小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【プロローグ】

 華奢な身体を起こし、ルーウィンは大きく伸びをした。窓の外にはまだ暗闇が広がっており、隣のベッドにはティアラが健やかな寝息を立てている。一行は昨晩この街についたばかりだった。しばらく野営続きだったので、旅に慣れていないティアラはすぐに寝入ってしまった。そして彼女は朝に弱い。そっとしておけば、おそらく当分起きないはずだ。

 ルーウィンは音を立てないよう、そっとベッドから足を下す。わずかに床がきしんだ。上着を身に着け、顔を洗う。柱にかけられた丸い鏡の前に立ったが、暗くて何も見えなかった。ぼさぼさの髪に櫛を入れた。ピンク色の髪はあちこちに飛び跳ねているがそれを力ずくで一つに束ね、口に咥えていた結い紐で一気に縛る。心なしか結った位置がいつもより高いような気がする。気合の入れすぎだろうかと苦笑し、装備を整えた。胸当てにグローブ、背中に矢筒、そして何より大切な弓を持つ。

 荷物をまとめて、そっと部屋を出る。フリッツの早朝練習に鉢合わせしてはまずいので、裏口から出ることにした。辺りはやはり、暗い。うなじが外気にさらされて肌が粟立つ。ルーウィンはたった一人で宿を後にした。

 まだ明けきらない夜に。











【第5章】

【第一話 消えたルーウィン】

 いつもの日課の早朝訓練を終え、首にタオルを巻き、額にうっすらと汗を浮かべてフリッツは宿へと戻った。入るとすぐに食堂になっており、一見するとただの飲食店のようだ。しかし二階へと続く階段を上がればいくつかの客室がある。どの街のどの宿屋も同じような造りになっていて、訓練を終えたフリッツはたいてい食堂で仲間たちと顔を合わせるのが日課となっていた。

 しかし、その日は勝手が違っていた。がやがやとざわめく食堂を見渡すが、知った顔は一つも無い。珍しく三人ともが寝坊したのだろうかと首をかしげる。忙しく働く給仕係りの横をすり抜け、フリッツは二階へと足を運んだ。自室へと向かうと、隣の扉をラクトスが叩いていた。

「あれ? ちゃんと起きてたんだ、おはよう」
「おう」

 ラクトスはすでに身支度も整え、いつもと同じ様子で廊下に立っていた。

「二人ともまだ寝てるらしいな。返事が無い」
「おかしいね。ティアラはともかく、ルーウィンまで寝てるなんて」

 いつもならばルーウィンが先に起き、朝の弱いティアラを起こすはずなのだ。ティアラは極度の低血圧で、目覚めが悪い。フリッツもラクトスも、野営でそのことは嫌というほどよく知っていた。そして寝ぼけているティアラはかなり手強い。

「さっきからこうして叩いてるんだが。ったく、寝汚ねえと頭が腐るぞ」
「ねえラクトス。鍵、開いてるみたい」

 フリッツは取っ手に手をかけた。扉は静かに開いて、二人を部屋に招き入れた。手前のベッドではティアラが規則的な寝息を立て、気持ちよさそうに眠っていた。そしてもう一つの奥のベッドはもぬけのカラだった。あるはずの荷物もない。がらんとした二人部屋には、眠っているティアラしかいなかった。
 それがルーウィンの失踪の始まりだった。






「用ができた。先に行け、だとよ」

 テーブルの上に置かれていたメモを睨んで、ラクトスが呟いた。ルーウィンが居ないことに気づいてから、かなりの時間が経っていた。フリッツとラクトスは宿とその周辺を探し回り、ティアラはルーウィンが戻ってきたときのためを考えて留守番していた。しかしその甲斐も虚しく、フリッツたちはルーウィンを見つけることは出来なかった。ラクトスが慌てる二人を落ち着けた後、とりあえず遅めの朝食をとって、ティアラの部屋に集まったのだ。

「おれが思うに、あいつは戻ってくる気なんてないと思うぞ。おれだったらあと一言付け加える。必ず追いつく、ってな」
「確かにそうですけれど」

 動揺していたティアラも、ラクトスになだめられて少し落ち着いていた。しかし、彼女の表情は相変わらず不安げだ。

「ましてや心配性のフリッツがいるんだ。もう少し丁寧に書いたっておかしくはないだろ。ところがどうだ、これは。筆跡がまったく乱れてない。相変わらずヘッタクソだが」

 いびつな文字は間違いなくルーウィンのものだった。ゆっくりと確認しながら書いたのだろう、インクが滲み、文字の一つ一つが太く大きい。ルーウィンが実際に紙に文字を書くことなどめったになかったが、三人ともがこの個性的な文字を覚えている。小休止した際、ルーウィンの座った近くの地面に練習として書かれているそれと同じだ。

