【第七話 盗賊のねぐら】
ルーウィンは、盗賊に捕まっていた。
こんな状況に陥ったことについて言い訳をするのなら、怒っていて油断したからとしか言いようがない。路銀の入った皮袋を見つけ、道に戻ろうとしたところで後ろから襲われたのだ。
どうして他人に戦闘スタイルをとやかく言われなければならないのか、ルーウィンは非常に腹を立てていた。物心ついた頃から旅をしている自分が、数時間前に家を出たばかりの貧弱な少年になぜ注意されなければならないのか。それもモンスターを殺すな、などと甘いことを言う。初心者はこれだからと笑い飛ばせばよかったが、生憎ルーウィンはそこまで大人ではなかった。
怒りで他のことに気が回らないというのは、まだまだ人間がなっていない証拠だ。しかも、あれしきのことで。そういう状況下において力を発揮する人間も知ってはいるが、ルーウィンは違う。怒りに任せて攻撃すれば、威力はあるが当たりはしない。それでは意味がないのだ。周りが見えなくなり、必要以上に被害を与えることもあるとルーウィン自身わかっていた。
(それなのにこのザマか。やんなっちゃう)
横穴を掘っただけのアジトであるため、今捕まって入れられている牢屋も地面がむきだしのままだ。寝転んで伸びようものなら背中が汚れる。唯一接触している尻からわずかに冷たさが滲んできた。手には金属の錠がつけられ、赤紫に変色している。おまけに足につけられた縄がきつくひりひりと痛い。ルーウィンの苛立ちと不快度指数は極限に達しようとしていた。
結局のところ、今回のことで悪いのは生意気なフリッツと、至らない自分だという答えに帰結し、ルーウィンはため息をつく。いい加減に、この体勢を維持するのにも疲れてきた。運が良かったのは、足元の枷はただのロープだということだ。
「ねぇ、いいかげんに出しなさいよ。ここの場所誰にも言わないから」
ルーウィンは見張りの盗賊に向かって大声を上げた。
「うるさいぞ! ちょっとは黙ったらどうだ」
「やっぱりさるぐつわもしといた方がよかったんじゃないか」
見張りの二人がルーウィンの牢を覗く。ルーウィンは顔を上げて笑った。
「やれるもんならやってみれば。それよりなんか食べるものちょうだいよ、お腹減っちゃった」
ふてぶてしい態度をとる少女に、男達も限界に達したようだ。普通の少女なら不安に駆られ泣き出すところなのだが、目の前の少女は違った。力のこもった瞳で、不敵にこちらを見上げてくるのだ。位置的にはこちらが見下しているはずなのに、なぜか優位に立っている少女に見張りたちは無性に腹立たしくなる。口を開けば生意気な、小ばかにするような台詞ばかりだ。
「おい、なんか持って来い布みたいなもの! このガキの口に詰めてやれ、息が出来ないくらいにな」
「へい」
格下らしき若造が返事して、ルーウィンの牢が開けられる。
「口の減らないガキめ。これでも食って大人しくしてろ!」
見るからに汚らしいボロ布を持ち、下っ端はじりじりとルーウィンを壁の端まで追い詰める。
ルーウィンは後退しながら、平静を装った。ブーツの内側から抜き取った刃物の破片で、すでに脚もとの縄は切ってあった。下っ端との距離が十分に縮まったところで、タイミングを見計らい足を踏ん張り、思いきり立ち上がる。下っ端の顎にルーウィンの頭が直撃した。ふらついて前のめりになったところを、後頭部めがけて両手を叩きつける。手首につけられた金属性の手枷によって、ダメージは確かなものとなる。
「おい、下っ端。お前そんな小娘一人になにてこずって」
中の様子がおかしいともう一人が顔を覗かせたところを、手枷で顔面を叩きつけた。自由に開放した脚を相手の鳩尾に入れる。男はそのまま黙り込み、うめき声ひとつ漏らさず倒れこんだ。
「牢の鍵が開いたままよ。戸締りには気をつけたら?」
男の腰から鍵を抜き取ると、ルーウィンは器用に自分の手枷を外し、なんなく牢から脱出した。持っていた弓矢は案外近くに隠されていて、どこまでこの盗賊たちは頭が悪いのかといぶかしんだ。長い旅をともにした弓を取り戻し、ルーウィンはほっとした表情を浮かべた。
牢こそ鉄格子で作られていたが、この盗賊のアジトらしき場所は横穴だった。しかしただの横穴にしてはなかなか立派で、もともとあったものを掘り広げたのだろう。迷路のような作りがやっかいだが、おそらく出口は近いはずだ。こんな田舎の盗賊が大きなアジトなど持っているわけがない。
