小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第5章】

【第七話 過去のない男】

「え、主人との馴れ初め?」

 テーブルに紅茶と焼き菓子を広げて、ティアラとメアリは午後のひと時を過ごしていた。
 フリッツとラクトスがカーソンについて仕事に行っている間、ティアラはメアリの洗濯や掃除やらの手伝いや、マリィの面倒を見たりして過ごしていた。ティアラが手伝うので家事が早く済むと言いながら、メアリは三時ごろになるとおやつの時間にする。
 いつもなら、ティアラはメアリとたわいもないおしゃべりをして談笑していればよかった。それは平和で、楽しいひと時だった。しかし、この日は違った。ティアラには重要な役割が課せられていた。
 メアリからカーソンの過去を聞きだせ。ラクトスにそう指示されていたのだ。

「やだあ、恥ずかしいじゃない。どうしてそんなこと聞くの?」
「メアリさんとカーソンさん、すこしお歳が離れていらっしゃるでしょう? どういういきさつで出会われたのか気になっていたんです」

 メアリは口元が緩んでしまったようで、菓子を口からこぼしてしまった。
 ティアラは課せられた役目を果たそうという気持ちと、単に女性として二人の馴れ初めを聞いてみたいという気持ちの両方があった。しかし前者のほうを出せば、メアリに感づかれてしまう。ティアラは後者のほうの気持ちを意図的に強く押し出した。ティアラはこのあたりのことはフリッツとは違い、意外と器用にやってのけるのだった。
 メアリは照れながら少しためらった後、ティアラのきらきらした視線に負けて話し始めた。

「主人と出会ったのはこの子が生まれる一年前だから、三年前になるかしら。当時わたしはこの街の診療所で働いていてね、そこで患者として出会ったのがうちの主人なんだけれど」

 メアリはいたたまれないのか、砂糖を新たに入れたわけでもなく紅茶をスプーンでかき回した。彼女の隣にはちょこんとマリィが座って、小さな手でお菓子をつまみながら食べている。
 患者という言葉が、ティアラの中で引っかかった。

「カーソンさんはご病気だったのですか?」
「大したものじゃないのよ。病気、とはっきり言えるものでもないし」

 メアリはきょろきょろとあたりを見回した。マリィ以外には誰もいないはずだが、確認せずにはいられなかったのだろう。

「これ、主人には内緒にしてね」

 メアリは声を潜めて、ティアラに耳打ちをする。

「うちの主人ね、俗に言う記憶喪失ってやつなの」
「…記憶、喪失」

 ティアラはその言葉を思わず呟いた。記憶を失っているということ。または、思い出せないということ。メアリはやや声のトーンを落として言った。

「ワルモーンに襲われて調子を悪くしたでしょ。あれはきっと、何かを思い出しそうになったことも原因だと思うの。あの人、ワルモーンに向かって斧を振るったと聞いたけど」
「フリッツさんとラクトスさんは、そう言っていました。見事な仕留め方だったと」

 ティアラがそう言うと、メアリは視線を落とした。

「やっぱり。視線を感じたことと、昔のように斧を振るったこととで、なにかを思い出しそうになったのかもしれないわね」

 メアリは紅茶を一口飲んだ。

「主人は三年前以降からの記憶しかはっきりと覚えていないの。わたしが初めて会ったときは、ぼーっと窓の外を眺めたり、たまに錯乱状態に陥って暴れたり。この人怖いな、手のかかる患者だなってくらいにしか思ってなかった。ああこの人は、自分というものを持てないで、おぼつかない足取りでこれからを生きていかなきゃならないのかなって不憫に思っていたわ。
 でも、どうしてかな。なんだか成り行きで好きになられちゃって、まんざらでもなくて、気がついたら結婚しちゃってた」

 メアリはいたずらっぽく笑った。メアリはマリィを抱き上げて自分の膝の上に座らせた。

「最初は同情から始まった恋だったけど、今はしあわせよ。あの人の今までがない分、これからわたしたち家族で思い出を作っていけばいいって思うの」
「素敵ですね」

 ティアラは微笑んだ。カーソンの記憶がないということに驚いていた。しかしメアリのカーソンに対する想いに、こころがじわりと温かくなった。過去に縛られず、今と未来を共に生きていく。メアリはその心構えを、ティアラにも打ち明けたのだった。

「内緒にしてよ。ティアラちゃんだから話したんだからね」

 マリィに小さく千切った菓子を与えているメアリを見て、ティアラは思った。
 なんて幸せな家族なんだろう。夫は妻を気遣い、妻は夫を支え、かわいい子供にも恵まれている。記憶喪失という、どこの誰かもわからない流れ者と、メアリは一生を共に歩む覚悟がある。
 
 しかしメアリも言ったように、過去がないというのは不安がつきまとうことだろうと想像はついた。今まで自分がどのような人間で、どのような人生を歩んできたか。今まで歩んできた道が見えない。それはこれから先をどう踏み出せば良いのかわからないことへと繋がるはずだ。