「つまり、急いでたわけじゃないってこと?」
 
 フリッツの問いにラクトスは頷く。

「だったらもっと詳しく理由なり書けばいい。それがないってことは、書きたくなかったってことだ。あいつの場合、単に字を書くのがめんどくさかっただけかもしれないけどな」

 フリッツは俯いた。
 こんなに何の前触れもなく、唐突に居なくなるものだろうか。どこかルーウィンに変わった様子はなかったか、フリッツは頭の中で繰り返し彼女を思い浮かべた。

 真っ先に、先日のロブの復讐の一件が思い当たる。それは失敗に終わったとはいえ、フリッツをはじめとするラクトスやティアラもロブに加担していた。彼女が怒っているとしたら、きっとそのことだ。となれば、主に原因はフリッツにあることにある。しかしこの街にたどり着くまで、彼女はいたって「普通」だった。

 ただやはり、気になる点はあった。クーヘンバウムで、フリッツはルーウィンに「丸くなった」と言ったばかりだ。当時は、確かにそうだと思っていた。しかしそれは、やはり間違いであったと思い直した。ロブに殴りかかる彼女を見て、フリッツは薄ら寒いものを感じたのだ。子供にも容赦が無い。
 しかし、よくよく考えてみるとやはりおかしい。ルーウィンは気が短く手も出るのも早いが、それでもあんなふうになることは滅多にない。なにが彼女をそうさせたのか、フリッツにが結局わからず仕舞いだったのだ。それは考えすぎで、ただ虫の居所が悪かったのかもしれない。
 そもそも、仲間であるのにルーウィンの味方をしなかったフリッツに問題があったのだ。

「やっぱりぼく、怒らせちゃったんだね。一緒に旅を続けたくなくなるほどだったんだ」

 フリッツの呟きに、ラクトスは首を横に振った。

「抜けたかったなら、あいつは正直に面と向かって言うと思うぜ。それに本当に腹が立ってたなら、まずお前を追い出すだろ。最も、おれたち全員に腹を立ててたっていうんならあいつが出て行って当然だけどな。
そんな様子でもなかっただろ」
「…ルーウィンが出て行く、理由」

 話は結局振り出しに戻ってしまった。今まで唸っていたティアラが口を開いた。

「もしかして、ダンテさんが見つかったのではないでしょうか? ルーウィンさんの旅の目的といいますと、お師匠様であるダンテさんを捜すことですよね」
「だったら、ちゃんと見つけたって報告すればいいだろ。なんで黙って出て行くんだ」

 そう返したラクトスに、ティアラがはっとした様子で顔を上げる。

「あまり考えたくはないのですが、何かに巻き込まれてしまったということは」

 書置きがあるために、ルーウィンが自ら出て行ったのは明らかだ。しかしその動機が彼女の意思によるものなのか、はたまたなにかに巻き込まれ、その厄介ごとから一行を遠ざけようとしてのことなのかは計れない。

「その可能性はないとは言いきれないな。しばらく様子を見よう。この街はさっさと出て行くつもりだったんだが、予定が狂っちまったな」
「もしかしたら、ルーウィンさんは助けを求めているかも知れません。早急に捜しましょう」

 三人の意見は一致を見た。フリッツも頷く。

「そうだね。ルーウィンをおいて先に行くなんてできないよ。見つかるまで、待とう」

 そうして一行は、ルーウィンを見つけるまでしばらくこの街に滞在することになった。






 南大陸の真ん中ほどに位置する街、ステラッカ。
 それなりに広い街で人口も多いが、決して都会ではない。周りに豊かな森が広がっているため、水が美味しく、また林業が盛んである。この街の労働者の実に半分の人間が森から木を切り出すことにより生計を立てている。人々は森の恩恵に預かっているが、同時にそこに棲むモンスターや盗賊などに悩まされることもしばしばあるようだ。
 しかし大半の日々を何事もなく平和に送っている。なんのへんてつもない、つまらない街に思えるが人々の営みは安定していた。
 そんな穏やかな街で何かあれば、すぐに耳に入ってくる。ルーウィンを見つけ出すのも時間の問題だと思っていた。

