【4.5章】
【第一話 奇襲】
地図上に小さな点でしか描かれないような村で、一行はしばし小休止をとった。
クーヘンバウムを出てはや数日、逃げるように出てきた一行はラクトスのお陰で手持ちはあれど、食料が十分にないという事態に陥った。肉は狩で取れるには取れるが、固めのパンやドライフルーツなどの携帯食料は底をつきそうになっている。そのため、街道を少し外れた小さな村でもありがたく、立ち寄ることに誰も異を唱えなかった。
一軒だけある食堂で腹を満たすことは出来たが、その村には食料が有り余るほどあるわけではなかった。村人はそれぞれ自給自足の生活をしているらしく、旅人に売ってやるほどの物はないという。しかし二日か三日後には商人のキャラバンが村を訪れるらしく、一行はそのキャラバンが到着するまで村に滞在することになった。
ラクトス、フリッツ、ティアラの三人が暇を持て余して村の周りを散策しているときに、事は起こった。
「なんかいるな」
「いるね」
「ですわね」
三人の後ろの草むらがごそごそと動いていた。気配を読むことに疎いフリッツやティアラでさえ、何者かがそこに潜んでいることがありありとわかる。どうしたものかと足を止めていると、向こうから動きがあった。
「スキあり!」
草むらから現れたのは少年だった。少年は声を上げながらティアラ目掛けて走ってくる。少年は身を低くかがめて、ティアラのスカートに手を伸ばした。ティアがひょいと身を捩って避けると、少年の上にバケツをひっくり返したような水の塊が直撃する。
「ロートルちゃん、ご苦労様です」
ティアラが肩に乗せたロートルに微笑むと、ロートルは一声鳴いて姿を消した。何が起こったのかわからない少年はあっけにとられて、びしょぬれになったままその場に座り込んでいる。
「こら、そこのあなた。スカートめくりなんてはしたないですよ。めっ」
ティアラは腰に手を当てて頬を膨らませた。座り込んでいる少年は十歳前後といったところだ。おそらく村の子供なのだろうということは察しがつく。
「で、お前なんなんだ」
ラクトスがかがんで、鋭い視線で少年を見た。睨んでいるわけではないのだが、はたから見ると子供相手に恐喝しているように見えてしまう。少年はラクトスの恐怖に気丈にも耐え、喉の奥からなんとか言葉を搾り出した。
「お前ら、悪いやつだろ」
「はあ?」
ラクトスは不満げに声を上げる。少年は勇気を奮い起こして続けた。
「おれは見たんだ。ピンクの悪魔と一緒にいた。お前らは悪いやつだ」
「ピンクの悪魔って、ひょっとしてルーウィンのことかな」
フリッツはティアラに向かって首を傾げた。
「あいつそういう名前なのか。むう、いかにも悪そうな響きだ」
名前も知らないようなのでどうやら直接の面識は無いらしい。しかし少年は、ルーウィンのことを悪者呼ばわりしている。また厄介な事態になりそうなのは目に見えていた。
少年は座り込んだまま、きょろきょろと辺りを見回した。
「あの悪魔は今どこにいる?」
「お前をおびき出すために、そこの草むらに隠れてるぞ」
少年はびくっと身体を震わせた。からかったラクトスがにやにやと笑う。
「嘘だ。なんかヤボ用とかで、どっか行っちまった」
少年はあからさまにほっとしていた。ティアラは何かを思いついたらしく、ぽんと手を打った。
「ひょっとして、この方もルーウィンさんに仕返しするために来たのでは?」
よくぞ言ってくれましたと言わんばかりに、少年は胸を張った。
「その通りだ! おれはロブ。あの悪魔にフクシュウするためにここに来た!」
「ほう、復讐なんて穏やかじゃないな」
フリッツは頭を抱えた。予想通りの展開だ。少年はティアラの両手をとって、すがるような目で訴えかける。
「あんた優しそうだな。姉ちゃん、おれの話を聞いてくれよ」
そしてロブ少年の身の上話が始まった。
この小さな村で生まれて今まで育ち、どこにでもいる普通の子供として育った。ところが数年前、事件が起こった。ロブの父が行方をくらませてしまったのだ。ロブも母親も、必死になって探した。しかし、父の姿を見つけることは叶わなかった。
「父ちゃんは隣町のギルドに所属していたんだ。そこで、あのギルド潰しのダンテに遭った」
