【第八話 彼女の事情】
「ねえ」
山賊のアジトを脱出してから、ルーウィンは初めて口を開いた。またなにか言われるのかと思い、びくっとしたフリッツだったが、彼女の顔を見てほっとした。お咎めではなく、どうやらやっと口を利いてくれる気になったらしい。
「な、なに?」
ようやく気まずい沈黙が破られ、フリッツは表情を緩めた。そのはずだったが、少し声が上ずってぎこちない返事になった。
「あたしを捜しにガーナッシュのギルドに行ったんだったわよね。ギルド、どんなかんじだった?」
「うーん、どんなかんじって」
一言で言えば、散々な有様だった。冒険者の情報交換の場であり、冒険者のサポートをするというギルドとしての機能は一切果たされてはいなかった。ふぬけた冒険者くずれが、葉巻や酒に入り浸っているだけだ。あげくテーブルやワインボトルが飛んでくる乱闘騒ぎになり、フリッツはギルドを後にしたのだった。
「そういうわけで、ガーナッシュのギルドは最悪だよ。せっかく街には腕のいい職人さんが揃ってるっていうのにね」
「三年前くらいだっけ。ギルド潰しに襲われて、看板とられたんだったわよね。そのせいもあるの?」
「知ってるんだね。うん、そのせいでギルドの評判が落ちて、仕事の依頼が減ってるっていう話だよ」
それを聞いて、ルーウィンは再び黙り込んだ。フリッツは、自分が何か気を害するようなことを言っただろうかと、うなって考えこむはめになった。
日も傾き、夕暮れ時が迫っていた。遠目にガーナッシュの街の門が見えはじめる。色々あったが、なんとかこの日のうちに無事に街へ辿り着けそうだ。夜になる前に街につければ、それにこしたことはない。フリッツは安堵でいっぱいになって、ふうとため息をつく。
「さてと。無事に着いたことだし、さっさとあんたのおつかいを済ませましょ」
おつかいが済めば、ルーウィンとはそこで別れることになる。せいせいすると思えたら良かったのだが、今のフリッツはそう思えなかった。寂しいというわけではなく、ルーウィンにがっかりされたままで終わってしまうのが心残りだった。
二人は木彫りで出来たガーナッシュの門をくぐった。
ガーナッシュは街とはいっても、村に毛が生えたような程度の規模の街だった。フラン村に近い雰囲気で、夕暮れ時の小道も閑散としている。違うのは、家屋の大半が商店であるということだ。店先に並べた商品を店主たちが片付け始めている。鍛冶屋はいくつかあるらしく、カンカンと鉄を打つ音もまだ聞こえてきてはいるが、急がなければ店仕舞いしてしまうかもしれない。二人はマルクスに教えられた店を捜して、しばらく街をうろうろと歩いていた。
角を曲がったところで、酒臭い男に出くわした。フリッツはあっ、と思う。昼間ギルドで酒びたりになっていた冒険者の中に、こんな男がいたような気がした。
「おや、そっちのじょうちゃん、どこかで会った覚えはないか?」
口から酸味がかった息を吐いて、男はじろじろとルーウィンを見た。ルーウィンは不快そうに眉根を寄せる。
「ここに来るのは初めてよ。人違いじゃない? こんな顔、似たようなのがどこにでもいるわ」
ルーウィンはなんでもないように言った。男は首をかしげる。
「そうかなあ。おじさん、きみに会ったことがあるような気がするんだけどなあ」
うんうんとうなる男を無視して、ルーウィンは角を曲がろうとした。促されてフリッツもそれに続く。
「おじょうちゃん、そんなに急いでどこ行くんだい? おじさんたちと遊ばないかい?」
酒臭い男がゆらりと振り返った。角を曲がると、その暗がりには柄の悪そうな冒険者が五、六人ほど控えていた。皆一様ににやにやと笑っており、恐ろしくもあり気味が悪い。
「あの時の仕返し、たっぷりとさせてもらうぜ!!」
「逃げるよ!」
ルーウィンはフリッツの腕を掴んで逆方向に走り出した。
「追え! 必ず捕まえろ!」
