【第4章】
【第十一話 クーヘンバウム脱出後】
泥だらけのフリッツとティアラは、ルーウィンとラクトスの影に隠れるようにしてクーヘンバウムの門を後にした。今までの街とは違い、クーヘンバウムは東西南北に門を兼ねた建物があり、人の行き来は門番によってチェックされていた。しかしモールの出現は闘技場に留まらず、クーヘンバウム全体を混乱に陥らせていた。
闘技場が半壊なのだ、おまけにあんなに大きなモールを見てしまっては、騒ぎ立てるのも無理は無い。門番たちは押し寄せる人々に、何が起こっているのかと質問攻めにあっていた。そこをこっそり、四人はすり抜けた。少し中を覗いてみると、本当に人相書きらしきものが見えた。フリッツとティアラはより小さく身をかがめ、クーヘンバウムの門を後にした。
しばらく小走りに街道を進み、木陰になっている場所へと辿り着いた。そこで初めて一行は息をつく。フリッツとティアラは泥汚れを落とし、ルーウィンとラクトスはやれやれと腰を下ろした。
「そういえば、わたくしがモールさんを逃がしたために、フリッツさんはトーナメントに出てくださっていたのでしたね」
改めて言われてみれば、確かにそうだった。元々は弁償の資金稼ぎのためのトーナメント参加だったのだ。フリッツ自身も忘れかけていたことだった。
「そうだったね。なんか、勝ち残れるのがけっこう楽しくなっちゃって」
勝負で勝つ、というのはフリッツにとって初めての経験だった。
「初めて人との勝負に勝てて、みんなに応援してもらえて嬉しかった。でも、一喜一憂してちゃだめだなあとも思ったよ。だって結局、自然の猛威には手も足もでない」
ぼくたちはちっぽけな人間で、大したことは出来ない。それなのに、どうして人間はいつも偉そうにしているのだろう。
人対人で戦って勝っても、所詮はその次元だ。自然が牙を剥く現象や、強いモンスターには太刀打ちできない。巨大モールとの戦いで、フリッツは自分の力不足をひしひしと感じていた。
それは勝利の後に味わった苦味だった。フリッツは「勝つ」ということを覚えたが、それが自信や慢心になる前に早々にして打ち砕かれた。しかし、それで良かったのだと思う。今の自分に満足してしまった時点で、人間は先には進めなくなるものだ。
「こら、いい話っぽくまとめようとするなよ」
横からラクトスが口を挟んだ。
「お前の勝ち負けはまあいいとして。ティアラの言ってることが正しければ、お前らがゲーム機のモールを逃がしたから、親が出てきて闘技場が半壊になったわけだよな」
フリッツとティアラはぴくっと反応した。しかしその後、二人とも黙り込んだ。
薄々気がついていたことだったが、口に出してしまうと確かなことになってしまうので、二人とも口を閉ざしていたのだ。ラクトスは頭の後ろで腕を組んだ。
「お前らが逃がしてなけりゃ、闘技場は無事だったかもな。あーあ、どうするよ?」
「で、でも」
フリッツは言葉に詰まった。わかっている。自分たちがモールを逃がさなければ、こんな事態にならなかったかもしれない。
ティアラが膝の上の拳をぎゅっと握って、顔を上げた。
「わたくしは、間違ったことはしていないつもりです。あのまま命を弄ばれるモールたちを、見過ごすことは出来ませんでした」
「その行動が導いた結果が、これでもか」
今度はティアラも、何も言い返すことができなかった。見かねたルーウィンがぱんぱんと手を叩く。
「はいはい、もう許してやんなさいよ。今回一番この二人が動いたし、闘技場はあんなだけど、多分ケガ人はいないわ」
ルーウィンはしゅんとしてしまったティアラに視線をやった。
「最初のモールを逃がしていても逃がさなくても、あいつらはまた他のモールを捕まえてくる。遅かれ早かれ、モンスターからの報復はあってもおかしくないはずよ。今回はたまたま、あんたらが逃がしたやつらが引き金になったってだけ。ま、これで少しはバカな人間も懲りるんじゃない?」
元を辿れば、悪いのはモールを捕まえてゲームにした人間なのだ。しかしフリッツとティアラも、今回のことに一切加担しなかったわけではない。そのことは忘れてはいけないのだ。
「あのでかいモールに対する報復がなきゃいいがな」
「…そうですわね」
だんだんと、ティアラが下を向き始めた。ルーウィンに睨まれて、ラクトスは頭を掻く。
「悪かった。あのでかいモールのことだ、人間にはそうそう簡単にやられりゃしないだろ」
「そうですわね」
それを聞くと、ティアラの顔は少し明るくなった。
「でもティアラ、よくあのモールが、逃がしたモールの親だってわかったね」
あの巨大モールが出てきた時、闘技場は大混乱に陥っていた。そんな中モールを一目見ただけでよく親子だと見抜けたものだと、フリッツは感心していた。
「あら、フリッツさんはわかりませんでしたの? お顔がとてもよく似ていらしたではありませんか」
「は?」
当然のように言ってのけるティアラに、ラクトスの目は点になった。フリッツは苦笑いを浮かべた。ラクトスの言いたいことはわかる。どちらもモールで同じ種なのだから、親でも他人でも似ているのは当たり前だ。 しかしティアラは確信を持って続けた。