一度は盗賊たちの昼寝現場に居合わせ、冷や汗をかいた。しかし彼らのいびきはすさまじく、誰もルーウィンの気配に気がつく者はいなかった。
しかし、ある横穴部屋にさしかかり、ルーウィンは人の気配を感じた。確かな気配はあるが、姿は見えない。ルーウィンは矢筒に手を伸ばした。戦闘態勢をとったところで飛び掛られることも想定していたが、その様子はない。ルーウィンは矢を元に戻し、今度はポケットに忍ばせたナイフに手を添えた。
こちらが相手を確認できないのも、室内であることも、彼女の得手である弓を使うには条件が厳しかった。ルーウィンはいつでもナイフを取り出せるようにしながら、ゆっくりとあたりを見回した。その時、足元に何かが勢い良く飛び出してきた。思わずルーウィンは声をあげた。
「…うっわ」
「あっ!」
二人が声を出したのはほぼ同時だった。フリッツは顔を輝かせて。一方、ルーウィンはげんなりとして。物陰から、ルーウィンの足元にフリッツが転がってきたのだ。フリッツはロープでぐるぐる巻きにされ、ミノ虫のような状態で床に這いつくばっていた。
「助けにきてくれた、わけじゃないわね。その様子からすると」
ルーウィンはあきれた顔でフリッツを見た。フリッツはあまり抵抗しなかったため、ルーウィンとは違い牢には入れられなかった。ぐるぐるに巻かれて、物置にほったらかしにされていただけだった。ルーウィンからの突き刺さる冷たい視線に、フリッツはぐっと耐える。
「そう言いたいのは山々なんだけど」
ルーウィンは顔を背け、そのまま通りすぎていった。フリッツは身をよじり、彼女の行方を顔で追う。
「ちょっと待って! 呆れるのは分かるけど助けてよ!」
フリッツの死角、つまり見張りの男達がいる方からかすかな物音がした。どさっとなにかが倒れる音とともに、仏頂顔をしたルーウィンが現れる。
「先にやっといた」
「ルーウィン、ありがとう!」
ルーウィンは手際よくフリッツのロープを切ってやった。ようやく開放されたフリッツは、うーんと伸びをする。拘束されて転がっていなければならないのは、予想以上に疲れることだった。
「気絶させただけだから急いで。また見つかったら今度こそ危ないわよ」
ルーウィンが先に進み、フリッツはその後ろを木刀を構えて進んだ。ルーウィンの予想通り、洞窟の終わりはすぐそこにあり簡単に外に出ることができた。外に見張りはおらず、幸いにもその後は山賊の一味と遭遇することはなかった。二人は獣道を下って狭い山道に出た。
しばらく走って距離を稼ぎ、ガーナッシュへと続く街道に辿り着く。ルーウィンはガーナッシュの途中で、フリッツはガーナッシュで襲われ、街の手前のアジトへ連れて行かれたのだった。
ひとまず安全だろうというところで、二人は一度立ち止まった。フリッツはまだ息が切れていたが、ルーウィンに助けてもらったお礼を言おうと向き直る。
「本当にありがとう、ルーウィン。もし君が来てくれなかったら」
「あのさあ」
ルーウィンはフリッツの言葉を遮った。
「感謝されてる最中に言うのもなんだとは思うけど。今回はたまたま運がよかったけど、もしあたしがここに居なかったらどうなってたと思う?」
「それは」
フリッツは言葉に詰まった。
「死んでた。確実にね」
「…うん」
ルーウィンは背を向けた。フリッツは視線を地面に落とす。
「あんたさ、やっぱ向いてないよ、こういうの」
ルーウィンの声はもう怒ってはいなかった。ただ呆れ、そして失望のようなものが感じられた。
「ガーナッシュに行って、用を済ませる。そしたらあんたはギルドで護衛でも雇って帰りなよ」
「あんたはって、じゃあルーウィンは」
「このまま北上するわ」
後ろを向いたままルーウィンは言った。
「あたしの決意はどうしたって変わらないもの。帰ったらマルクス師匠に伝えてくれる? 約束どおり、魔法使いの紹介状書いて送って欲しいって」
「…わかった」
そう答えるしかなかった。フリッツの胸は、ぎゅっとつねられたように痛んだ。子供の頃によく味わった、懐かしい痛みだった。相手からの失望。がっかりされたときに感じる、あの胸の痛みだ。
それから二人は、ガーナッシュへと続く道を進んだ。しばらくの間、どちらも一言も話さなかった。