後ろで男たちの品の無い雄叫びが聞こえる。ひきずられるように駆け出したフリッツだったが、なんとか体勢を立て直しルーウィンに続いた。ルーウィンはある程度この街を知っているようで、裏路地や十字路を迷うことなく進んでいく。角を何度も曲がることで追跡者をまこうとしていた。しかし男たちも地元のギルドに入り浸っているだけあって、なかなか上手く引き離すことは出来なかった。
ある角を曲がってすぐの店にルーウィンはフリッツを押し込み、自分も滑り込んだ。幸いにも、来店客を知らせるベルがついていないドアだった。ガラスの部分から見えてしまわないように、ドアに身を引き寄せ体を低くする。男たちが「いたか!」「捜せ!」と叫びながらバタバタと駆けていくのが聞こえた。
どれくらいか経って、ようやく二人は警戒を解いた。フリッツは額の汗を拭い、ルーウィンは深く息を吐いた。フリッツはドアに背を預けて床へと崩れ落ちた。逃げ回っている間に、いつしか夕闇が迫ってきていた。薄暗くなったのも、上手く追っ手を撒けた要因の一つだろう。
「まさかガーナッシュでも追われることになるとは思わなかったよ」
フリッツは膝に手をついて息を整えようとした。ルーウィンも多少息が上がっているようだが、すぐにおさまったようで、今はしっかりと座っている。
「ねえルーウィン。まさかとは思うけどひょっとして食い逃、痛いっ!」
全部を言い終わる前にルーウィンから拳骨が飛んだ。
「ねえ。なんでルーウィンはこんなによく追いかけられるの?」
思えばフリッツと出会ったときから、ルーウィンは絶えず誰かしらに追われ続けている。そこまでされるからには、なにかそれなりの理由があるはずだ。しかし、ルーウィンは口をつぐんだままだった。その様子を見て、フリッツは慌てて取り消そうとした。
「言いたくないなら、いいよ」
しかしルーウィンは首を横に振る。
「ううん、あんたはあたしのせいで二度も大変な目に遭わせちゃったからね。聞く権利がある」
ルーウィンは床に腰を下ろしたまま、フリッツに向き直った。
「あたしの師匠のダンテはギルド潰しだったの。ギルド潰しのダンテ・ヘリオ。聞いたことあるわよね」
しぶったわりには、ルーウィンは簡単にそう言ってのけた。フリッツはぽかんと口を開けた。ギルド潰しのダンテ。その悪名は田舎のフランにも届くほど広く知れ渡っている。ルーウィンが女の子なのに強いのも、妙に旅慣れているわけも納得がいった。
「びっくりした。道理で強いわけだね」
ルーウィンは驚くフリッツを見て、不思議そうに眼をしばたかせた。
「それだけ?」
「なんで?」
今度はフリッツが首をかしげる番だった。
「普通はちょっと退くでしょ? 目の前の人間がギルド潰しの一味だなんて知ったら」
「そりゃ驚いたけど、でもルーウィンはルーウィンでしょ。この数日一緒にいて、なんだかんだで悪い人じゃないってことくらい分かるよ」
あの有名なギルド潰しの弟子となれば、恨みを買うことも多いだろう。今までルーウィンを追ってきていた者たちは、ギルドでの決闘にダンテでこっぴどく負かされたか、旅の道中でひどい目に遭わされたかに違いない。今はダンテとはぐれてしまったルーウィンが一人でいるのをいいことに、仕返しをしようとしていたのだ。
「勘違いしないで。ダンテはそのへんのゴロツキとは違う。正々堂々勝負して、食料と看板だけ貰ってくし。ギルドで暴れまわったりしないし。ぱっと見はちょっとガタイのいいおっさんかなって感じで、ギルド潰しだなんてわかんないし」
ダンテのことを話しているルーウィンは、今までに見た彼女の表情の中で一番柔らかいものだった。この数日間、追われっぱなしで緊張の連続だった彼女が初めて見せる顔だった。フリッツは怒られてばかりで、ピリピリしているルーウィンしか知らなかったが、きっとこちらのルーウィンのほうが本来の彼女なのだろうと思えた。フリッツが笑ったのを見て、ルーウィンは怪訝な顔つきになった。
「なによ?」
「ルーウィンはダンテさんのことが大切なんだね」
ルーウィンは眉を寄せた。そして次の瞬間、フリッツの顔面に容赦ない右ストレートが放たれていた。フリッツはうずくまってから、顔を上げ叫ぶ。
「痛あい!」
「ふん」
