小説『不揃いな勇者たち』
作者:としよし()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>


【第6章】

【第十一話 勝負の決め手】

「おやめなさい! もう勝負はついているでしょう!」

 シェリア女王は耐え切れなくなって物陰から飛び出した。広く高い石造りの空間に、彼女の声が響く。突然現れた女王に、クリーヴは興を冷まされ、鋭い視線を向けた。シェリア女王は思わずひるみそうになったが、無理に自分の心を奮いたてた。賊を前にして、一国の女王が怯えるわけにはいかない。

「おや、誰かと思えばこの国の女王様ではないですか。王宮内でお姿を垣間見たことはありましたが、こうしてお会いするのは初めてですね。昨日までなら、フリでも貴女に跪いていたところです」

 その言葉にシェリア女王は、クリーヴが最近王宮に召されたキャルーメルからの魔法使いであることを思い出した。女王の表情は渋いものとなった。

「あなただったのですね。コソコソと動き回り、王宮の内部情報を漆黒竜団(ブラックドラゴン)に流していたのは。もうすぐここにも兵士たちがなだれ込みます。挙句、ここ一連の事件の主犯だったとは。極刑を与えます。覚悟しなさい」
「…頭の悪い女だなあ」

 クリーヴは言った。その一言にはぞっとするような悪意が潜んでいた。思わずシェリア女王も肩を震わせる。狂気を孕んだ瞳を輝かせながら、クリーヴは嗤った。

「あんたにはなんの力もないって、どうしてわからないのかな。なにができるわけでもないのに、敵のアジトまで潜り込んで。指示するしか脳のないお姫様が、いったいなにをするっていうんだい?」

 女王をここで殺すこともいとわない。クリーヴの冷酷な瞳は、シェリア女王にそう言っていた。
 クリーヴはシェリア女王に向かって、一歩踏み出す。シェリア女王は表情を強張らせて、一歩下がった。魔法使い同士の戦いとはいえ、先ほどまでラクトスに容赦なく力を振るっていた相手だ。捕まれば、ただでは済まないだろう。
 クリーヴは口を開いた。

「貴女は漆黒竜団の恐ろしさをわかっていない。ぼくだって、組織の端くれ。確かにラクトスくんとは因縁がある。同じ修練所で学んだ旧友だ。でも残念なことに、今は敵対してしまっている。勝負がついたからもう帰っていいよだなんて、そんな甘いお話じゃないんですよ」

 クリーヴは一歩、また一歩と踏み出した。
 シェリア女王はその瞳に静かな恐怖を湛えて、一歩、また一歩と後ずさる。

「そんなに怖がらないで。漆黒竜団はまだ、貴女の命を奪うつもりはありません。でも要求を飲んでいただけない場合は、女王様が急死したという悲報がこのグラッセルを駆け巡る。そんなシナリオも用意されているかもしれない」

 シェリア女王の肩が広間の入り口の壁にぶつかって、彼女はそれ以上下がれなくなった。
 もう、後がない。

「…あなたたちは、いったい」
「さあ。それはぼくの口からは」

 シェリア女王の表情に恐怖が浮かんだことで、クリーヴはひとまず満足したようだった。彼女にこれ以上邪魔をする気力がないことを悟り、その標的をラクトスに戻す。
 ラクトスはローブも身体も汚れてボロボロになり、粗大ゴミのように転がっていた。痛みに時折低く呻き、荒い息を繰り返している。反抗心と対抗心の燃え滾るあの鋭く気に食わない目も、開けば気分を逆なでするような品のない言葉しか吐かない口も、今では完全にクリーヴの支配下にあった。
 自分が杖を一振りすれば、この忌々しい魔法使いくずれは消える。なんと清清しい気持ちだろうか。
 惨めなラクトスを足蹴にすることを、幾年と夢に見てきたことか。
 ラクトスは小さくむせ込み、身体を丸くした。
 クリーヴはその光景を満足げに見つめた。










 おれは一体、今までなにをしてきた? 

