小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【4.5章】

【第三話 リベンジ】

 フリッツはロブの家へと辿り着いた。小さな村なので迷うことはなかった。家の前に立ちノックをしようとしたが、戸が僅かに開いている。ロブが駆け込んだまま、鍵もかわずにいるに違いない。

「お邪魔します。入るよ、ロブ」

 フリッツは声を掛けて家の中へと足を踏み入れた。まだ母親は帰ってきていないようで、部屋の片隅に置かれたベッドにロブが転がっていた。クッションに顔をうずめて、声を押し殺して泣いている。暴力を振るわれた上に、結局罵倒されて終わってしまったのだ。悔しい思いをしているというレベルではないはずだ。
ティアラが治癒術をかけていたので、身体のほうは大丈夫だろう。現にロブはここまで全速力で駆けてきている。しかし、心は深く傷ついてしまっていないだろうか。フリッツはどう声をかけたらいいのかわからなかった。ベッドに腰掛け、泣いているロブの横に座る。

「痛かったよね。怖い思いさせて、ごめんね」

 許してもらいたいのではないが、ついその言葉が口をついて出てしまった。明らかに自分の判断ミスだ。ロブを恐怖から開放し、元気付けてやりたかった。元に戻したかった。しかしそれは、ロブ本人が落ち着いてからでなければ不可能だ。フリッツは待った。

「ごめんね。ぼくが足引っ張ってばかりで、上手くいかなくて。落とし穴やタライで上手くいってたら、こんなことにはならなかったかもしれない」
「…そんなことない。デコ兄ちゃんのせいじゃない」

 ロブは顔をうずめたまま、くぐもった声で言った。
ロブの嗚咽はしばらく止まなかった。フリッツはその間ずっと隣にいた。ロブはやがてゆっくりと身体を起こした。泣いていて目は腫れ上がっているものの、ぱんぱんになっていた頬は何事も無かったかのようだった。ティアラの術が効いたらしい。

「…ぐやしい」

ロブはフリッツにしがみついた。フリッツは頭を撫でてやる。
少し復讐の手助けをするつもりが、まさかここまで酷いことになるとは思っていなかった。いざとなったらフリッツが身を挺し、ビンタを張られるくらいでなんとかならないものかと、甘く見ていた。最近の彼女は丸くなったように感じていたため、油断していたのだ。それはとんだ誤算だった。

あのときの迫力は、まるで出会った最初の頃のルーウィンだ。次に会ったら、殺してやる。そうならず者に言い放ち、ファイアテイルをなんのためらいも無く人に向かって打ち込んでいた彼女だった。あの、ギラギラした瞳。怒りが燃えている瞳の色。あの時と同じだった。

「あいつ、おんなじこと言いやがった。ちくしょう…!」

 ロブは小さく呻いた。

「怪我して倒れてる父ちゃんに向かって、あいつ言ったんだ。ザコはどうあがいてもザコのままだ、って。弱いくせに冒険者なんてやってるからこんな目に遭うんだって」

 言って再びロブは泣き始めた。これだけ声を出して泣くことができているのは、良いことだとフリッツは思った。胸にこびりついているのは恐怖ではなく、悔しさだ。悲しくて泣いているが、ロブは元気だ。フリッツはため息をついて安堵した。
 ザコのくせに。弱いくせに。
それはルーウィンが前からずっと言っていたことだ。弱者が強者に立ち向かうことを、彼女は決して認めない。だがそれは、同時に彼女自身を傷つけているように思えるのだ。
ザコのくせに。弱いくせに。
そう吐き捨てて、彼女が進む理由はなんだろう。フリッツは考えをめぐらせていた。ようやく落ち着きを取り戻したロブは、涙をぬぐってフリッツを見上げた。

「デコ兄ちゃん、剣士なんだろ?」
「うん。まあ、一応ね」
「おれに剣術を教えてよ」
「へっ?」

 予想していなかったことに、思わずフリッツの声は裏返る。どうやってロブを慰めようか、その言葉ばかり考えてきたのだ。まさかその発想があるとは思いも寄らなかった。ロブは鼻をすすった。