「メアリさんは、カーソンさんに記憶を取り戻して欲しいとは思わないんですか?」

 浮かんできた疑問が口を付いて出た。ティアラのまっすぐな眼差しに、メアリは苦笑する。

「今までの自分がないっていうのは、足場がふわふわしてて気持ちの悪いことだと思うのよね。だからあの人が思い出したければ、わたしもそれを望むわ。それがどんな過去だったとしても」

 どんな過去だったとしても。その言葉は、あらゆる可能性を考えている言葉だった。
 カーソンは記憶を失う前は、農夫だったかもしれない、牛飼いだったかもしれない、商人だったかもしれない。彼が自分で言うように、旅人であったかもしれず、冒険者であったかもしれず、ならず者であった可能性さえ無いわけではないのだ。
 昔の記憶を、過去を無くしてしまうほどの強い衝撃を受けるような、そんな経験をする人生を歩んでいたのかもしれない。

「でもそうじゃないから、あの人は記憶を思い出せずにいるのだと思うの。だったらそんなもの、要らないわ。先に進むことへの足枷になるだけの過去なら、そんなものは要らない。わたしがあの人の杖になって一緒に進んで行くから、過去なんか要らないわ」

 その言葉を聞いて、ティアラは自分が恥ずかしくなった。テーブルの下で、スカートをきゅっと握り締める。
 必要なことだとはいえ、こんなに一生懸命にしあわせになる方法を考えている二人に、自分たちは探りを入れるようなマネをしている。そっとしておくべきで、過去を無理やり掘り出すべきではないのだ。しかし肝心のカーソンの過去は、メアリもよく知らないようだった。ティアラは聞き出さなくて良いことに内心ほっとしていた。
 それでも、先日のワルモーンの件のように、記憶を取り戻すきっかけになる事柄は存在する。ティアラはメアリの目をまっすぐ見つめた。

「もし、もしもです。カーソンさんが昔のことを思い出したら、どうしますか?」

 メアリはティアラの目を見返した。

「何も変わらないわ。変わる必要もないもの。今までと変わらず、あの人と暮らしていくだけよ」

 メアリは膝の上のマリィを抱きしめると、微笑んだ。その微笑には、言葉通りの気持ちが込められているに違いない。ティアラは目の前のメアリに畏敬の念さえ抱いた。家族以外の誰かを心から愛するということを、自分はまだ知らない。それはまだまだ、自分が子供で未熟であるということだった。
 ティアラは思わずため息をついた。

「メアリさんみたいに素敵な女性に、わたくしもなれるでしょうか」

 紅茶をちょうど飲んでいたメアリは、ごほごほとむせてしまった。息苦しさと恥ずかしさに顔を赤くしたメアリは頬を抑えながら言った。

「やめてよ、わたしみたいにだなんて。ティアラちゃんはもっとずっと、素敵なひとになれるんだから」
「ふふ。ありがとうございます」

 ティアラは微笑んでカップに口をつけた。メアリはマリィを隣の椅子に座らせると、かけておいたエプロンを身につけた。

「さてと、そろそろ夕飯の買い物行かなきゃね」

 それを聞いて、ティアラも腰を上げた。

「今日はわたくしが行ってきますわ。カーソンさんも早めに戻られるようですし、お迎えしてあげてくださいな」
「でも悪いわ。六人分の食材を一人で持つの、けっこうくるのよ」
「大丈夫です。まだ若いですもの」

 ティアラは買い物籠を持って、すでに出掛ける用意をしていた。

「あら。じゃあお言葉に甘えて、お願いしちゃおっかな」

 メアリは笑って、ティアラはステラッカの街へと久々に足を向けた。







 人通りの多い、この街唯一の大通り。一人の少女が、歩いていた。
 足元がおぼつかないわけではない。しかしなにか空虚さの漂う様子だと見えなくもなかった。少女の肩が、男の腕にぶつかった。少し、触れただけだった。しかし少女は、体当たりされたかのようにしりもちをついてしまった。それが逆に、男の気に障った。男は二人組みで、このあたりのゴロツキだった。転んでしまった少女の襟首を掴んで、無理やり立たせる。

「なんだお前、女のくせに当たり屋かぁ? よりにもよっておれさまに目をつけるとは、いい根性してるじゃねえか」

 少女は何も言わない。力なく、されるがままになっていた。少女の力ない瞳を見て、男はつまらなくなった。わざとぶつかってきたのではないと悟り、連れの男と顔を見合わせる。少女の反応を期待していただけに、がっかりしたのだ。

「つまんねえ女」
「ちぇっ、金も巻き上げらんないぜ、行くぞ」

 ゴロツキたちは早々に興味をなくし、少女を突き放した。少女はよろめいたが、再び地面に膝をつくようなことはなかった。

「ザコのくせに」

 背後から声がして、ゴロツキは足を止めた。後ろには今しがた突き放した少女しかいない。

「あァ、なんか言ったかお嬢ちゃん」

 男はポケットに手を突っ込んだまま、腰をかがめて少女を睨みつけた。少女の顔と真正面に向かい合う形になる。少女は顔色一つ変えず、男の横っ面を思い切り殴った。男は予想外の攻撃と威力に驚いて身体をぐらつかせた。

