小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【3.5章】

【第二関門 街道にて】

 無事に峠を下り、一行は再び街道へと出た。
 ティアラはルーウィンに一応認められた形となったが、これで問題がなくなったわけではなかった。
ルーウィンはティアラの体力、気力、根性を試し、及第点が許せるギリギリのところでティアラを仲間として受け入れた。ルーウィンはティアラの向上心と頑固さをかっており、これから伸びる見込みがあるからこそ連れて行こうと思ったのだ。
 しかしまだ一人、パーティの中でティアラを認めていない者がいた。彼にはティアラの及第点の基準などなく、自分の邪魔になるかならないかだけを判断基準としていた。そしてその日も、街道に大声が響き渡った。

「なに、またケンカ?」

 呆れたようにルーウィンは振り返った。そこには道端に座り込んでいる旅人と、肩を怒らせて怒鳴るラクトスと、顔を真っ赤にして主張するティアラがいた。罪のない旅人は、おろおろとその場で戸惑っている。
 フリッツはその様子を見てため息をついた。すでに今日何度目かのやりとりだった。

「そうみたい。もうだいぶ見慣れたけど。それにしてもルーウィンは落ち着いたね」

 最初の頃はルーウィンだってティアラの『癖』に苛立っていたものだ。しかしコナサ峠の一件以来、ティアラの覚悟を確かめてからは何も口出ししないことに決めたらしい。

「だって、いちいち相手してたらバカみたいじゃない。あそこのガリ勉みたいに」

 ラクトスとティアラは相変わらず言い合っていた。話している内容を聞かずとも、何を揉めているかだいたい見当がつく。

「なんでお前はいつもそうなるんだ。今日何度目だと思ってる!」
「何度目だっていいではありませんか! 困った方が居たら手を差し伸べる。そんな簡単なことがどうしてあなたにはできないのです?」

「あのう、ケンカはやめてください。おれなら平気ですから」

「あんたは黙ってろ!」
「あなたは黙っててください!」

 そのやり取りを見ていて、フリッツは巻き込まれた旅人がさすがに可哀想になってきた。二人が言い合っている間に、フリッツは旅人を手招きして、自分の持っていた回復薬を分け与えた。

「あの、少しで申しわけないですけど。連れがすみませんでした。道中気をつけてくださいね」
「ありゃ、すみません。ちょっと立ち眩んで休んでただけだったんだども。なんか申し訳ないねえ」

 方言交じりの旅人と言葉を交わし、フリッツは手を振って別れた。回復薬で元気を取り戻した旅人が道の向こうに消えてしまっても、ラクトスとティアラの口論は続いていた。

「お前がこんなに強情で頑固だとは思わなかった。もっと扱いやすいと思ってたのに、とんだ見当違いだ!」
「強情な頑固者で結構です。わたくし、やめるつもりはありませんから」

 お互いの体力を削りあうだけの口論に、いい加減に嫌気が差したルーウィンが口を挟む。

「なーに、また新人いびり? やめなさいよ、もうけっこう経つんだから」

 ルーウィンの言葉に耳も貸さず、ラクトスはティアラに怒鳴った。

「だから包帯と薬とアイテムをやたらめったら他人のために使うなって言ってるんだ! タダでそのへんから湧いてくるんじゃねえんだぞ、金かかってんだ! 治癒術も関係ない他人にバンバン使いやがって。何度言わせりゃ気が済むんだお前は!」

 この日、ティアラはすでに五人の旅人や冒険者を治療していた。時刻は、陽が真上に上ろうという頃である。短時間に何度も足止めをくらったラクトスのイライラは絶頂に達していた。
 鋭い目つきのせいで怒鳴るラクトスはなかなかの迫力があったが、ティアラも負けてはいなかった。普段は白い彼女が、頭から湯気が出そうなほど顔を真っ赤にしている。

「あなたは何かと言えばすぐに、お金、お金! それしか言う言葉がないのですか? 人は支えあって生きていくものです。それがどうしていけないんですの?」

 ギャーギャーと煩い二人を見て、ルーウィンは頭を掻いた。

「だめだこりゃ。手に負えないわ」
「水と油、だね」

 フリッツはそのけたたましさに指で耳栓をした。ルーウィンは完全に諦めたようで、足元に下ろしていた荷物を背負い直し、先を行く準備をしている。

「あーうるさい。こんなん気にするだけムダだって。フリッツ、行こ行こ」
「え、うん」

 言われるままにフリッツはルーウィンに続いた。しかし、やはりラクトスとティアラの口論は止まらない。

「お前、次の町に着いたら別の服を買え。白じゃない服を、だ」

 旅人で白のローブ、あるいは法衣を着ているものといえば治癒師と相場が決まっていた。汚れがちで手入れの大変である白い衣服を、旅の汚れを覚悟であえて着ることには理由がある。治癒師としての力を高めるため、というジンクス的な意味合いもあるが、一番の理由は治癒師であることのアピールのためである。