「子細工じゃあいつには勝てないって、わかったんだ。あいつに勝つには、本当の力をつけなきゃだめだ。頼れるの、デコ兄ちゃんしかいないんだ。頼むよ…」

 驚いたことに、ロブはルーウィンへの復讐を諦めてはいなかった。まだやるつもりなのだ。どこからそんな気力が湧いてくるのかとフリッツは感心したが、慌てて首を横に振る。

「だめ!」
「なんでさ!」

 ロブも負けじと食らいつく。フリッツはロブの肩に手を置いて、視線をしっかりと合わせた。

「剣の道はそんなに甘くない。付け焼刃で覚えられるものじゃないよ。ぼくなんてもう十年もやってるけど、それでもまだまだだし。何より、ルーウィンに勝てる気がしない」
「それはデコ兄ちゃんだからだよ。おれだったらすぐに技を習得して、あの悪魔をやっつけられるかもしれない」
「だめだ! ルーウィンの言ってたこと、忘れたの? 武器を持った子供なんて、ルーウィンが一番嫌いなものだ。今度こそただじゃ済まないかもしれない」

 万が一にも命を奪うようなことは無いだろう。急所を知っている彼女だから、手加減も知っている。しかし体の外傷が治っても、もしかしたら心の傷ができてしまうかもしれない。それこそダンテに打ち負かされて居なくなってしまった、ロブの父親のように。
 しかしロブも必死だった。引き下がる気配はまるでない。

「お願いだよ、一生のお願い! 悔しいんだよ。このまま引き下がるなんてできないんだ!」

 ロブはフリッツに向かって頭を下げた。フリッツは眉を八の字に下げる。いくら頼まれたって、答えは決まっている。まだ門下生である自分が剣を教えるなどということは出来ない。なによりさっきまでロブに協力すべきではなかったと、強く後悔していたフリッツだった。ロブに剣術を教えるなど、ルーウィンの怒りの炎に油を注ぐ結果にしかならないだろう。何度頼まれても、絶対に首を縦に振るつもりは無い。
 
 しかしロブの目は真剣そのものだ。子供にここまで必死に頼みごとをされたことはなく、フリッツは自分がとてつもない悪役であるかのような錯覚に陥りそうになった。元から従順ではない子供が、自分に向かって必死に頭を下げている。フリッツは目を瞑って逃げてしまいたかった。

「頼むよ。おれ、もうどうしたらいいかわからないんだ。他になにもないんだ。あいつをやっつけたい。それだけなんだ」

 ロブは最後にそう言うと、フリッツの前にずるずると崩れ落ちて泣いた。また始まる、わんわんと小さな家に響き渡る泣き声を聞いて、フリッツはどうすべきなのかを再び迷いはじめていた。








「で、なんでこうなるんだ」

 仏頂面をしたラクトスは畑の柵に腰を預けていた。横には苦笑いを浮かべるフリッツと、目の前には木の棒を持って素振りに励むロブがいる。ロブの小さな家の前にある小さな畑の横で、ロブは掛け声と共に何度も素振りを繰り返していた。

「なんでって。色々、思うところがあって」
 フリッツはちらと隣にいるラクトスの様子を窺った。ラクトスは腕を組み、完全に呆れた顔をしている。

「お前甘すぎ。こんな付け焼刃の練習でどうにかなるわけないだろ。またビビらせたいのか?」
「そうじゃなくて」

 フリッツだって、何の考えもなくただロブの懇願に負けたわけではない。このまま引き下がるよりも、再度挑戦する方がいいと、フリッツ自身もそう思えたのだ。

「あれだけ怖い思いをしたのに、また挑戦できるのは凄いことだと思うんだ。本当なら、ルーウィンを見るのだって嫌だと思う。でもロブには、その怖い気持ちに打ち勝って立ち上がる勇気がある」
「勇気なんかじゃねえ。ただの執着心だ」
「そうかもしれないね」

 ラクトスの言うことも最もだ。しかし、その反面フリッツは思う。
「でも少なくとも、その執着心は恐いっていう気持ちに勝ってる」

 その執着心は無視していいものではないと、フリッツには思えたのだ。

「勝負に勝てるとは思ってないよ。でも、思うとおりにやらせてあげたいんだ。それに少しは健闘できたら、これでルーウィンのことはすっきりするかもしれない。ルーウィンが恨まれたままなのはいやだし、ロブだってあの歳で誰かを恨んだままなのは良くないよ」