 ラクトスは自分自身に問いかけた。
 地面がむきだしになって、冷たさがじわじわとラクトスの身体を這っていく。地面の水気が、身体の熱を奪う。こんな惨めな状況が、ちょっと前に想像できただろうか。クリーヴと遭うことなど、予想もつかなかった。そして勝てると思っていた。
 しかし、現実はそうではなかった。

 故郷のキャルーメルから出て、目的もなくふらふらと渡り歩いて。おれはいったい何をしてきたんだろうと、ラクトスは思った。今までしてきたことは、全て時間の浪費だったのか。もともと魔法なんて自分の身の丈に合わないと早々に諦めて、あのまま故郷で地道に働くべきだったのだろうか。
 
 クリーヴの言うとおりだ。貧乏人は貧乏人らしく、地面を這いつくばっていればよかったのだ。そうすれば故郷から離れた場所で、家族にも看取られずに死んでしまうことなどなかっただろう。所詮、身の程知らずだったのだ。魔法に魅入られていなければ、こんなところへ来ることもなかった。王宮に仕えたいなどという功名心が湧くこともなかった。

 そうなれば、フリッツたちと出会って、ここまで旅をすることもなかった。

 仲間という名のお友達ごっこ。
 協力という名の馴れ合い。
 クリーヴの言うとおりだ。そんなものがいつの間にか、ラクトスを変えてしまった。昔はもっと貪欲に力を欲していたはずだ。周囲に背をそむけて、たった一人で黙々と魔法にのめりこんでいた。
 
 しかし、今はどうだ。自分ひとりじゃ何も出来ない。あの憎いクリーヴをねじ伏せることすら出来ない。そんな無力な人間に成り下がるために、自分は故郷を出たのか。旅に出たのは、間違いだったのか。
 
 クリーヴの言葉は、ラクトスの全てを否定していた。
 フリッツたちと一緒に来てしまったのは、間違いだったのだろうか。



(…違う、そうじゃない)




 霞んだ、見えているかいないのかわからないような視界の中で、それだけは確かだった。
 それは間違いじゃないと、確信できた。ラクトスは地面に倒れたまま、拳を握った。
 一人じゃ何も出来ない人間になるために、馴れ合ってきたんじゃない。今までの時間を、無駄だとは言わせない。
 
 絶対に、負けるわけにはいかない。
 自分のためにも。そして。












 クリーヴは残忍な笑みを浮かべてラクトスを見下した。

「所詮、きみもこんなものか。せめてもの冥途の土産に、フレイムバーンで逝かせてあげるよ」

 クリーヴを中心として紅く燃え上がる光が、導火線に火が走るように広がっていく。精緻な古代語を書きながら、力を持つ記号を描きながら、それらはみるみるうちに同心円上に展開される。
 そして、最後の一行。
 クリーヴは嗤った。
 魔法陣が妖しく煌く、その一瞬。
 
 ラクトスは大きく目を開いた。

「おらよ!」

 ラクトスは地面からはがれて転がった石畳をクリーヴ目掛けて投げた。魔法で妨害するには時間が足りない。距離が近くなったからこその荒業だった。石レンガはクリーヴの頭にむかって容赦なく飛んでいく。クリーヴはそれを杖で叩き落した。さすがに頭に直撃して失神などという無様なことにはならない。
 しかし、気が散ったことにより魔法陣が最後の輝きを生み出すのには少し遅れが生じた。以前は召喚魔法だったため投石は弾かれてしまったが、今回はみっともない悪あがきが成功した。人間最後は、原始的な手段に限るとラクトスは苦笑する。

 そして、ラクトスはその隙に賭けた。
 アクアヴェールを発動させると、それを自らの身にまとった。完成されたフレイムバーンがラクトスに牙を剥いたが、水の護りで相殺される。続いてラクトスは、身を起こして走った。クリーヴから距離をとる。その間に、クリーヴも追撃を仕掛ける。それを相殺すると、ラクトスは詠唱を始めた。
 クリーヴは強くなった。技を磨き、精度も威力も上がっている。クリーヴが安定している限り、彼の勝利は確かなものだ。しかし旅をしていたラクトスとそうでないクリーヴ、その両者に違いがあるとしたら。 
 それは「実戦」の場数の差。