 治癒師はその性格上、宗教に順じている者や慈善活動家であることが多い。もちろんティアラもそのうちの一人だ。そのため旅の途中、ケガや病で助けを求めている者に手を差し伸べるのだ。そのためには、助けを求めている側から一目で治癒師であるとわかるほうが都合がいい。
 しかし、それはパーティ全員が同意見であった場合である。
 この発言はかなりティアラのカンに触ったらしく、今までとは違う怒鳴り方をした。

「あなたにそこまで言われる筋合いはありません! もう、結構です!」

 ティアラは頭に血を上らせて憤った。しかしその後、周りにフリッツもルーウィンもいないことに気がつき、慌てて遠くに姿を見つけて駆け出した。
 その場に残ったラクトスは怒りの矛先を探し、足元の岩を蹴りつけた。





 勝手に先を行ったルーウィンはフリッツを振り返った。

「あんた、なにかとあの子に肩入れするわね」

 フリッツは考えた。肩入れ、という表現が正しいかはわからないが、そういうふうに見えてしまうのかもしれない。

「うん。だって頑張って欲しいと思っちゃうんだ。応援したくなるんだよ」

 フリッツは、なんとか旅に必死についていこうとするティアラの姿に自分を重ねていたのかも知れなかった。
 今でこそ足手まといだとルーウィンに罵られることは減ったが、旅の最初の頃はことあるごとにそう言われたものだ。その度に小さく傷つき、そして自分の不器用さを恨めしく思った。幼いころからなにをやってもワンテンポ遅い人間というのはいて、フリッツもその一人だった。
 人と同じ量の努力では追いつけず、二倍三倍、五倍の努力をしてやっと人並みに追いつくことができる。不器用で要領の悪い自分に泣けてしまうことが多々あったが、いつしか自分はそういう人間なのだと割り切った。諦めるものは諦め、諦めきれきれないものは何倍もの努力でカバーしてきた。

 ティアラが不器用だというわけではなかったが、旅になかなか慣れることの出来ないもどかしさが、フリッツにはなんとなくわかるような気がしていた。しかしそれでも自分の精一杯を通し、必死についていこうとするティアラのひたむきさを、フリッツは知っていた。ぜひここでもう一踏ん張りして、ラクトスにもティアラを認めてもらいたいと思っていたのだ。

 しかし彼女の『怪我をした人を見るとつい助けてしまう病』は本当に難点だった。

「やっぱり、ちょっとやりすぎかな。いちいち足が止まって進めないし」

 彼女のその癖は、さすがに目に余るものがある。

「そうね。あいつが怒ってるからあたしは逆に冷めるけど、あいつが怒ってなきゃ爆発してるのは間違いなくあたしだろうしね」

 ルーウィンがそう言い、フリッツは頷いた。

「やっぱり、二人してティアラに言ってみようか」
「人助けやめろって? ムリムリ、あれは相当な頑固者よ。数でいきゃ勝てるってもんでもない。自分でやめようと思わない限り、あの子はやめないわよ」

 ルーウィンははなから諦めているようだった。





 そして、決定的な出来事が起こった。
 その日はルーウィンに久々のお客さんがあった。お客さんとは、刺客である。ダンテに因縁のある冒険者がルーウィンを見つけて襲ってきたのだ。フリッツは木刀を構えていたものの出番はなく、ルーウィンが一人で全員やっつけてしまった。
 刺客を追い払って一息ついたフリッツに、悲劇は起こった。草むらのなかに潜んでいたモコバニーに、頭を噛み付かれたのである。フリッツは声にならない叫び声を上げたが、薄情なことにその場には誰も居合わせなかった。

 フリッツが一行の前に姿を現したときは、すでに遅かった。フリッツはもこもこした毛皮の帽子を頭に被せているような格好で登場した。ルーウィンとラクトスは腹を抱えて大爆笑した。頭にモコバニーが齧り付いていると知ったときは、皆一様に顔から血の気を引かせた。
 しかしやはり何度見ても面白い光景らしく、本気で心配をするティアラをよそに、やはりルーウィンとラクトスは笑い転げていた。