 それがフリッツの本音だった。ロブの気持ちも認めているが、このままずるずる恨みを引きずっていってほしくはない。それならここで、この機会に決着をつけ、ロブはその執着から炊き放たれるべきではないだろうか。人を恨みながらこれからの時間を過ごしては彼の精神衛生上良くない。
 それにルーウィンは恨まれていることなど気にしないだろうが、それはフリッツが嫌だった。ルーウィンは決して悪い人間ではない。彼女が誰かに恨まれながら生きるのも良いことではないはずだ。
 このままでは双方にとって良くないと、フリッツはロブに剣を教えることにしたのだ。

「大怪我して、一生後悔する羽目になるかもしれないぜ」

 ラクトスが言うと、フリッツは首を横に振った。

「それはぼくが、絶対にさせない。そんなことになったら、なにがなんでも止めてみせる。それにぼくは、ルーウィンが分別のない人間なんかじゃないって思うんだ。子供に大怪我をさせたりなんかしないよ」
「どうだか。まあ、勝手にするんだな」

 ラクトスは柵にもたれかけるのをやめ、立てかけていた杖を手に持った。素振りに励んでいたロブが、フリッツに向かって駆けてきた。

「デコ兄ちゃん! いい加減に素振りばっかり飽きちゃったよ。もっと凄いの教えてよ、必殺技とかさ!」
 飽き性な子供がほどなく言い出すことだ。地味な反復練習は確かにつまらないだろう。

「ないこともないけど、だめ。必ず殺すと書いて必殺技だよ? そんな危ないのは教えられないよ」
「ケチー」
「はいはい、文句言わない。斬り、突き、次は守り。こういうのは地味なところが一番肝心なんだから」

 ロブはぶつぶつ言いながら素振りに戻っていった。その進みの遅さに、ラクトスは苦笑いを浮かべる。

「…お前そんなので大丈夫か」
「何事も基本が大事だからね」

 それはそうなのだが、ルーウィンとの決着は明日に控えている。基礎を怠りたくはないが、フリッツはどうしたものかと考えていた。

「まあ、あいつと顔合わせると色々厄介だし、遅くに帰ってこいよ」

 先ほどの茶番にフリッツが一枚噛んでいたとわかれば、その火の子はフリッツにも振ってかかる。ヤケドどころでは済まされないだろう。ラクトスの言うとおり、フリッツは遅くに宿へ帰ろうと決めていた。

「うん、そうする。ルーウィンは?」
「おれが出てくるときはまだ戻ってなかったぞ」

 怒ってそのまま飛び出していったきりということだ。怒りに任せて無茶してなければいいけど、とフリッツは思った。
 フリッツはその日夜遅くまでロブに付き合った。ロブはなかなか筋が良かった。とはいえ、それはその歳の子供にしては、という意味である。初めてにしては様になるのが早かったが、所詮一日足らずの修練だ。しかしそれでもロブはやる気満々だった。
 再戦は明日の正午という約束をして、ロブのいびつな文字で書かれた果たし状を預かった。ご丁寧にも封筒に入れられて封をしてある。フリッツは果たし状をルーウィンに渡し、なんとか決闘の場まで彼女を連れてこなければならない。それはかなり骨の折れることで、確実に出来ると約束できるものではなかった。殴られた上につき返されることだって十分に考えられる。ロブの勝負は明日の正午だが、フリッツの戦いはもう少し早くから始まるのだ。

「ぼくがルーウィンを連れてくるから、ぼくの見てる前で勝負をすること。これが絶対の約束だからね」
「うん、もちろん。デコ兄ちゃん、また明日な!」

 フリッツは何度も何度もロブに念を押して、遅くに宿屋へ帰っていった。









 翌朝。
 ロブはすでにルーウィンとの決着をつけるべく、村の旧広場にいた。村の中でも奥まったところにあり、今は使われていないためあちこちに草が生え、ただの空き地となっている。よそ者のフリッツでは知りえない場所だ。
 フリッツには、悪いことをしたと思っていた。自分が見守る中で、悪魔との勝負をさせたかったのだろう。 しかし、それではだめなのだ。最後までおんぶに抱っこでは、意味が無い。復讐は、そんなものではない。本来は誰の力も借りず、自分だけで、静かに終わらせるものなのだ。男としての意地がかかっていた。

(勝って証明してやる。強いものに立ち向かう、それが悪いことのはずがないんだ! 父ちゃんのしたことは、間違ってなんかいないんだ!)