「このアマァ! なめやがって」

 もう一人の男が頭から突っ込んでくる。少女はそれを、身体を軽く反らしただけで避けた。そして男が横を通りすぎる瞬間、腹に膝蹴りを食らわせる。男はうめいて、地面に膝をついた。最初に殴ってやった男が襲いかかる。両手を挙げて、まるでモンスターのようだった。

「遅い」

 少女は吐き捨てる。跳躍すると、男の顎につま先で蹴りを食らわせた。







 日も傾き、ステラッカの街はオレンジ色に染まりつつあった。
 家々の影は長くなり、子供たちももう帰ろうという時間だ。気の早い商店は客が途切れるのを待って店を閉めようとし、またある者は夕暮れのひと時の談笑を楽しむ。開け放した窓から通りへと包丁の軽快なリズム音が流れ、スープの香りが人々の鼻をくすぐる。
 小さな街ながらも、この時間は仕事から帰宅しようという人々で溢れていた。皆仕事を終えたすがすがしい顔だ。仕事は大変だったろうに、それでも夕食を心待ちにする人々の足取りは軽い。

 人々の流れが止まった。なにかの人だかりができている。ティアラは不思議に思って覗き込もうとしたが、人の垣根に邪魔されて何も見えない。ただごとではないはずだ。
 男達がやんややんやとはやし立てている。この独特の雰囲気は、きっとケンカだろう。争い事が嫌いなティアラは、視線を伏せて通りすぎようとした。しかしティアラの耳に、嫌でも喧騒が飛び込んでくる。

「相手のリーチが長すぎる、危ない! おっ、避けた」
「すっげえなあの娘!」
「ちっせえ身体でよくやるなあ。弓持ってるけど、使う気配は無いな」
「そりゃ接近戦は無理だろうよ。あたしらにに当たったらどうするつもりだい」
「あ痛! おいおい、大丈夫か」

 ティアラは再び足を止めた。まさかという思いがよぎる。買い物籠を抱えたまま、人ごみの中に飛び込んだ。

「すみません。通してください!」

 人の合間を縫っていくティアラを、人々は不審そうに見る。振り上げた人々の腕に当たったり、押しつぶされそうになりながらも必死で人ごみを掻き分けた。やっとの思いで中心に辿りつく。そこにはすでに倒れた巨漢と、構えを取る男。そして毅然とした態度で立っている少女が居る。

 間違いなく、ルーウィンだった。

 ティアラは自分でも考えられない行動に出た。突然飛び出して、ルーウィンの腕を掴んだのだ。そしてそのまま人々の中に分け入り、人だかりを抜けて走り出した。巨漢たちは既に限界だったらしく、二人を追おうとはしなかった。観客も、楽しみを奪う輩など言語道断だったが、ティアラの様子があまりにも必死だったため止めなかった。ティアラは細いルーウィンの腕を引いて、走りつづけた。
 
 二人はしばらく走って、林に身を隠した。無感動だったルーウィンの目が、次第に光を帯びる。黄昏時の光が、木漏れ日となって侵入してきた。息を切らせて苦しそうにしているティアラを、ルーウィンは気遣わしげに見た。

「…ティアラ」

 息も絶え絶えだが、今はそんなことに構っていられない。ティアラはルーウィンに向き直る。ルーウィンには血がついていたが、それが相手のものだとわかってティアラはほっとした。

「探しましたわ。今までどこに居たんです? お二人も心配されて」
「ごめん」

 ルーウィンは視線を逸らす。ティアラは少なからず驚いた。こんなにしおらしくしているルーウィンははじめてだった。

「いったいどうなさったのです?」

 この問いは、先ほどのルーウィンの行動と、最近姿を見せないことに対するものだった。しかしそれにはルーウィンは答えなかった。

「あたしとここで会ったこと、あいつらには内緒にしててくんないかな」
「探されたくないのですか」

 ティアラがまっすぐな視線で問いかける。今度はルーウィンは目を逸らさない。
 しっかりと受け止めた。

「まあ、そんなところ。まだやらなきゃならないことがあるの。じゃあね」

 踵を返して立ち去ろうとするルーウィンに、ティアラは不安を覚えた。自分たちは何のためにここにいたのか。ルーウィンを見つけ出すためだ。
 やっと出会えたというのに、ここでみすみす別れてしまって本当に正しいのだろうか。このまま行かせてしまって良いのだろうか。

「戻ってきてくれますね」

 ティアラは、声を掛けるので精一杯だった。無理やり連れ戻すのは間違いだと感じていた。今はまだ、その時ではない。ティアラの中のなにかが、そう言っていた。
 ルーウィンは足を止め、首だけで振りかえった。そこには力ない微笑が浮かんでいた。ティアラには、夕陽の逆光で表情が上手く読み取れない。

 しかしそれは、ひどく悲痛な、寂しげな微笑だった。






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