フリッツは両手でうずく鼻を抑える。ルーウィンはばつが悪いようで、後ろを向いてしまった。笑ったのはルーウィンの意外な一面がほほえましかったからなのだが、なぜがストレートを決められて涙目になる。
「じゃあルーウィンは師匠のダンテさんを捜して旅してるってことなんだね?」
「ま、そういうこと」
そっぽ向いたままでルーウィンは答えた。
店の奥から物音がした。どうやら店員がやっと二人の存在に気づいたようだ。
「おっ、いらっしゃい。お客さん、ってなんだ。ガキか」
店の奥から出てきたのは、頭をすっかり丸めて鼻にピアスをつけた青年だった。フリッツはそれを見て凍りつく。あまりにもあからさまな反応に、隣でルーウィンがため息をついた。
「ここはおもちゃの武器を売ってるわけじゃねえ。とっとと帰んな」
言葉を選ばない店員に、ルーウィンは気分を害したようだった。
「こんな店、すぐ出てくわよ。ちょっとフリッツ、いつまで固まってんの」
店員に気圧されてしまって動かなくなったフリッツを、ルーウィンは強くこづく。フリッツははっとしたように振り向いた。
「でもルーウィン、ちょっと待って。師匠の言ってた鍛冶屋さんってここだよ」
店員がランプを灯したことで壁に掛けられた店の名前が見えた。『トムじいさんの鍛冶屋』と書かれている。フリッツたちは、ちょうどマルクスに言われていた鍛冶屋に逃げ込んだのだった。
「なんだ、客かあ。それならさっさと刃物よこしな」
店員に促され、フリッツはぎくしゃくとした動きで背中の剣を鞘ごと抜き、渡した。店員は剣を両手で持ち上げてランプの明かりに晒し、目を細めた。
「ああ、この剣な。ずいぶんとまあ錆びてるなあ」
「すみません」
思わず謝ってしまったフリッツを店員は一瞥した。そしてぱちぱちと瞬きをした。店員は一旦剣をカウンターの上に置くと、突然立ち上がった。
「おい、ガキんちょ。ちょっとこっちに来て見ろ」
「へ?」
「いいから!」
フリッツは、ぎこちない動きながらも一歩を踏み出した。手招きされるままにカウンターへと近づく。
ルーウィンは外に出ようとドアに手をかけたまま、その状況を訝しげに眺めていた。店員はカウンターから身を乗り出して、じろじろとフリッツを眺めた。
「あ、あの…?」
フリッツは完全に怯えていた。
「お前、ひょっとしてあのフリッツか?」
突然の問いかけに、フリッツは思わず目を開いた。店員の手がフリッツの額にぴったりと当てられている。フリッツはわけがわからずに混乱した。しかし、過去に同じようなことをされた覚えがある。確か額の広さを測るのに、眉の上から髪の生え際まで何本指が入るかを図られたのだ。誰だったか思い出せずにいると、店員のほうが大きな声を上げた。
「そうだよなあ! カヌレ村のフリッツだろ? おれだよ、おれ。覚えてないか」
店員はポケットをごそごそいわせ、それからビン底のような分厚いメガネを取り出した。おもむろにそれをかける。丸いメガネが、きらっと反射した。それを見て、フリッツは両手を打つ。
「その顔! 思い出したよ、丸めがねのビリーだ」
ビリーはメガネに手を掛けると、再びポケットへとしまった。喜びで鼻息があらくなり、ぶら下がっているピアスが揺れる。
「いやあ、フリッツって聞いたときはどこにでもある名前くらいにしか思わなかったが、そのデコっぱち見てピンときたんだ!」
「そんなところで気がつかないでよ」
情けないやらびっくりしたやらで、フリッツは小さくそう呟いた。ビリーはそんなフリッツにはお構いなしに眺めまわす。
「にしても、相変わらず小せえなあ」
「そっちはずいぶん、その。変わったね」
かつての面影をすっかりなくした昔馴染みに、フリッツは当惑しながら言った。
「ん、ああ。都会の色に染まっちまったからな」
「どこがよ」
ルーウィンが静かに呟く。ガーナッシュなどまだまだ田舎で、都会と呼ぶには相応しくない。そんなルーウィンの言葉には気を留めず、ビリーは嬉々と話し始めた。
「ちょうどいい! 師匠が留守でさ。店閉めてしばらく里帰りでもしてろって言われたんだ。最近この辺りもぶっそうなんで心細く思ってたんだが、そっちの強そうなお嬢ちゃんがいれば心強い!」