 ロブはフリッツとの約束を破った。果たし状の中身はフリッツとの話し合いで決めた時と場所ではない。問題は、悪魔がそれを読んでいるか、そしてここまで来るかだ。その場を行ったり来たりしながら、ロブはその時を待っていた。そして朝もやの向こうから、人影が現れる。

 悪魔が、来た。

 ロブは木製の剣を握り締めた。この時のためにフリッツから預かったものだ。早朝にも関わらず、悪魔のほうもしっかりと目が冴えているようだ。ピンクの髪を高く結い、胸当て、グローブの装備に矢筒と弓。

 父親がギルド潰しと戦い、倒れた後。ギルド潰しは何も言わずにその場を去った。倒れた父親に駆け寄り、ロブは名前を読んだ。意識はあるのがわかり、ほっとしたときだった。悪魔に捨て台詞を吐かれたのは。目の前が真っ赤になるほど、幼いながらに怒りが湧いた。きっと父親はギルド潰しのダンテのほうを深く恨んでいる。ロブだってダンテが憎い。父親を出でいかせ、母を朝から晩まで働かせるきっかけとなったあの男が憎い。お陰でロブは毎日一人だ。
 
 しかしロブは、それよりもルーウィンの方が憎かった。ぼろぼろになった父親にすがりついた幼いロブに、当時の彼女は冷たい視線を向けて吐き捨てたのだ。なぜ傷ついた者にそんな追い討ちをかけるのか。ロブは答えを導き出した。
 それは悪魔だからだ、と。

「このおれに恐れをなさず、ここまで来るとはな!」

 ロブは悪魔に向かって言った。なかなかの口上だ。しかし悪魔は何も言わない。

「一応聞くが、デコ兄ちゃんたちは来てないだろうな」
「あいつらなら来ないわよ」

 悪魔は答えた。抑揚の無い声だ。フリッツと歩いていた時とは違う。悪魔はやはり、こうでなければ。
 ロブは剣を構えた。ただの棒っきれではない。見慣れた剣に、悪魔は入れ知恵をした人間に思い当たって舌打ちする。

「…フリッツめ。帰ったらシメる」

 相手は弓使いだ。懐に入ってしまえば、こっちのもの。天才的な才能で剣術を身につけたとはいえ、自分より長く生きている悪魔のほうが有利であることに違いは無い。勝負は早くつけてしまうに限る、ロブは思った。

「行くぞ、やあぁあ!」

 ロブは声を上げて、向かっていった。剣の間合いを詰めて、振り下ろす。しかしそれを、悪魔にあっさりとかわされた。しかももっと酷いことに、受け止められてしまっている。だから本物のほうを貸してくれと言ったのにと、ロブはフリッツを少し恨んだ。ぐぐっと力を入れるが、悪魔は細腕で剣を握ったままだ。

「あんたそれ、本気?」

 悪魔は冷めた視線でロブを見た。至近距離でにらまれるが、怖くはない。それはロブが立ち向かっているからだ。勝負はまだまだ始まったばかりと、ロブの心は燃えていた。

「どうした、弓は使わないのか!」
「あんたに武器なんか使ってやる必要はない」

 悪魔は右手でロブの刃を受け止めている。そしておもむろに左手でロブの鳩尾に拳を打ち込んだ。剣を両手で支えていたロブの腹部はがら空きで、その攻撃は低い音を立ててヒットする。ロブは痛みに一瞬目を見開いたが、次には力が入らなくなってしまった。意識はあるが、その場に崩れ落ちてしまう。
 悪魔は剣を拾い上げ、ロブの脚を持って、ずるずると引きずった。顔が地面に擦られ、削られるような地味な痛みが襲う。
 信じられない。
 あっさりとした敗北だった。まだ全ての力を出してもいないというのに。

