【第五話 おつかいの旅立ち】
フランからガーナッシュまではほぼ一本道で迷うことはない。大人、それも男性の屈強な冒険者の脚で急いで三日ほどかかる。しかしそれは道中何も起こらなかった場合の話だ。
この辺りではモンスターより人間の心配をする必要があった。南大陸のうちでも南部であるこのあたりでは、草むらに潜むのはモンスターではなく人間だ。盗賊や山賊が旅人を待ち構えているという。フリッツはフランの小さな店で薬などの調達をしに出かけた。その間、ルーウィンは村の入り口の門で待っていた。昨日の三人組のならず者は、どうやら上手く追い払うことが出来たらしく、フランのどこにもいなかった。
「おまたせー」
間延びしたフリッツの声が聞こえ、ルーウィンは顔を上げる。
「ずいぶんと時間がかかったわね。いったい何して」
ルーウィンは言葉に出すのをやめた。フリッツは頭に大きな鍋を被っている。
「一応聞いてあげるわ。なんでそんなもの頭に乗っけてるの?」
「やっぱり違うよねえ、これ。多分おばあさんはアーメットヘルムを渡してくれたつもりなんだろうけど」
「置いていきなさい。無駄なもの、全部」
ルーウィンの命令により、ギルドのおばあさんにあれこれ持たされたものの半分以上を置いていくことになってしまった。いつもの簡素なシャツにゆったりしたズボンとベルトは変わらないが、サンダルの代わりにブーツを履いた。胸部だけの木製の鎧は、ほとんど胸当てといってもいいような代物だ。一方、背中にはずしりと重たい剣を背負っている。
しかしこれは例の修理に出すものの方で、この旅で使う予定はまったくない。いざという時のために使ういつもの木刀のほうはベルトに固定してあった。いかにもちぐはぐな感じで、たった今冒険者に仕立て上げましたといった風情だ。
「さて、行きましょうか」
ルーウィンはもたれかかっていた策から腰を上げた。二人は村から南へと伸びている唯一の道を進んだ。
数時間歩き続け、フラン村からはだいぶ遠ざかり、二人は細い小道にさしかかっていた。木々の多い林道で見通しが悪い。それは木々や草むらの影に何者かが潜んでいる可能性があるということだ。緑が多く土地が豊かであることを売りものにするのは結構だが、このためにルーウィンの機嫌は早々にして悪かった。草むらが物音を立て、ルーウィンは一瞬で矢を番えて弓を引き絞る。
「ちょっと待って!」
フリッツが大きな声を出したため、ルーウィンはその手を止めた。すでに、その日何度目かのやりとりである。
「またあんたは! 今度はなによ」
草むらから姿を現したのは、白い毛玉だった。触り心地の良さそうな毛並みからは、折れ曲がるほど長い二つの耳が飛び出ている。それを見て、ルーウィンは心底嫌そうに吐き棄てた。
「またモコバニーか。ザコにかまってる暇はないっていうのに」
ルーウィンが急いでいるのはなんとなくわかるが、それにしても酷い言い草だ。南の貧弱なモンスターだって、必死になって弱肉強食の世界で生きているのだ。いくらなんでもザコ呼ばわりはないだろう。
「仕方ないなあ。地元民ならではの退治する方法を教えるよ」
フリッツは足元の棒切れを拾い上げた。
「モコバニーの駆除の仕方は、こうだよ。いい具合の棒切れを持って、手前に構える。腰を落として、脚はちょっと開いてね。狙いを定めたら、少し腰をひねって打つ!」
フリッツは腕を大きく右から左へと振り下ろしたが、棒はモコバニーをかすりもしなかった。ルーウィンが冷たいまなざしを向ける。
「当たってないし」
「あれ? おかしいなあ」
フランの村の老人たちは時折モコバニーが出てくるとこうしていたものだった。名人のおじいさんなどは、畑三つ分ほどの飛距離を記録していた。自分にも簡単に出来ると思っていたが、なかなかコツが要るらしい。
フリッツは追い払うのに失敗したモコバニーを見た。もこもこしていて、見た目はとても愛らしい。大人しそうだと判断して、フリッツは何も考えず、一抱えほどある毛玉モンスターを抱き上げた。
「ほら、怯えてるじゃないか。こんなにかわいいのに」
フリッツの腕の中で、モコバニーは鋭い歯をむき出した。恐ろしい牙がぞろりと並ぶ奥には赤々とした咽がてらてらと光っている。驚いたフリッツは変な声を出してモコバニーをその場に落とした。モコバニーはぴょんぴょんと軽快なリズムでその場を立ち去った。
「聞き違えたかしら。あれのどこがかわいいって?」
「…ごめんなさい」