「もういいでしょ、十分愉しんだじゃないか。そろそろ誰か助けてくれてもいいんじゃないの?」

 さすがのフリッツも二人に白い目を向ける。

「あはは、いや、ごめんごめん。まってて、今とるわ」

 ルーウィンは目に涙を浮かべながら、モコバニーをなんなく取り外した。モコバニーは草むらへ帰っていく。とたんに、軽くなったフリッツの頭から血が噴水のように噴出した。

「いや、そんな噴出し方ないだろ。笑えるわ」

 その様子を見てまたしてもラクトスが笑い出すという、なんとも薄情な連鎖だった。

「…いい加減にしないと、ぼく怒るよ。もういい、ティアラ、包帯とってもらっていい?」

 フリッツは二人のことは諦めてティアラに助けを求めた。

「まってください、フリッツさん。こういうときこそ、わたくしの出番です」

 ティアラはフリッツの頭に手をかざす。フリッツはまだティアラの治癒魔法を受けたことがないのだった。一度気を失っている間にキャルーメルで治癒魔法をかけられているはずなのだが、いかんせん記憶がない。治癒魔法を受けるのはどんな感覚なんだろうと、フリッツは少しわくわくしていた。
 しかし待てども待てども、噴出す血の勢いは治まらない。だんだんラクトスの笑いがなくなっていった。ティアラが何度手をかざしても、治癒魔法は発動しなかった。

「ティアラ、ひょっとして」
「そんなはずは。ちょっとお待ちになって」

 ティアラが治癒魔法を使えるのは明らかだった。道中、何人もの旅人にその術を施しているのを見ている。フリッツは彼女が今術を使えない原因に思い当たった。

「大丈夫だよ、ティアラ。これくら包帯巻いとけば治るし。きょうはもう疲れたんだよ、ぼくのことはいいから」
「お前はたしか、うちの治癒師だったと思ったが?」

 ラクトスのドスの利いた低い声が響いた。フリッツがはっとしたときにはもう遅く、ラクトスは恐ろしい形相で仁王立ちになっていた。

「肝心なときに力を使えないでどうする! この大ボケ女! 慈善活動がやりたいなら一人でやれ!」

 迫力のある雷が間近に落ちた。
 少し離れていたルーウィンは身を退き、フリッツとティアラは電気が走ったかのように縮み上がった。
 ラクトスは気が短いように思えるが、本気で怒るようなことは今までになかった。それだけにすごい剣幕で怒られたのは、フリッツにとっても衝撃だった。こんなふうに怒鳴られることがないであろうティアラも、目を見開いて硬直している。

「魔法使いより治癒師が欲しいってんなら、おれがここを出てく」

 ラクトスが怒って行ってしまってからもその衝撃は続き、ビリビリしているような身体をフリッツはさすっていた。

「あーあ。怒らせちゃった」

 ルーウィンは軽口を叩いたが、フリッツとティアラはまだその場に立ち尽くしていた。







 ルーウィンはフリッツの頭を覗き込んでいた。毛繕いされているようで恥ずかしかったので、フリッツは早く退いて欲しいと思っていた。しかしその意に反して、ルーウィンは面白そうにじっくりと傷口を眺めている。

「全然大したことないじゃない。どうしてあんなに大げさな出血したのかしら。でも歯型がついてる」

 想像してフリッツは身の毛がよだったが、実際に見ているルーウィンはにやにやしているようだった。しかし不意に彼女は笑うのをやめた。

「あんたねえ。そんなところに隠れてないで、とっととこっち来なさいよ。ほら」

 ルーウィンは振り返らずに言った。木の陰から、ティアラが姿を現した。申し訳ないという気持ちが全身で伝わってきて、フリッツは逆に謝りたくなったほどだ。

「合わせる顔がないのはわかってる。でもここであんたの仕事をしなきゃ、あんたはなんのためについてきたのかわからないじゃない。悪いと思うなら、さっさと手当てしてあげて」