 敵が想定外の動きをし、追い詰められたときの対処法をクリーヴは知らないはずだ。クリーヴが優勢になっている今、この状況をひっくり返すことが出来れば、あとは黙っていても崩れていく。ラクトスのこの想定は、甘いものかもしれない。しかし魔法の力が拮抗し、認めたくはないがクリーヴがラクトスの上をいっている以上、クリーヴに勝つにはもはや彼の想像を超えるしかない。
 そして自分にはそれが出来るはずだと、信じるより他ないのだ。
 あとは気持ちと、根性の問題だ。鋭い瞳に闘志を燃やして、ラクトスは叫んだ。

「お前には、絶対負けねえ!」

 ラクトスは杖を水平に構えた。両足を少し開いて、無意識に身体の芯を安定させる。そして、呪文を唱えた。一発勝負だ。だが、ここで上手くやらなければ。
 第一陣。ラクトスの足元に小さくシンプルな円が浮かび上がる。クリーヴも負けじと詠唱を始めたのが薄目にわかった。
 
 第二陣。二つ目の円が外側に描かれる。足元の小さな円は炎のように美しく揺らめいた。魔力が自分を軸として、足から頭へと循環していく感覚が走る。吹き上げる魔力は光の粒となって、ラクトスのローブの裾や髪を僅かに浮かび上がらせた。円と円の間には蔦や茨が複雑に絡み合うように、光の線が精緻な文様を走るように描かれていく。

 第三陣。この、沸き起こる力。自分だけのものではない、この世界からの借り物の力。所詮肉の塊でしかない自分の身体を、おびただしい量の魔力が駆け抜けていく。この破壊を伴う力こそが、近寄りがたい神秘さと、そして危うい美しさとを醸し出す。自分が只者ではないような、妙な錯覚に襲われていく。抗いがたい恍惚と狂気。しかし自分は一介の術者に過ぎない、それを忘れてはならない。でなければ力に、あっという間に喰われてしまう。

 負けるわけにはいかなかった。なんとしてでも。
 術の最終段階。ラクトスはクリーヴの足元に展開されていた魔法陣強く思い浮かべた。
 
 一方、クリーヴも負けてはいない。ラクトスが呪文の詠唱を始めたのとほぼ同時に彼もまた詠唱を始めていた。しかし、クリーヴは呪文を唱えながらもラクトスの様子を窺う。一体なんの魔法だ。どんな術をぶつけてくる? だがその答えは、すぐそこに迫っていた。
 
 太陽のように赤々と燃える恐るべきエネルギーの塊が、クリーヴの真上にぎらぎらと輝いていた。その瞬間、クリーヴの思考は完全に停止した。詠唱中の口元は動かなくなり、思わず杖を取り落とす。

「…そんな、バカなことが!」

 クリーヴは叫んだ。彼の真上には、ラクトスの放ったフレイムバーンが待ち構えていた。
 それは、揺らめいた。凶暴で悪質な炎の悪魔が、歯を見せて嗤ったように。
 そして、閃光と高温を伴い、爆ぜた。








 石造りのぽっかりとした大広間は、にわかに俄かに静まり返った。シェリア女王は思わず息を呑んだ。
倒れたクリーヴの元に、ラクトスは杖を頼りにやってきた。
 今ではクリーヴが地面に倒れ、ラクトスがそれを見下ろしていた。しかしラクトスも杖でその身を支えているだけだった。クリーヴは大の字になり、冷たい床の上に身を投げ出していた。その表情は未だに驚いているようでもあり、放心しているようでもあった。

「…ぼくの魔法陣を見て記憶し、それを読み解いて、術式を探り当てたっていうのか」
「二回も見せてもらったからな。新しい技覚えちまったぜ、ありがとさん」

 ラクトスはさも余裕があるかのように言ってみせたが、彼もまた肩で息をしていた。
 ラクトスがやってのけたことは、クリーヴの言うとおりだった。
呪文が完成し、術者の足元に浮かぶ魔法陣は何も飾りではない。その同心円の中に描かれた模様や記号には各々意味がある。力が働き、その術式が光の模様となって表れる。通常、魔法を習得する際は術式を理解し、そこに力を働かせて発動させる。当然、それが当たり前の順序だ。だが逆に、浮かび上がった魔法陣からその根源を読み解くことも可能である。不可能ではない。
 