フリッツはまだその場で固まっていた。ちょっとしたトラウマになった。何事も見かけにだまされてはいけないとは、なんと賢明な言葉なのだろう。
「あいつ、あんな顔だけど肉は淡白でおいしいのよ」
その上、食べられるらしい。しかし食べる前に、こちらが先に片腕を持っていかれそうだ。しかしそんなことを考えている場合ではなかった。フリッツに邪魔をされたルーウィンは見るからにイライラしている。
「あんたねえ。出てきたのがまともなモンスターや、そのへんのゴロツキだったらどうするの?」
「あ、あのルーウィン?」
「なによ」
言葉を遮ったフリッツを、ルーウィンはぎろりと睨みつける。その視線に当てられて、フリッツはすっかり萎縮してしまった。
「その、あんまり言いたくはないんだけど。えっと」
「だからなによ。さっさと言わないと怒るわよ」
さっきのモンスターのように、ルーウィンは今にも歯をむいて飛び掛ってきそうだ。フリッツは両手を立てて待ったのポーズをした。
「じゃあ怒らないで聞いて。モンスターなんだけど、ちょっとやりすぎじゃないかなあって」
「どういうこと?」
「だから、なにも殺そうとすることないんじゃないかな、って」
このあたりはのどかな土地柄で、人に害を与えるようなモンスターはそう多くない。せいぜい噛み付かれたり体当たりされたりするのが限度で、必死になって逃げようと思えばなんとかなるレベルのモンスターばかりだ。しかしフリッツが黙っていると、ルーウィンは片っ端から目の前に現れたモンスターを仕留めようとする。
フリッツの言葉を聞いて、ルーウィンの額に青筋が立った。
「あんたバカなの? 弓矢は獲物を仕留めるためにあるものよ。あたしに闘うなって言いたいわけ?」
その気迫に、フリッツは思わず怯んでしまいそうになる。少女とはいえ、大した剣幕だ。しかしここで引っ込んでしまっては男が廃る。フリッツはなんとか自分を奮い立たせた。
「そうじゃないよ。ただルーウィンほどの腕があるなら、近くに矢を放って驚かせることも出来るんじゃないかなって思って」
「あんたにあたしのやり方をとやかく言われる筋合いはない!」
ルーウィンは怒鳴って、それからしばらく口を利いてくれなかった。
ルーウィンが足早に先を行き、その後をとぼとぼとフリッツがついてくる。怒鳴られたのを最後に、フリッツとルーウィンはそれから話をしなかった。戦い方やモンスターに関する意見の不一致で、早くもギスギスした空気になってしまった。そうして村を出て一日目が過ぎた。
しかし、さらにまずいことになってしまう事態が起こった。二日目の昼、フリッツは自分の失態に気がつき、顔を蒼白にする。
「な、ない!」
フリッツは自分のポケットや荷物をひっくり返し、身体をパンパンと叩き始めた。その様子を見て、ルーウィンが怪訝そうな顔つきで足を止める。フリッツの眉は八の字に下がっていた。
「お財布落とした、かも」
その一言で、ルーウィンのイライラは絶頂に達した。
「なんでもっとはやく気づかないのよ!」
「ご、ごめんなさい」
キーンと鼓膜に響く怒鳴り声で、フリッツは耳を押さえた。すると、ルーウィンはくるりときびすを返す。それを見て、フリッツはぎくりとした。
「どこ行くの?」
フリッツの問いに、ルーウィンは機嫌を悪くしながらも答える。
「戻るに決まってんでしょ。マルクス師には一飯の恩があるんだし、お金を道に捨てていくわけにも行かないじゃない」
「一緒に探してくれるんだね。ありがとう!」
ほっとして表情を緩めたのも束の間、ルーウィンはずいずいとフリッツに詰め寄った。
「昨日は言わなかったけど!」
ルーウィンの怒りはさらに激しさを増しており、フリッツは目を白黒させた。
「あたしには弓を使うなって言っておいて、じゃあ逆に、あんたのその剣はどうなのよ。あたしはね、大した理由もないのに武器を持ってるやつが、この世の何よりも大嫌いなのよ。格好つけるために、なにかを傷つける道具を持ってるやつがね。あんたはなんなの? 使いもしないのに、あんたはどうしてそんな棒きれをぶら下げてるの!」
ルーウィンは顔がくっつきそうなほど近づいてくる。ものすごい迫力だ。怖気づいてしまいそうだったが、フリッツも見習い剣士、剣士の端くれではある。なんのために持っているのかと聞かれ、黙って言いくるめられるほどではなかった。
「格好つけるためなんかじゃない! 自分の身を守るためだよ」
ところが、ルーウィンはすぐに切りかえしてきた。