「前菜にもならなかったわね」

 悪魔はロブを広場のわきの草むらにぽいっと捨てた。続いて剣も投げ入れた。

「あたしの相手は、あんたじゃない。メインはここからよ」








 ロブはしばらくそうして草むらに転がっていた。

「…くそう」

 じわりと目の端に涙が浮かんだ。手も足も出なかった。受けた攻撃はあれ一発きりだった。覚悟していたほどぼこぼこにされるでもなく、いとも簡単に、ロブの復讐は失敗に終わったのだ。

「…ちくしょう」

 何も出来なかった。何一つ。
 ロブは自分の非力さを噛み締めた。泣くまいと、唇も噛み締めた。しかし嗚咽が漏れてしまいそうになる。 その時だった。

「あんたかぁ、オレたちのことこそこそ嗅ぎまわってるのは」

 体格のいい男たちが何人か現れた。全部で七人。いずれも上背がかなりあり、見るからに腕っ節の強そうな男たちだった。村でもし会うようなことがあれば、母親に見ちゃいけませんと言われる類だ。

(…あいつら!)

 ロブはその顔ぶれに見覚えがあった。最寄りの街のギルドの効力が弱まったのをいいことに、最近この辺りをうろついているならず者だ。なぜあいつらがここにいるのかと、ロブは身を低くして草むらに身を隠した。

「人間のクズ共のお出ましね。こんなのがダンテの偽者とは、聞いて呆れるわ。もうちょっとクオリティ上げなさいよ。本人が気の毒ね」

 ルーウィンは小ばかにしながら言った。男たちのリーダー核の男が口を開く。

「お前か、ダンテの弟子っていうのは。なるほどなあ、やられたやつらが口を割りたくない理由がわかったぜ。口を揃えてとんでもない嘘つくもんだ」

 ダンテの愛弟子。ダンテとともに各地を巡り、共に死線を潜り抜けてきた猛者。その正体は、ただの小柄な少女なのだ。
 その少女一人に返り討ちにあったとされては、不名誉極まりない。そこでやられた人間はダンテの弟子に尾ひれをつけて、とんでもない猛者像を作り上げる。ルーウィンに一度会い、彼女の正体を知ったものは彼女を二度と忘れることは無いが、ルーウィンを初めて見た者は彼女の正体には気がつかない。
 偽の「ダンテの弟子」像が、皮肉なことにルーウィンを助けてもいたのだ。
 別の男が口を挟んだ。

「お嬢ちゃんこそ、ダンテの弟子ってのはウソなんじゃないのかい?」
「そうね、あたしこそがニセモノかもしれないわね」

 しかしその余裕こそが、彼女をダンテの本当の弟子だと示しているものだった。男たちの間に、ルーウィンを本物だと認める空気が流れた。

「しかしなお嬢ちゃん。あんたがいままで倒してきたやつらは、ダンテと一緒に、だろう? 自分の強さを過信しちゃいけないぜ」
「試してみる? あたしがなんでここに呼んだか、わからないほど頭イカレてるの?」

 そう言うや否やルーウィンは矢を抜き、速攻の連射で三人に矢を射掛ける。腕を貫かれた三人の男たちは痛みにもんどりうった。

「このアマ!」

 男の一人が逆上して、ルーウィンの後ろに素早く回りこんだ。羽交い絞めにされ、体格差もありまったく身動きが利かなくなる。そのまま別の男が動けないルーウィンの腹部を狙って拳を放つ。そのまま腹に食らって、ルーウィンの体中に振動が走る。羽交い絞めにされていなければ、その小さな体は吹っ飛んでいたに違いない。
 続いて平手打ちで強かに頬を殴られた。鼓膜が破れてしまいそうな衝撃だ。



 ロブは息を呑んだ。こんなにも暴力的な光景を見るのは初めてだった。しかも小柄な女一人に、男が多勢。このままでは死んでしまってもおかしくはない。しかし、身体が動かなかった。今出て行けば、自分もただでは済まない、もしかすれば殺されてしまうかもしれない。
 それにやられているのはあの悪魔だ。いい気味だと思いたかった。しかし、ロブはそう思えない自分に気がつき始めていた。

(…違う。こんなんじゃない)
 ロブは自分ズボンの裾を強く握り締めた。

(こんなのはあの悪魔じゃない!)