 ルーウィンはティアラに場所を譲った。ティアラは目の端に涙を溜めて、瞬きを一つでもしたら今すぐ零れ落ちてきてしまいそうだった。

「…フリッツさん、本当に申し訳ありませんでした」

 ティアラは深々と頭を下げ、フリッツは首を横に振った。

「たいしたことないから大丈夫だよ。でも、手当てはお願いします」

 ティアラは治癒術は使わずに、消毒液と包帯で処置をした。ティアラが治癒術しか知らず、一般の手当ての方法を知らなかったらどうしようかとフリッツは内心焦っていたが、それは心配するに及ばなかった。これならラクトスにそんなことも知らないのかと、余計に怒られることもないだろう。

「ごめんね。ぼくが油断してこんなことになったばっかりに、ラクトスに叱られちゃって」
「そんなことありません! 全てわたくしのせいです。フリッツさんは悪くないのです」

 ティアラは意外に器用にフリッツの頭に包帯を巻いていった。

「ティアラって自分のことは後回しにするけど、ケガ人助けることに関しては一歩も退かないね」

 それをけが人であるフリッツから聞いて、ティアラは恐縮したようだった。

「すみません。わたくし今日はフリッツさんに一番ご迷惑をおかけしました。以後、このようなことはないようにします。申し訳ありませんでした」

 謝らせたかったわけではなかったので、フリッツは慌てて違うよと手を振って見せた。

「ぼくのことは別にいいよ、本当に大したケガじゃないんだ。ただ、ティアラはぼくたちのパーティの一員だから、そこをもう少し考えて欲しいかな」

 それを聞くとティアラはますますしゅんとうな垂れてしまった。しかし大事なことなので、この機会に言ってしまおうと、フリッツは罪悪感に襲われながらも自分を奮い立たせた。

「ルーウィンは早くダンテさんに会いたいだろうから、早く先に進みたいだろうし」

 いつもなら拳が飛んできても不思議ではなかったが、その時のルーウィンは大人しかった。フリッツはほっとして続ける。

「ラクトスは、ああ見えてすごく努力家なんだ。ぼくらのお金は、全部ラクトスが管理してくれてる。要るものやアイテムを少しでも値切って、もしものときのために備えてくれている。
 だから余計に、ティアラが他の人のために何かを使うのが気になるんだと思うよ。ラクトスはぼくらになにかあったときのために、って思ってやってくれていることだろうから」

「みなさんの、ため」

 ティアラは呟いた。そう、とフリッツは頷く。

「きみは自分の目に入る人たち皆を助けたいって思うかもしれない。でもそれは、きみの細い腕にはちょっと抱えきれないんじゃないかな。
 ラクトスは、自分たち以外のことは他人事だっていって見向きもしない。それはラクトスが冷たいから、かもしれないけど。でもぼくは思うんだ。ラクトスはぼくたちのことを護るのに一生懸命で、他のことには気が回らないんだ。他の人は目に入らないんだよ」

 そこへルーウィンが口を挟んだ。

「優先順位を迷いたくなくて、わざと周りを見ようとしてないだけかもしれないけどね。それにそれは、あくまでフリッツの考えだけど。あたしはあいつのこと、業突張りなただのドケチだと思ってるわよ」
「またルーウィンはそういうことを言う」

 せっかく自分がラクトスへの誤解を解こうとしているのに、とフリッツは唇を尖らせた。
 ティアラはしばらくその場に立ち尽くしていた。何か考えているようだった。

「あいつみたいなへそ曲がりにとって、あんたみたいな子は限りなく胡散臭い存在なの」

 ルーウィンが口を開き、ティアラはその言葉に首をかしげた。

「胡散臭い。わたくしがですか? そんなこと、初めて言われました」

 ルーウィンは鼻から息を吐いた。

「あの手の人間は、他人のために尽くすことを良しとしない。その裏には絶対なにかあるって思ってるだろうから。でもあんたにはそれがない。その時点であんたはあいつにとってわけのわからない、理解できない人間だろうし」

 利害関係ありきでしか動かない人間と、それを一切考えずに無心に動く人間。両者が互いの考えが理解できないのも当然だ。

「ほら、行っといで。ちょっと話し合ってきなさい」
 ルーウィンがティアラの背中を軽く押した。ティアラは頷いて、林の中を駆けていった。






 道から少し外れたところにある切り株に腰掛けているラクトスの背中を見つけて、ティアラは一瞬足を止めた。しかし、ここまで来たのは伝えたいことがあるからだ。ティアラは拳を強く握り締めて、まっすぐラクトスに向かって歩いた。相手も気配で、自分が近づいているのがわかるだろう。
 ティアラはラクトスの前に回って、頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」
「謝る相手が違うだろ」

