小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

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【第5章】

【第八話 答え合わせ】

「どうしてそのまま連れてこなかったんだ!」

 案の定、ティアラはラクトスに怒鳴られてしまった。カーソンの家の裏で、二人は話をしていた。街でルーウィンに会ったこと、そしてそのまま行かせてしまったこと。ティアラはありのままを話したのだ。

「すみません。でも、わたくし後悔はしていませんわ。あのままルーウィンさんを無理に連れてきたところで、根本的な解決にはならないと思ったんです」

 ティアラは申し訳なく思っていたが、項垂れることはなかった。しかし、ラクトスは声を荒げる。

「なんのためにおれたちがここに居ると思ってる! あいつのため、あいつのせいだぞ! これだけ手間かけさせやがって、それなのに」
「わかっています!」

 とうとうティアラも声を大にして叫んだ。それを見てラクトスは、自分の頭に血が上っていたことに気がつき、一つ舌打ちをした。街で会ったときのルーウィンの様子を思い出して、ティアラは思わず地面を見つめた。

「あんなルーウィンさんを見たのは初めてで。わたくし戸惑ってしまったんです。かける言葉にすら迷ってしまって」

 あのルーウィンが申し訳なさそうに目を伏せたのだ。ルーウィンの帰りを心待ちにしていたティアラも、さすがにそのような表情を見ては強引に連れ戻すことは出来なかった。
 もっと色々聞くべきことはあった。言うべきこともあったはずだ。しかしルーウィンの痛々しい瞳を見て、ティアラは思わず言葉を失ってしまったのだ。今どんな気持ちで、何を考えているのか。ティアラには想像することしか出来ない。

 開け放した窓から、風に乗って家々の夕餉の匂いがする。夕暮れの涼やかな風を感じて、ティアラはため息をついた。こんな時間は、人間どうも切なくなるものだ。ルーウィンが一人で居ることを考えると、居たたまれない。今日もルーウィンは一人で食事をするのだろうかと考えて、ティアラの胸は痛んだ。
 しばらくして、落ち着きを取り戻したラクトスは口を開いた。

「それよりも。言いだしっぺが覆すのはなんなんだが、話しておきたいことがある」

 その言葉に、ティアラは顔を上げた。

「おれたちは根本から、勘違いしてた。間違っていたんだ」
「勘違い、ですか? 根本からって、いったいどういう」

 ティアラは大きな瞳でラクトスに問いかける。ラクトスは苦々しげに吐き捨てた。

「あいつは、最初から嘘をついていたんだ」








 この日、樵たちの仕事は早めに切り上げられ、カーソンはフリッツとラクトスを伴い早々に家路へとついていた。ティアラが街でルーウィンと遭遇し、ラクトスにその報告をしている一方で、そんなこととは露知らずフリッツはカーソンと森の中へ出掛けていた。メアリに山菜をとってくるように言われ、気分転換の散歩もかねて二人で出掛けた。カーソンは無心になって地面を見つめ、きのこや山菜を探している。
 しかしフリッツは、心に決めていたことがあった。ラクトスに相談してみたが、一笑されて流されてしまった事柄だった。
 カーソンに忘れた過去を思い出させる。
 それで全てが解決するはずだ。カーソンにダンテであったときの頃を一刻も早く思い出してもらわなければと、フリッツは考えていた。フリッツは持っていた皮袋の中からおもむろに弓矢を取り出した。かなり不自然だが、致し方ない。

「カーソンさん、街で売っていたのでつい買っちゃったんですけど」

 自分で言いながら、なんて気の利かない文句だろうとフリッツは愕然としていた。その顔には不自然な笑みを貼り付けている。しかしカーソンは気に留めず、差し出されるままに弓を手に取った。

「ほお、弓だね。懐かしい。触るのは久しぶりだよ」

 カーソンはまるで子供が新しいおもちゃを与えられたかのように無邪気な反応をした。弓はフリッツがなけなしの小遣いで買ったものだった。
 ティアラからカーソンの過去の記憶がないことを聞き、フリッツは行動出ることに決めた。ティアラはそっとしておきたいような素振りだったが、そうも言っていられない。カーソンの記憶をこじ開けるのは気が進まないが、これもルーウィンのためだと思うと、なんとしてでもやりとげなければと思えてくる。