ギルド潰しのダンテの強さはすさまじく、物凄い勢いでギルドの冒険者たちをなぎ倒していった。言わずもがな、ロブの父親も他の冒険者と同じく倒された。そのときにロブの父親は負傷した。身体だけでなく、心にも傷を負った。腕っ節の強さが自慢だった父親は、自分があまりにも不甲斐ないことにショックを隠しきれなかった。そして次第にギルドは廃れ、父親は別の道で家族を養うことに心を砕いた。
しかし染み付いた冒険者のプライドが邪魔をして、田畑を耕し続ける生活を受け入れることが出来なかった。酒を浴びるように飲みはじめ、ついにはふらふらとした足取りで家を出て行った。
「おれが父ちゃんの姿を見たのは、それが最後だ」
話し終わるとロブは視線を落とし、地面を見つめた。
身の上話が終わり、ロブはティアラの胸に顔をうずめて泣き出した。ティアラは驚いたようだったが、少年を受け止めてよしよしと慰めてやる。
「さすがのお前も、なんとか協力して差し上げられないでしょうか、とは言わないか」
いつも人助けに走ってしまうティアラに、ラクトスは嫌味半分で言った。ティアラはロブの頭を撫でながら困った表情を浮かべる。
「この子のお話はわかりました。しかしわたくしたちはルーウィンさんの味方ですもの。ルーウィンさんを陥れるようなことは出来ません」
「堅いこと言うなよ。いいじゃねえか、おれは乗ってやってもいいぜ」
ラクトスの軽い返事に、フリッツは白い視線を向けた。
「昨日の晩御飯のこと、まだ根に持ってるの?」
「食い物の恨みは恐ろしいんだよ」
昨晩の夕食で、ラクトスは楽しみにと最後まで残しておいたトマト煮込みの肉をルーウィンに奪われたのだった。ルーウィンは反省もせず、食べるのが遅いほうが悪いと開き直ったため、ラクトスは昨晩から口を利いていない。案外根に持つんだなあと、フリッツは呆れていた。
「でもお前ら、あいつの仲間だろ。おれをだまそうってんじゃ」
ロブは探るような目で三人を見上げた。子供といえど、敵の仲間からの申し出にさすがに警戒している。安易に飛びついてしまうほど能天気でもないようだ。ラクトスはロブの肩に手を置いた。
「安心しろ。あいつとおれは一時的に手を組んではいるが、腹の中じゃお互いにブン殴ってやりたい気持ちでいっぱいだ。お互いに、いつでも切って捨てる心構えがある。ここは一つ、お前の力であいつに一泡吹かせようじゃないか」
ラクトスはいい笑顔でロブを励ました。その言葉で、ロブの瞳に活気が戻る。悪役さながらにほくそ笑むラクトスを見て、フリッツは大人気ないなあと一歩退いていた。
「とは言っても、あくまで実行するのはお前一人だ。おれもあいつに張り倒されるのはカンベンだからな。けどお前が動きやすいようにあいつを誘導して、スキを作ってやることはできる」
「それなら大丈夫! いくつか作戦があるんだ」
ロブは顔を輝かせ、意気揚々と自分で考えた復讐プランを三人に語った。
「まずは、足の小指をタンスの角にぶつけさせるだろ。次に、武器に鼻○○をつけるだろ。そんでもってとどめに、わら人形で呪う! どうだ、ほかにもまだまだあるぜ!」
子供ならではのアイディア満載だ。ロブはえっへんとふんぞりかえってみせる。
「…くっだらねえ」
ラクトスは正直に呟いた。
「弓矢に、ってのは絶対だめだね。これは逆上されたらこっちがどうなるかわかんないし」
「衛生上どうかと思います。それはわたくしも嫌ですわ」
作戦に同意しかねるフリッツとティアラが表情を曇らせると、ロブは唇を尖らせた。
「なんだよー。じゃあお前がなんかいい案出してみろよー」
「ええ、ぼく?」
突然話を振られ、フリッツは眉根を下げる。ラクトスはティアラのまねをして、わざとらしく手を打ってみせた。
「そうだフリッツ。お前が手伝ってやればいい!」
さすがのフリッツも、この責任転嫁に簡単にのってやるつもりはない。
「またそういうことを言う。やめてよ、無責任な。ラクトスが言いだしっぺじゃないか」
「デコ兄ちゃん、頼むよ。あんただけが頼りなんだよ」
こいつならもう一押しだと悟ったロブは、ついにフリッツにも泣き落としにかかった。子供特有の曇りない潤んだ瞳に見つめられて、フリッツはうっと言葉に詰まる。