 ラクトスは顔を背けて言い放った。

「フリッツさんには謝ってきました」

 ラクトスは何も言わなかった。おそらく言わなくても、わかっていることだろう。

「わたくし、どうかしていました。今日は意地になって、ついいつもより多くの力を使ってしまいました。もう二度と、こんなことはしません。本当にごめんなさい」

 ティアラは深く頭を下げた。それをラクトスは気配で察しているはずだったが、まだ彼は振り返ろうとはしない。

「お前が聖職者であり、そんな性質であることを知っていたから、こういう事態はある程度予測がついてた。想定の範囲内だ、予想外じゃない。こういうことも含めて、最初お前が入ることを渋ったんだ」
「そう、だったのですね」

 確かに、自分が旅の一行に加わることは二つ返事で快諾されたわけではなかった。それをティアラ自身も十分承知していたが、まさかそんなことまで考えられているとは思ってもみなかった。
 ラクトスの懸念は当たってしまった。それでは、やっぱり連れて来ない方が良かったと思われているのだろうか。そう考えて、ティアラは悔しさと悲しさがこみ上げてきた。
 ラクトスは鋭い視線をティアラに向けた。

「どうしてあんたは、なりふり構わず他人を助けるんだ。他人は他人、他人を助けたって何の特にもならない。どうして自分たちのことだけを一番に考えられない?」

 それは純粋な問いかけだった。フリッツとルーウィンが教えてくれたように、ラクトスはやはり利己主義者だ。しかしそれは他人への厳しさと無関心であり、同時に身内への優しさと労わりだった。そんな彼からしてみれば、ティアラの行いなどただの陳腐なきれいごとに過ぎないのだろう。

 今はそう思われても仕方ないと、ティアラは思った。全ての人に手を差し伸べてもなお余力を残せるほど、自分はまだ出来ていない。未熟なくせに欲張って、次から次へと手を出してしまう。そして本当に護るべきものを護れなくなる。それでは本末転倒で、そんなことになるなら確かにティアラは要らなかった。 
それをティアラは、痛いほど身に染みて感じていた。

 ティアラは深く息を吸った。冷静になって、自分の考えを聞いてもらおう。せっかく今は、ラクトスが訊いてくれているのだから。

「怪我をしている方は、わたくしの世界のなかにいるからです。わたくしの手を伸ばした範囲にいるから、わたくしは手を貸さずにはいられないのです」

 ティアラは顔を上げた。

「両腕いっぱいの範囲と両目で見える視野、それがあなたの世界。『世界』を拓きなさい。そして、あなたの腕で休む者を慈しみなさい。各々が自身の護れる小さな世界を慈しめば、世の中に争いはなくなり、やがて幸福が訪れる。これがわたくしの信じるものだからです」

 ティアラは答えた。語っているうちに、やはり自分の考えは間違っていないという妙な確信が湧いてきた。

「あんた、それパーリア教じゃないだろ」

 ラクトスは目を見開いた。きちんと聞いていたようだったが、考えに共感することはなく、別の意味で驚いているようだ。

「パーリア教皇の娘にして自らも巫女であったあんたが、まさか背信者だとは。灯台元暗し、ってやつだ」

 背信者という響きが気に入らなく、ティアラは反論した。

「背信者ではありません。わたくしは、パーリア様も信じております」
「器用な信者がいたもんだな。おれはてっきり、敬虔な信者ってのは自分の信じる神サマ意外は排除したがってるもんだと思ってたぜ」

 ラクトスの言うことは一理あった。ティアラは視線を落とす。

「…そういう方もいらっしゃいます。でも何を信じるかは、人それぞれだと思うのです。何を信じるか、それはどう生きるかということに直結しているのですから」

 だから自分は、こうして目の前にいる人々に手を差し伸べたいのだ。そういうふうに、自分は生きたいのだ。ティアラはそれが伝えたかったのだが、伝わった自信はなかった。
 伝わったとしても、それをラクトスが理解してくれるかはまた別の話だ。詳しく伝えたことで、逆にますます考え方の違いを感じているかもしれなかった。ラクトスは頬杖をついたままだった。

「で、あんたはその説教を信じるわけだ」
「機会があれば、またいずれお話します。今日はわたくしがお話をするような立場ではありませんから」
「まったくだ。で、手当たり次第病人ケガ人治療する癖は治らないのか?」

