えた。
「では、街の入り口までご案内します」
ティアラはパーリアの目抜き通りを通りながら、三人を街の出口まで案内した。
四人は、パーリアから街道につながる参道に辿り着いた。
その日も晴天で、パーリアは人々の信仰を集め、白く優しく輝いていた。街の奥にはパーリア大聖堂が聳え立っている。心なしか、数日前に訪れた時により威風堂々としているように思えた。周りを森の緑に囲まれ、その上を澄み切った青い空が広がっている。
フリッツは改めて思った。美しい街だった。
「それじゃあ、元気でね」
フリッツたち三人はティアラに向き直った。
人生の半分以上を幽閉されて暮らしたというティアラ。これから彼女の自由な人生が始まるのだろう。
清清しい気持ちで、フリッツはティアラに別れを告げた。
「はい。では次の街に参りましょうか。わたくし、今からとっても楽しみです」
フリッツは「うん?」と思った。会話のキャッチボールが、どこかおかしい。
フリッツが困惑した表情でティアラを見ると、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「わたくしを旅のお供に連れて行ってくださいな」
「えーっ!」
「はあ?」
「本気か?」
その発言に、ティアラ以外の三人は思わず声を上げた。予想外の反応だったようで、ティアラはきょとんとした様子で首をかしげる。ルーウィンは額がくっつきそうなほどティアラに近づくと、彼女の瞳を覗き込んだ。その様子は、メンチ切っている、という表現でもしっくりとくる。
「あんた、自分がなに言ってるかわかってんの?」
「もちろん。あなたがたとご一緒できれば、楽しく旅をさせてもらえそうですし」
その発言に悪気はないのはわかるが、いかんせん楽観視しすぎだった。ラクトスは眉間にしわを寄せる。
「おれたちは物見遊山に来たわけじゃないんだぞ」
「わかっていますわ。北上されるのでしたよね?」
まったく動じないティアラに、ついにフリッツまでが詰め寄った。
「ティアラが考えてるほど楽しいことばかりじゃないんだよ。ルーウィンはよく食べるし、ラクトスはお金に汚い。道中食料が尽きたり、騒動に巻き込まれたりすることなんて日常茶飯事なんだ」
フリッツは、北への道のりが決して簡単ではないことをティアラに必死で訴えた。その直後にフリッツはルーウィン鉄拳をくらう。「ぐえ」とうめいて、フリッツは涙目で新しく出来た大きなたんこぶを撫でた。
「…痛い。まあ、こういうわけで。ぼくが言うのもなんだけど、旅はきみが考えているほど甘くない。北上するにつれて戦いも激しくなるだろうし、荒くれ者の冒険者も盗賊も、手強いモンスターもいる」
フリッツだってつい最近冒険者になったばかりだというのに、つい訳知り顔してしゃべってしまった。しかしティアラは目を輝かせたまま、まったく耳をかそうとしない。
「行く手を阻む冒険者や盗賊がいるというのなら、むしろ道連れは多い方がいいのでは?
わたくし、少しですが召喚術をかじっておりますし、今回はお目にかけることはできませんでしたが、治癒魔法も習得しております。北上して道のりが険しくなるにつれて治癒師(ヒーラー)が必要になってくること、わたくし存じておりますのよ」
召喚師、兼、治癒師。実力のほどは未知数だが、ティアラは稀に見る逸材だった。
召喚師は数が少ない。ラクトスが言っていたように、一子相伝の術であることがほとんどだからだ。対象を召喚するまでに通常の攻撃魔法よりも詠唱が長くかかってしまうのが難点だが、その効果は高等魔法に値するか、それ以上といわれている。
一方治癒師だが、ほとんどが医療か宗教に従事している者が多く、冒険者と同行しようという変わり者は少ない。しかし、パーティに治癒師が加わるとなればその力は絶大だった。道中や戦いのさなか、回復薬でちまちま体力を繋いでいたのではいつか底が見えてきてしまう。治癒師のいるパーティは、治癒師が健在である限り無敵に近い。
ルーウィンとラクトスがそれを視野に入れて考えが揺れているのが、フリッツにはわかった。
「で、なんだって北上なんてしたいわけ? ちゃんとそれなりの理由はあるんでしょ?」
ルーウィンが腕を組んで尋ねた。
「わたくしにだって北上の目的くらいあります。北大陸にあるという街、ティーラの大聖堂を拝みたいのですわ」
「北大陸か。大きく出たな」
ラクトスはにやりと笑った。フリッツは首をかしげる。
「大聖堂って、ここの街の教会じゃないの」
「わたくしが言っているのは、パーリア教の元の教えである、とある宗教の大聖堂のほうです。パーリア教はその教えが発展したもので、人々の信仰しやすさを第一に考えられてきました。わたくしは信仰のもととなった、荒削りな神々しい神を知りたいのです」
そして、とティアラは付け加えた。
「恥ずかしながら、今までずっとあの塔の中しか知らずに育ってきました。外の世界を見てみたいのです。父やルダたちとも話し合って、快く送り出してくれました。わたくしなりに、覚悟を決めてここへ来たつもりです。そして出来たら、皆さんのお役に立てたらと」
フリッツはルーウィンとラクトスを交互に見た。二人とも「どうしよ?」「どうする?」といったやりとりが視線だけで交わされている。
フリッツはというと、最初は驚いたものの、ティアラに旅の目的があり協力を申し出てくれているのだから、断る理由は何もないと考えていた。彼女の長いブランクは旅での足手まといになる。それは目に見ているが、逆にそのブランクを共に埋めていけたら、とも思ったのだ。
ルーウィンとラクトスの間で、協議による結論が出された。
「じゃあ、とりあえずお試し期間、ってことで。使えないと判断したら、その場で捨て置く。どう?」
ルーウィンの出した条件はかなり上から目線のものだったが、ティアラは顔を輝かせた。
「かまいません! わたくし、精一杯頑張りますわ」
フリッツはちらとラクトスの顔色を盗み見た。免罪符が外で売りにくくなったな、という顔をしているのを見て、思わず笑ってしまった。
「そうそう。ティアラ、これ返すよ」
フリッツは荷物からティアラのサークレットを取り出した。
「でも、これは」
「大切なものなんでしょ。これからぼくたちもきみにお世話になるんだし、これ以上担保として預かる理由はないよ」
受け取るのを渋っているティアラに、ラクトスが言った。
「それにこういうのは、案外売りさばくのに手間がかかるもんだぜ。おれは貧乏人だから、目利きできないしな」
「そう、言ってくださるのなら。では、お言葉に甘えて」
ティアラはフリッツの手からサークレットをとり、額に当てた。雫の形をした緑の石は、光を反射させてきらっと光った。ティアラは微笑んだ。
「では、これからよろしくお願いしますね」
「こちらこそ!」
フリッツも満面の笑みを返した。
一行は女神の街、パーリアを後にした。
こうしてフリッツたちに、四人目の旅の道づれが加わったのだった。
【第3章 女神の街パーリア】