「そういうことを言ってるんじゃないのよ。自分の身を守りたいなら、どっかに行く時はギルドで用心棒の冒険者を雇えばいい。あたしが聞いてるのは、そうじゃないの。どうしてあんたが剣を握るのか、よ。肝心な時に、剣を抜きもしないくせに!」
フリッツはその問いに答えられなかった。ルーウィンはその様子を見ると呆れたようにため息をつき、踵を返して先を歩き出した。頭ごなしに攻められ、さすがのフリッツも腹が立っていた。なにか言い返してやりたいと、そう思った。しかし、返す言葉はない。腹立たしく、ルーウィンの言葉が嫌でも頭の中で反芻された。次第にそれは当惑へと変わり、フリッツはふと思った。
「ぼくは、どうして」
どうして剣士になろうとしていたんだろうと、フリッツはしばらくその場に立ち尽くした。
「もう、ほんとに頭きた!」
ルーウィンは近くの木を力任せに蹴る。驚いたナッチュウが上から転がり落ちてきた。安眠を妨げられて怒りに尾を毛羽立たせるが、ルーウィンが睨みつけると身体を震わせてどこかの茂みへと逃げて行った。
「フン!」
鼻息も荒くルーウィンは悪態をつく。
「なんであんなこと言われなきゃなんないの! 弓は急所狙ってなんぼでしょうが」
しばらくイライラするのに任せて大股で歩いていたが、ルーウィンはある茂みの前で足を止めた。見覚えのあるものが落ちている。フリッツが持っていた、旅の資金が入った袋だ。端の布が少し出ていて、おそらく木の枝に引っかかっているに違いない。
「あった! なんだ、落としたのついさっきじゃない」
それにしても、とルーウィンは先ほどのことを思い出す。フリッツのあの慌てぶり。考えただけで腹が立つ。文句を言われたことも気に食わなかった。苛立ちながらも、ルーウィンは道から外れて茂みに引っかかった皮の袋を手にした。間違いない、捜している財布だ。
「このまますんなり持って帰ってやるのもなんだか癪ね」
そんな考えが頭をよぎったが、皮袋を回収し、道に戻ろうと木の枝に手をかけた。
「ルーウィン! もー、どこ行ったんだろ。ルーウィン!」
ルーウィンとは別の場所を探していたフリッツだったが、肝心の皮袋は見つからないし、待てども待てども彼女は帰ってこないしで、さすがにしびれを切らして道を戻ってきた。
「まいったなあ。どこまで戻っちゃったんだろ。お金は見つかったのかなあ」
情けないことに、フリッツは眉がいつも以上に垂れ下がってしまっていた。路銀はないわ、道連れは消えるわで、いまのフリッツが持っているものといえば背中にずっしりとしがみつく古びた剣だけだ。
もしかして、ルーウィンは愛想をつかして先に街まで行ったのかもしれないという考えがよぎった。ついでにルーウィンが皮袋を見つけていたらいいな、とも思った。今ルーウィンがどのあたりにいるのかはわからないが、彼女なら一人でも大丈夫だろう。まだこの辺りにいて置いて行った場合は、根にもたれそうだが。
それにできれば、今はルーウィンと一緒に居たくないと思っていた。二人の間に流れる空気はピリピリしており、お互いに気持ちのいい同行者とはいえなかった。
「なんだよ、すぐに怒って。血の気が多いんだから」
フリッツはルーウィンに言われた言葉を思い出す。どれも腹の立つ、グサグサと胸に突き刺さるものばかりだ。
「どうしてぼくが剣を握るのか、か…」
答えは簡単だ。それしか知らないから、ただそれだけである。
物心ついたときから、フリッツは身近な棒きれを振り回していた。実家が剣の修練所を営んでいたのだ。フリッツには兄がいるので後を継ぐことはなかったが、修練所の息子として恥ずかしくないよう最低限の技術は身につけておく必要はあった。単に家が畑を持っていないために、他にすることがなかったのも原因の一つである。父も兄も剣の道を究めようとしていた。その姿を見て、自分もこういう人生を歩むのだろうなと、漠然と考えていた。家を離れて、マルクスのもとで修行もしている。
しかしどうにも、自分は剣士には向いていないと思うことが多々あった。こんなことをルーウィンに言ったら、きっとバカにされるだろう。周りに流されているだけだと、一蹴されてしまいそうだ。フリッツはそう考えて落ち込んだ。こんな状態でルーウィンに会いたくない。もっと落ち込む羽目になるのは予想がつく。
こんなに探しても見つからないのだから、きっとルーウィンは怒って先に行ってしまったに違いない。大丈夫、道は一本だから急げば途中で合流できる。そう考えて、散々迷った挙句フリッツは一人で街に向かうことに決めた。