 再びラクトスはティアラの瞳を鋭い視線で射抜いた。ティアラもそれを迎え撃つ。

「すみません。自分の手の届く範囲、目で見える範囲にいらっしゃるものですから。その方々を治療しないことは、わたくしの信条に反します。でも、今日のようなことは金輪際絶対に起こしません。今度同じとことが起きたら、わたくしは自らここを出て行きます」

 ラクトスはため息をついた。彼の期待していた答えとは違ったのだろうか。もうしません、と聞きたかったのか、あるいは出て行くと言って欲しかったのか。
 しかし、自ら出て行くと言ったのがラクトスのお気に召したようで、彼は腰を上げた。

「おお、言ったな。反省してるか?」
「はい、してます」

 ラクトスはティアラに詰め寄る。ティアラは力をこめて答えた。

「絶対だな」
「はい、絶対です」

 ラクトスは頭に手をやってため息をついた。

「結局どっちも頑張ります、だもんな。ずりぃわ、お前」

 しかしその顔はもう怒ってはいなかった。

「適当にやっとけよ。あと、その時使う薬や包帯やアイテムは自分で稼げ。それと、おれたちのために力を残しておくこと。お前は、うちのパーティの召喚師であり、治癒師なんだからな」

 うちの、という言葉にティアラは顔を輝かせた。

「ありがとうございます!」

 他人が人助けをしようが遅れをとろうが、なにをしようが関係ない。しかしティアラはもうパーティの一員だ。身内だからこそ気に障るのだと、ティアラはようやく気がついた。やはり完全に認められたわけではないが、ラクトスはティアラを最初から頭数に入れていたのだった。

 こんな未熟な自分を受け入れてくれたこの人たちのために、自分に何が出来るか、もっと考えよう。
 ティアラはそう思って、微笑んだ。









「さあ、どうぞ召し上がってくださいな」

 その日の朝の献立は携帯用のパンとドライフルーツ、そしてオムレツだった。前者は保存食料として買入したものだが、後者は違う。例にもよってティアラお手製の、腕にふるいをかけた一品である。
 しかし今日は少々様子が違った。

「…ちゃんとしてる。オムレツだ」
「だな。オムレツだ」

 フリッツは呟き、ラクトスも同意する。どこからどう見ても、ただのオムレツだった。皿を一周回してみても、やはりなんの変哲もないオムレツである。鳥の脚や魚の鱗が中からはみ出したりしていない、しかもちょっと美味しそうなオムレツだ。
 優しい黄色の卵料理はほかほかと湯気を立て、バターの良い香りが鼻をくすぐる。美しい紡錘形ではなくそれなりに不恰好ではあったが、それでも十分に美味しそうな部類に入る。

「今回はちょっと自信があります。さあさあ、どうぞ冷めないうちに召し上がってくださいな」

 ティアラに満面の笑みで促され、フリッツはフォークを手に取らざるを得なくなった。ラクトスと顔を見合わせ、意を決して口に運んだ。一足先にオムレツを口にしていたルーウィンは、フォークを口に入れたまま言った。

「ちょっと薄味かもね。もうすこし塩とか入れてもいいんじゃない?」
「そうですね。今度はもうすこし濃い目にしてみます」

 そんな微笑ましいやりとりだったが、ルーウィンの表情は若干無理をしているように見える。

「おい、どうしてあいつらは平気な顔してこれを食べられるんだ」

 フリッツの耳元でぼそぼそとラクトスがささやいた。フリッツは小さく苦笑いを浮かべる。

「ティアラは運がいいからね。ルーウィンは…漢気かな」

 フリッツは口の中をガリガリ言わせながらなんとか卵を飲み下した。おそらくティアラ本人のオムレツには卵の殻は入っていないのだろう。ティアラはなにかと運がいいのだ。
 こそこそ話しているフリッツとラクトスを見て、ルーウィンは微笑んだ。それは暗黙の了解で「男なら四の五の言わずに食べろ!」という命令が込められている。ルーウィンはなんだかんだで、昨日の今日でティアラを下手に落ち込ませまいと、無理をしているようだ。
 確かに数日前の、通称魔女の鍋と比べればその上達振りはすさまじかった。これを努力の賜物といわずなんと言おう。

「うん、すごく上達したね」

 言ってフリッツはカルシウムがふんだんに含まれたオムレツを口に運んだ。ティアラの期待するような顔が見え、勇気を振り絞って租借した。

 ガリッという景気の良い音が響いたが、ティアラは嬉しそうににこにこしていた。






                                       【3.5章 二つの関門】



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