「親子以外の何者でもありませんわ。あんなに面差しを映しているのに気がつかれませんの? ダメですよ、ラクトスさん。失礼に当たりますわ」
「フリッツ、こいつ殴っていいか?」
肩をわなわなと振るわせ始めたラクトスに、フリッツは慌てて対応する。
「まあまあまあ! いいじゃない、モールも帰ってもらったし、クーヘンバウムからも出られたんだから」
フリッツはなんとかラクトスをなだめにかかった。ラクトスはもっとちくちく小言を言っておくべきだったという顔をしていた。
「でも結局、四回戦はあのまま流れてしまいましたわね。フリッツさんが先に進めるかどうかが懸かっていたのに残念です」
「あそこで戦っていても、もう勝てなかったと思うよ。相手も強い人ばっかりだろうし」
フリッツは苦笑した。
「おれは今日も、一応お前が勝つって思ってたけどな」
「ラクトス!」
フリッツは両手を組み、感激して声をあげた。平然とらしくもないセリフを言ってのけたラクトスを不審に思うどころか、今は彼の周りまで輝いて見える。いつもは恐ろしげな吊った目元も、心なしか緩んでいるような気がした。
「しっかし本当に惜しかったな」
続けて今までの努力を労う言葉に、フリッツははにかみながら頭を掻いた。
「そんなことないよ。あのまま四回戦に入っていたらどうなってたか」
「ちっ、あともうちょいで倍額だったのに」
「へ?」
金銭の絡んだおかしなセリフに、フリッツは気の抜けた返事を返す。ラクトスはガマ口財布の中身を確認し、また悔しそうに舌打ちをした。ルーウィンが無理に中身を覗き込む。
「なにこれ。ちょっとあんた、いつの間にこんなに増えたの」
ルーウィンはラクトスの手から財布をひったくると、中身の紙幣を取り出して数え始める。ティアラも身を乗り出してきた。
「まあ! まるで魔法のカエルでさんですわね」
「勝手に増えたんじゃない。おれが増やしたんだ、こら触るな」
ラクトスはルーウィンの手を払いのけた。「増やした」という微妙な言い回しがひっかかる。「稼いだ」ではなくて。ルーウィンは納得したように声を上げた。
「あーなるほどね。だからあんた、今回やたらトイレ長かったんだ」
「初戦で一人二万。かける十人で二十万。二戦目は」
「まさかとは思うけど、同じ人数のまま一人あたり三万だったり?」
フリッツは白い目でラクトスを見た。ラクトスはそんなことはお構いなしだ。
「おっ、よく分かったな」
「…それって二戦目でちょうど請求額になるんだけど」
慎重なラクトスのことだ。それはつまり、フリッツは確実に勝てるのは二回戦までと見越して、二回戦までで確実に資金を得られる額の賭けに出たのだ。
それは裏を返せば、フリッツが二回戦までしか勝てる見込みが無かったと思っていた、ということだ。
「実を言うと二戦目の時点で結構賭けだったんだぜ。まあ、そこはお前を信じてだな」
「ということは、三戦目の勝ちは期待してなかったわけ?」
ルーウィンが口を挟むと、ラクトスはあさっての方向を向いた。
「さあ、そんなことはないんじゃないか」
結局ラクトスがフリッツの勝ちを信じるか信じないかはうやむやにされて、フリッツはううと低く唸った。 塞いでしまいそうなフリッツを見て、ティアラが微笑む。
「ラクトスさんの本当のところはわかりませんが、わたくしもルーウィンさんも、フリッツさんが勝つと信じていましたわ」
「慰めありがとう。うう、喜んでいいのか、悲しんでいいのか」
恨みがましく呟くフリッツに対し、ラクトスは生き生きとしている。
「喜べよ、余計に金が手に入ったんだ。これから先切り詰めて生活すれば、むこう二十日は気にしなくて済むな!」
今までに見たこともないような満面の笑みを浮かべ、ラクトスは腰に手を当てて笑った。
「さあ、とっとと先に進むぞ」
機嫌のよくなったゲンキンなラクトスは一番に腰をあげた。
四人は再び、街道を進み始めた。
フリッツは黙々と歩いているルーウィンの横に並んだ。
「結局、兄さんの手がかりは掴めなかったなあ。やっぱりそんなに簡単に、兄さんがそこらをうろうろしてるわけないよね」
見ておきたいと思っていたシードのアーサーの試合も結局は行くことができず、結局兄に関する情報は何一つ得られなかった。北に進んでいる分無駄足ではないのだが、これから先に進んだからといって必ずしも兄が見つかる確証はないのだ。
ルーウィンから返事が無い。フリッツは無視されているのかと恐る恐る顔を覗いてみたが、そんな様子ではない。ルーウィンはただ、少し先の地面を見つめて歩いているだけだ。
「…ルーウィン?」
フリッツの呼びかけにはっとしたルーウィンは、困ったような顔をしてフリッツを見た。
「ごめん、ぼーっとしてた。何?」
らしくないルーウィンの様子に少し驚いたフリッツだったが、返事があったことにほっとしてしまった。
「ルーウィンはなにかダンテさんの手がかりはあった?」
「ううん、相変わらずよ」
返事に少し間があったが、フリッツはさして気に留めず微笑んだ。
「そっか。お互い頑張ろうね」
ルーウィンは黙って頷いてみせた。
【第4章 クーヘンバウム闘技場】