 ダンテに馴染み深かった弓を持たせれば、何か思い出すのではないだろうか。安易な考えではあったが、やってみるより他なかった。フリッツはおずおずと尋ねた。

「あの、よかったら打ってみますか?」
「本当かい? それじゃあ、遠慮なく。ちょうどいい、あの木の実を狙ってみようか」

 カーソンは矢を構えた。打ち起こしまではなかなかの流れで、フリッツはうんうんと頷きながらその様子を見ていた。しかし弦を引く動作に、なにかぎこちないものを感じる。ためずにすぐに矢を放ったが、案の定、矢は狙った実を掠めることなく外れてしまった。見当違いの方向に飛んでいってしまった矢を見届けて、カーソンは恥ずかしそうに頭を掻いた。

「あはは、へたくそだな。かすりもしなかったよ」
「残念でしたね」

 フリッツは上手い言葉も考えられずに、こっそりとため息をついた。そう簡単に上手くいくはずがない。しかしフリッツは気を取り直した。

「ところでカーソンさん! ぼく、最近あることにはまってるんですけど」
「なんだい、唐突に? 今日のフリッツくんは面白いなあ」
「いいからいいから」

 弓はだめだった。記憶を失うと当時の持ち得た技術までも失ってしまうのだろうか? 
 しかしフリッツは、珍しく諦めなかった。可能性が無くなってしまうまで、どんなにバカげたことでもやってみせようと決めていたのだ。フリッツはカーソンを切り株に座らせた。そして今度は、ポケットから糸の先にコインを吊るしたものを取り出した。

「なにが始まるんだい?」
「催眠術です」

 フリッツはカーソンの目の前にコインを垂らした。そしてゆらゆらと左右に振りはじめる。催眠術で、過去を思い出すことがある、というのを何かの本で読んだことがある。催眠療法というものだ。

「コインを見ていてくださいね。あなたはだんだん…」
「ちょっと待って、フリッツくん」

 カーソンはフリッツの腕を掴んで止めさせた。さすがにこれは突飛すぎたかと、フリッツは苦笑いを浮かべる。フリッツの目論見は見事に崩れた。カーソンの表情は明らかに困惑している。
 普段穏やかなカーソンに不審な目で見られるのは、なんとも耐え難いことだった。フリッツは思わずカーソンに背中を向ける。

「どうしよう。こうなったら強いショックを与えるしか。でも失くした原因が強い衝撃だったときに、同じ衝撃を与えるって聞くし。もし原因がそうじゃなかったら、ぼくはただカーソンさんを鈍器で殴るだけの結果に…」
「フリッツくん」

 再度カーソンに声を掛けられ、我に返ったフリッツは振り向いた。

「フリッツくん。もしかして、メアリから何か聞いたのかい?」

 カーソンはもう、わかっている。フリッツは早くも観念した。これ以上下手に隠しては、フリッツに不信感を抱かれかねない。

「すみません。カーソンさんが記憶を無くされていると聞いて」

 フリッツは正直に答えた。カーソンはがっかりしたという様子でもないが、ふうとため息をつく。

「それで、わたしの記憶を思い出す手伝いをしてくれるつもりだったのかい? 生憎だが、わたしは今の状況になんら不満を持っていない。むしろ生まれ変われたようで、清々しいくらいなんだ。妻にも出会えたし、マリィにも恵まれて」
「それじゃダメなんです!」

 カーソンの言葉を遮り、フリッツは思わず大声をあげた。

「カーソンさんが良くても、それじゃ困るんです。記憶を無くす前のカーソンさんにとって、大事だったものや、大切だったひとはどうなるんですか?」

 フリッツはルーウィンの心中を思った。
 共に旅をしていたダンテと何らかの事情ではぐれ、やっと見つけ出したと思ったら、当の本人は過去を忘れていた。しかも奥さんも子供もいて、新しい生活を始めている。以前の「ギルド潰し」という、ならず者としてではなく、樵という職をもって家族を養い幸せそうに暮らしている。そんな中で、どうしてルーウィンが姿を現すことができるだろうか。