 殴っている男は再び彼女の腹を狙う。しかし、男は悲鳴を上げた。力をこめて繰り出した拳に、骨に響くような激痛が走ったのだ。ルーウィンは右足のかかとで拳を受け止めていた。痛みに噛みしめていた唇がにやりと弧を描く。
 彼女のブーツのヒールに拳が突き刺さり、激しい痛みと出血に襲われた男の隙をルーウィンは突いた。反動をつけて男の首元に蹴りをお見舞いすると、ふらついたところに鳩尾へまた蹴りを入れる。それを別の男が見ていられなくなって加勢しにきた。
 新しく加わった男が腹部への拳を出すと、ルーウィンは反動をつけ思い切り身を捻って、避けた。ルーウィンが避けたため羽交い絞めしている男が殴られる結果になる。殴った男は味方を攻撃してしまったことに少しひるんだ。
 ルーウィンはそれを見逃さない。すかさず男の急所に蹴りを入れた。男はその場に崩れ落ち、地面にうずくまる。羽交い絞めにしていた男も逆上し、そのままでは攻撃が出来ないと、ルーウィンの首を絞める体勢を取ろうとした。彼女はその動きを予想していた。
 腕の力を揺るめる、そのわずかな一瞬の隙。右腕を振り払い、目にも留まらぬ勢いで自由にした彼女は、ポケットに隠し持っていたナイフを男の太ももに突き刺した。不意に襲った鋭い痛みに悲鳴をあげ、男は驚いて腕を放してしまう。地面に落ちて身体が自由になったルーウィンはすかさずナイフで男を切りつけた。そこで少し下がって距離を置き、弓を放つ。羽交い絞めにしていた男は、沈んだ。

 残るはリーダー核の男、偽ダンテだけとなる。ルーウィンは間髪いれず弓を構えた。しかし相手のほうが一枚上手だった。素早い動きでルーウィンとの距離を埋めると、彼女の細い首に手をかける。そのままなんの苦労もなくルーウィンを首根っこから持ち上げた。足がすぐに地面に届かなくなり、ルーウィンは苦しそうに顔を歪める。

「所詮は、ただの女だな。非力なもんだ。その気の強さと戦いっぷりには感心するが、こっちも仲間を何人もやられてるんでな。まあ、これで終わりだ」

 偽ダンテはそのままルーウィンの首に掛けた手の力を強めた。ぐっと喉が締め付けられる。今はまだなぶっているだけだが、男が本気を出せばルーウィンの喉の骨など簡単に折れてしまう。ルーウィンの口は酸素を求めるが、それもままならない。身体をよじってあがいてみたが、圧倒的な力の強さにそれもむなしく通用しなかった。
 ルーウィンは目を細める。苦しい。頭に酸素が回らず、有効な手段も考えられなかった。

「うわああああああ!」

 甲高い声が響いて、ぶつかってきたような振動があった。ロブが飛び出してきて、偽ダンテの脛を剣で打ったのだ。

「なんだ、このクソガキ。今いいところなんだ、邪魔だから退いてろ」

 ロブは狂ったように男の脛を何度も何度も叩いた。それにはさすがの偽ダンテも堪忍武器路の尾が切れ、ルーウィンの首に片手だけを残し、もう一方の手でロブの頭をがしっと鷲&#25681;みにした。途端にロブは顔を青くし、人が違ったように大人しくなる。剣もぽろりと取り落としてしまった。

「なんだ? お前も死にたいのか?」

 偽ダンテはロブの頭を握る手に力を入れた。ルーウィンは震える手でナイフを掴み、男の腕を切りつける。痛みに男は声をあげ、反射的に両手を離した。ルーウィンは地面に落ちる。どっと流れ込んできた空気に思わず咳き込むが、ぐっと唇を噛み締める。
 そして地面に膝を突いているロブに蹴りを入れた。ロブの身体は吹き飛ばされた。続いてルーウィンも男から少し距離をとる。