 しかし彼女の捜索は難航した。

 三人は手当たり次第ステラッカの街を捜したが、どこにもルーウィンの姿を見つけることは出来なかった。端から端まで、ピンクの髪を一つに結った弓使いの少女を見なかったかと聞いて回った。四日か五日間ほどそうして虱潰しに探して、彼女がこの街にはいないことを悟った。皆嘘をついている様子でもなく、本当に彼女の姿を見かけてはいないようだった。
 ルーウィンはこの街から先に出て行ってしまったかもしれない。そんな考えもよぎった。

「でもな。先に行け、だもんな」

 ラクトスはルーウィンの残したメモをよく睨んでいた。

「あいつは変に正直だからな。このメモを書いておいて、すぐに出て行ったとは考えにくい。これだけ探し回ってるんだ、動きがあればわかるはずだ。もしかしたらあいつ、どこかに隠れてるかもしれない」

 それが街の中なのか、街の周りを取り囲む森の中なのか、そのいずれでもないのか。三人には皆目見当もつかなかった。フリッツは心配になった。

「また悪い人たちに追われてるのかな」
「それもあるだろうが、おれたちも完全に避けられてるぜ。これだけ動いて収穫なしってのは、向こうもこっちに見つからないようにしてるってことだろ」
「でも」

 フリッツが口を開くと、ラクトスは首を横に振った。

「そうじゃなかったら、あいつはもうとっくの昔に動き回れるような状態じゃないってことだ」

 それを聞いて、フリッツは黙り込んだ。







 そして一行がこの街に滞在して七日目が経った。
 フリッツがギルドの掲示板に貼った尋ね人の張紙も、今では他の依頼の紙に隠されてしまった。フリッツはステラッカのギルドに通うようになっていた。地元の冒険者がいるので入り浸ることはしないが、足しげく通いルーウィンの情報を探した。彼女に直結することでなくても、些細な事件が彼女に繋がっている可能性はあるかもしれない。
 しかしそんな期待もむなしく、この街は平和だった。怪しい事件など一つも起きておらず、ルーウィンの手がかりは何一つとして無かった。ここ何日か、フリッツはルーウィン探しも兼ねて一人で小さな依頼をこなしていた。
 ラクトスは滞在中の宿代を稼ぐためアルバイトをしている。ティアラはルーウィンが帰ってきたときのため、宿で留守番をしていた。
 その日も猫探しの依頼を終えて、フリッツは小さな飲食店へと足を運んだ。

「いらっしゃい」

 世にも無愛想な声が響いた。慣れていなかったら、ケンカを売られていると勘違いしてしまうかもしれない。仏頂面したラクトスが不似合いなエプロンをつけてカウンターから顔を覗かせていた。

「なんだお前か。どうだった?」

  フリッツは首を横に振った。この日もルーウィンに関する情報はまったく得られなかった。

「ごめんね。せっかくラクトスが慣れないことして頑張ってくれてるのに」

 その言葉に、ラクトスは怪訝そうに眉根を寄せる。

「ラクトスがこの食堂で働いてるのって、ルーウィンを見つけるためでしょ。食いしん坊なルーウィンが、街一番美味しいって評判のこの店に来たらすぐにわかるように」
「なんのことだ」

 カウンターの裏に備え付けられた流し台で、フリッツと話しながらもラクトスは黙々と皿を洗っている。フリッツは笑った。

「とぼけなくていいって。接客が得意じゃないラクトスが、数あるアルバイトの中からレストランのお運びを好んで選ぶとは思えないよ」

 実を言うとラクトスは面接の時点で厨房の方に回ってくれと哀願されていたのだが、そこを逆に頼み込んで接客に回してもらったのだった。その頼み方が少々強引だったことは、もちろんフリッツが知る由もない。
 フリッツはカウンターに突っ伏した。

「でもここにも立ち寄らなかったとなると、やっぱりルーウィンはもうこの街にいないのかも。ぼくらと別行動をとるなり食材でも買って、さっさと出ていっちゃったのかなあ」

 激しく扉のペルが鳴って、ラクトスは顔を上げた。入ってきた客の男はカウンター席に空きがないのを見ると、近くの席のイスを引いて座った。きょろきょろと辺りを見まわし、傍目から見ても男は明らかに動揺している。毎日のようにしてここへ通ってくる常連客で、店主とよく世間話をする男だ。ラクトスは皿を洗っていた手を止めた。

「水」

 ラクトスは盆を持って客席に回った。コップを差し出すと、男は小さな声でありがとうと言った。心なしか、声が震えているような気がする。

「もう少し待てばいつもの席が空くぞ」

 ラクトスは珍しく気を利かせたが、男は首を振るだけだった。ラクトスはため息をつき、テーブルの上にメニューを広げる。

「で、注文は」


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