 普段の彼女なら、相手の事情などおかまいなしにずかずかとやってくるだろう。しかし、今回は違う。相手はダンテで、フリッツの知る限り、ダンテはルーウィンにとって最も大切な人間であるはずだ。そのダンテの幸せを、彼女が壊そうとするわけがない。だからこうして、ルーウィンは今も身を潜めているのではないだろうか。

「確かにそうだが。それは一体、どういう意味だい?」

 それはどうしてフリッツがそこまでカーソンの過去に拘るのか、という問いだった。フリッツとカーソンはもともと赤の他人だ。ルーウィンのことがなければ、ここまで過去の記憶について必死になることもない。
 フリッツは心を決めた。

「ラクトスにはまだ話すなと言われていたんですが、ぼくはもうお話するべきだと思います」

 後でラクトスには怒られるかもしれないが、ここまできてしまったものは仕方ない。
 傾いていた陽はだんだんと高度を下げ、最後の輝きが遠く山並みに消える頃だった。オレンジ色に差し込んでいた光たちは徐々に影を潜め、空は青のグラデーションを帯びていく。夜が森に、侵入する。その境目の時刻。
 フリッツはカーソンに向き直った。

「ぼくらは、もう一人の仲間と四人で、このステラッカにやってきました。その一人は、この街に入るとすぐに姿を消してしまいました。ぼくらは彼女を捜しているんです」
「彼女?」

 切り株に座ったまま、カーソンは呟いた。

「ギルド潰しのダンテって、ご存知ですか?」

 カーソンの顔色が変わった。フリッツはそれを確かに見た。

「彼女はその、ギルド潰しのダンテの弟子です。ぼくが彼女と出会った頃は、数年前にはぐれてしまって、一人でダンテさんを捜しているのだと言っていました。その彼女が、ルーウィンがここへ来て姿を消した。それでぼくらは、ダンテさんが見つかったのではないかと考えました」
「それが、わたしかい?」

 フリッツは頷いた。

「最初からぼくたちは、そうなんじゃないかという希望を持ってあなたの護衛を引き受けました。はじめはその推測に自信はありませんでしたが、カーソンさんの過去のことを考えると、やっぱりそうだとしか思えなくて」

 元冒険者の、今は記憶を無くした男。ダンテが三年前に一時姿を消した時期と、カーソンがこの街にひょっこりやってきた時期とは重なる。
 フリッツはカーソンの目を見つめた。

「教えてください。あなたはルーウィンを知っているんですか? あなたは、ダンテさんなんですか?」

 フリッツの問いに、カーソンは視線を逸らした。フリッツは辛抱強く待った。「違う」という答えがすぐに出ないということは、なにかあるということだ。
 陽は完全に沈み、夜の帳がステラッカの森に落とされようとしていた。先ほどまで鮮明だった光と影は、今では影に飲み込まれて一つになるところだ。夕暮れを待っていた虫たちが、あたりの草むらで静かに鳴き始める。
 カーソンはしばらく押し黙っていたが、やがて深く息を吐いた。

「ここ最近、ささいなことだが、色々と昔を思い出すきっかけになることがあった。視線を感じるようになったこと。昔のように斧を振るったこと。そして、ある少女に会ったこと」

 フリッツは息を呑む。ルーウィンのことだと、すぐにわかった。
 カーソンは自分に話してくれる気になったのだ。影で青くなった森の中で、カーソンは腰掛けたまま話し始めた。

「わたしは、こうして暮らしていて尋常でない恐怖を感じることが多々ある。それも、他の人にとってはどうでもいいような事柄ばかりにだ。ただの臆病者なのかもしれないが、昔のことをおもいだすきっかけになりそうなものを見たり触れたりしたときに、そうなるのではないかと思う」

 カーソンは顔を両手で覆った。穏やかな口調ではあるが、その声音は疲れていた。過去がわからず、そのために怯え、疲れてしまった男がフリッツの目の前にいた。フリッツはカーソンを気の毒に思った。幸せな家庭を持つカーソンだったが、彼は彼なりに思い悩んでいたのだ。

「実はラクトスくんに初めて会う前、わたしは街である一人の少女とすれ違ったんだ。ピンク色の髪を一つに束ねた、弓使いの少女だった。その時になぜか、強い恐怖を感じた。しかしいつものことだと思い、あまり深くは考えなかったんだ。あの少女につけられる身の覚えなどないしね。最も、今のわたしには。しかし彼女の正体を知れば、それも合点がいく」