「あんたには特別よ。受け取って」

 偽ダンテが攻撃の態勢をとる間も無く、ルーウィンは無感情な目で炎のついた矢を番えた。ファイアテイルが放たれ、標的目掛けてまっすぐに飛んでいった。










 ロブは地面に転がったまま目を開いた。広場には男たちの身体が転がっている。その中心に悪魔が立っていた。終わったのだ。ロブに気がついて、悪魔はゆっくりとこちらへ近づいてくる。しかし殴られたときのような、異様なまでの殺気はなかった。男たちを踏んだり蹴飛ばしながら進んでくるが、悪魔は今、人間だった。

「なんで助けた?」

 ルーウィンは立ったまま訊ねた。

「復讐したいやつが別のやつらにやられるのを、ぼーっと見ててたまるか」

 ロブは言った。殴られるかと思ったが、そんなことはなかった。
 ルーウィンは何も言わなかった。ロブを助け起こすわけでもなく、くるりと踵を返すとそのまま村の中心のほうへと向かっていった。
 ロブは痛む身体をなんとか起こし、地面に這い蹲りながら叫んだ。

「あんたはおれが倒すんだ! 絶対だ! 首根っこ洗って待ってるんだな!」

 やがてルーウィンの姿は見えなくなった。ロブは再び地面に寝転がる。自分も早くここから立ち去らなければならない。男たちはいつ目を覚ますかわからなかった。ロブは周りに生い茂る木々の向こうにある空を見上げた。薄水色に色を変えつつある空が、目に染みた。

 手も足も出なかった。
 ロブは目を腕で覆い隠すようにして、涙をこらえた。
 ただの、逆恨みっていうのよ。
 悪魔の声が脳裏によぎった。

「わかってるんだよ、そんなことは!」

 わかってるんだ、わかってるんだと呟きながら、ロブはその場に倒れながら涙を零した。






 それは異様な光景だった。
 かつて使われていた村の広場に、大柄な男たちが十人ほど倒れており、真ん中にルロブが座り込んでいる。フリッツがことに気がつき、村中を走り回ってロブを捜した。なんとかロブを見つけたものの、すでに何もかもが終わっていた。フリッツはロブに駆け寄り、怪我がないかを確認する。ロブはフリッツを見るとほっとしたように微笑んだ。

「大丈夫? なにがあったの?」
「デコ兄ちゃん…」

 ロブは身を起こしてフリッツに抱きついた。ロブをなだめながら、フリッツは辺りを見回した。矢が数本落ちている。そのうち一つは焦げていた。ルーウィンだと、すぐにわかった。

「約束破って、ごめん」
「これはどういうこと? ロブとルーウィンの決闘だけ、ってわけじゃなさそうだけど」
「なんにもないんだ」

 ロブは首を横に振った。話したくないなら、無理に口を割らせるわけにもいかないとフリッツはため息をつく。なにが起こったかだいたいの予想はついた。

「復讐は、どうなったの?」
 フリッツはロブに尋ねた。

「失敗」
「だろうね」

 ロブが歯を見せて笑ったので、つられてフリッツも微笑んだ。しかし、ロブは再び表情を曇らせる。
 悪魔にも、感情はあった。怒りと憎しみと苦しみ。その三つしか見えなかったが、それでも感情はあった。悪魔は悪魔なりに、事情があるのだ。悪魔は悪魔なりに、なにかを賭して、懸命に生きているのだ。その力と、命を削って。それがなんなのかロブにはわからない。
 しかし一つだけ、わかってしまった。

「…悪魔も、人間だったんだなって気づいちゃったんだ」
 そう言って、ロブはまたフリッツにくっついた。そのせいで表情は読み取れなくなってしまう。

「どういう意味?」
「そのままの意味」

 ロブはそう答えた。







 村に商人のキャラバンが到着し、一向は買い物を済ませ装備を整えた。フリッツはちらりとルーウィンを見やる。いつもと変わらない様子だが、やや口数が少ないような気もする。実は、怖くてまだ口が利けていないのだった。おはようの一言しか交わしておらず、しかしそれが無視されるということもなかった。
 朝にロブとの決闘で何が起こったのかも、聞けていなかった。しかしロブが元気そうなので、今このタイミングでことをはっきりさせる必要はない、またほとぼりが冷めたら聞いてみようと、フリッツは逃げに走ったのだった。