しかし、フリッツは心を鬼にした。自分のため、そしてロブのため。復讐なんてとんでもない。ましてや、その相手はルーウィンなのだ。仲間に対しての復讐をけしかけるなんて、どう考えてもバカげている。
「だめったらだめ!」
「頼むよ。父ちゃんのカタキをとりたいんだよ!」
フリッツは目を瞑って顔を背けた。大人しくなったかなと、ちらりと視線を戻す。ロブは小動物のような目でフリッツを見つめ続けていた。その無言の圧力にしばらく耐えていたフリッツだったが、所詮はフリッツ、結局子供のおねだりにいとも簡単に陥落してしまった。
こうしてフリッツはロブの復讐作戦に付き合わされる羽目になった。
作戦が決まり準備が出来次第ラクトスとティアラに伝えるということになり、フリッツは二人とは一旦別れた。雑木林の切り株に腰掛け、これからフリッツはロブと、ルーウィンを陥れる作戦を練らなければならない。なんでこんなに恐ろしいことになってしまったのかと、フリッツはラクトスと自分の心の弱さを恨んだ。
「巻き込んじゃって悪かったな」
二人になると、意外にもロブはしおらしく謝った。その目には既に涙の気配など一粒もなく、やはり先ほどの泣き落としは演技だったのだ。フリッツは深い深いため息をついた。
「ねえ、ロブ。やっぱりやめにしない? ルーウィンに仕返ししたって、きみのお父さんは」
「わかってる」
ロブはフリッツの言葉を遮った。フリッツははっとする。ロブは真剣な、しかし痛々しい目をしてフリッツを見つめた。小さな拳を、ぎゅっと握り締めている。
「わかってる、そんなことはわかってるんだ。でも、おれはやらなきゃ。どうしてもやりたいんだ!」
フリッツにも、身にも覚えがあった。子供には時として、決して譲れないものがある。
その純粋さと真っ直ぐさ故に、大人のように簡単には曲げられない、柔軟には変えられないものがあるのだ。大人はそれをわがままだといい、意地を張っているという。しかし彼らにしてみればその意地は真剣そのもので、それを曲げたら自分が曲がってしまったかのような気持ち悪さを覚えるのだ。
しかもこれはただの意地悪への仕返しではない。ロブの中では立派な「フクシュウ」なのだ。この決断と行動には、相当な思い入れがあるに違いない。それを第三者のフリッツが、軽くあしらっていいはずがなかった。
いくらその行動が無意味で非生産的であるかを説いて聞かせても、意味のないことだとフリッツは悟った。この子供は、標的が目の前にやってきた今、その思いを遂げるしかないのだ。これを逃すことは、彼は何か大事なものに負けてしまったことになる。やらないという選択肢は、最初から負けているのと同じだった。
フリッツはロブの拳を手にとって、ゆっくりと開かせた。
「わかった、ごめん。男に二言はないものだしね。よし、やろう!」
フリッツはロブを励ました。
「やろう、って言ったな」
ロブはにやりとした笑みを浮かべた。
「デコ兄ちゃんは今この時からおれの子分だ! おれの言うとおりに動けよ。そしてあのピンクの悪魔をやっつけるんだ!」
えいえいおー!と意気込むロブに対し、フリッツはその場に崩れ落ちた。まただ。またしてもこの子供に騙されてしまった。
「でもあの悪い兄ちゃん、案外話のわかるやつだな。いい姉ちゃんも優しいし」
「ラクトスは悪くないよ?」
「違う違う。目つき悪い兄ちゃん、の略」
ロブのあだ名のセンスは、本人が聞いたら勘違いされそうだなあとフリッツは思った。そしていい姉ちゃんとはティアラのことだろう。
「いい姉ちゃんって、性格いい姉ちゃんの略?」
フリッツは訪ねると、ロブは歯を見せて笑った。
「違うよ。体つきいい姉ちゃんの略。子供の特権はしっかり使っとかないとな!」
かっかっかと笑う子供を見て、フリッツは肩を落とした。
とんだ子供につきあわされることになってしまった。今更ながら、フリッツは色々なことを後悔した。
しかし自分が傍についているということは、ロブが突っ走りすぎないように見張ることもできるということだ。仲間のルーウィンをケガさせるわけにもいかない。ここは自分が頑張ってブレーキの役割を果たそうと、フリッツはなんとか気持ちを切り替えた。面白半分で下手な役割を押し付けられたとあっては、落ち込んでしまって先に進めない。
当面の問題は、どうやってルーウィンをぎゃふんと言わせるか、であった。