 カーソンはルーウィンのこともすっかり忘れてしまっているということに、フリッツは強いショックを受けた。今こうしてフリッツが明かさなければ、このままルーウィンを思い出すこともなかったのだろうか。
 カーソンは顔を上げてフリッツと視線を合わせた。

「わたしには思い出したくない記憶と、思い出せない記憶とがあるような気がするんだ。前者は未だにおぼろげで、ある事情からきみたちに話して聞かせることはできない。しかし、後者は昨日、かすかにだが思い出してしまった。どうして忘れていたのかと、不思議に思ったくらいなんだ。昨日の夕飯に何を食べたかを思い出したような、そんな感覚だ。しかし、ことはもっと重要だが」

 カーソンはやや不安げな表情を浮かべた。彼は葛藤しているのだと、フリッツにもありありと見てとれた。もういいです、と言ってしまいたくなるのをフリッツは懸命にこらえた。カーソンから思い出した過去を聞いている自分は、人の隠していたものを無理やり晒そうとする悪人のように思えた。

「怖かったんだ。記憶を忘れてしまったのは、きっとわたしが忘れてしまいたいと願って蓋をしたからだ。そんな忌まわしいものを思い出せば、今までのわたしではいられなくなるのではないかと。抱えたくない過去をひきずって、もしかしたら妻や子供にも迷惑をかけてしまうのではないかと。このまま暮らしていけないのではないかと。
 しかし、きみたちには命を救ってもらった恩義がある。思い出したことを、きみに話すよ、フリッツくん」

 カーソンは重々しく口を開いた。

「わたしはかつて冒険者だった、そのはずだ。そしていまはギルド潰しと呼ばれる、ダンテ=ヘリオとも旅をしていた時期がある。彼はかつてのわたしの戦友だ」
「戦友?」

 フリッツは繰り返した。カーソンは頷く。

「ダンテはわたしがまだ若い頃、ともに北大陸を旅した仲間だ。彼の腕はすばらしかった。飛ぶ鳥を射落とし、放たれた矢さえ相殺した。理想を語る熱い男で、彼にはよくしてもらったことを覚えている。いや、思い出したといったほうが正しいな。風の噂で彼がギルドを襲うようになったと聞いたが、どうしてそこに至ったかのか、わたしにはわからない」

 正直、拍子抜けしてしまった。今までカーソンはダンテだと思い込んできたのだから、無理もなかった。しかし、フリッツは気を取り直す。カーソンはダンテではない。しかしこれは、振り出しに戻ったのではない。 なぜルーウィンがカーソンを執拗に付回す必要があったのだろうか。それを考える必要がある。

「ではなぜ彼女がわたしをつけているのかと、そう訊きたい顔だね」

 フリッツの顔を見て、カーソンは苦笑した。しかし次の瞬間、カーソンの顔にわずかな恐怖が浮かんだ。

「彼女は、わたしを殺したがっているんだ。ダンテの死を前にしてなにも出来なかった、このわたしを」

 フリッツは頭の中が真っ白になった。
 殺したがっている? 誰が、誰を。
 ダンテさんがなんだって?
 フリッツはそう思うのと同時に口を開いていた。

「殺したがっているって、どういうことですか? それに、ダンテさんが死んだ? だってルーウィンはダンテさんを捜して旅をしているはずじゃ」

 フリッツはわからなくなった。話がかみ合わない。ルーウィンはダンテを捜して北上していたはずだ。しかしそこまで口に出して、フリッツはある一つの可能性に行き当たった。
 一人で身を隠して、ダンテのかつての仲間をつけているその理由。
 思い当たるのは、一つしかない。

「彼女が捜しているのはダンテではない。その仇だろう。ダンテは数年前に確かに死んだ、いや」

 カーソンは苦悶の表情を浮かべた。事実を思い出したカーソンがどんな気持ちになったか、彼の顔に深く刻まれた皺がその全てを物語っていた。

「殺されたんだ。かつての仲間たちに」

 フリッツは立ち尽くす。
 生ぬるい風が、夜の木立をかき鳴らした。









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