「デコ兄ちゃん!」
 フリッツたちが村を出てしばらくし、街道に差し掛かる前の細い道で、ロブが後ろから駆けてきた。

「おっ、元気そうだな。最後に捨て台詞でも吐きに来たか?」
 ラクトスが言うと、ロブは首を横に振った。

「いや、悪魔はもう今日はいいよ。次にあいつに会うときは、おれが勝つ時にしたいんだ」

 ルーウィンは三人の足が止まったのに気がついて、先で少し待っていた。ロブが来ているのにも気がついているはずだ。ロブはフリッツの腕を引っ張った。

「おれさ、強くなるよ。頑張って剣の練習して、強くなる。最低でもデコ兄ちゃんよりは強くなる。それで、あの悪魔をぎゃふんと言わせる! おれをあそこで仕留めなかったこと、後悔させてやるんだ」
「剣を続けてくれるのは嬉しいな。頑張って」

 フリッツはロブの健闘を祈った。ロブはにやりと笑った。

「ありがとな、デコ兄ちゃん。悪い兄ちゃんといい姉ちゃんも、気をつけて!」
 ロブはそう言うと、元気に全力疾走して村へと戻っていった。

「すっきりしたみたいだな。あんだけこてんぱんにやられといて、あいつも図太いというか」
 ラクトスが呆れつつも笑った。

「ひょっとして、復讐というのはロブさんなりの理由づけなのかも知れませんね」
「理由づけ? なんの?」
 ティアラの言葉に、フリッツは首をかしげる。

「生きること。このまま暮らしていくことへの、です」

 ティアラは続けた。

「大好きなお父様がいらっしゃらなくなって、お母様も生活を支えるのにお忙しい。そんな寂しい環境の中で、ロブはなにか執着するものを見出さざるをえなかったのではないでしょうか」
「つまりルーウィンを倒すため、あれこれ考えるのがルロブの生きがいだっていうこと?」

 ティアラは微笑んだ。
「考えすぎですわね。いずれルーウィンさんやダンテさん、お父様の出奔の理由など、また考えが変わればいいのですが。復讐というのは、いつの時代も救いがないものですしね。
 ところでフリッツさん、落とし穴とタライはわざとですか?」

 フリッツはきょとんとして目を見開いた。

「まさか。ぼくにそんな甲斐性あるわけないでしょ」
「そうですわね。もしかしたらと思っただけです」

 ティアラは面白そうに目を細めた。フリッツは頭をかく。

「わざとだとしたらそれは、きっとルーウィンを怒らせるのが怖かったからだろうね」
 三人は先に行っていたルーウィンに追いつき、再び街道に向かって歩みを進めた。

















 その夜、三人が寝静まった頃合を見計らって、ルーウィンは野営地を離れた。月明かりであたりは明るく、歩くのには困らないほどだった。不気味に明るい夜だと、ルーウィンは思った。
 手ごろな一本の樹を標的に定め、対角線上に立って腰を据える。腕を挙げ、弓を引き、構える。ヒュンと矢が空を切って飛んでいく。

 一本目。
『負けた方が悪いのよ。弱いくせに、勝てもしない相手に楯突くのが悪い』

 二本目。
『あんたの人生が転がっていったのは、あんたや、あんたの両親が弱かったからよ』

 三本目。
『これはね、復讐って言うんじゃない。ただの、逆恨みっていうのよ』

 四本目。
『口先だけしか能の無い、自分一人じゃなんにも出来ない無力な子供』

 五本目を打ち終えて、ルーウィンは構えるのをやめた。
 全ての矢は同じ箇所に突き刺さっていた。刺さっていた矢が次の矢に引き裂かれ、その矢もまた次の矢に引き裂かれ、そそいてまたその矢も。矢を数本、ダメにした。鏃も傷ついているに違いない。回収しても意味があるだろうかと疑いながら、ルーウィンは標的であった樹にむかって歩き出す。



 本当に無力なのは誰か。
 本当に弱いのは誰か。
 本当に逆恨みしているのは誰か。
 本当に世界を呪っているのは誰なのか。



 ルーウィンは矢の突き刺さった樹に、感情に任せて拳を強く振り上げた。




                                      【4.5章 小さな復讐者】





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