 しかしそれは本来、机上で作業するべきもので、戦闘の場において即興で出来ることではない。それを可能にするには、それを読み解く恐ろしいほどの膨大な知識と、それを即座に具現化する技術が備わっていなければならない。
 ましてや、ラクトスがフレイムバーンの魔法陣を見たのは、たったの二回だ。
 クリーヴは苦々しげに呟いた。

「…マニアックすぎて、気持ち悪い」
「お前とは学習意欲が違うんだよ。それに、調子に乗ってお喋りが過ぎると、不意を突かれて負けるってのは古今東西のセオリーだろ?」

 ラクトスはクリーヴに向かって言った。




 土壇場でどれだけ強い心持でいられるか。それが勝負の決め手だった。
 自分一人のことなら簡単に諦められただろう。自分が強いか弱いか。強者であるか弱者であるか。それは今のラクトスにとって、なにがあっても貫くほど大切なものではない。一度自分が諦めてしまえば、それまで。その先には、何もない。
 しかし、今はそれだけではなかった。この勝負に勝ち、先へ進む。それが最も重要なことだった。身を張って追っ手を食い止め、ラクトスを先に進ませたルーウィン。この先にいるであろう、攫われてしまったティアラと、単身で潜入してくれたフリッツ。
 
 自分のために。そして自分を必要としているであろう仲間のために。
 彼らは、自分の力を必要としているはずだ。

 それは自分の一方的な思い込みだけかもしれない。しかし、今は自然とそう思えてしまう。
 ラクトスは口の端だけで笑った。
 自分の都合のいいものを信じたって、バチは当たらないだろう。

「さあ、まだやるのか?」

 ラクトスはクリーヴの額に向かって杖を突きつけた。








 シェリア女王はラクトスが形勢を逆転させたのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。しかし不意に、背後の通路に人の気配を感じた。ようやくグラッセルの兵が辿り着いたかと、女王は表情を明るくさせる。
 しかし、その期待は打ち砕かれた。

「これはこれは。シェリア女王陛下直々のお出ましとは」

 暗い通路から女がゆっくりと姿をあらわした。腰にはレイピアを吊っている。その腕には、黒い腕輪。女ではあるが、明らかに漆黒竜団の者だろう。ここでラクトスの注意をこちらに向けさせるわけにはいかないと、女王はその女と敢えて対峙した。
 今まで戦いを見ているだけで何もできなかったのだ。せめて、ここでラクトスの気を散らせるまいと女王は考えた。

「狼藉もここまでです。やがてこの場所も我がグラッセルの兵士たちが制圧するでしょう。あなたがたを、国家転覆を目論む反逆罪で捕らえます!」

 しかしシェリア女王の宣言にも動じることなく、女、ルビアスは楽しそうに喉で笑った。その様子を見て、女王は目を吊り上げる。

「なにがおかしいのですか!」

 ルビアスはしばらく不気味に笑っていたが、やがてその笑いを沈めると、低く静かな声で言った。

「箱庭の中の平安しか知らないお姫様が、なにを偉そうに。誰のお陰でこの世界が回ってると思ってるの?」
「それは、どういう意味です」

シェリア女王は眉根を寄せる。しかしルビアスはその問いには答えなかった。

「さあね。うーん、どうしようかなあ。せっかくここまで来たんだし、このまま何もなく返すのは惜しいわよねえ」

 ルビアスは腕を組み、シェリア女王を見て何か思案しているようだった。嫌な予感がする。シェリア女王の額には冷たい汗が流れた。
 ルビアスは何かを思いつき、わざとらしく両手をパンと合わせた。紅い唇は楽しそうに弧を描く。その表情は、残酷な遊びを考えたついた子供のようだった。

「そうだ! 今から始まる魔法のショーに特別参加してもらいましょう。さっきわたしが生贄一人逃がしちゃったから、その分穴があいちゃって困ってたのよね。わたしたちは、もともと女王を要求していたわけだし、丁度いいわ。大きな泥人形に命が吹き込まれる瞬間を、ぜひ見ていかない? というわけで」