「あら、結構見る目あるじゃない」
ルーウィンは早々に手のひらをひっくり返した。フリッツは昔なじみとの再会に驚いていたが、聞くべきことはしっかりと聞いていた。
「ちょっと待って! 師匠が居ないって、じゃあ剣の修理は」
「ああ、おれまだ見習いだから無理。トム爺さんは観光旅行に行っちまって、いつ帰ってくるかわかんねえよ」
「そんなあ」
フリッツは不満げに声をあげる。自分がここまで苦労してきたのはなんだったのかと言いたかった。しかし苦労したのは、ルーウィンと自分とのソリがあわなかったためだ。二人の仲が険悪になったのも、もとはといえばフリッツが修理費を落としたことにある。ここに居ない鍛冶屋や、同行させたマルクスを責めてもしかたがない。
しかしこの年になっておつかいもろくにできないのかと、フリッツはこの日何回目かの溜息をついた。
「じゃあビリー、ぼくはこれで」
剣をカウンターから取り、肩を落として帰ろうと思った。踵を返すと、襟元に違和感がある。見るとビリーがしっかりとフリッツを掴んでいた。
「何言ってんだよ! 同郷のよしみじゃねえか水臭い。お前も来るんだよ」
「ええ! なんでぼくまで」
フリッツは心底迷惑そうな声を上げた。一方、関係のないルーウィンはひょうひょうとしている。
「いいじゃない。マルクス師も里帰りしてこいって言ってたし。なんだったっけ、ほら、誰かによろしくって言ってたじゃない」
あっさりとルーウィンが賛成して、フリッツは声を落とした。
「…そうだけど」
「決まりだな。じゃあちょっと待っててくれ、すぐに荷物まとめてくっから」
ポンとフリッツの肩を叩き、いそいそと前掛けを外しながらビリーは店の奥へと消えて行った。フリッツはカウンターから身を乗り出して店の奥に向かって叫んだ。
「ちょっと待ってよビリー! ぼくはまだ帰ると決めたわけじゃ。それにもう夜だし、今からなんて」
ビリーはもはや人の話などまったく聞いていない。フリッツはどっと疲れが押し寄せてきた気がして、そのままカウンターにもたれかかった。壁に背を預けてことの成り行きを傍観していたルーウィンが口を開いた。
「悪いけど、もうちょっと同行させてもらうわよ」
「いいけど、どうしたの?」
フリッツは驚いた。フリッツに同行するのはもうこりごりだと思われている自信があったからだ。ルーウィンとの旅はガーナッシュまでで、用事が済めば早々に別れたがると思っていた。
「どうしたもこうしたも、こんな状況じゃこの街にはいられないわ。いちいちザコどもにつきあってられないし、落ち着くまで田舎に身を隠しておこうかなと思って。それに、もうここに用はないし」
たしかにルーウィンはガーナッシュに留まる理由はない。彼女は言葉を続けた。
「まさか、もうしばらく一緒にいることになるとはね」
「うん、ごめん」
フリッツは悪くも無いのに、つい謝ってしまった。久々の里帰りだというのにまったく乗り気でないフリッツの様子を見て、ルーウィンは怪訝な顔をする。
「里帰りって嬉しいもんじゃないの? 昔馴染みに会えるし、家族のところで羽根でも何でも伸ばしなさいよ」
そうだね、とフリッツは呟いた。
その晩、フリッツとルーウィンはビリーに連れられ、幌馬車に押し込まれることになった。フリッツの故郷の村に野菜を仕入れに行く商人がおり、ビリーはもとからその馬車に乗せてもらって里帰りする予定であったらしい。客が二人も増えたのは馬車の主人にとって予定外であったようだが、案外すぐに承諾してくれた。
木々が風に揺られてざわめく中、一定のリズムで揺られる荷車の中で、藁と毛布にうずくまってフリッツはすぐに眠りに落ちた。ルーウィンとはぐれて、盗賊に捕まって、ならず者に追われた。普段は考えもしないようなことが次々と起こり、疲れていたのかあっという間に眠ってしまった。
朝が来れば、自分は故郷の村に帰っているのだということを眠る前に少しだけ考えたが、瞼の重みには耐えられなかった。
明日のことは明日考えようと、浅い眠りの中でフリッツは思った。