 ルビアスはラクトスに向かって言った。

「そこの魔法使いくん! 悪いわね、お姫さまちょっと借りるわ」
「あぁ?」

 クリーヴの前に立っていたラクトスは、突然の女の声に思わず顔を上げた。ルビアスがパチンと指を鳴らす。するとどこからか光の玉がやってきて、それは人間をすっぽり包み込めるほどの大きさへと伸び上がった。
 シェリア女王が声を上げる間も無く、彼女はその光に飲み込まれた。女は落ち着き払った様子で、もう一つの光に包まれた。そして、二つの光は消え去った。
 あっという間の出来事だった。ラクトスには、何が起こったのかわからなかった。石造りの空間には、今はラクトスとクリーヴが残されているだけだった。

「…今のは、お前じゃないな」

 ラクトスはクリーヴを睨み付けた。

「さあね!」

 クリーヴは隠し持っていた閃光弾放った。ラクトスは完全に不意を突かれた。クリーヴがこの場で、魔法以外の小細工を使うとは思っていなかったのだ。
 ラクトスの目に煙が入り、目を開けていられなくなった。煙が晴れると、クリーヴはいなかった。クリーヴは背中を見せて部屋の奥へと逃走した。

「おい、待て!」

 ラクトスは舌打ちをして、逃げたクリーヴの後を追った。









 それは、猫が獲物を弄んでいるようだった。

「ねえ、いい加減に口割りなさいよ。もうどこに打っていいのかわからなくなるじゃない?」

 ルーウィンの目の前には、漆黒竜団の男が倒れていた。壁際に座らされてはいるが、男はほぼ気を失いかけていた。両腿に一本ずつ、そして両腕にも。男の四肢にそれぞれ計四本の矢を打ち込んだ。ルーウィンはわざわざしゃがみ、ぼろぼろになった男に顔を近づけた。

「どうしてほしい? あとは頭、喉、心臓くらいしか思いつかないけど。教えてよ、あんたたちの本拠地。言ってくれたら殺しはしないからさあ」

 男は最後の気力を振り絞り、ルーウィンに唾を吐きかけた。しかし、ルーウィンはそれをかわす。ルーウィンは男の頬を殴った。小柄な身体のどこからその力が繰り出されるのか、男の顔は吹き飛ばされた。その時に両腕を壁に縫いとめている矢が動いて、男は苦痛にくぐもった声を上げた。

「…お前、漆黒竜団に手出ししてみろ。ただじゃ済まないぜ!」
「なんだ、まだ喋れるじゃない。ほら早く。アジトの場所、吐きなさいよ。あたしも暇じゃないの」

 ルーウィンは鼻から息を吐いた。男は顔を歪め、唾を撒き散らしながら訴えた。

「だから本当に知らねえんだよ! おれは下っ端だから、仲介人を通して団員になった。だから」
「なあんだ、じゃあもう行っていいわ」

 ルーウィンは男を蹴り飛ばす。ルーウィンのすぐ後ろに水路が流れていた。用水にしてはその流れは速く、そして深い。落ちれば泳ぐことなどままならず、勢いに任せて水に飲まれるしかないだろう。

「…や、やめろ。言ったじゃねえか、おれ、ちゃんと」
「あたしの知りたいこと、教えてくれないやつに用はない」

 ルーウィンの目には残忍な光が宿っていた。
 ルーウィンは矢の刺さったままの男を水路に蹴り落とした。悲鳴を上げる間も無く、男は激流に飲まれていった。四肢を射抜いたから、満足に泳げはしないだろう。もしかしたら、死ぬかもしれない。

「ハズレか。とんだロスタイム」

 ルーウィンは頭を掻いた。トンネル状の水路に、水の激しく流れる音だけがこだましている。男の姿はもう見えなかった。

「さて、勝手しちゃったし、さっさとあいつらに合流しますか」

 ルーウィンは何事もなかったかのような顔で、水路を後にした。
 自分がまだ復讐を諦めていないと知れば、止められてしまう。なにせ「全力で止める」と、フリッツに言われたのだから。
 ではばれないよう、こっそり近づいていけばいい。ハードルが高ければ高いほど、ルーウィンは燃えた。確かな情報があるのだから、焦ることはない。あとは自分が辿り着く前に、相手が死んでしまっていないのを祈るだけだ。
 彼女の立ち去った後には、赤黒い血の跡が残っていた。




-75-
Copyright ©としよし All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える